2016年10月23日 (日)

読書週間が始まる

 ちょっと寒くなったが、まだ十分ではない。ようやく百日紅の花は、終わったようだ。東京の秋は何時頃から始まるのだろう。と周りを見渡したら、散歩の団地の通りに銀杏が落ちている。見上げると、紅葉にはまだ早い。緑深いとはいえないが。

 読書週間の季節になった。読書を習慣つけないといけないが?読書は何に、何処まで有効なのか分からない。ボケ爺は、文系には、まるっきし弱い。だから読書を自分に強制している。元々の能力が悪いので、無駄な作業に勤しんでいる。すると、

「語彙力こそが教養である」斎藤孝 角川新書に「その一言に知性がにじみ出る」、なるノウハウ本が、恐怖を呼ぶ見出しで、本棚に鎮座している。

思考の基本は言葉である。つまり語彙が不足しているとよい発想が出来ない。語彙が豊富で無ければ、人としての教養が構築できない。現象は何事も言葉に変えなければ、表現が出来ない。知性が無ければコミュニケーションは貧弱となり、伝わらない。

語彙力は言葉の使い方で決まる。語彙力を身に着けるためには、「読書しかない」と豪語する。身に着けるには、スポーツアスリートと同じように、訓練(練習)しかない。

訓練としての読書も同じことだ。「読書アスリート」になるには、「忍耐」が必要だ。耐えなければ、試合にも出られない。と脅迫が続く。クワバラクワバラ。

嬉しいことに、夏目漱石を読み込めればそれで、十分だと言い切る。一生かかって、漱石を読み切ろう。と、少し気が楽になった。

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2016年2月21日 (日)

読書は思考の扉

/5の毎日新聞の社説に載っていた話。ボケ爺になれば、学校へ行く勇気もないので、図書館でひたすら新しい情報を探す。しかし、小学生や、中学生が、学校の勉強以外で、本を読んで目覚めるとは、実に羨ましい。ボケ爺の幼少のころの、裏山で遊んでいた野生派とは違っている。ボケ爺の小学校時代、図書館などあっただろうか?

  第61回読書コンクールで、中学生の総理大臣賞は、「身近な雑草のゆかいな生きかた」筑摩書房を読んで、「足元にあった愉快な世界」と、登下校が楽しくなった感想文だったそうだ。身近の変化を観察する、そんな「思考の扉」が開いたのだから、凄い。

  450万人の応募、小学生は255万人、と言う。読書活動は公立学校で、小学校で、96%、中学校で、88%、と言う多さだ。将来が楽しみだ。

 

<読書>

 

「知の巨人」佐藤雅美 角川書店

 

=荻生徂徠伝=となっている。市井の時代小説を書く人だとの印象だった。が、この種の伝記は難しい。朱子学から、儒学、論語へとの過程で、中国賢人のほとんどの書物を読み熟した荻生徂徠の作品を、更に読み込むのは作家の意気ごみ、は凄い。徳川吉宗の裏のブレーンとして、この時代の治政を下支えした。

  綱吉時代、柳沢吉保の庇護の下、沢山の学者(2~300人)を輩出した、「元禄ルネッサンス」の江戸文化(文明)が基礎となり、今日の日本の知性が生まれた。つまり、明治維新の思考力の基礎だ。中国漢文を読み解く辞書まで作ったのだから、多くの智者、賢者の大物がいた江戸時代は凄い。仁斎、徂徠、宣長の学力は凄い。この一冊で、中国知見、日本語の翻訳など、多くの事が学べる。

         これからの結論は、日本は再び鎖国(知識以外)が必要だ。ガラパゴスよ!再び。

 

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2015年1月24日 (土)

世阿弥の言葉

「世阿弥の言葉」 土屋恵一郎 岩波現在文庫を読んでいたら、懐かしい言葉に出会った。世阿弥から発せられていた言葉とは知らなかった。無知であった。

1)「初心忘するべからず」;試練を乗り越える志を忘れるな!

2)「時節感当」;人のペースを読んで、タイミングを外すな!

3)「男時、女時」;勝負には、勢いが必要だ!つまり、「男時(勢いがある時)に戦え」「女時(相手に勢いがある時)は、避けよ」

4)「目前心後」;目は前を向き、心でよく考える事!つまり、眼前を直視し、自分を客観視せよ。すぐの回答を避け、一晩考えてから(熟慮)!

5)「稽古は強かれ、情識は無かれ」;稽古を一生懸命するが、慢心するな!*情識とは「慢心」の事

とかくこの世を生きるのは難しい。

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2014年12月13日 (土)

知性とは?

 創造性を如何に生み出せるか?が、ボケ爺の一生の課題である。知識の詰め過ぎでは得られない事だけははっきりした。優秀な人は沢山いたが、創造性のある仕事は、必ずしもその様な人からは生まれていない。はみ出している人だった。だからと言って最小限の知識が無ければ、発想すらも起こらないことは確かである。

 糸井重里コピーライターの弁は、「整合性を疑える」ことだ。と言い切っている。それには、①ロジックが通じる。②作ってから意味づけする。③商品ではなく、面白さを考える。④喜ばれる贈答品を考える。⑤ほぼほぼ、ソコソコ、から考える。

 やってはいけないことは、経費節減、贅沢を嫌う、ことだと言う。自分をほめたい日には贅沢をすることだ、と言う。ボケ爺は、貧乏人である。そんな人には、どんな満足が?どんな贅沢が?を考える「整合性」の追求から始まる知的作業が有効だ。

 先週、NHKの放映で、東大の先端技術研究センターが、小学生から中学生の一芸に優れ、人付き合い困難な人々を支援すると言う。とんでもない天才たちの集まりだ。楽しみな試みだ。期待する。

<読書>

「緋の天空」葉室麟 集英社

「聖武天皇」のお妃である「光明皇后」の生涯を艶やかに振り返った力作である。古事記から始まる日本書紀の日本の中枢での政務の行われ方から、その貴族の生活。藤原家との実権争いの物語が折り重なっている。女帝の多くを輩出した時代の政治の実態など、歴史が学べる。

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2014年9月20日 (土)

能力引き出す

 日本の技術競争力は弱まった。競争力の基本は「人間の能力」にある。組織論は、ボケ爺から言えば、二番目に置く。能力は引き出せる。日本の企業や、研究機構は日々努力している。その努力は、世界標準に比べ、遅すぎる。

 日本の「ゆとり教育」が悪い、とも言われる。静岡県知事は、独断で、学力テストの良い学校の校長名を公表した。やはり、日教組を始め、文科省まで、苦言する。「学力の差別化を生む」と。人は元来、能力には差があって生まれてくる。

 天才を輩出している国には、国家競争力がある。ノーベル賞の量に比例して、事実である。日本は何故、競争に目をつぶる。教育に競争があってしかるべきだ。テニスの錦織選手を称賛するのは何故か?強い能力を発揮しているからだ。何故、学力だけに、平等を唱えるのか?学ぶ機会均等は必要だ。

 企業においては、「人を育てるホンダ」「人を競争させるサムスン」と典型的な企業人材育成の違いがある。しかし、いずれの方法にしても、世界をリードする人材が育っている。それらの基本は、学力(能力)の平等教育法ではない。能力を引き出す方法論が必要で、最終的には能力に差異を生む。能力のある人材を育成しなければ、企業は生き残れない。日本は、軍事化では生き残れない。

<読書>

「限界にっぽん」朝日新聞経済部  岩波書店

悲鳴をあげる雇用が、日本経済の疲弊を生んでいると言う。円安で貿易赤字、日本は崩壊する。雇用が増えるのは、不安定な、第三次産業のみである。第二次産業は、海外へ。第一次産業は、海外からの輸入品で。残念なアベノミクス政策が続く。その三次産業のサービス業も、15年以上、今日まで貿易赤字である。

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2014年8月14日 (木)

コピペ博士が多い

 STAP細胞論文で、すっかり有名になった「コピペ」は、誠に便利な機能である。ボケ爺もよく活用する。

 某大学教授と話をしていたら、コピペ博士が多くなってきていると、嘆いておられた。ITの進化は思わぬところで、教育、文化の足を引っ張っている。残念と言うより仕方がないのだが。一方、イノベーションの進化に向けて、情報の収集と分析には、IT化は必然でもある。

 コピペからは、イノベーションは衰退するばかりである。その学生、博士たちを、企業が雇用して、イノベーションの即戦力を期待しても、もう遅い。手のつけようは無い。

企業は、どう防衛すればいいのだろうか?社内で、長期雇用を保証して、企業が我慢をして育てるしかないのだろう。これは、戦後、日本が行ってきた終身雇用政策であったのだが、近年は、すっかり否定されてしまっている。しかし、イノベーションを生むには、今一度考え直す時期になっている事だけは間違いない。

あるいは、アメリカ型のように、起業家にとっと手厚い支援をして、コピペへの反発をするガレージ起業家に期待する、としたいが、日本では難しかろう。

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2014年5月28日 (水)

三智とは

 田坂宏志の近著の読書をしていた時に、フト思いだした言葉に、島崎藤村の言う「三智」を思い出した。大昔の事である。三智とは、

1) 「本」を読んで賢くなる智、

2) 「人」の話を聞いて賢くなる智

3) 「自分で体験」して賢くなる智

「本」を読まなければならないことは、理解できたが、その頃では、他は良く理解できなかった。元々バカなボケ爺であるから。その後、歳を取ってみると、なるほど、偉い人は、初めから賢かったのだ、と気が付く。

本も読めば、なんでも良いと言う訳ではない。ノウハウ本は、ボケ爺には、ほとんど役に立っていない。独学で、思想を読み解かなければ身に付かない事が分かって来た。気が付いたときには、棺桶に足を突っ込んでしまってからの理解は遅すぎる。凡人には残念。

<読書>

「知性を磨く」 田坂宏志 光文社新書

副題に「スーパージェネラリストの時代」となっている。帯には、「何故高学歴の人物は深い知性を感じさせないのか?」となっている。つまり、知識力時代ではなく、知恵の時代、知恵とは「知性力」だ、と闊歩する。答えのない社会を、答えを出すべく生き抜くために、考え悩み解を求める知力だ、と言う。

ノウハウ本ではなく、解決するために、間違えた考えを正す警告書であり、知力の習得の為の水先案内書である。

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2014年4月13日 (日)

ビル・ゲイツとジョブスの夢を見る

 今日もウグイスの鳴き声で目が覚める。昨夜のTVで、長寿には、「赤ワインとチョコレート」(いずれもポリヘノール)が良い、と言う。ボケ爺、晩酌はしないが、寝る前にコップ半分ほど飲んだら、酔っ払ってぐっすりと眠ったようだ。明け方の夢であろう、ビルと、ジョブスが、どこかで、大論争している夢を見る幸運に恵まれた。

 が、その内容は全く覚えていない。英語だから、ボケ爺には、元々理解できていないので、思い出せないのは当たり前だ。

 イノベーションを起こすための基本は、「変わった人間であれ!」と言うことだ。それは当然として、変わった人間を育成するには、小学校の3年生までで決まるような気がする。幼稚園から、小学校3年までの先生は重大な責任がある。但し、教育は単純だ。芸術に繋がる教育で良いと、ボケ爺は確信している。

 音楽は、「思考速度を速める。」絶対音感とか、楽譜を読んで瞬間に音程を取る脳の働きは、驚くべく速さである。

 絵画(図画工作)は、描かないで、解らせる、作らないで表現する、と言う様に、自分から出来ないモノを見つけ出す。「省略の方法」「自分の長所(性質)を見つける」ことに繋がっている。

 文学は、物事の「理解力」を身に付ける。数学も、理解力で決まる。幼少のころに、親は読み聞かせる、ホンを読ませる、ことである。更に「自己表現力」が身に付く。

 いずれも変人への道程である。当然、ボケ爺は既にダメ。大人になってからでは効き目はない、ことは、請け合いである。我が子、孫に試みるべし。変人万歳!!!

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2014年3月 2日 (日)

学ぶ、未来を

 「学び続ける力」は、あの有名な池上彰(講談社現代新書)のタイトルである。またまた「力」である。池上氏までもが「力」で注目を浴びる。クワバラクワバラ。その力をどうすれば身に付くのかは、悲しいかな人によって違うし、力の尺度も違う。厄介な問題だ。物事は、ノウハウで決めつけられてはたまったものではない。思考力とは、ノウハウではないはずだ。

 ズバリ、一言で言えば、「常識を疑え」と言うことだ。大人は、「大人らしく」なったとか、「大人だ!」と感嘆することが多いが、その中身は「常識がある」の裏換えしかもしれない。この「大人になって常識が出来た」が、曲者だ。

 常識は固定されてしまってはならない。世は変化している。常識も変化して当たり前だ。すると、常識を疑うために、耐えず勉強しておかなければ変化に付いていけないし、学んでいなければ、常識を疑うことも出来ない。常識を信じ込むところに進歩が無い。常識を疑える基本学問が、「歴史」である。

 「寓者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」この一言で全てである。ボケ爺のジ・エンド。

吹雪く中シャタチャンスカワセミに

カワセミにカメラレンズが雪付着

雪の中散歩嫌う室内犬

新芽にはそこのけそこのけ雪避ける

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2014年2月 9日 (日)

「中川一政」

 ボケ爺は、変り者である。ヒネクレ者である。誰もが認める?自分では自覚していない。自分だけは真面目だ、と思っている。自覚もしている。そんな意味で、「中川一政」も同じ、だと思える。

 「腹の虫」中川一政 中公文庫を読む。日経の「わたしの経歴書」に記載された自伝である。文庫本で、160ページ程度だが、一週間もかかってしまった。中身が濃いい。自説の教訓が多く、納得しながら読む。「私の処世も仕事も腹の虫のなせる業だ」と言い切る。

「人は感動を感じて生きる」、だから、自分が感動を受けない絵は腐っている、とも。中川一政は画家である。奇想天外な絵を描く。だがすべては生きている。師を持たない画家である。独学の画家である。中央会院にも距離を置く。ボケ爺は真鶴まで追っかける。ゴッホや、セザンヌを独自で学ぶ。

 ボケ爺は、ピカソ、クレー、ミレー、三岸節子、林武、織田広喜、も好きなのだが。「腹の虫」を読んで、驚いた。文章、履歴書の書き方まで、ハチャメチャである。しかしそれが、かえって迫力がある。すごみのある文体となって伝わる。絵画の表現とよく似て、生き続けている。何故だ。驚きだ。感銘だ。

 ボケ爺は、土屋賢二(哲学者)のユーモアのある論理が好きだったが、ここに又一人先生が現れた。絵画だけでなく、文体も、中川一政は、ボケ爺の師となった。

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