2024年2月11日 (日)

尻切れトンボ議論の国会

 今、通常国家が開かれ、予算委員会で議論されているが、どれも尻切れトンボで終わってしまいそうだ。何故か?基本は野党の勉強不足、それも議論の仕方を知らないからだ。

 盛山文部科学大臣の旧統一教会との関係において、過去に関係があったことは証拠写真を見つけて追及は出来たが、盛山文科相の言う「今は関係を断ち切っているから問題はない」に、「今は断ち切っている根拠を示せ」、となぜ迫れないのか?

 旧統一教会問題を尻切れトンボで終わらせたから、「証拠の追求が出来ない」、の一件落着で終わっているからだ。

 パーティ券キックバックの不正。についても「尻切れトンボ」になりそうだ。これ一本に絞ればいいのに、政府活動費まで合わせての議論となり、自民党の思うつぼに野党はハマっている。「不記載は裏金だ、使用目的を明確に国民提示せ」。出来なければ「納税せよ」一本に絞るべきだ。

 そして、アンケートで「不記載を修正した、もうありません」を許してはならない。証拠もない「不明」を徹底的に追及できないのか?又、飲み食いの領収書が一日に4回も出てくるのは可笑しい。料亭や、レストランで調べれば直ぐ分かる。野党が不明は税務署と一緒に追求すべきだ。領収書の無い書籍代なども。「尻切れトンボにならないように願う。

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2023年11月14日 (火)

冬の陣(皮肉な返礼)

 昨日、藤井聡太8冠が、岸田首相から内閣総理大臣顕彰を授かった、とのニュースをTVで見た。名誉なことであり、若い8冠の偉業は、その努力に素晴らしいと、ボケ爺は率直に喜んでいる。才能があっても努力なしでは無しえないことである。

 藤井聡太名人は返礼として首相に将棋盤を贈った。盤のカバーには「雲外蒼天(うんがいそうてん)」と記されていた。「雲外蒼天」は藤井名人が度々、アナウンスしている「座右の銘」である。その意味の解釈を説明している。「努力して苦しみを乗り越えれば青空のような素晴らしい世界が待っている」、と言う意味がある、と。

 政策の成果が出せなくて苦悩のしているであろう岸田首相に呈する激励の言葉として最適な「皮肉の贈り物」となった、とボケ爺は感心した。こんなところにも気配りをする藤井聡太から目が離せない。岸田首相が、この皮肉を理解し、努力で払しょくできるか見守りたい。さて、岸田内閣どうする?

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2021年1月22日 (金)

大寒が過ぎた朝

 大寒が過ぎた朝、零下にまで冷え込んだ。その為かどうか分からないが、小鳥の朝のさえずりが聞こえない。小鳥も寒さには負けるのだろうか?庭の紅梅は7分咲き。時候は進んでいる。

 朝の散歩で出会うのは、電動アシストのママチャリである。保育所、幼稚園が増えたせいで、ラッシュ。右に左に走り急ぐ。共働き家族が常識化しているからだ。後ろと前にフード付きで補助いす付き自転車は、12万円は越える。又、送迎マイクロバスも、大型の保育所、幼稚園の専用車も行きかう。

このボケ爺も、その時代では珍しい保育所時代を経験している。東芝姫路工場が村の近くにあった転勤赴任者のアパート内に保育所があった。母が畑に行くモンペにすがって、又、三輪車に乗って、30~60分かけて通った。だが、都会の子供とは意思疎通は出来なかった。何時も隅でいじけていたことを思い出す。

保育所、幼稚園の園児たちが黄色い声ではしゃいている姿や、片隅で、ママゴトをしているグループがいる。それらを見ると、人類の継承に安堵する。この経験が、将来の生きざまが、大切な時代だとも感じたりする。

有名人や、小説家などのエッセイを読むと、幼少時代からせいぜい小学校時代までの体験が、その後の「才能、知恵の根源」になっているように感じる。保育所、幼稚園、小学校時代の教育が天才を生む基本だと、ツクヅク感じる今日この頃である。

<読書>

「文学のある日」坪内稔典 新日本出版社

漱石の話が良く出てくる、のがいい。著者は幼少のころから、小説、詩集をよく読んでいる。勿論、教育者ではある。物心ついたころから、人は才能に目覚めるのではないか?天才と言う能力は、小学校までに決まる、と言う仮説?そうならば、ボケ爺の幼少のころは本を読まなかった。だから未だに、読解力が身に付かない。なるほど。

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2020年12月12日 (土)

曖昧な言葉

 安倍・菅政権時代がいつまで続くのか?国民は政府からの情報公開で、いろんなことを知りえる時代となっている。安倍首相時代は、菅官房長官(菅首相では加藤官房長官)が毎日、一日の出来事を報道する。だが、内容はすっきりと伝わる訳でもない。疑問を抱きながら、日時は進む。モリ・カケ・サクラでも、菅官房長官は、「十分な説明されていると思いますよ」「十分な調査が行われ、問題が無い事を確認されたようですよ」など、曖昧で他人事、無責任な発言だ。

 菅氏が首相になると、「総合的に、俯瞰的に、概ね妥当、多様性を鑑み」が多用される。人事ゆえ、検察が調査中故、公表、公開できない」との「曖昧さ」が続く。国民は消化不良になる。国語学者の金田一秀穂氏は「本来的な意味での『姑息』(こそく)」(意味は「その場限り」)がまかり通っている、と指摘する。

GoToトラベル、イートについても、経済優先、命優先と言い続けるが「二兎追うものは一兎も得られず」「その場限りと受け止められる」の曖昧さが続く。対策が「2週間遅く、1週間早く切り上げる」、「曖昧さ故だからだ」が、何故だろう。コロナ対策で、100兆円もの国債が発行される。財政破綻の日本の崩壊は目前に迫っている。

<読書>

「エロスの記憶」女性作家5名、男性作家4名 文春文庫

有名な女性作家5名と、男性作家4名のエロスの饗宴の短編集である。それなりの筋書きや表現はそれぞれ想像内の範囲。だが、その中でも、野坂昭如の作は、現実味を帯びた、日本の負債改善策、日本の再生計画であった。つまり、大昔の姨捨山の老婆の間引きであったが、ここでは、役に立たない男の間引き策である。65歳で、エレクション(ET)しない男性には、高齢者福祉も、治療もしなく、早く逝ってもらう法案が首相から提案され可決した。それにより、高齢者福祉の費用が削減されて日本の財務が改善され、日本は復興する、と言う説。又、山田風太郎の短編は、例の忍者ものであり、ストーリが愉快で、抱腹絶倒。

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2019年6月28日 (金)

「京大変人講座」

 「京大変人講座」酒井敏、ほか 三笠書房、を読む。ボケ爺も「変わり者(変人)」と言われて久しい。今はボケてしまって、すっかり変人が真面に見られるらしいが?

 若かりし頃、京大の最強の変人と言われて有名人の「森毅 教授」の著書を読んで、憧れた。だが「変人」になるのは容易なことではない、と悟った。京大の天才の最強の天才の「岡潔 教授」の著書を読んで、「哲学の道」を散歩した。散歩すれば、「アイデアが生まれ、解が浮かぶ」を凡人のボケ爺は信じた。だが、当然に凡人には出来ない、自明だったのだが。京大には、霊長類研究所がある。ここ出身の先生方の本も、又、愉快だった。

 「京大変人講座」は実に愉快!創造性には、この変人的要素が必須!と悟る。

1:地球学;地球は毒ガスに満ちた「奇妙な惑星」=>地球の成り立ちは奇跡の研究

2:経営学;なぜ鮓屋のおやじは怒っているのか=>「おもてなし」は経済合理性に相いれない、の研究

3:法哲学;人間は「おおざっぱ」がちょうどいい=>不安と共に生きて耐えることこそが、ワクワクして生きるための秘訣の研究

4;社会デザイン学;なぜ、遠足のおやつは「300円以内」なのか?=>「不利益」は「社会の豊かさ」を考える手本である事の研究

5:生物学;ズルい生き物、へんな生き物=>変人(はみ出し者)が進化のチャンスを作るか?の研究

6:予測学;「ぼちぼち」という最強の生存戦略=>あまり計画的に生きることは、徒労。「ボチボチでっせ」が好い事との研究

<読書>

「京大的アホがなぜ必要か」酒井敏 集英社新書

=カオスな世界の生存戦略。アホ(無駄を好む)は人類「生き延びる」には必然である、と説く。この世は予定調和はなく、予測不可能である。生物は多様性の変化に耐えてきた。そこには無駄で、非効率がある。人間の社会も生物の多様性的な生き方が必然だ、と説く。「選択と集中」を続ければ必ず滅びる。世はカオスであり、フラクタスであるが結論である。イノベーションは「ガラクタな知識と行動」が生み出す。好奇心の「面白い」が一番有効だ、と。

 

 

 

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2019年6月14日 (金)

お役所仕事?

 幼児や、幼少の児童の虐待が目立つ。何とも悲しいニュースだろう。そこに、記者会見が行われる。「そこまでとは気が付かなかった」「配慮が足らなかった」「警察との認識違いでした」「役所間の伝達不十分でした」「縦割りの連絡ミスです」など言い訳は決まっている。

 そこには、「無責任と、責任逃れの言い訳」と、誰もが気が付くし、怒りを抱くのだが。当の本人たちは、その後、平然と地位の降格もなく、給与も減額もなく、平然と勤めが継続出来ている。民間の企業とはまるで違う。これがお役所仕事?

 同じことは、「虐めの検証の言い訳会見」も同じである。ここでは、担当教員は一切、会見に現れないことだ。「校長、あるいは教頭が代弁」する。「教育委員会は証拠を隠蔽する」ことに躍起である。その言い訳や、限界を聞いて、お役所仕事だな、とため息がでる。

 だが、教育の場で、「教員が責任を取らない」ことは教育を放棄していることと同じだ、と思う。未来のある学徒に、示しがつかない、「世の中は無責任で良いよ!」と教育していて、後ろめたさが無いのか?日本の未来に暗雲が覆っている。

<読書>

「集中力はいらない」森博嗣 SB新書

集中力を必要とする場面は、作業や、その効率化だから、そんなのはいらない、と嘯く。本当か?考えることは、分散であり、拡散事象だと言う。もっともだが。その「考える」何かの創造する作業にはやはり集中力は必要だとボケ爺は思う。カフェで、周りの雑音が消える、するとそこに、あれやこれやの思考回路が生き生きと作動する。だが、その場では決して答えは出てこない。答えは、忘れたころ、ふとした時に生まれる。集中した時の思考が、想像を生むことが多いことはボケ爺の経験から明らかだが。なんと言っても、集中力は要る。

 

 

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2019年3月14日 (木)

千利休で考える

 突然に千利休を持ち出して、「ボケ爺、遂に狂ったか!」と言われそうだが。前にも話したように、イノベーションとは何か?を生涯の課題としている。

 その中で、イノベーションに必要な作動(作業)として、「抽象化」作動が必要だ、と考えている。今までのイノベーターは、多分この作業に優れた能力を備えているのでは、気になっている。日本人がなぜ、今日、イノベーションに後れを取っているのか?明治維新や、戦後復興での日本人は「物まね」が巧いのだ、と言われながらも、実用段階のイノベーションは現実に存在していた。

 だが、今日、日本人のイノベーション力は世界から見ても下降している、と評価されている。なぜだろうか?そこがボケ爺の課題である。

 日本人の抽象力は高いと思っている。千利休が冴えたる人物だ、とも思う。イノベーターの代表選手である。「詫び、寂び」=「無言の前衛」だ。には、皆様も賛同される、と思っています。江戸時代の浮世絵、明治維新での画家たちも。

 前衛は、絶えず変化を求めて走り続けなければ、前衛とは言われない運命なのだ。変化を求めて走り続ける悲哀が、そこにはなければならない。そこには、「スピードとエネルギー」が必然として必要だ。疲れる、そこには「一期一会」を飲み込む勇気が必要だ。

 だから、無言のスピードとエネルギーの持ち主の利休は、それを恐れた秀吉に殺(切腹)されてしまった。

さて、今の日本はどうだろうか?太平の今日、「形式美」すなわち「管理された教科書」を学び、管理されることに満足する「マゾヒスト」を快いと感じている。

前衛という先頭を走る勇気をなくしてしまったのではないだろうか?

<読書>

「千利休 無言の前衛」赤瀬川原平 岩波新書

千利休を路上の前衛化の赤瀬川原平が評する組み合わせが、何が飛び出すか?楽しみだ。ところどころ脱線するが、急所は鋭い。イノベーターの研究には十分な示唆に富んだ評論がある。満足な一冊である。だが、奥が深い。

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2019年2月18日 (月)

イノベーションの効率化?(その2)

 イノベーションの重要性は、世界共通の課題である。だが、 世界経済フォーラムが発表した2017年版の「イノベーション能力」について は、14位から21位へと大きく順位を下げる結果となった。その原因は?

  高度経済成長期以来、日本は欧米先進国 への「キャッチアップ」(目標があった)を志向する中で、「効率と品質」を追い求めてきた。1990年代前半のバブル崩壊後は、無駄を省いて短期的な業績や成果を追求する姿勢を強めた。その結果、「過去にないことを独創したり、多少の無駄を承知で試行錯誤したりするような、創造性に不可欠な「思考態度の後退」が起きた。つまり「思考停止」現象である。

 「すべての事業・製品・サービスの目的、それが豊かさ、幸せ、快適、感動」である根本的な問いを考え抜く思考態度こそが、AI時代の人間に必要な思考力である。それは人間学であり、哲学である。

 「あらゆるスポーツや、芸術は、頭で理論を覚えただけでは出来ない。何度も繰り返す訓練が必要だ。フィギャスケートの紀平嬢の様に練習の虫が、本番で臨機応変に演目を変えることが出来る。不思議ですよね。そう訓練以外に方策はない、と思う。創造も同じことで、違和感や、感動が何処から来るのか?毎日、毎日の「思考鍛錬」を積み重ねて、五感全体で応答できる「哲学体質(Why)、芸術体質(What)」を教育と訓練をしなければならない。と、ボケ爺は考えるのだが。即物からは何も生まれない。

<読書>

世界経済大いなる収斂」リチャード・ボールドウィン 日本経済新聞出版社

このような技術革新の歴史書が、創造性の思考訓練に役立つ、と思う。直接の創造性の教えは無いが、物のとらえ方、味方が、心地よく伝わる。感動がいい。さらに読者は、そこに、「何故か?」を付け加えるからだ。

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2019年1月21日 (月)

梅原猛を偲ぶ

 ボケ爺などの凡人が、梅原猛大哲学者の死を悼み、それを偲ぶなどおこがましい。だが、一言だけ、偲びの言葉を述べさせてもらいたい。

 ボケ爺は、田舎から東京に出てきて、大学生活を送り始めたが、如何せん暇であった。田舎の高校生時代の友達の何人か東京に出てきたが、場所が離れていて、会うことはままならない。大学の友達も簡単には作れなかった。部活も今一気が乗らない。

 暇なボケ爺は、本屋で手に取ったのが、三木清の哲学ノートであり、梅原猛の、確か「哲学する心」だたか?だが、古代日本の思想を中心とされていたので、読む機会はなかった。

 ボケ爺は、ご多分に漏れず西洋哲学、デカルトの「方法序説」に魅せられた。梅原哲学は東洋哲学であるから、この哲学とはほど遠いと思っていたのだが、何時だったか、何処だったかは全く失念しているが、「デカルト哲学を賛美」されていて驚いた。

 方法序説で言えば、2つの教えがあると思う。一つに、「部分に分解してみよ」から始まるロジック。もう一つが、「疑え」疑い続ければ、そこに仮説が生まれる。その仮説を証明せよ、だったと思っている。そのロジックを梅原哲学は踏襲して、日本学を展開されていたのか、と感嘆した。西洋哲学が東洋哲学に通用するのか、同一視して考えられるのかは凡人のボケ爺には、未だに解らない。もしそうならば、ボケ爺の慰めとなろう。

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2019年1月11日 (金)

シンポジウム・大学改革

 日経新聞社主催で、大学改革シンポジウムが開かれた。題は「企業人の経験をいかす」。有名な池上彰のモデレーターにより、企業人経験者が、学長、あるいは理事長である大学の変化を議論された。

 立命館アジア太平洋大学、学長「出口治明」。大阪府立大学、学長「辻 洋」。北海道大学、副学長「西井準治」の出席であった。いずれも企業経験者である。

 いずれの大学も、結構変わった試みを進めているような話である。ボケ爺の感想は、予想以上に進んでいるように思える。然し、いずれも、「外堀から攻めている」ようであるが、内部からの改革が見えてこない。多分、文科省の縛りがそれを許さないのだろうか?

 研究者の数は少なくなってきている。世界的には、企業と同じであるが、日本の大学だけが、一人負け、と状況だ。残念な日本の大学。もっと大胆な改革が必要な時であるのだが。いずれの学長も、口をそろえて言うことは、資金が極端に日本の大学は少ない。国の予算が世界の平均より少ない、GNPからでは、ボトムを泳いでいる。日本では、大学に寄付をする人が少ない、が原因だそうだ。

 出口学長の話では、今の日本の優秀な人材の養成はそのまま進めればいい、だが、変人や、変態の人材も育てなければならない。偏差値か、優秀な人の進学大学と、平均値な人材の大学で、自由な議論の出来る大学も必要だ。そこには、海外との交流を盛んにすべきだ、とか。

 それに、企業も注意が必要だ、と。それは、採用に際して、面談で「好い人、協調性のある人、大人しい人、大人しい人、など」の採用ではなく、面談をやめて成績だけで採用すべきだ。大学の成績がいい人はそれなりに学問をしてきているし、考え方もシッカリしている。企業にもくぎを刺していた。そんな人に尖った人がいるはずだという。

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