2018年5月26日 (土)

「長いものには巻かれよ」とパワハラ

 今の日本の世は、隠蔽がまかり通る。そして、隠蔽体質は日本の根源に関係するのだろうか?昔から「長いものには巻かれよ」の熟語(慣用語)がある。不祥事は、この慣用熟語に従ったので、「目くじらを立てる」ことは無い、と。つまり簡単に言えば、「パワハラ」には耐えなさい、が日本の日常的慣用である、と言えるのか?

 一連の大企業の不祥事(決算改ざん、データー改ざん、など)も、トップの過度なパワハラである。不祥とは隠蔽の事であり、「長いもの」に、部下は忖度をしなければ会社人生は続けられない。

 今日の安倍政権は安倍首相の一極集中により、立派に一極のパワハラが通用している。人事でパワハラをする。自衛隊日報も、森友・加計の財務省も、全ては安倍首相と首相秘書団からのパワハラで、部局は生きるために隠蔽に走る。だが、隠蔽は官僚が悪くて、政府は悪くない、との二重構造で誤魔化し、幕引きを図ろうとしている。

 スポーツにおいても、同じことだが。監督コーチの「長いもの」のパワハラに選手は「巻かれ」なければならない。試合に出られないからだ。レスリングの伊調選手問題も中途半端なままだ。その「長いもの」は、事実を隠蔽したままで健在である。

日大アメフト部も学長、広報から、監督、コーチの「長いもの」の保全のために隠蔽がまかり通っている。それにしても、学府の日大トップの人格はどこに存在するのだろうか?違反プレーの選手(20歳)の学生は明らかに「パワハラ」を受けていた。記者会見は実に見事だった。理路整然とした抜けの無い、しかも滑らかな説明は素晴らしい。企業人のプレゼンよりも上手かった。それに比べ、年長の監督の説明、コーチに至っては、何が言いたいのか、しどろもどろで内容の理解が難しく、おどおどした狼の遠吠えの様で醜い。学長もしかりだが。パワハラからの忖度が故である。

学校のイジメ問題も、常に隠蔽が働く。校長と言う「長いもの」にパワハラの構図があり、下々の教員はそれに従ったまでだ。

然も隠蔽の中には、忘れがちだが「責任感を放棄」した人物像が存在する。ある人はパワハラの中にも正義心(感)あるはずだと言う。さて、日本の「長いものには負かれよ」には、正義感(責任感)無視されて、正論か?

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2018年5月20日 (日)

天才はいる。

 将棋界に彗星のように現れた「藤井聡太」である。高校に入学した途端に、プロ7段だ。強さの秘密は、将棋を良く知らないボケ爺には分からない。評価できない。

 しかし、彼の話する言葉には、難しい言葉がすらりと飛び出す。この語彙力は、斎藤孝明大教授が、常日頃、主張されている様に「思考の原点」である、と。この能力がなくして、物事の判断や、理解は難しい、「論理の組み立て」も難しい、と。

 歳から、語彙力からして藤井聡太の記憶力は並ではない。どれほどの定石を覚えているんだろうか?先ずは定石を覚えられなければ話にならない。当然、将棋ソフトゲームでの訓練もするようだが、彼は自ら、将棋の問題集(演習)を作っている。

 それに、一戦一戦の戦いの時間の長さは信じられないほど長い。12時間ほども集中力が続く。それだけ長く続けられることに脅威を感じる。ボケ爺など、1時間がせいぜい良い所だが。

 よく言う「好きこそものの上手なれ」つまり興味、それに情熱、気概、集中力、などは当然である。どうすれば、この様な人物が育成できるのだろうか?方法があるのだろうか?もし無ければ、藤井聡太は天才だ。ボケ爺の人生経験からして、スポーツの短距離走の能力と同じで、特に、記憶力は育成で来るものではない。ボケ爺の記憶力は全く能力不足だ。つらい人生を歩んできた。

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2018年3月 7日 (水)

平昌オリンピックの余韻と日本人

 まだまだ続く平昌オリンピックの話題で盛り上がっている。特に団体戦の活躍の話題が多い。

 ボケ爺は、一連のオリンピックの活躍の件で、コメントしたが、個人戦と団体戦の違いはある。日本は団体戦に向いているのではないか?小平さんや、羽生君などは別として。金でなければ後は一緒と主張する「張本氏」の弁は良く分かる。

 ビジネスの面では、日本電産の会長(永森重信)は、「一番にならなければ皆一緒」と常日頃社員に口酸っぱく訴えている。「リーダーこそ生き延びられる」、と。2個の高木菜那は、会長から、特別ボーナスをもらっている。本人曰く、永森会頭のこの言葉に、頭に叩き込んで練習してきた、と。

 AIの研究会に出席した。AI(ディープラーニング)や自動運転などのソフト開発を見ると、日本人のジャーナリストは日本も検討している様に書き続ける。が、実態は、トップから3周遅れだろう。

 何故か?ソフトウエアの世界は、「個人戦」だ。日本はその教育を怠っているし、個人戦で勝てるこの分野の秀才は出てこない。工業用ロボットだとか、機械制御だとか、計測器制御などは、なるほどソフトウエアの勝負でもあるが、ソフト開発の「団体戦」である。だからこの分野は勝てる可能性が大である。

 ボケ爺の事業分野でも、このソフト開発で、いや、と言うほど辛酸を舐めてきた。アメリカしか知らないが、兎に角できる。スバ抜けてできるヤツが居る。今、顧問しているアメリカ企業のソフト開発VPも、ずば抜けている。さて、日本はどうする?

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2016年10月23日 (日)

読書週間が始まる

 ちょっと寒くなったが、まだ十分ではない。ようやく百日紅の花は、終わったようだ。東京の秋は何時頃から始まるのだろう。と周りを見渡したら、散歩の団地の通りに銀杏が落ちている。見上げると、紅葉にはまだ早い。緑深いとはいえないが。

 読書週間の季節になった。読書を習慣つけないといけないが?読書は何に、何処まで有効なのか分からない。ボケ爺は、文系には、まるっきし弱い。だから読書を自分に強制している。元々の能力が悪いので、無駄な作業に勤しんでいる。すると、

「語彙力こそが教養である」斎藤孝 角川新書に「その一言に知性がにじみ出る」、なるノウハウ本が、恐怖を呼ぶ見出しで、本棚に鎮座している。

思考の基本は言葉である。つまり語彙が不足しているとよい発想が出来ない。語彙が豊富で無ければ、人としての教養が構築できない。現象は何事も言葉に変えなければ、表現が出来ない。知性が無ければコミュニケーションは貧弱となり、伝わらない。

語彙力は言葉の使い方で決まる。語彙力を身に着けるためには、「読書しかない」と豪語する。身に着けるには、スポーツアスリートと同じように、訓練(練習)しかない。

訓練としての読書も同じことだ。「読書アスリート」になるには、「忍耐」が必要だ。耐えなければ、試合にも出られない。と脅迫が続く。クワバラクワバラ。

嬉しいことに、夏目漱石を読み込めればそれで、十分だと言い切る。一生かかって、漱石を読み切ろう。と、少し気が楽になった。

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2016年2月21日 (日)

読書は思考の扉

/5の毎日新聞の社説に載っていた話。ボケ爺になれば、学校へ行く勇気もないので、図書館でひたすら新しい情報を探す。しかし、小学生や、中学生が、学校の勉強以外で、本を読んで目覚めるとは、実に羨ましい。ボケ爺の幼少のころの、裏山で遊んでいた野生派とは違っている。ボケ爺の小学校時代、図書館などあっただろうか?

  第61回読書コンクールで、中学生の総理大臣賞は、「身近な雑草のゆかいな生きかた」筑摩書房を読んで、「足元にあった愉快な世界」と、登下校が楽しくなった感想文だったそうだ。身近の変化を観察する、そんな「思考の扉」が開いたのだから、凄い。

  450万人の応募、小学生は255万人、と言う。読書活動は公立学校で、小学校で、96%、中学校で、88%、と言う多さだ。将来が楽しみだ。

 

<読書>

 

「知の巨人」佐藤雅美 角川書店

 

=荻生徂徠伝=となっている。市井の時代小説を書く人だとの印象だった。が、この種の伝記は難しい。朱子学から、儒学、論語へとの過程で、中国賢人のほとんどの書物を読み熟した荻生徂徠の作品を、更に読み込むのは作家の意気ごみ、は凄い。徳川吉宗の裏のブレーンとして、この時代の治政を下支えした。

  綱吉時代、柳沢吉保の庇護の下、沢山の学者(2~300人)を輩出した、「元禄ルネッサンス」の江戸文化(文明)が基礎となり、今日の日本の知性が生まれた。つまり、明治維新の思考力の基礎だ。中国漢文を読み解く辞書まで作ったのだから、多くの智者、賢者の大物がいた江戸時代は凄い。仁斎、徂徠、宣長の学力は凄い。この一冊で、中国知見、日本語の翻訳など、多くの事が学べる。

         これからの結論は、日本は再び鎖国(知識以外)が必要だ。ガラパゴスよ!再び。

 

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2015年1月24日 (土)

世阿弥の言葉

「世阿弥の言葉」 土屋恵一郎 岩波現在文庫を読んでいたら、懐かしい言葉に出会った。世阿弥から発せられていた言葉とは知らなかった。無知であった。

1)「初心忘するべからず」;試練を乗り越える志を忘れるな!

2)「時節感当」;人のペースを読んで、タイミングを外すな!

3)「男時、女時」;勝負には、勢いが必要だ!つまり、「男時(勢いがある時)に戦え」「女時(相手に勢いがある時)は、避けよ」

4)「目前心後」;目は前を向き、心でよく考える事!つまり、眼前を直視し、自分を客観視せよ。すぐの回答を避け、一晩考えてから(熟慮)!

5)「稽古は強かれ、情識は無かれ」;稽古を一生懸命するが、慢心するな!*情識とは「慢心」の事

とかくこの世を生きるのは難しい。

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2014年12月13日 (土)

知性とは?

 創造性を如何に生み出せるか?が、ボケ爺の一生の課題である。知識の詰め過ぎでは得られない事だけははっきりした。優秀な人は沢山いたが、創造性のある仕事は、必ずしもその様な人からは生まれていない。はみ出している人だった。だからと言って最小限の知識が無ければ、発想すらも起こらないことは確かである。

 糸井重里コピーライターの弁は、「整合性を疑える」ことだ。と言い切っている。それには、①ロジックが通じる。②作ってから意味づけする。③商品ではなく、面白さを考える。④喜ばれる贈答品を考える。⑤ほぼほぼ、ソコソコ、から考える。

 やってはいけないことは、経費節減、贅沢を嫌う、ことだと言う。自分をほめたい日には贅沢をすることだ、と言う。ボケ爺は、貧乏人である。そんな人には、どんな満足が?どんな贅沢が?を考える「整合性」の追求から始まる知的作業が有効だ。

 先週、NHKの放映で、東大の先端技術研究センターが、小学生から中学生の一芸に優れ、人付き合い困難な人々を支援すると言う。とんでもない天才たちの集まりだ。楽しみな試みだ。期待する。

<読書>

「緋の天空」葉室麟 集英社

「聖武天皇」のお妃である「光明皇后」の生涯を艶やかに振り返った力作である。古事記から始まる日本書紀の日本の中枢での政務の行われ方から、その貴族の生活。藤原家との実権争いの物語が折り重なっている。女帝の多くを輩出した時代の政治の実態など、歴史が学べる。

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2014年9月20日 (土)

能力引き出す

 日本の技術競争力は弱まった。競争力の基本は「人間の能力」にある。組織論は、ボケ爺から言えば、二番目に置く。能力は引き出せる。日本の企業や、研究機構は日々努力している。その努力は、世界標準に比べ、遅すぎる。

 日本の「ゆとり教育」が悪い、とも言われる。静岡県知事は、独断で、学力テストの良い学校の校長名を公表した。やはり、日教組を始め、文科省まで、苦言する。「学力の差別化を生む」と。人は元来、能力には差があって生まれてくる。

 天才を輩出している国には、国家競争力がある。ノーベル賞の量に比例して、事実である。日本は何故、競争に目をつぶる。教育に競争があってしかるべきだ。テニスの錦織選手を称賛するのは何故か?強い能力を発揮しているからだ。何故、学力だけに、平等を唱えるのか?学ぶ機会均等は必要だ。

 企業においては、「人を育てるホンダ」「人を競争させるサムスン」と典型的な企業人材育成の違いがある。しかし、いずれの方法にしても、世界をリードする人材が育っている。それらの基本は、学力(能力)の平等教育法ではない。能力を引き出す方法論が必要で、最終的には能力に差異を生む。能力のある人材を育成しなければ、企業は生き残れない。日本は、軍事化では生き残れない。

<読書>

「限界にっぽん」朝日新聞経済部  岩波書店

悲鳴をあげる雇用が、日本経済の疲弊を生んでいると言う。円安で貿易赤字、日本は崩壊する。雇用が増えるのは、不安定な、第三次産業のみである。第二次産業は、海外へ。第一次産業は、海外からの輸入品で。残念なアベノミクス政策が続く。その三次産業のサービス業も、15年以上、今日まで貿易赤字である。

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2014年8月14日 (木)

コピペ博士が多い

 STAP細胞論文で、すっかり有名になった「コピペ」は、誠に便利な機能である。ボケ爺もよく活用する。

 某大学教授と話をしていたら、コピペ博士が多くなってきていると、嘆いておられた。ITの進化は思わぬところで、教育、文化の足を引っ張っている。残念と言うより仕方がないのだが。一方、イノベーションの進化に向けて、情報の収集と分析には、IT化は必然でもある。

 コピペからは、イノベーションは衰退するばかりである。その学生、博士たちを、企業が雇用して、イノベーションの即戦力を期待しても、もう遅い。手のつけようは無い。

企業は、どう防衛すればいいのだろうか?社内で、長期雇用を保証して、企業が我慢をして育てるしかないのだろう。これは、戦後、日本が行ってきた終身雇用政策であったのだが、近年は、すっかり否定されてしまっている。しかし、イノベーションを生むには、今一度考え直す時期になっている事だけは間違いない。

あるいは、アメリカ型のように、起業家にとっと手厚い支援をして、コピペへの反発をするガレージ起業家に期待する、としたいが、日本では難しかろう。

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2014年5月28日 (水)

三智とは

 田坂宏志の近著の読書をしていた時に、フト思いだした言葉に、島崎藤村の言う「三智」を思い出した。大昔の事である。三智とは、

1) 「本」を読んで賢くなる智、

2) 「人」の話を聞いて賢くなる智

3) 「自分で体験」して賢くなる智

「本」を読まなければならないことは、理解できたが、その頃では、他は良く理解できなかった。元々バカなボケ爺であるから。その後、歳を取ってみると、なるほど、偉い人は、初めから賢かったのだ、と気が付く。

本も読めば、なんでも良いと言う訳ではない。ノウハウ本は、ボケ爺には、ほとんど役に立っていない。独学で、思想を読み解かなければ身に付かない事が分かって来た。気が付いたときには、棺桶に足を突っ込んでしまってからの理解は遅すぎる。凡人には残念。

<読書>

「知性を磨く」 田坂宏志 光文社新書

副題に「スーパージェネラリストの時代」となっている。帯には、「何故高学歴の人物は深い知性を感じさせないのか?」となっている。つまり、知識力時代ではなく、知恵の時代、知恵とは「知性力」だ、と闊歩する。答えのない社会を、答えを出すべく生き抜くために、考え悩み解を求める知力だ、と言う。

ノウハウ本ではなく、解決するために、間違えた考えを正す警告書であり、知力の習得の為の水先案内書である。

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