2016年10月16日 (日)

漱石の妻

 NHKの土曜ドラマ(午後9時)の「漱石の妻」の全4回の放映が昨日終了した。素晴らしく、良い出来であった、と思う。実に忠実に再現されている。元ネタは、「漱石の思い出」で、妻、鏡子と、長女の夫、松岡讓の筆録という。ボケ爺は、この本はまだ読んでいない、ので、この感想は言えない。しかし、

「漱石の妻」鳥越碧 講談社 を、二度程読み直していた。この内容と実に似た展開であった。

漱石の妻は、ソクラテスの妻と同様に「悪妻」との悪名が高い。本当にそうか?女流の本著者が、同じ女性としての見方から、見事に「漱石の妻、鏡子」をあぶりだした。

明治の時代からすると、鏡子は、結構オープン(漱石曰く、自然児)な人だったようだ。現在の男女平等までとは言わないが。漱石は、同僚、教え子や、若者物などの出入りが多い。それを受け入れていたことは良き妻であったはずだ。しかし、漱石は、外向きの顔はいい人であった。だから来訪者は、妻の対応が気に入らないのだ。

この著書は、男と女オープンな会話、否、夫と妻の、妻から見た、良い妻とは?の悩みの実態が生々しく描かれており、実に考えさせられる。外からの目、夫の真実など心は解らない。信頼が相互に得られない。これっポッチも理解し合えていない人間の心の葛藤がリアルである。知れば、悲しいかな。

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2016年9月24日 (土)

無名

 以前にも、この主題で、書いたことがあった、と思い出す。しかし、元のネタは違っていたはずだ。改めて「無名」を考える。と言うのは、

 「無名」沢木耕太郎 幻冬舎を読む。一気に読む。作者の父の介護を通じての、父の思い出と息子としての作者と関わりに付いて、実に丹念に掘り起こしている。実に巧みな構成で、読者を惹きつける。さすがにノンフィクション作家の大御所である。リアルであり、親身な親族のほのぼのとした父の思い出である。

 父は、無名であって、平凡な父であったらしい。しかし、本の虫であり、読書しか趣味が無かったらしい。病気も多く患っていたようだ。仕事は一種の職人であって、真面目で、器用ではあったようだ。

 ボケ爺は、作者の物語に状況を合わせて、ボケ爺の親父は如何であったかを重ね合わせて、親父との出来事を思い起こすことに、深い感銘を得た。いやはや、歳を取るとは、昔を思い起こすチャンスが与えられる。愉快だ。無名な親父を、無名なボケ爺が、ここまで思い起こせたことに、この本に感謝する。

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2016年3月18日 (金)

頭の体操は?

 頭の体操で一世を騒がせた多湖輝氏が無くなった。1966に頭の体操が出版されて、ボケ爺も、これが解けると、頭が良くなると、試みたが、全く歯が立たず、失望して落ち込んだ思い出がある。

 先生は、心理学者で、千葉大の教授であった。心理学者なら、気落ちする読者を作ってはならない、恨んだものだが、追い打ちを掛ける様に、シリーズ化された。

 更に、ボケ爺は、この落ち込みで再生は叶わなかったが、「60歳からの生き方」なる多湖輝氏の著書が出た。きっと慰めの本であろうと、読むと、期待に反し、もっと追い打ちを掛けられた。小生にとって、なんとニックキ著者であったが。90歳、心理学者として、十分に長生きをされた。ボケ爺もこれ以上イジメられることはなくった。合掌!

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2015年11月15日 (日)

11.13.2015のパリテロ

 夕方、雨が上がって、三日月が西の空に輝いている。パリでみえた13日金曜日の夜も、三日月が輝いていたのだろうか?

まさに、不吉な13日金曜日の夜であった。パリの繁華街で同時テロが発生した。レストランで4か所(すし屋も含む)、サッカー競技中、劇場でコンサート中である。129人の死亡の犠牲となった。

IS(イスラエル国)が、犯行声明を発表したのだが、今一、信ぴょう性が無い。声明が遅い、内容が、記事の拾い読みである。どう見ても、IS本部が指揮したわけではないのだろう。フランス支部の単独行動では?とすると、アルカイダ―系も含まれているかもしれない。

事件から思うことは、「サミュエル・ハンチントンの文明の衝突」である。その中で、これからは、「多様な民族と、その文化が絡み合う世界となる」。「宗教ではイスラム教が問題に」。

安倍首相は、性急に、単純に「テロに対応する。その為の支援もする」。と言うべきではない。安保法制で、アメリカの支配下にはいり、世界に「歯には歯を」の硬派発言で、気を吐くと、日本もテロの標的になってしまうだろう。慎重にしてもらいたい。

<読書>

「巡査の休日」佐々木讓 角川春樹事務所

犯罪者を取り逃がしてから、次から次へと、色んな犯罪が続く。仮想の置き方に、思い込みがあったりして捜査が混乱する。その構想の大きさに作家の創作に感動する。結果は一度に解決する結果となる、が。それも爽快だ。

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2015年11月10日 (火)

漱石のミステリアス

 夏目漱石の「こころ」は今さら申すべきも無く、名作中の名作である。ボケ爺は高校の時、大学の青春時、そして今と読みかえす。男子の「こころ」の葛藤が良く表現されている、と気に入っている。

 そう単純ではない?先生の遺書の最後の文章が、「ややこしい」、と、気が付く。ミステリアスだ。「遺書(手紙)を公開されてもいい、但し、妻にだけは秘密だ」。その理由は、「妻が己れに持つ記憶を純白に、なるべく保存したい」、から怪しくなってくる。

 ミステリアスの一つ目は、妻が死んでからでなければ手紙を公表できないのだが、青年は公表する。その理由が、先生が「なるべく」と、言っている、「絶対」とは言っていない。これは後から挿入(風船)されたのだ。実は、妻「静」が生きている内に公表してほしかった、のではないだろうか?

 二つ目は、「妻が己れに対して持つ」と。「妻が過去に対して」と書かれたなら、先生の過去であるが、どうやら、「妻自身の過去」となる。Kから「静」を奪ったのは、先生だった。その為に、Kは自殺した、とされてきた。

「静」が、先生のKへの嫉妬を利用した女性としての策士からの「政略結婚」であった、とすれば、「静」もKの自殺に加担したこととなり、ミステリーとなる。

 「己れの」も風船である。漱石は、「こころ」の作品に、男女の、より複雑な「もつれ」を表現したかったのではないか?単なる青春小説ではなく。漱石は、何時、読んでも、奥が深く、新鮮な発見がある。

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2015年4月29日 (水)

吾輩は識字障害者か、記憶障害者か

 吾輩は、記憶力が極度に悪い。如何ともしがたい。NHKで、識字障害者のドキメンタリー放送があった。ボケ爺の記憶の悪さは、「識字障害が起因している」と思うようになった。

 それまでは、幼少のころに酒を飲ませた親が悪い、とばかり思っていた。むしろ生まれつきの識字障害者だった。読解力が悪い。作文が無理。言葉が覚えられない。長時間の思考が出来ない。落ち着きがない。など等、思い当たる。

 死にかけてから気が付いて良かった。若年で、気が付いていたら、腐って、生きる気力が失せていただろう。

 ボケ爺は記憶力の弱さを誤魔化してきた。その方法は、情景と共に覚える事で、補ってきた。つまり、右脳の活用だ。左脳は機能しない。数字、漢字、化学式、人の名、言葉、等 覚えるなど、からっきしダメ。

 知識の世界では、劣者、弱者だったのだ。技術家でなくて、アーチストであればもっと目が出ていたのだ。人生間違えていた。今頃、解って残念!

<読書>

「逆転!」マルコム・グラッドウェル 講談社

まるで、ミステリーを読んでいる様だ。逆境に勝つには、とのノウハウ本である。弱点のある人も勝てる、と言う訳だ。孫子の兵法以上ではない。物語として楽しめる。

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2014年9月 6日 (土)

兜太、一茶、芭蕉

 「人間 金子兜太のざっくばらん」 金子兜太  中経出版 を読む。ボケ爺が興味を抱いた句に、「白梅や老子無心の旅に住む」「二階に漱石一階に子規秋の蜂」「長寿の母うんこのようにわれを産みぬ」など、である。

 生きものの感覚にこそ決め手だ。それを「アニミズム」。つまり、「煩悩具足 五欲兼備」の世界だ、と言う。一茶の「荒凡夫」の精神に通じる。一茶が好きで、好きでたまらないらしい。俳句に傾倒した理由が、戦争体験と、人事の不条理、からである、と言う。

 芭蕉は「姿先情後」を支考して、「モノに即す」から始まり「不易流行」に至る。芭蕉は「軽み」、一方、一茶は「俗」だ。と決めつける。一生「俗」を貫いた。それが「生きもの」である。「俺は、愚を重ねた凡人だ」を、人間だ、と共感している。兜太は、一茶を心から好きである。ところで、ボケ爺の「生きる感覚」は、

セミ落ちて踏みにじられし身桃色

アリが居てセミの一啼き夏終わる

猫の手に哀れなる蝉一暴れ

虫鳴きて夫婦騒ぐなと忠告し

酒匂う厠の窓開け虫の声

放尿でミミズ鳴き止み腫れるかも

夏過ぎて夢見し乙女恋やつれ

夏終わり恋の疲れが生足に

冷夏にて百日紅の花散り急ぐ

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2014年8月24日 (日)

漱石が描く男女関係

「続明暗」木村美苗 筑摩書房を買い求めた。平成二年に、刊行された。その時に真っ先に買いたかったのだが・・・先日、古本屋で、三版の新書で、100円だったので飛びついた。欲しかった時から24年ぶりになる。ボケ爺も歳を取ったものだ。

漱石の描く愛、恋は、概ね、三角関係で、主人公と女性を相対的に位置づけすることで、人間心理の妙を描く。主人公は、優柔不断で、意気地なし、なのだ。ここがボケ爺とよく似て、漱石が好きになる理由の一つである。最後の作品の「明暗」は、露骨な三角関係であり、優柔不断、意気地なし、が徹底的に描かれようとしていたはずだ。もし、漱石であれば、2人の女性の心を、どの様に描いたであろうか?今では、想像でしか、うかがい知れない。

そこで「続明暗」の登場である。やはり徹底した三角関係を抉り出している。なるほど。それ以上に、女の立場からの描写であるから、やや、女性の深層描写が目立つように思える。おせっかいで、攪乱好きな女に翻弄される。優柔不断で、意気地なしの主人公は、元カノをストーカーし、妻にばれる。2人の女性の立ち位置の心理が、全く読めない。鈍感さが滑稽である。推理小説気味だ。

この解釈が当たっているとすると、男の優柔不断や、意気地なし、は女性の支配するところによって、起きてしまう。男は何時までも女性に操られてしまう。俗に言う、ドーキンスの利他的遺伝子に操られているのであろう。生物社会と同じように。もっとも人間も、生物社会の一員だけれど。

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2014年8月23日 (土)

この世は騙し合い

「騙し合いの法則」竹内久美子 講談社 を読む。作家の竹内氏は、何時も、人間にとって衝撃的課題を提示する。その基礎は、「ドーキンスの利他的遺伝子」を信奉しているからだろう。我々人間をはじめとして生物は、全て、ベヒクル(乗り物)だ。「遺伝子の宿る乗り物」だ、と言う説である。

副題に、生物が「生き抜くための「自己防衛」法」となっている。つまり、生き抜くためには、騙し合いの演劇が不可欠だ。無くてはならない術だ、と、サルを始め、動物、昆虫の世界で教えてくれる。不思議にも、スンナリと納得出来てしまう。

まず、生物とは、「生存する」、そして「繁栄する」、との宿命が課せられている。先ず「繁栄」するには、子供を残すことである。つまり、男は女に従わなければ生きられない、男の行動を、全て女が決めている、と断定する。納得しますか?

「生存」する時、悪い奴が幅を利かして、お人好しはバカを見ているか、と思いきや、そうでもない。お人好しが案外幅を利かせている。お人好しが幅を利かせるのが、「騙し合いの術」の効果、結果だと言う。

平和な社会を営むには、以外に、目には目を、歯には歯を(ハムラビの法典)の均衡(バランス)状態の騙し合いの術が有効らしい。納得できますか?人間を理解するには、竹内久美子の作品をむさぼり読むことだ。どの学よりも、適格な答えが待っている。

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2014年8月11日 (月)

笹井博士の自殺

 結末は、あまりにも日本的である。日本の「陰湿」な組織や、ジャーナリスト体質によるイジメそのものだ。ボケ爺は、NHKSTAP細胞をめぐる一連の報道と、極め付きは、2週間ほど前に行われた特別報道だ。これで、笹井センター長、小保方さんは、完全なまでに、陰湿包囲網で殺された。その時のボケ爺の感想は、自殺が起こらなければいいが、と思ってしまった。展開自身に、問題はなく、完璧過ぎるほどの論理であるし、調査である。なるほど、特別番組の報道の2週間前に、小保方さんに、NHKは行き過ぎたインタビューで、怪我までさせていた。

 理研は、何故、NHKだけに、これだけの膨大な資料を提出したのだろうか?小保方、笹井個人メールまでも。理研と言う組織は、責任逃れをする為にNHKに協力して、あくまでも組織は関与していないと、報道してほしかったからだ。

 論文も取り下げた訳だし、理研がSTAP細胞再現の評価をする、との報道までで、静観すべきであった。何故、NHKはここまでの調査をして、個人を叩かなければならなかったのだろうか?NHKと言うジャーナリストに、その意義を説明してほしい。

 笹井博士の自殺は、明らかに、NHKによるイジメであって、自殺のきっかけの主な原因だ、と、ボケ爺は思う。

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