人類は「暇と退屈」との戦い
『暇と退屈の倫理学』國分巧一朗 新潮社文庫(2015)を、年寄りの暇つぶしのノーハウ書として読み始めた。だが、見事に裏切られ哲学書だった。人類が生まれた時から、「暇と退屈をどう処理するか?の戦いであったことが照査されている。
「暇」とは何か。人間はいつから「退屈」しているのか。そして、それは何故。答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。 著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びと発見が試みられる。(辱めながら本著は、東大・京大で毎年ベストセラー。だが、『思考の整理学』外山滋比古に次ぐ)
問題提起は、「暇」を作るために人類は次々便利な道具を探し出す。すると「暇」に「退屈」しないように、又「暇」を求めて。これを繰り返している。今日の「沙帆ゲーム」「スキマバイトの「タイミー」」や「シェアフル」「メルカリ」「ハロワーク」といったサービスが知られている。「情報化社会の落とし子」だ。次の産業革命時の「暇と退屈の戦い」はどうなるのだろうか?
<読書>『生きるための読書』津野海太郎 新潮社 2024
80歳を過ぎると、「老人として生きることに飽きてくる」と公言する。「もうそろそろ死ぬ人ころ、いつ死ぬかは不明。死のお迎えが来るまで、「生きていなければならない」。気力・体力・記憶力は日々衰えるし「退屈」と嘆く。若ければ、過去と、現在もあった。だが老人には未来はない。「読書が暇つぶし」、だ。同感!


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