2019年4月21日 (日)

下りる

 4月だが、五月晴れの日が昨日から続いている。我が家のつつじの真紅の花が眩い。満天星つつじもソコソコ咲いている。ハナミズキの時期でもある。春の、この華やかな四季は毎年訪れる。小鳥の春、いたるところで新生児の鳴き声が、動物の流転を告げる春。これが動物の世界だ。

 図書館の近くの中学校の校門近くの楠木は昨年末に、バッサリと剪定されて、高さは昔の半分、枝は、ほとんど切り取られてしまってこれで良いのか?と思っていたら、見事に新芽が芽生えてきている。痛みつけられてもまだ生きる勢力がある。これが植物だ。

 それに代わって、定年後の人間とは、1年ごとの四季で、何が変化するのか?目標を立て生き甲斐を感じることが大切と言うが、何事も今までの如く進まない。

 それを、人生を「下りる(降りる)」とか、「下る(山を下る)」とか言うらしい。そんな慰めの本が沢山出版される。又は、「老人パワー」なる老人の勇ましい生きざまを啓蒙する本も、結構多い。だが、ボケ爺は何れも賛同はできない。

 老人は体力も、頭脳も確実に衰えてきている。ただ、その差はある。無理して衰えに逆らわない方が好い。生物には寿命がある。その内、動物の方がそれをはっきりと意識させられる。だから、その証に子孫を残す本能が明確だ。植物は、そこが曖昧だ。その分、四季を華やかに飾ってくれているのだろう。

 老人の車の運転事故の悲惨さは目を覆う。事故を起こす老人は、典型的に「下りる」ことに逆らっている人だ。過去の栄光にしがみ付いている人であろう。先日の池袋の87歳の老人の事故も過去の栄光を引きずった人の典型的な事例であろう。

 老人よ、過去にしがみ付くな!頑固を捨てよ!老人の出る幕はない。若者に従え!

 

 

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2019年1月30日 (水)

人間の性(サガ)

 人間には自我がある。この自我が、なかなか厄介なことを起こすことが多々あるのだ。人間は、自我を主張したい、否、主張し続けてしまうというエゴが生まれる。

 自我をエゴと言うのは、エゴとは、他人が認めてくれない、他人から見る(聞く)と認めるには困難な状態も事である。「彼奴は、エゴを通したがる、我儘なエゴイズムな奴だ!」と言われる。

 夏目漱石も、自我と戦って来た作家であった。自我と個人主義との違いを主張もしてきていたが、理解されることは難しかった。

 小室圭さんと、秋篠宮さまの長女・眞子さまの婚約延長の件で、それである。「それ相応の対応をするべき」とする秋篠宮さまの問いかけに対する回答に。先日、やっと、小室圭さんが「元婚約者とのやり取りは、解決済みである、と。」文書で出された。

 だが、関係者や、国民全体が、「それ相応の」の意味とは少々違和感があると、感じたであろう回答内容であった、と思う。ボケ爺は、此れでは益々泥沼だ、と思った。

 何故か?小室圭さんの主張は、自分たち(圭さんとお母さん)は、「借金の話は、過去に解決していたので、今更持ち出す元婚約者が悪い」と、自分たちの一方的な主張であった。つまり、「皆様、解決しています。それを認めてください」との自己主張、つまり、これは自我である。ボケ爺も、こう主張したいことは良く分かる。しかし、これは、一種のエゴです。回答を発表前に、元婚約者と合意を得なければ、国民は納得できない、という国民側の思いが理解できてない。それを理解できず「先ず、こちらの主張を聞いてくれ」では一方通行となってしまう。すれ違いである。

 自我というものは、このように一方通行のすれ違いを起こしてしまう。漱石の悩みもここにあった。

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2018年12月 8日 (土)

紅葉に十色

 今日も残っていた庭の剪定作業。高さ70cmほどの小木の早咲き椿が二輪咲いている。残念ながら、一輪は、首から落下している。口を細めて突き出した少女の様な、茶目っ気の形をしている。単衣で、ピンク色である。根本がやや濃いいピンク、外環に行くほど淡いピンクに、美しいグラディエーション。夏場の夕顔の様だ。源氏物語の夕顔をも想像させる。

 実篤公園の落ち葉のジュータンの道を、枯れ葉を足で踏みこむと、乾いた音が聞こえる。その枯れ葉を一枚、一枚、拾っては、太陽に当ててみる。その色の複雑さ。形の複雑さなど、多様である。これが生物の多様性の世界か?

 都内のイチョウの紅葉は、集団では黄色の単色に見える。だが、一枚一枚は全く違い色であり形だ。今年のイチョウの葉は、昨年よりは小さい、と言う。又、台風襲来の潮風で、少々淵が汚れている。

 サラリーマンを生きて来たボケ爺の人生も十色であった。仲間も十色の人格を確認して戦友を組み立てて来た。思い出す顔もちらほら。

江上剛の作品に「人生、七味あり(人生七味とうがらし)がある。ボケ爺の言う十色は、恨み、つらみの「七味とうがらし」ではない。人はいろいろ、多様性の十色のことである。

<読書>

「妻恋坂」北原亜以子 文芸春秋

江戸市井の艶っぽい話、女心の艶っぽさ。男意気に女の艶が恋を生む。恋心、艶にも、色々。江戸には、恋を生む坂がある。淡い恋心が、坂で燃えたり、冷えたり。忍ぶ恋に悲しさや。筆者の細やかな筆致で描き出す恋の十色。

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2016年10月16日 (日)

漱石の妻

 NHKの土曜ドラマ(午後9時)の「漱石の妻」の全4回の放映が昨日終了した。素晴らしく、良い出来であった、と思う。実に忠実に再現されている。元ネタは、「漱石の思い出」で、妻、鏡子と、長女の夫、松岡讓の筆録という。ボケ爺は、この本はまだ読んでいない、ので、この感想は言えない。しかし、

「漱石の妻」鳥越碧 講談社 を、二度程読み直していた。この内容と実に似た展開であった。

漱石の妻は、ソクラテスの妻と同様に「悪妻」との悪名が高い。本当にそうか?女流の本著者が、同じ女性としての見方から、見事に「漱石の妻、鏡子」をあぶりだした。

明治の時代からすると、鏡子は、結構オープン(漱石曰く、自然児)な人だったようだ。現在の男女平等までとは言わないが。漱石は、同僚、教え子や、若者物などの出入りが多い。それを受け入れていたことは良き妻であったはずだ。しかし、漱石は、外向きの顔はいい人であった。だから来訪者は、妻の対応が気に入らないのだ。

この著書は、男と女オープンな会話、否、夫と妻の、妻から見た、良い妻とは?の悩みの実態が生々しく描かれており、実に考えさせられる。外からの目、夫の真実など心は解らない。信頼が相互に得られない。これっポッチも理解し合えていない人間の心の葛藤がリアルである。知れば、悲しいかな。

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2016年9月24日 (土)

無名

 以前にも、この主題で、書いたことがあった、と思い出す。しかし、元のネタは違っていたはずだ。改めて「無名」を考える。と言うのは、

 「無名」沢木耕太郎 幻冬舎を読む。一気に読む。作者の父の介護を通じての、父の思い出と息子としての作者と関わりに付いて、実に丹念に掘り起こしている。実に巧みな構成で、読者を惹きつける。さすがにノンフィクション作家の大御所である。リアルであり、親身な親族のほのぼのとした父の思い出である。

 父は、無名であって、平凡な父であったらしい。しかし、本の虫であり、読書しか趣味が無かったらしい。病気も多く患っていたようだ。仕事は一種の職人であって、真面目で、器用ではあったようだ。

 ボケ爺は、作者の物語に状況を合わせて、ボケ爺の親父は如何であったかを重ね合わせて、親父との出来事を思い起こすことに、深い感銘を得た。いやはや、歳を取るとは、昔を思い起こすチャンスが与えられる。愉快だ。無名な親父を、無名なボケ爺が、ここまで思い起こせたことに、この本に感謝する。

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2016年3月18日 (金)

頭の体操は?

 頭の体操で一世を騒がせた多湖輝氏が無くなった。1966に頭の体操が出版されて、ボケ爺も、これが解けると、頭が良くなると、試みたが、全く歯が立たず、失望して落ち込んだ思い出がある。

 先生は、心理学者で、千葉大の教授であった。心理学者なら、気落ちする読者を作ってはならない、恨んだものだが、追い打ちを掛ける様に、シリーズ化された。

 更に、ボケ爺は、この落ち込みで再生は叶わなかったが、「60歳からの生き方」なる多湖輝氏の著書が出た。きっと慰めの本であろうと、読むと、期待に反し、もっと追い打ちを掛けられた。小生にとって、なんとニックキ著者であったが。90歳、心理学者として、十分に長生きをされた。ボケ爺もこれ以上イジメられることはなくった。合掌!

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2015年11月15日 (日)

11.13.2015のパリテロ

 夕方、雨が上がって、三日月が西の空に輝いている。パリでみえた13日金曜日の夜も、三日月が輝いていたのだろうか?

まさに、不吉な13日金曜日の夜であった。パリの繁華街で同時テロが発生した。レストランで4か所(すし屋も含む)、サッカー競技中、劇場でコンサート中である。129人の死亡の犠牲となった。

IS(イスラエル国)が、犯行声明を発表したのだが、今一、信ぴょう性が無い。声明が遅い、内容が、記事の拾い読みである。どう見ても、IS本部が指揮したわけではないのだろう。フランス支部の単独行動では?とすると、アルカイダ―系も含まれているかもしれない。

事件から思うことは、「サミュエル・ハンチントンの文明の衝突」である。その中で、これからは、「多様な民族と、その文化が絡み合う世界となる」。「宗教ではイスラム教が問題に」。

安倍首相は、性急に、単純に「テロに対応する。その為の支援もする」。と言うべきではない。安保法制で、アメリカの支配下にはいり、世界に「歯には歯を」の硬派発言で、気を吐くと、日本もテロの標的になってしまうだろう。慎重にしてもらいたい。

<読書>

「巡査の休日」佐々木讓 角川春樹事務所

犯罪者を取り逃がしてから、次から次へと、色んな犯罪が続く。仮想の置き方に、思い込みがあったりして捜査が混乱する。その構想の大きさに作家の創作に感動する。結果は一度に解決する結果となる、が。それも爽快だ。

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2015年11月10日 (火)

漱石のミステリアス

 夏目漱石の「こころ」は今さら申すべきも無く、名作中の名作である。ボケ爺は高校の時、大学の青春時、そして今と読みかえす。男子の「こころ」の葛藤が良く表現されている、と気に入っている。

 そう単純ではない?先生の遺書の最後の文章が、「ややこしい」、と、気が付く。ミステリアスだ。「遺書(手紙)を公開されてもいい、但し、妻にだけは秘密だ」。その理由は、「妻が己れに持つ記憶を純白に、なるべく保存したい」、から怪しくなってくる。

 ミステリアスの一つ目は、妻が死んでからでなければ手紙を公表できないのだが、青年は公表する。その理由が、先生が「なるべく」と、言っている、「絶対」とは言っていない。これは後から挿入(風船)されたのだ。実は、妻「静」が生きている内に公表してほしかった、のではないだろうか?

 二つ目は、「妻が己れに対して持つ」と。「妻が過去に対して」と書かれたなら、先生の過去であるが、どうやら、「妻自身の過去」となる。Kから「静」を奪ったのは、先生だった。その為に、Kは自殺した、とされてきた。

「静」が、先生のKへの嫉妬を利用した女性としての策士からの「政略結婚」であった、とすれば、「静」もKの自殺に加担したこととなり、ミステリーとなる。

 「己れの」も風船である。漱石は、「こころ」の作品に、男女の、より複雑な「もつれ」を表現したかったのではないか?単なる青春小説ではなく。漱石は、何時、読んでも、奥が深く、新鮮な発見がある。

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2015年4月29日 (水)

吾輩は識字障害者か、記憶障害者か

 吾輩は、記憶力が極度に悪い。如何ともしがたい。NHKで、識字障害者のドキメンタリー放送があった。ボケ爺の記憶の悪さは、「識字障害が起因している」と思うようになった。

 それまでは、幼少のころに酒を飲ませた親が悪い、とばかり思っていた。むしろ生まれつきの識字障害者だった。読解力が悪い。作文が無理。言葉が覚えられない。長時間の思考が出来ない。落ち着きがない。など等、思い当たる。

 死にかけてから気が付いて良かった。若年で、気が付いていたら、腐って、生きる気力が失せていただろう。

 ボケ爺は記憶力の弱さを誤魔化してきた。その方法は、情景と共に覚える事で、補ってきた。つまり、右脳の活用だ。左脳は機能しない。数字、漢字、化学式、人の名、言葉、等 覚えるなど、からっきしダメ。

 知識の世界では、劣者、弱者だったのだ。技術家でなくて、アーチストであればもっと目が出ていたのだ。人生間違えていた。今頃、解って残念!

<読書>

「逆転!」マルコム・グラッドウェル 講談社

まるで、ミステリーを読んでいる様だ。逆境に勝つには、とのノウハウ本である。弱点のある人も勝てる、と言う訳だ。孫子の兵法以上ではない。物語として楽しめる。

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2014年9月 6日 (土)

兜太、一茶、芭蕉

 「人間 金子兜太のざっくばらん」 金子兜太  中経出版 を読む。ボケ爺が興味を抱いた句に、「白梅や老子無心の旅に住む」「二階に漱石一階に子規秋の蜂」「長寿の母うんこのようにわれを産みぬ」など、である。

 生きものの感覚にこそ決め手だ。それを「アニミズム」。つまり、「煩悩具足 五欲兼備」の世界だ、と言う。一茶の「荒凡夫」の精神に通じる。一茶が好きで、好きでたまらないらしい。俳句に傾倒した理由が、戦争体験と、人事の不条理、からである、と言う。

 芭蕉は「姿先情後」を支考して、「モノに即す」から始まり「不易流行」に至る。芭蕉は「軽み」、一方、一茶は「俗」だ。と決めつける。一生「俗」を貫いた。それが「生きもの」である。「俺は、愚を重ねた凡人だ」を、人間だ、と共感している。兜太は、一茶を心から好きである。ところで、ボケ爺の「生きる感覚」は、

セミ落ちて踏みにじられし身桃色

アリが居てセミの一啼き夏終わる

猫の手に哀れなる蝉一暴れ

虫鳴きて夫婦騒ぐなと忠告し

酒匂う厠の窓開け虫の声

放尿でミミズ鳴き止み腫れるかも

夏過ぎて夢見し乙女恋やつれ

夏終わり恋の疲れが生足に

冷夏にて百日紅の花散り急ぐ

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