『集中講座 夏目漱石』を読む
漱石研究はボケ爺の趣味だ。『吾輩、漱石はビジネスマンである』(Amazon-Kindle)で、イノベーションの発想を、漱石から学んだ内容である。12年間の漱石の小説には何一つ同じパターンは無い。絶えず新しい手法(イノベーション)を世に問うてきた。
主題の漱石研究も同じ趣向だ。だが、ボケ爺より、さらに深読みであった。講師は「阿部公彦」だ。取り上げた小説は;
『吾輩は猫である』を「胃弱」のから読み込んでいる。大ヒットした小説であり、自分の心理状態を猫にしゃべらせるユーモアは表向きである。実は胃弱で苦しんでいたのだ。講師の指摘のように胃弱をこんなに書き込んでいるとは気が付かなかった。新しい発見だった。
『三四郎』を歩行の仕方から読み見込んでる。ボケ爺も同じ経験を回想できた。田舎から東京を目指し、何かを成したいと富士山を列車の中から眺め、未来に夢を抱いた。友達から、東京生まれの女性を紹介された。その頃のデートは「目的無く歩く」「話をすれば、ハイカラ東京の女性、と田舎者の僕」とは、今一つかみ合わない、であった。三四郎と同じであった。
『夢十夜』不安で複雑な世の中を、読み込んでいる。この小説が出来たころの明治政府は不安定な動きの時だった。今日と同じだ。岸田首相政権の曖昧は発言と、筋が通らない説明、行動を「夢の中」で奇妙な物語となる。
『道草』は腹の具合とそれに伴う精神不安を、読み込んだ。ボケ爺の幼少時期の何か不安を引きずり、親や、兄弟との関係、友人なども加わり、死を迎える時になって、片付いていない人生を回想できた。
『明暗』は表層から裏を読み取ろうとのやり取りで、読み込んでいる。日常会話の中に、表と裏が潜んでおり、表だけでは不安がつのる。裏を知りたいがそれを探ることはそうたやすいものはない。奥の深い深い小説を改めて確認できた。
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