2007年6月 8日 (金)

フューチャリストでありたい。

 ボケ爺は、幼少の頃から、フューチャリストであった。未来の夢だけを追っかけていた楽観主義者であった。小学校6年生の未来は何になるか?の定番の答えに、(飛行機)エンジニアと書いて、笑われたこと思い出す。アトムの手塚治虫のフューチャリストをこよなく愛し、憧れてきた。大人になってからは、本田宗一郎のフューチャリストにも陶酔している。

 「フューチャリスト宣言」梅田望夫 茂木健一郎 ちくま新書、を読む。雲の上を行く、二人の対談は、益々浮いている。ウェブ、とクオリアの世界は、共通点があるようだ。

 今、未来を語って、引っ張っていける人は、狂人でなければ出来ないことだと言う。マイクロソフトのゲイツ、アップルのジョブスは、今も、未来を作り続けている。四六時中、未来を考えている狂人である。だからイノベーションが生まれてくる、と言う。

 ボケ爺は、今は、未来への展望が全く見えなくなってしまった。なってしまったとは、以前はあったのかと言うことになる。少なくとも若い時には少しは有った、狂人だったからである。コンピュータの端末メモリーの動向で、未来は見えていた。残業で、12時ごろに家に帰って、それから朝の4時、5時まで、コタツの中で論文を書いていた。6ヶ月ほどかかったが、楽しかった。1年後に、IBMがその構想と同じ製品を出してきた。その後も、世界で最初、という部品、コンセプトなど、開発がどんどん出来ていた。今はない。

 ウェブ2.0の世界は未来を変える。公共性、と、利他性の「向こうの世界「「こちらの世界」が、人々の生きる世界を広げると言う。ボケ爺は「こちらの世界」から抜け出せない。

これからの、ウェブ2.0の時代は、Blogで講義が出来る。大学など全く要らない、と断言する。Blogに集まる人は、この両人で言えば、2万人以上のアクセスがあるようだ。未来を語るには、ウェブの世界でなくては語れない、フューチャリスト宣言で集まろうという訳だ。

「向こうにいる」、著者の二人の会話は実感的に理解が出来ない。ボケ爺は、時代遅れの惨めさを味わっている。未来が語れなくなった老いを感じる。

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2007年5月 8日 (火)

天才論

 「天才論」-ダビンチに学ぶ「総合力」の秘訣-茂木健一郎 朝日新聞社

 ボケ爺は鈍才である。だから天才に憧れる。ボケ爺の周りには、世間で言う天才はいなかった。限りなく天才に近い人は居た。その人から多くのことを学ばせてもらった。そんなことを重ね合わせて、この本を読破した。「読破した」とは、まさしく読破したのだが、茂木著者の内容は奥が深く、理解出来ないことが多いからである。

 冒頭から、副題にあるように、天才は「総合力」を持っている、から始まる。ボケ爺の天才に近い人達は、多くの欠陥を抱えている。Aが出来るがBは出来ないとか?あるいは偏屈である。いつも「不安」を抱えている。

茂木著者のいう「総合力」の大切なことは、二つあって、一つは分析が出来るだけでなく、その分析を「組み立てていく統合力」にあるという。二つ目は、自分の考えを売り込む、「売り込み力=プレゼン力」だという。ダビンチも、モーツアルトも生きるために、自分を売り込み続けていた。「生活力」ともいえるのか。

 天才は他に、① 二つの目、「なるほど=同意力」と「とんでもない=批判力」を兼ね備えていた。② 「観る=観察力」と「書く力=表現力」を兼ね備えていた。③ 「連続」(「=数学的、実学的」)に物事を考えてきた。ボケ爺が天才でないことが、なるほど、明確になってくる。

 ダビンチを分析して、天才が生まれるために、次のような環境が必要という。

1)     大学はいらない。虚から現実(現場)へ向かって行動を起こせ。

2)     学歴は最も高い敵である。知識は直ぐに古くなる。

3)     古典を学べ、つまり、「ルネッサンス革命に臨め。」(イノベーションにハングリーになる)

4)     Web2.0は思想だ、と分かること。(知は万人の物)

5)     連続体仮説で考えられること。(自然数と無理数の共存が理解できること)(仮説を立てて矛盾を飲み込む)

6)     集合体が理解でき、取り分け、無限集合をコトに生かせること。(有限集合では?)(

7)     経営者センスが備わっていること。(自分の考えを売り込み、報酬がもらえること)(生きることにハングリーであることを知る)

 創造力とは、次の如し。

1)     経験×意欲×知識量

2)     分析力と統合力(総合力=組み立て力)(帰納と演繹)

3)     思い出す力と、ひらめく力

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