2025年5月 8日 (木)

『文品-藤沢周平への旅』に思う

 <読書>『文品-藤沢周平への旅』後藤正治 中央公論新社 2025 を読み終えた。『文品』とは的を射た名題。ボケ爺は学生時代の大学革命闘争に参加していた時に読んだ「野間宏『暗い絵』」を読んで気に入り作品のほとんどを読んだ思い出がある。引く続き「藤沢周平」の『暗殺の年輪』『闇の歯車』『暁の光』の暗さに魅かれて、全作品の半分は読んだ。藤沢周平の作品には「こころ(人情)」がしみ込んでいる、と思っている。

 今著(後藤正治は作家だ)はその作家の目を通して一種の小説のような仕上がり。周平は自作品についてエッセイを書く。批評にも答えている。その(批評)は市井の人情も、上下族の友情も、悪を戒める熱情も、周平のエッセイの中にも表れる。

 著者はそのエッセイも読み込み、巧みな構想の道しるべとして活用。周平の良さ(長い年月の遍歴)の引き出し方が素晴らしい評論? 否、作家として第三者の解説をも借用した筋立てがしびれるノンフィクションのような作品に仕上がっている。これこそ「文品」と呻ってしまう。それに藤沢周平がよみがえった。 ボケ爺の「残日録」を書き残したいが文才がない。

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2007年6月 8日 (金)

フューチャリストでありたい。

 ボケ爺は、幼少の頃から、フューチャリストであった。未来の夢だけを追っかけていた楽観主義者であった。小学校6年生の未来は何になるか?の定番の答えに、(飛行機)エンジニアと書いて、笑われたこと思い出す。アトムの手塚治虫のフューチャリストをこよなく愛し、憧れてきた。大人になってからは、本田宗一郎のフューチャリストにも陶酔している。

 「フューチャリスト宣言」梅田望夫 茂木健一郎 ちくま新書、を読む。雲の上を行く、二人の対談は、益々浮いている。ウェブ、とクオリアの世界は、共通点があるようだ。

 今、未来を語って、引っ張っていける人は、狂人でなければ出来ないことだと言う。マイクロソフトのゲイツ、アップルのジョブスは、今も、未来を作り続けている。四六時中、未来を考えている狂人である。だからイノベーションが生まれてくる、と言う。

 ボケ爺は、今は、未来への展望が全く見えなくなってしまった。なってしまったとは、以前はあったのかと言うことになる。少なくとも若い時には少しは有った、狂人だったからである。コンピュータの端末メモリーの動向で、未来は見えていた。残業で、12時ごろに家に帰って、それから朝の4時、5時まで、コタツの中で論文を書いていた。6ヶ月ほどかかったが、楽しかった。1年後に、IBMがその構想と同じ製品を出してきた。その後も、世界で最初、という部品、コンセプトなど、開発がどんどん出来ていた。今はない。

 ウェブ2.0の世界は未来を変える。公共性、と、利他性の「向こうの世界「「こちらの世界」が、人々の生きる世界を広げると言う。ボケ爺は「こちらの世界」から抜け出せない。

これからの、ウェブ2.0の時代は、Blogで講義が出来る。大学など全く要らない、と断言する。Blogに集まる人は、この両人で言えば、2万人以上のアクセスがあるようだ。未来を語るには、ウェブの世界でなくては語れない、フューチャリスト宣言で集まろうという訳だ。

「向こうにいる」、著者の二人の会話は実感的に理解が出来ない。ボケ爺は、時代遅れの惨めさを味わっている。未来が語れなくなった老いを感じる。

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2007年5月 8日 (火)

天才論

 「天才論」-ダビンチに学ぶ「総合力」の秘訣-茂木健一郎 朝日新聞社

 ボケ爺は鈍才である。だから天才に憧れる。ボケ爺の周りには、世間で言う天才はいなかった。限りなく天才に近い人は居た。その人から多くのことを学ばせてもらった。そんなことを重ね合わせて、この本を読破した。「読破した」とは、まさしく読破したのだが、茂木著者の内容は奥が深く、理解出来ないことが多いからである。

 冒頭から、副題にあるように、天才は「総合力」を持っている、から始まる。ボケ爺の天才に近い人達は、多くの欠陥を抱えている。Aが出来るがBは出来ないとか?あるいは偏屈である。いつも「不安」を抱えている。

茂木著者のいう「総合力」の大切なことは、二つあって、一つは分析が出来るだけでなく、その分析を「組み立てていく統合力」にあるという。二つ目は、自分の考えを売り込む、「売り込み力=プレゼン力」だという。ダビンチも、モーツアルトも生きるために、自分を売り込み続けていた。「生活力」ともいえるのか。

 天才は他に、① 二つの目、「なるほど=同意力」と「とんでもない=批判力」を兼ね備えていた。② 「観る=観察力」と「書く力=表現力」を兼ね備えていた。③ 「連続」(「=数学的、実学的」)に物事を考えてきた。ボケ爺が天才でないことが、なるほど、明確になってくる。

 ダビンチを分析して、天才が生まれるために、次のような環境が必要という。

1)     大学はいらない。虚から現実(現場)へ向かって行動を起こせ。

2)     学歴は最も高い敵である。知識は直ぐに古くなる。

3)     古典を学べ、つまり、「ルネッサンス革命に臨め。」(イノベーションにハングリーになる)

4)     Web2.0は思想だ、と分かること。(知は万人の物)

5)     連続体仮説で考えられること。(自然数と無理数の共存が理解できること)(仮説を立てて矛盾を飲み込む)

6)     集合体が理解でき、取り分け、無限集合をコトに生かせること。(有限集合では?)(

7)     経営者センスが備わっていること。(自分の考えを売り込み、報酬がもらえること)(生きることにハングリーであることを知る)

 創造力とは、次の如し。

1)     経験×意欲×知識量

2)     分析力と統合力(総合力=組み立て力)(帰納と演繹)

3)     思い出す力と、ひらめく力

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