2023年12月 8日 (金)

読書、小説『ノボさん』

 先日、獅子文六の「コーヒーと恋愛」を読んで、文六の文書にほれ込み、近くの図書館で探したが、その図書館では文六の著書は無く、中央図書館なら、と言われた。その時一冊だけ(伊集院静 先日亡くなられた)が寂しそうに鎮座していた。

 思わず、手に取り借りて帰った。特に副題が添付されていた。それが「小説 正岡子規と夏目漱石」と。ボケ爺の漱石研究(『吾輩、漱石はビジネスマンである』)は心が騒いだ。結論から言えば、納得の作品であった。ノンフィクションに近いフィクションであろう。

 「ノボさん」は子規の幼少ころからの愛称であった。結論から言えば、「夢を見続けた」「人々に愛され」「人々を愛し」「心は気高く澄んでいた」「今の日本人の心を疾走している」「漱石を尊敬したとこから文芸を深めた」。

 筋書は感性力の優れた子規の未来志向と、神経質な夏目漱石の絡みがあって、今日の文芸の世界観の拡大起きた事が理解できる。夢をかなえる人は、人間の性格を見抜き、深く感受出来る力が必要だ。自然の美の同様の感性力だ。そこから壮大な夢が生まれる。組織の優れたリーダーに必要な素質が通奏低音で響く。

 終章では、ロンドンにいる漱石と床に伏している子規の手紙のやり取りには泣かされた。子規は文芸を、特に小説を書きたかったが叶わず。だが、短歌や特に俳句を体系付けた先人。漱石は小説で人生論を説いた文豪となった。その他、子規の関わった有名な人材が網羅されている。壮大なスケールで、人間とは何か、何をなさなければならないかを提案する小説だった。

子規の最後の句;

 糸瓜咲て痰のつまりし仏かな

 痰一斗糸瓜の水も間に合わず

漱石の指揮お別れの句

 筒袖や秋の柩にしたがわず

 きりぎりすの昔を忍ぶ帰るべし

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2023年5月27日 (土)

概念を超越した藤井聡太棋士

 ボケ爺、将棋は一様のルールは知っているが、出来ない。さらに集中力に欠ける。だから、偉そうに棋士能力に立ち入ることに避けるが、藤井聡太の棋士修行の仕方に新たな概念があるのでは、と考えている。或いは、概念を持っていない?

 どう修行するのか?「既成概念を超えたか、修行と言う概念を持っていないか」、と。例えて言えば、日本には、「守破離」と言う武芸などの修行の概念。つまり、最初に「基本型を忠実に学び、その型から離れ、新たな手法を見つける」が、基本概念だが、藤井聡太棋士は、その伝統的な「守破離」の概念を守っているとは思えない?

広辞苑第4版(岩波書店)によると、概念とは、「大まかな意味内容」、「何か一つの物事(筋道)に対し、関係する意味や内容(応用)を思い浮かべる」とある。

 AI将棋手法に勝たねばならないから、AIを徹底して研究しているのだろう。AIを超えるには、過去の勝負手を超えなければならない。勝負手の関係性の意味付けを変えなければならない。よって過去の概念に縛られない新しい概念を作り出さねばならない。反復と回顧から復元、そこにAIの古い概念の集合と違う新概念が生まれるか。

 日本の未来は、今までの歴史の基本概念から解放される、言うか、横道と言うか、未踏(超越)と言うか過去の概念をブチ破ってほしい。年寄りにはできない。

<読書>

「武器になる哲学」山口周 カドカワ

=使える哲学であり、人生を生き抜くための哲学・思想のキーコンセプト50=の副題。著者は無教養なビジネスマンは「危険な存在」。世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるか?「経営は文化」であらねばならない、と主張する。何故か?①状況を「正確に把握し洞察」するため、②「批判的思考を磨く」ため、等。これも既成概念か?

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2022年4月28日 (木)

仙川(国分寺外線)古墳

 今日は、朝の重い雲で覆われていたが、午後にはすっかり雲一つない晴天、となる。天候の急変の証である。

 武者小路実篤公園の中道から、森のテラスを登り切った道を南へ100mほどに、突然現れた住宅開発地で、古墳が現れた、と。少し前にブログに乗せた。その後、何度かチェックに行っているが、まだ調査をしている程度でしたが、

 今日は、新たな場所に移ってさらに調査が拡大していた。そこに、盛んに記録している人がいたので、聞いてみた。これが、土器、ここが、かまど後、ここが柱の跡、などと教えてくれる。

 縄文時代から古墳時代のものだろう。そんなに長い間、住み続けていたのか?と質問すると、そこまでは、まだ出土品が少ないのでわからない。縄文時代の縦穴住居跡は確実だ、と。だが、道路や、隣家などを掘り出すわけにいかないので、これまでの調査で限界だろう。国分寺崖線では、多くの古跡出ているらしい。が、今日の住宅で大規模に調査はできないそうだ。

<読書>

「すぐ死ぬんだから」内館牧子 講談社

「終わった人」の終活の続編である。抱腹絶倒。相思相愛の夫婦が80歳になる前では「すぐ死ぬんだから」と、終末を、着飾って「若い」と言われて喜んでいた。ところ、不意に主人に死なれる。遺言書に、妾とその子供が現れる。42年間も騙されていた。そこから、バトルが起きる。取り残された本妻は、妾に嫉妬して生き続けざるを得なくなる。これが人生。それにしても人の機微を、本音と建前のバトルは恐ろしいほど冴えている。

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2020年8月 9日 (日)

ポロック生命体を読む

 ポロックとは、抽象画のジャクソン・ポロックからきていることは明らかだ。作者はノンフィクション作家の瀬名秀明である。シンギュラリティー時代の課題を先取りしているかのような。AIは人類にどう寄り添うのか?それとも、人類の敵となるのか?

 ここ課題は、人類にとって大きな課題である。4編集合体である。一章は、将棋のAIとの戦いである。この先、AIは人類に負けることは無いだろう。だが、人類の将棋熱は冷めない。AIがその環境を作り、人類の幸せに貢献するのだろう、としている。本当か?

 その後の章は、小説はAIで作れるのだろうか?文章は作れても、「ストリー性」は、人でしか作れないだろうと、言うのだが、これも時間も問題になろうか?と結んでいる。

 芸術面では、音楽については、NHKの美空ひばりのAIによる疑似体験での成功をサラーと流している。主に、絵画(抽象画(ポロック))がAIで模倣しながら進化する、との筋書きである。ポロック以上に感動の絵画は生まれるはず、と。

 「ポロック生命体」とは「AI生命体=芸術アルゴリズム」の事で、AIのアルゴリズムは限りなく、AIとして進化が続く。人類は、人類生物体として進化は続く。

 さて、この両者の進化は、共存するのか?出来るのか?はたまた、競業していくのか?人類の幸せは、何を求めればいいのだろうか?を考えさせる作品だ。読んでみて考えるべし。

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2019年6月23日 (日)

漱石コード

 ダビンチコードが数年前に騒がれたが、漱石にも作品にもたびたび漱石コードが見え隠れする。これが漱石の恐るべき創造力のすごさである。

その中でも「坊っちゃん」が最も色濃く出ている。一般に、坊っちゃんは、青春小説ともいわれている。だが、隠されたコードを読み取ると、何と風刺小説となる。

日本は、江戸(徳川時代)から明治維新へ歴史は動く。山嵐(堀田)が「会津出身」で佐幕派である。戊辰戦争で会津は敗れる。「敗れた江戸は過去の世界」「勝ちの明治維新は近代」との図式でもある。漱石の留学体験の、英国の産業革命から生まれる格差社会を輸入した日本近代化の危うさの実情を批判したかったために仕掛けられたコードの一つである。さらに、この小説の中には秘められた記号がある。

1)坊っちゃんの松山での宿泊先の山城屋の雅号は、山縣有朋陸軍大尉が金儲けをしていた時の悪徳の商社「山城屋」と同じ。

2)坊っちゃんらの散歩の途中で松が話題になる。山縣が京都に無隣菴を作り「松」2本を植え、「天皇の松」と、権力の象徴に利用した。

3)赤シャツの「マドンナ」は、山縣が囲っていた妾、芸者出身の「貞子」を指している。

つまるところ、校長の狸が「山縣」、図学の教師の野だいこが「桂」、教頭の赤シャツが「西園寺」、そのコードは、日露戦争の張本人たちへの批判が隠されていたのだ。

「坊っちゃん」は小説としてあまりにも凝り過ぎている。一種の失敗作か?それとも、漱石の創造力の豊かさを見せつけられたのか?だが、ボケ爺は漱石を愛す。

<読書>

「太宰治の辞書」北村薫 創元推理文庫

ダボハゼで本を読んでいると、良書に当たる、とはよく言ったものだ。久しぶりに感激した。①実に、文章が軽妙な文章。②実に、微に入り細に入り気が付くものだ。③実に、多読であり、記憶力が良い。など。ボケ爺は、文面から作者は男性だと思っていた。読み始めて、「軽妙な文章」は、女性でなくては展開できない(女性の井戸端会議的)、と確信した。すると、文中で、「私の婦人」と暴露する。なるほど、すべてが氷解、この作品は女性でなければ書けない、と。さらに得られたのは、「芥川、太宰の発想力の魅力」の発見である。

 

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2019年6月 3日 (月)

漱石の女性像

 漱石の発想法を研究している。ある業界紙にコラムを依頼されてのことだが。「漱石のビジネス脳」と「漱石の創造性」である。月一回で、約3年になる。

 阿刀田高は、漱石の文豪としての能力は高く買っている。しかし、漱石の女性の軽視には腹が立つようだ、だから、漱石の人格を否定している。

 本当にそうだろうか?江戸から明治にかけて女性の社会進出は、主張する女性へと変化。それをいち早く小説に登場させて、「男・女・男の三角関係」から、女性の立場の向上を賛同するかのように男女関係をテーマにしている。多くは、強い女性を主人公にして、男が翻弄される物語が大半を占めている。

 漱石には、気になる女性は5人いたという説がある。嫂であり、京都のインテリ芸者であり。総じて美人である。だが理想とする女性像は、別にあるようだが。

「色の白い割に髪の黒い、細面の眉毛の判然(はっきり)映る女である。一寸見ると何所となく淋しい感じが起こる所が、古版の浮世絵に似ている」。「美しい線を奇麗に重ねた鮮やかな二重瞼をもっといる。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据えて凝(じっ)と物を見るとき、大変に大きく見える」。は、「それから」の美千代である。

「・・頬は何時もより蒼白く自分の眸人(ひとみ)を射た。不断から淋しい方靨(かたえくぼ)さえ平生(つね)とは違った意味の淋しさを消える瞬間にちらちらと動かした」。「・・・その唇の両端にあたる筋肉が声に出ない言葉の符号(シンボル)の如く微かに顫動(せんどう)するのを見た」。「行人」のお直(嫂)でる。

 漱石にしては最もエロチックな表現は、「昔美しい女を知っていた。その女に後ろから頸筋(うなじ)をなでて息を吹きかける」。女を感じさせるシーンがある。「文鳥」から。

夏目漱石の作品はそれぞれ奥が深い。まだまだ研究すべきことが多い。

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2018年3月23日 (金)

オノマトペ

 ボケ爺は狂ってきている。昨年、生後150年の漱石の研究をしている。技術家のボケ爺が狂ったのだ。その中で、漱石が晩年、目を付けたのが、芥川龍之介であり、中勘助であり、一高から東大まで、漱石を恩師としていた。

 漱石は、朝日新聞に「銀の匙」を推薦して、連載させた。ボケ爺は、大昔、中勘助の生きざまの本(その本は失念した)が出た時に読んでいた。銀の匙そのものを読んだわけではなかった。

 銀の匙は、オノマトペのてんこ盛りだと言う。だから、文章に含みが出てきて幅の広い情景が、良く浮かぶと絶賛するのが、「三色ボールペン」「声に出して読みたい日本語」で有名な「齊藤孝」明大教授である。

 オノマトペとは、擬音語、擬態語であり、繰り返すことのようだ。ぼちゃぼちゃ、とか、ぶうぶう、とか。ひょんひょん、ぱっぱつ、ぴょんぴょん、ゆらゆら、ふわふわ、しんしん、ぷりぷり、じゅうじゅう、ぱきぱき、などキリが無い。

 詩人の中原中也や、宮沢賢治、などが、多用したようだ。体験を音で伝えることは、解ろうとする範囲が広がる、と言う。最近のTVのグルメ番組など、これに相当するのか?

 銀の匙の中の、姉の動作で、「顎がふくふくとうごく」と人柄を表現している。確かに、「穏やかで親切な人」と言われるより解るような気がする。目がくるくるまわる、とか。ほたほたとしずくが垂れる、など。日本語は面白い?日本人でありながら日本語が分かっていない、と、「つくづく」後悔する。

<読書>

「娼年」石田衣良 文春文庫

女が男を求める。そのホスト(娼夫)として無気力な大学生(リョウ)が、女性の色欲の多彩さをこなす。それを通じて、男と女の不思議さ、と純愛の恋との狭間を描く。4月に封切になることで、読み返されているらしい。

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2017年5月14日 (日)

ミーシャ展

 昨日は、一日雨。NHKの放映でたまたま見たミーシャの絵画の奥深さに引かれ、新国立美術館に出かけることにした。

 ミーシャは、ボケ爺にとっては、パリでのポスター、アール・ヌーヴォーであり、高価なスカーフの基になっているデザイナーとしか記憶していなかった。

1900年のパリ万博と言えば、夏目漱石のイギリス留学の渡航中に立ち寄っている。日本からも、多くの陶器、浮世絵を展示していた。明治政府も日本が世界への参入に力を入れていた時である。その時に、東欧のボスニア・ヘルツェゴビナ館の壁画の習作が残っている。最終的には「オーストリア館」となったのか?戦争の絶えない時期であった。

母国に帰った1912年ごろから、精力的に、大作(4mX6mほどの)を、十数年に、50点ほど描き残している。ここにも、天才は、執着、執念の人の痕跡がある。

人物画描写がリアルである。行く先の社会の不安であり、哀れ、懐疑であり、救いを求めるものであり、等を一人か、二人の人物を通して主題が描き込められている。

久しぶりに感動できた展覧会であった。隣で「国展」が開かれていたが、ミーシャに圧倒されて、それを見る余裕が生まれなかった。

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2017年5月 4日 (木)

日光にて

 2日は仕事をさぼる。NHKで日光の東照宮の改造が直ったらしい。平日だから空いているだろうと、35年ぶりに、出かけることにした。だが、空いているのだろうが、裏切られる。先ず東武電鉄の特急の座席は2電車待たなければならなかった。日光に着いた時は13時になってしまった。東照宮までのバスは、道路が込んでいて動かない。歩くしかない。

 40分ほど坂道を登った。確かに、素晴らしいくも美しく復元されていた。徳川家康の膨大な権力の力を見せつけられる。そこの文化が生まれるのだろうか?一つ一つに意味があり、それを表現する工芸に、奥ゆかしい芸術が含まれている。そう言えば、江戸時代は、徳川一族に200年も支配されて、武士と言うサラリーマンと、納税するその他平民とに分かれた組織は盤石だった。徳川だけが富豪になるしくみは、素晴らしいいアイデアである。

 経済成長はほぼ出来ていない。その中から、何か工夫をしたい、との人間の本能が、新しい文化、則、世界が驚くほどの、美術、音楽、芸能、が生まれている。特に浮世絵の世界は、世界の美術界を驚かせている。さらに、工芸では、寺社、神社に無限の創意工夫が生み出されている。

 極限的な言い方をすれば、経済成長と、文化の進歩は無関係だと言うこととなる。西洋とも同じように、一部にお金が集まり、そのお金が贅沢に、文化に注がれることで、ルネッサンスが生まれる。不思議な思いを日光で考えた。

 3時間の散歩で、ボケ爺の歳では無理をした。さて明日からは?

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2016年5月26日 (木)

ピカソに学ぶ

 「ピカソ」粟津則雄 生活の友社 =20世紀美術断想=を読む。目から鱗。今までのボケ爺は、ピカソは天才だ。訳が分からない構図、色彩で、要は抽象画、と。世界の美術館で、ピカソの表層を撫で済ませていた。

 本箸の解説は違った。デッサンの時代から、青の時代、桃色の時代を経て、突如「アヴィニョンの娘」の時代を「創造と破壊」を繰り返した。

「ゲルニカ」の創作時代の苦難の創造の道のりを過ぎてからは、「宮廷の官女たち(ベラスケスに)」「マネの「草上の昼食」」の時代、「画家とモデル(レンブラントとサスキア)の時代、作者の発想に自分流の解釈を加える作風へとたどり着く。

 ピカソの作風は、「創造と破壊」の画家である。ある画風に集約できる人ではなかった。時代と共に、自己の過去を破壊して行った。更に、一枚の絵を描く時に、習作?を何枚も書き構想を練ってゆく。つまり、試行錯誤の数が多い。試行錯誤中の絵も作品だが。そこに意味がある。多くはキャンパスの中で修正する。

 これに似た人は、夏目漱石だ。短編集で、試行錯誤している。エッセーでも、手紙でも。兎に角、多作を本望とし、それをもとに、更に発想を変更する。創作ノートも立派に存在する。

 技術家は、創造性、発想力、表現力が命だ。他には、正確な実験力、検証力も。つまり、「演繹と帰納」となる。その想像力、発想力、表現力は、ピカソに学び、漱石にも学ぶ必然を認識した。

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