論理的思考とは、に悩む日々
日本は黒船が来ない限り考えることをしない人種だと「この国のかたち」に悩む。トランプ2.0の関税で、右往左往の滑稽さ。今日の政府の対応が、又、頼りない、「根本的に論理的思考がないからだ」と、最大の難問に悩む。そんな時に下記の著書に出会う。
<読書>『論理的思考とは何か』渡邊雅子 岩波新書 2024
結論から言えば、国ごとに「論理的思考法」は違っている、と言う。「論理学的思考法」はひとつではない-思考する目的を明確にその目的に合った思考法を選ぶ技術が必要、と言う。さらに国ごとに、その適用(作文=論文)違う。「教育の違いで起きる」。
それが、①論理学、②レトリック、③科学、④哲学、である、と。それに論理を適用する必要な領域は、目的の価値に紐付けて4つの域の思考領域は「経済」「政治」「法技法」「社会」あり、それらの領域で、「4つの思考法を使い分けなければならない」、と、結ばれる。目からうろこが剥がれ落ちる。
ボケ爺は、研究・技術領域で生きてきた。起承転結、弁証法(正反合)、原因から結論のアブダクション(仮説)による3段階論で、論文や成果発表をしていたが。
著者は言う、アメリカは特に経済領域のレトリックであり=「効率的か否か」で決まる。日本は社会の論理領域で「感想文」的、と。社会の論理は「論証の形を取らない」。重視されるのは「社会の構成員」のレトリックは「共感されるか否かで論破される」。社会は多様性で、今日の世界毎に使い分けて論理思考の適用が必要らしい。
最近のコメント