阪神・淡路大震災後30年
30年前、阪神・淡路大震災が起きた時間に、始発ひかり6:00発に乗り、うっかりと寝込んでいた。30分ほど過ぎて目が覚める。構内アナウンスで「こだまを先に発車させます」。アレ、転職初日、大阪本社の9時からの会議に間に合わない。「名古屋停まりになるかもしれないが出発させる」、とのことだ。名古屋までの社内放送は2回。「大阪以西で地震が発生した模様だ」、と。名古屋駅新幹線待合室のTVが阪神地域の地震を報道している。「数十人の死者」「5か所あたりから出火」、と。払い戻しで改札口を出ようとする、駅員が、「1万円札でなく乗車券を見せてください」。いささか焦っている。駅員に、大阪に行く方法を聞くが、「方法はない」と言う。TVはその後、死者数も数百人に増え、出火はさらに拡大し、白い煙は空を覆っている。高速道路は横倒し、バスが半分落ちかかっている光景を映す。
大阪本社に電話する。「私一人、自転車で出社、大阪、阪神地域の電車は全て停まっているから誰も出社できない」。「本社の事務所のPCが散乱している。仕事にならない」、と。会社が用意してくれたマンション(西宮市内)に電話したが通じない。結果、独身寮に6か月住む。崩壊したビルの後片付け、とブルーシートに覆われた街の光景を車窓から眺めながらの勤務が続いた。
阪神地域の復興に莫大な債務を負ったままで、未だに返せていない。日本を弱体化させる自然災害だ。関西の経済沈下はこの大震災から始まった。東日本大震災、能登半島地震、とその間、熊本地震、北海道地震。水害は毎年どこかで起きる。今後も災害大国日本は生き続けなければならない。復興債務は永遠に返せない。バブル時代の大国を望むことなく粛々と縮小均衡の日本を作り上げる努力が必要だ。
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