昨夜の「三日月」に感動
満月も良いのだが、ボケ爺はヒネクレ者故に、三日月の美しい形に感動する。小さい頃にコンパスを始めて買ってもらった時代、円を描いては無数の形の不思議さに心脅かせて悪戯をしていた、を思い出す。その時どんな夢を見たのだろう。
年老いて、日々、体力を無くする過程は、情けないかもしれないが、それが自然なのだ、と回想する。今年も年越し時期に風邪を引いてしまったが、やっと治った様だ。朝のルーティンの散歩を復活させたが、後半は息切れを感じる。平凡な事、ルーティンを笑うこと無く、真面目に続けることが月の周期と同じように年寄りには大切なこと。
昭和時代を生きてきたボケ爺は、体力の衰え以外に、今日の言葉の表現を理解し難くなってきた。さてこれが厄介だ。若い著者の小説を読んでも、戸惑うばかりだ。さて。これも脳の衰えか。クワバラ、クワバラ!
<読書>『生殖記』朝井リョウ 小学館
主題からして、物語の筋を創造することは難しい。だが、呼び進めて最後になっても、ボケ爺には難しくて、物語が見えない。あえて言うなら、今の世の中「生きづらい」、の実例集か?個と共同体の狭間の息苦しさ、ジェンダーの生物的意味を問うのか?もしそうなら、あえて難しい表現する必要はあるのか、読みやすくしてほしい。
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