方丈庵記(読書;その世とこの世)
朝から雲一つ無い晴天。散歩もウキウキ。それも昨夜読み終えた不思議な本に酔っているからだ。
<読書> 「その世とこの世」谷川俊太郎、ブレイディみかこ(岩波書店)
よくある鼎談ではない。ボケ爺はグズグズ2人で言いたいことを言う鼎談は全く嫌いで興味は無い。あるは、テーマごとに個性だか何だかで、アルパートを担当する対談も嫌いだ。それとは知らず、この本を手にしてしまった。だが驚いたことに、最初から、断りがブレイディみかこ氏から述べられて始まる。先ずは、面識がない。「私は詩人と言う言葉とは最も遠いところにいる地べたのライターで・・・」それに対し、谷川氏は「ブレイディさんの現実的実際的で明快なに、詩の朦朧体で返事をする・・・」
生きること、老いること、孤独なこと、住む土地柄の暮らし、等のライターらしき紀綱に対し、詩人谷川俊太郎氏は適格に「詩」で答える。ボケ爺は戦慄を味わう。
通奏低音として、この世(This World)とあの世(That World)だけではない「その世」(Somewhere in between)が存在する、が貫かれている。(谷川氏の返事に、この世とあの世のあわいにその世がある・・・と返事を)
漱石の「思い出す事など」を引き合いに「漱石調」の詩で返事(死に先立つものとして詩がある。詩に先立つものとして生があると考えた・・・・自然の現場は無口だ・・・)
「午後」(ゆっくりと大股で歩きながら世界を見た、世界は緑色だった、いや黄色だった、世界はカラフルに壊れ恥得ていた・・・・なにも意味したくない午後、言葉を留保する)
「目の前に在る物」(椅子に座って目の前に在る物の名を読んでみる・・・・ほとんど使っていない、言葉は拡散し始める、世界はどんどん形を失っていく)
もっともっと深い思慮が続く。2人の対話は宙の中で絡み合っていく。素晴らしさが続く。
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