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2024年1月17日 (水)

29年目の阪神・淡路大震

 あれから29年目の阪神・淡路大震災の忘れられない思い出である。一生努めようと思って関東地域中心の企業で、不条理なことが起こし、その企業に居続けることが出来なくて、幸いにして関西に本社を構えている企業からお誘いを受けて、大震災のこの日に本社へ挨拶に出かける日であった。

 東京駅発一番のひかりに乗車してウッカリ眠ってしまっていた。6時35分ごろ目を覚ましたが、車窓の景色が変わっていない。すると、6時45分にこだまを先に出発させる、とアナウンス。エ~、何が起きているのか?理解できない。

 やっと名古屋に着いたのは8時半ごろ。その間に、社内放送で「関西方面で地震があり、「このひかり号は名古屋止まりになります」。で、名古屋以西には新幹線は行けない、ことは理解できた。名古屋駅新幹線の待合室のTVを眺めれば、火災が起きていた、死者は20程度、と。

 チケットの払い戻しで1時間ほどかかった。そして近くのTV放映を眺めると、火災はもっと広がり、死者も数百人以上となっている。JR在来線の名古屋以西には行かない、と。近鉄も大阪へ行く方法を持ていない、と言う。公衆電話で、本社に電話すると、すぐに繋がった。「僕一人が出勤できている。他に誰もいません」。「自転車で出勤しました、全ての交通機関は動いていません」。

 世の中、不意に起きる自然災害には、人は何事も制御できない事を「嫌と言う程」味わた。「失われた30年は阪神・淡路大震災から始まった」。能登半島大震災は、高齢者集団地方で、限界集落の集合している地方だ。違う意味での「失われた日本が始まり」だろう。

   又、ボケ爺の大病から生き返って退院した日でもある。1年目の定期診断の日であった。結果は31日に言い渡される。この間、体力喪失回復に費やした1年だった。

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