初夢は悪夢の始まり
元旦は早くから起きて、仙川の東の端の京王線の陸橋から初日の出を拝み、すぐに西端の京王線の陸橋から富士山を眺めた。いい年になりそうか?と疑問に思いながら、散歩に出かけ、カフェで過ごした後は我が家のTVで、駅伝を眺めていた。Hondaを応援していたが、トヨタに負けて、日本の未来の経済成長に不吉さを感じた。
4時から「笑点」が始まった。元旦から馬鹿笑いを期待して。我が「方丈庵」が長周期の横揺れ。それが能登半島の大地震、悪夢だ。
ボケ爺は、多くの地震の経験をしている。45年ほど前の新潟大地震の時は、お茶の水の路上で遭遇。大きな唸り音、電柱が大きく揺れた。現地では「液化現象」で多くの都会型のアパートが、傾いていた。
会社を転職し、大阪本社に向かう朝のことだ。1955年1月17日だった。阪神・淡路大震災に、東京発一番の新幹線で過ごす。これが関西経済沈下の始まりだ。その後は、東日本大震災は大阪で遭遇。関東周辺は、阪神・淡路大震災程の被害よりも少なかった。関東の経済沈没は免れた。だが東北は甚大だ。福島の原発被害は、国全体の経済沈下がそこから加速。それに多くの地震(九州)、水害が押し寄せた。平成、令和の悪夢続く。だがまだ序盤である。
能登地震は3年前から頻繁に起きていた。マグマに海水が浸透した水蒸気爆発の一種の火山爆発のような説明がなされ、いずれ落ち着くだろう、と専門家の弁だった、と思うが。今回は、その「水蒸気が禁断の断層を襲った」のだろうか?
日本沈没の始まりは、自然災害での復元・復興に膨大な資本が必要、が第一番の原因だと、ボケ爺が予測する初夢だった。
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