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2024年1月28日 (日)

方丈庵記3

 方丈庵で一人暮らしをするようになった昨年は、鴨長明のような生活に憧れた。その理由は、昨年早々に大病をして、余命4年を、自分で覚悟し信じた。だが、今年の正月で1年が経ち、終活をするには不都合なことが次々に起きる。

 先ずは、カネ儲けは、方丈庵記1で実行を提案。コンサルティングは続けるがカネは必要なしで了解を貰った。前回の方丈庵記2では、人との付き合いを無くすると、不都合なことがおきる。①声が出なくなる。②ボケが進む、ことであり悩む。

 研究テーマを著書にしようと、始めたが遅々として進まない。その理由は、「人生100年時代」に関係する。これから起きる複雑な世界を組み込もうとすると研究の時間が必要。余命4年ではなく、体力も情熱も湧き出て長生きに欲が起きる。さらに孫たちが、受験の年ごろとなり、その行く世を心配するからでもある。下記の読書もボケ爺の著作には必要だが、理解はできない。

<読書>

「創造性はどこからやってくるか」郡司ぺギオ幸夫 ちくま新書

副題に、-天然表現の世界-となっているが、全体に実に難解であり、ボケ爺には冒頭からよく理解できない。だが、ボケ爺の研究テーマの「イノベーションの源泉は?」の一環で、読破したいが。思考の基本は「外部から」と「内部から」があり、経験や体験のトラウマ(ボケ爺流の言う、「バイアス」)が、「創造のための準備となる」、と言う。その上で、内部から創造が始まる。外部とのやり取りを繰り返し、創造の形が生まれ、それだけでは終わらすことなく、「脱色する」を試みて仕上がる、らしい。なるほど!よくよく考えれば当然の思考法だが?難解だ。

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