読書、小説『ノボさん』
先日、獅子文六の「コーヒーと恋愛」を読んで、文六の文書にほれ込み、近くの図書館で探したが、その図書館では文六の著書は無く、中央図書館なら、と言われた。その時一冊だけ(伊集院静 先日亡くなられた)が寂しそうに鎮座していた。
思わず、手に取り借りて帰った。特に副題が添付されていた。それが「小説 正岡子規と夏目漱石」と。ボケ爺の漱石研究(『吾輩、漱石はビジネスマンである』)は心が騒いだ。結論から言えば、納得の作品であった。ノンフィクションに近いフィクションであろう。
「ノボさん」は子規の幼少ころからの愛称であった。結論から言えば、「夢を見続けた」「人々に愛され」「人々を愛し」「心は気高く澄んでいた」「今の日本人の心を疾走している」「漱石を尊敬したとこから文芸を深めた」。
筋書は感性力の優れた子規の未来志向と、神経質な夏目漱石の絡みがあって、今日の文芸の世界観の拡大起きた事が理解できる。夢をかなえる人は、人間の性格を見抜き、深く感受出来る力が必要だ。自然の美の同様の感性力だ。そこから壮大な夢が生まれる。組織の優れたリーダーに必要な素質が通奏低音で響く。
終章では、ロンドンにいる漱石と床に伏している子規の手紙のやり取りには泣かされた。子規は文芸を、特に小説を書きたかったが叶わず。だが、短歌や特に俳句を体系付けた先人。漱石は小説で人生論を説いた文豪となった。その他、子規の関わった有名な人材が網羅されている。壮大なスケールで、人間とは何か、何をなさなければならないかを提案する小説だった。
子規の最後の句;
糸瓜咲て痰のつまりし仏かな
痰一斗糸瓜の水も間に合わず
漱石の指揮お別れの句
筒袖や秋の柩にしたがわず
きりぎりすの昔を忍ぶ帰るべし
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