大寒が過ぎた朝
大寒が過ぎた朝、零下にまで冷え込んだ。その為かどうか分からないが、小鳥の朝のさえずりが聞こえない。小鳥も寒さには負けるのだろうか?庭の紅梅は7分咲き。時候は進んでいる。
朝の散歩で出会うのは、電動アシストのママチャリである。保育所、幼稚園が増えたせいで、ラッシュ。右に左に走り急ぐ。共働き家族が常識化しているからだ。後ろと前にフード付きで補助いす付き自転車は、12万円は越える。又、送迎マイクロバスも、大型の保育所、幼稚園の専用車も行きかう。
このボケ爺も、その時代では珍しい保育所時代を経験している。東芝姫路工場が村の近くにあった転勤赴任者のアパート内に保育所があった。母が畑に行くモンペにすがって、又、三輪車に乗って、30~60分かけて通った。だが、都会の子供とは意思疎通は出来なかった。何時も隅でいじけていたことを思い出す。
保育所、幼稚園の園児たちが黄色い声ではしゃいている姿や、片隅で、ママゴトをしているグループがいる。それらを見ると、人類の継承に安堵する。この経験が、将来の生きざまが、大切な時代だとも感じたりする。
有名人や、小説家などのエッセイを読むと、幼少時代からせいぜい小学校時代までの体験が、その後の「才能、知恵の根源」になっているように感じる。保育所、幼稚園、小学校時代の教育が天才を生む基本だと、ツクヅク感じる今日この頃である。
<読書>
「文学のある日」坪内稔典 新日本出版社
漱石の話が良く出てくる、のがいい。著者は幼少のころから、小説、詩集をよく読んでいる。勿論、教育者ではある。物心ついたころから、人は才能に目覚めるのではないか?天才と言う能力は、小学校までに決まる、と言う仮説?そうならば、ボケ爺の幼少のころは本を読まなかった。だから未だに、読解力が身に付かない。なるほど。
| 固定リンク
コメント