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2019年11月23日 (土)

山茶花梅雨

 一日中雨が降り続いた。雨の中散歩に出たが、靴はグッショリ濡れてしまった。覚悟の上だったが、それにしても濡れ方が激しい。

野川は雨に霞んでいる。それでも、川ののり面を、草刈している人々がいる。すでにシラサギが飛来してきている。寒さが歓迎したのだろうか?相変わらず、ジーとして、川面を睨んでいる。ズーと微動だにせず我慢強い。

紅葉した葉っぱが道路にへばり付いている。ぬれ落ち葉のボケ爺は、その哀れさが良く理解できる。年老いて邪魔者にされることは悲しい。不合理の一つだが。

東京の効用が美しいのは、イチョウの黄色一色に紅葉した時だが、近年、紅葉を終える前に凍えて、紅葉が不十分状態で、木にしがみ付いている姿も、又哀れなり。会社に追い出されてもいつまでの引きずっているボケ爺の姿だ。

だが、葉っぱ一つ、一つが芸術作品もある。柿の葉っぱだ。多色刷りの琳派の錦絵を見ているようだ。琳派も、狩野派もその美しさを柿の葉からヒントを得ていたのではないだろうか?それほどに美しい。柿の葉の一枚の葉のなかの多色は、多分、葉の肉厚が厚いことが一つの要因だろう。さらには、菌か、ウィルスに侵されているのかもしれない。

植物はとにかく、不思議だ。

<読書>

「眩(くらら)」朝井まかて 新潮社

北斎の娘、お栄の物語である。TVにもされた逸品である。北斎の生活も良く分かる。色彩の基の顔料はお栄が作る。お栄は父を助けながら、自らも晩年にはかなりの作品を残している。ほとんどが肉筆画である。北斎には不出来な孫がいて、借金を重ねては補填をしていたので、貧乏暮らしからは逃れられなかった。それをお栄は父をサポートし続けた。けなげな親子愛に涙を誘う。名品である。

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