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2019年7月30日 (火)

日米経済格差は?

 アメリカの経済は好調が続いているらしい。日本との格差(GNP)は益々広まっていく。その根本には、高度サービス業が伸びていると言う。日本はまだ、製造業の出来不出来の趨勢に大きく作用される。アメリカは、製造業の比率は少なく、3次産業のサービス産業の比率が多いらしい。

 しかも、サービス業でも高度なサービス業である。法律、専門的な科学、技術サービス、ファイナンス・保険、情報、経営、教育などが、高度サービス業に含まれている。これらの従業員比率が製造業の2倍にも達する。しかも給与は高い。

 良く分からないのだが、高度サービスに従事する人が多い、と言うことはこれだけで経済を支える需要と供給のバランスが成り立っている、と言うことだ。このサービスに対価を払って、何を買わせるのだろうか?一人当たりの収入が多いから成り立つ?

 法律では、訴訟に対価を払って、自分(自社)を守る?科学・技術は製造業の中に抱えずに、外部委託が多い、か、特許の対価で稼ぐ?教育は、授業料の高くする?

などだが、さて日本には馴染まないように思えるのだが。日本はこのような高度サービス業を活用できる社会に確信できるのだろうか?

その意味で、京アニの、一種のテロは、大きな損害だと気が付く。

<読書>

「仕事選びのアートとサイエンス」山口周 光文社新書

=不確実な時代の天職探し、の副題。今の時代の仕事選びは困難である。①人工知能の台頭、②寿命(100年)が延びるが事業は短命(20年)、③VUCA(Volatility、Uncertainty、Complexity、Ambiguity)。計画は価値にならない、何故なら計画通りにはならない。バックキャストとフォアキャストでは、バックキャストは機能しない時代。サイエンス的考察は通じない、努力は天才を上回る、だから好きな仕事を探せ。など。

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2019年7月28日 (日)

台風一過で?

 朝方まで雨だったが台風一過で、昼間は汗から逃れられなかった。だが、我が家のエアコンも疲労で、働きが悪い。思い切って、カフェへ逃避した。

 図書館に貸し出し予約していた本が、一度に10冊も用意が出来たと連絡。だが、中身を見ないで借りた本の7割は、当てが外れる。やはり、本は中身を見てから買うか、借りないといけない、と反省している。

<読書>

「二度読んだ本を三度読む」柳 広司 岩波新書

イヤイヤ、全く新しい書評である。多くの書評は、文脈(文章)や、言葉使いの、評価が多いのだがが。二度読んだ時と三度目との認識の違い、読者を引き付けるところは、文脈や、言葉だけではなく、作者の工夫、創作の独自性、など、読まれる理由を自説で説得する。同じ作家の作品でも、作品間の差から、読まれる理由を分析している。基本は創造性の根源を垣間見ることが重要と言う。さらに作家になるには、一日1冊読むのは当然らしい。それだけ読んでこそ評論が出来るらしい。

「彦九郎山河」吉村昭 文芸春秋

江戸幕末後期、明治維新を迎えるにはまだ早い、がすでに、高山彦九郎の卓越した世を見る思想家はそれを予言していた。各地を回り、尊王政権の移行を訴え続けた。その実像に迫った秀作である。蝦夷(松前藩管理下のアイムの支配の実態の噂も調査。それは松浦武四郎の活動記に詳しい)にはロシアが迫ってきていた。浅間山噴火の天災で、東北地方の悲惨な飢饉、この難題を解決するためには儒学精神が必要、そのためには、尊王政権が必要であると、各地の儒学者に説いて回り、最終的には薩摩藩に討幕を頼るしかないと、薩摩を目指す。奇人ではあるが、卓越した洞察力の物語である。実に緻密な史記のノンフィクション。江戸末期の混乱がよく理解できる。

「旅するノラ猫」嵐山光三郎 筑摩書房

著者は、芭蕉を中心としたハード(史記に忠実)な作品と、ソフトでホンノリできる作品に分かれる。この作品は、野良猫の仲間との出会いと別れを、ホンノリとしたユーモアで綴られている。そこに、俳句がふんだんに織り込まれている。読んで損はない。

 

 

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2019年7月27日 (土)

今週の雑感

 今日の明け方、強い雨が断続的に降っていたが、起きる頃には晴天である。だが、天気の気まぐれに振り回される週末になりそうだ。

 火曜日には名古屋で朝早くから会議があった。東京を620分の新幹線に飛び乗った。東京駅は、家族連れの客が多かった気がした。名古屋に8時過ぎに到着すると名古屋の新幹線乗り場の広場は、歩くとぶつかる程の学童で一杯である。多くの団体が所狭し、と座り込んでもいる。夏休みに入った実感がする。

 水曜日の朝は、雨は何時降ってもおかしくない天気予想だった。五反田駅に10時前に降りる。走り雨に降られる。木曜日も同様の天気予想だった。東京駅に9時過ぎについた。丸の内北口からオアゾに向かうため地上の交差点で信号待っていたら、にわか雨に会う。地上の人々は一斉に、地下に切り替えていた。上空からの動画を見ていたら愉快だろうが。

 昨日(金曜日)815分自宅を出る。玄関先を児童が早足で通り過ぎる。水泳用のバッグを待っている。「こんなに早くから泳げるの?」と聞くと、「小学校のプールは8時半から開いている」と言う。ボケ爺の時代とは違う。梅雨が明けたかのような猛暑、ジーとしていても、蒸れた風がボケ爺の顔を舐める。思わず汗がにじみ出る。

<読書>

「読まずにいられぬ名短篇」 北村薫 宮部みゆき編集 ちくま文庫

著名な作家の国内外の短編集である。15件ほどの作品であった。ボケ爺の全く知らない物ばかりである。なぜ名品と選ばれたのか?しかし、優雅な時間は確保できる。

「哀歌の雨」 競作時代アンソロジー() 祥伝社文庫

「待宵びと」今井恵美子、「風流捕物帖、きつね」岡本さとる、「かえるが飛んだ」藤原緋沙子、の3人の短編である。作家達は残念ながら誰も知らない。時代小説の間では有名な作家である、らしい。時代小説であるが、現在をモチーフにしているらしい内容に感嘆する。心は癒される。

 

 

 

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2019年7月21日 (日)

平成の負の遺産?

 昨日の京都アニメーションの悲惨な惨事、心が痛む。クリエータは人が資産である。犯人の名前が公表、その人物像がおぼろげながら、報道されている。内容が正しいかどうか、と安易に是非を評価は出来ない。

 平成時代は、犯罪事件は減少をしている。と、だが本当か?と疑いたくなる。その理由は、一つが、川崎のバス待ちの児童達に切り込んだ犯罪、など。無差別殺傷事件が多くなったか?次には、子供の痛ましい虐待事件が多くなったのではないか?

 これらは、平成の負の遺産の様に思えてならない。心はバブルを追っかけ、実生活は我慢しなければならないアンバランスな事象にあるのではないだろうか?

 ボケ爺、先日奇妙な人に出会った。東横線の急行の車中、中目黒で席が空いたので、座った。その隣も空いて、50代のサラリーマン風(背広、ネクタイ、ビジネスバッグ)も座った。すると突然、窓の日よけを閉じる。曇っており、今にも雨が降りそうだった。何故、閉じるのか?疑問に思っていたところ、前の席の日よけも閉じに立ち上がる。さらに出入り口を挟んだ隣の窓も両サイドも閉じてしまった。席にはカバンを置いて。

 席に帰ってきたサラリーマン風の人に、「太陽光線もないのに、なぜ閉じるのですか?」と聞いてみた。返事は「理由など必要か?」「うざいんだ!」「ガタガタ言うな!」であった。ボケ爺は黙っていられない、「社内が暗くなって迷惑している人もいますよ」と。すると、「迷惑なんて関係ない、俺は良いと思うから、やるんだ」と。

 最近、通勤電車内で、こんな人が増えているように思える。

<読書>

「鬼は徒花」稲葉稔 徳間文庫

問答無用シリーズの一編である。特に感想はない。何も考えることなく、ただ楽しむだけの、こんな読書で「息抜き」も必要だ、と。だが、時代小説本は多い、発想力が勝負。創造性に注目すると、この作品も奇想天外である。

 

 

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2019年7月20日 (土)

痛ましい惨事

 京都アニメーション(京アニ)のスタジオに火が放たれた事件は、現場で34人の死亡が確認され、重軽傷も30人を超えて懸命の治療が続いている。

 アニメ制作に打ち込んできた人生が突然、断たれた。その無念さを思うとき、深い悲しみとともに放火という卑劣な行為への憤りがこみあげてくる。

 アメリカではすでに募金が1億3千万を超えた、と報道されている。各国の要人からも追悼の言葉や寄せられている。海外からも、悲しみの言葉が、続々届いている。

 何故か?日本の今後の目指す多様性の社会の重要なジャンルである。当然に、経済的にも、今後の重要な事業(芸術)の一分野をつかさどる事になるだろう。日本起きたい分野である。(絵画、音楽、文学、と並ぶ分野になる、とボケ爺は思っている)

今回の惨事は、未来の新しい社会に逆らうものである。アニメーションと言うクリエータの育成には時間がかかる。さらにはクリエイティブな才能は、簡単には養成できるものではない。アニメには一種の天才的能力が必要な分野(芸術)だからだ。

それを思うと、大きな損失だ。大打撃だ。日本の資産の損失は多大なののがある。一芸術分野の壊滅的な打撃と言っても過言ではないだろう。合掌!

<読書>

「木のものづくり探訪」西川栄明 創元社

=関東の木工家20人の仕事。現代活躍中の木工芸術家(クリエータ)の20人の仕事ぶりを紹介している。細密な仕事ぶり。粗削りながら的を射た細工。古典的手法と伝統を生かす。木材の年輪と色合いをモダンに仕込む、など。気の特徴を生かした芸術に、感激する。ボケ爺もできるなら、と言う気にさせる、心豊かになる一冊だ。

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2019年7月19日 (金)

池袋暴走事故の不可解

 東京・池袋で高齢者が運転する車が暴走した事故から、19日(今日)で3か月になる。旧通産省の幹部だった飯塚幸三元職員(88)が運転する乗用車が暴走して歩行者などを次々にはねて、12人が死傷を負った。その中で、自転車に乗っていた松永真菜さん(31)と長女の莉子ちゃん(3)が死亡してしまった。

 不可解なのは、12人もの死傷者を起こしたドライバーの「飯塚幸三」氏が、逮捕されていないことだ。何故だろうか?

 その後も、いろんな暴走事故が起きている。注意して見ているが、即逮捕が殆どだ。 例えば、21日には神戸市営バスが横断歩道上の歩行者をはねて、2人死亡、6人が重軽傷を負った。運転手の大野容疑者が「現行犯逮捕」されている。容疑は同じ自動車運転処罰法違反(過失致死)。

その差は何だろうか?どこにも説明されないし、今は、誰も大騒ぎをしない。何故か? 確かに、当初には、多くの人から疑問視されたが、その後はどうなってしまったのか?ボケ爺には疑問だ。当初の疑問が、飯塚氏が元高級官僚だったので、その忖度があった、との噂話はあった。それが本当らしい、と言うことで落ち着いてしまったらしいが。

 即、入院したからだ、が最もらしい、言い訳だが。それなら、退院した時に「後日逮捕」であろう。何故未だに逮捕が行われないのか?

 遺族らが、署名活動を起こしている。しかし逮捕されていない人に、「厳罰を!」と署名しても通じないだろう。こんな矛盾があっていいのだろうか?

 慰霊碑の前に、区長は「逮捕が先!」と言うべし。

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2019年7月15日 (月)

脳内異変

 今日は海の日、祝日で、三連休だ。ボケ爺はこの連休が3日以上続くと体調が悲鳴を上げる。通常の週二日(土曜、日曜)なら、まだいいのだが。何故か?

 最近では、月曜日の、体は不調、脳が不調(不能(脳))で、夕刻までうまく働かなく過ぎる。ましてや、3連休明けとなれば、最悪である。今日は、雨の中、散歩に出る。体を動かすことから、体と脳を活性化しようとする。むなしい作業と思いながら、どこまで回復できるのか?

 又、追い打ちをかける様に、声が出なくなる。2日間、あるいは3日間、声を出すことは無い。だから、月曜日は、少々、声が枯れる。そんな時電話がかかってくると、かすれた声で話しすることになる。火曜日には治るのだが。まして、三連休の、今日はかすれ声。カラオケで歌でも歌えば治るのだろうが、その趣味はない。後期高齢化を迎えて、このような事態が、特に、脳内異変には困った現象である。

 本は結構読むので、脳は活性化しているはずと思っていても、体調との調和を保つから、そう単純な事象ではない。困った調和だが。又、集中力には特に体調(体力)がなければならない事は経験済み。読書による脳の活性化治療には限界がある。

この歳での脳の活性化は、「読書ではなく、雑談」だ、と思うようになった。会社要件での交渉や、事務所での雑談や、居酒屋での隣合わせの雑談、などの、「しゃべった後」は脳がすっきりとする。要は「会話」が脳の活性化を維持してくれるものと確信するようになってきた。結論として、脳内異変の治療としては、積極的に人と話しする機会を作り「しゃべること」だと確信する。

<読書>

「学問からの手紙」宮野公樹 小学館

=時代に流されない思考、が副題だが。入門学問シリーズの第二弾である。「自分とは何か?」の問いから始まる。その「何か?」の疑問から、学習が始まる。学習をする目的は、「何か?」を解明するために、「学問がある」。そんな「学問に何か?」の真理が現れる、と説く。

 

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2019年7月13日 (土)

百日紅の開花

 ボケ爺の寝室の西方面に、小さな出窓がある。そのカーテンを開くと、ベッドから正面に百日紅の木が目に飛び込む。昨年の秋には、すべての小枝は刈り取ってしまう。今年も順調に、枝が成長している。その枝の先端に花を付ける。下の方の小枝の先端に、5輪ほど、淡いピンクの花が咲き始めた。

 百日紅はサルスベリと読む。初夏から、秋口までの100日間咲き続けることから、百日紅と書くそうな。完全に当て字である。

 久しぶりに朝方、薄日が注す日和で、気温も少々高い。急いで散歩に出かける。ボケ爺の近くには、甲州街道と平行に、品川街道が、京王電鉄を挟んで走っている。甲州街道はケヤキ並木(前の東京オリンピックに植えられた街路樹)。品川街道は、調布から東は、基本は百日紅の街路樹。その街路樹の百日紅も、開花し始めていた。百日紅の花の色は、数知れず存在する。白から真紅色迄。生物の不思議な一面である。しかも、当然かもしれないが、同じ木から、毎年同じ色の花が咲く。

 そういえば、近所に高齢者センターが出来て、その庭に、芙蓉が植えられている。春過ぎからすぐに1mほどに成長して、今頃から夏にかけて、花が楽しめる。この花の色も様々だ。大きな花はボケ爺の顔ほどにもなる。縮れ花もある。不断は工学に悩むボケ爺だが、ふと、生物の多様性の不思議さに感嘆する。

 ひまわりの成長が著しい今日この頃である。種が蒔かれた公園では、すでに、ボケ爺の身長を超えているものもある。竹の様に茎の中が空洞の生物の成長は何ゆえか早い。

<読書>

「きみのためのバラ」池澤夏樹 新潮社

世界の片隅でひっそりと起きている出会いと別れ。それぞれの状況は違う出会いであり分かれである。8つの物語、短編集である。この作家の作品は初めて読む。美文化であると思う。年上の女医と青年の奇妙は逢瀬。二度と会うことのない彼女への一輪のバラ。など。

 

 

 

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2019年7月11日 (木)

はやぶさ2の最後のミッション

 今日は、朝から落ち着かない時間を過ごした。10時過ぎに、は「やぶさ2」が「リュウグウ」に再着陸を試みる。以前に、地表を掘り起こした人口クレータの、ホンの僅かな円(直径7m)内にタッチダウンすると言う離れ業を試みるからだ。

 今か今かと待っていたが、1026分のニュースの一報で、1020分ごろに着地、鉱物採集に成功したらしい、と。1046分に毎日新聞より、JAXAから正式に成功した、はずだ、と。

 素晴らしい快挙となる。一度目の成功でも素晴らしいことだ。が、さらに人口クレータを作り、粉塵が収まるのを待ち、再び、しかも人口クレータ内の鉱物を狙い、成功したからだ。正直、ボケ爺は、失敗するだろうから、一回目の成功で帰還した方が好いと思っていた。

 だが、プロジェクトの人々はチャレンジをした。自信があったのだろうか?ここしばらく日本は「挑戦」、と言う言葉を恐れて20年が過ぎ去っていた。(バブル崩壊後)

 宇宙空間の飛行は、「三体問題(多体問題)」としてポアンカレが解けない方程式と証明してから、シミュレーショに頼ることであった。リュウグウ付近のはやぶさ2との交信には、1315分の時間を要する。つまり、指令を出しても、15分後でしか、命令は届かない。普通は遅れ制御となって、フィードバックは出来ない。多分、フィードフォワード制御を行っていたのだろう。あるいはバックキャストであったか?目隠し制御であった。

 又、これらの生成の制御に使われた動力が、イオンエンジンだったことも夢のある話である。通信メーカーであるNECの作品だと聞くのだが?

 無事に帰ってきて、採取した鉱物が、狙い通りの成果を上げてくれることを期待する。

 

 

 

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2019年7月 7日 (日)

やくざな喧嘩

 日韓貿易戦争の口火を日本から行った。トランプ大統領の米中貿易闘争をまねたのだろうか。厄介な「チキンレース」の始まりだ。

 安倍首相は、「やくざ」である。なぜか?政策討論会でも、選挙演説でも、必ず、相手の言うことに喧嘩を売る。その様子は「興奮」して、真っ向から相手を攻撃(野党の失敗、とか、あなたに言われたくない、とか)する。これを、日本では昔から「やくざの喧嘩」と言っている。品のある天下の首相は、自説だけを前面に押し出して、悠然と民意を聞く姿である。相手の意見に反論をすることではない。

 今回の韓国への日本製品の輸出抵抗は、なぜ、G20が終わってすぐなのか?「公平な貿易、透明な貿易」と議長国として提案しておきながら。他国は日本を信用しないだろう。もっと提案の仕方があったのではないか?つまり、なぜ、その必要性の理由を説明できることが、やくざではなく知恵者の考え方だ。

さらに、今回の韓国への制裁が、アメリカ経済に影響はないだろか?もし何らかの影響が出るとすれば、トランプ大統領は黙っていないだろう。

 日韓の関係は、慰安婦問題でも、強制労働問題でも、日本はどれほどの誠意を示したか、胸襟を開いてトップ会談を繰り返さなくてはならなかった。外務省レベルではダメなのだ。これで良いのか、日本の未来?

<読書>

「きのうの空」志水辰夫 新潮社

親族や、一族の、且、世代をつなぐ何らかの出来事が人としての繋がりに人情があり、しがらみがある。日常、よくある出来事の様で、複雑な感情、憎しみ、恨みを乗り越えて、人としての愛情が、解決できるほんのりとした人間者がたちの短編集である。派手ではないが、ジワーと伝わる心の温かみが伝わるのがこの作品である。

 

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2019年7月 6日 (土)

老々介護から

 老々介護に入ってから、3か月になる。そのために、朝の通勤電車を2本遅くして、帰りを、1時間早くしている。そこから見える風景が変わった。3か月の観察から分かったことは、少子高齢化社会の未来像が予測できる、と思う。

 通勤時間の真っただ中では、やはりサラリーマンで、男が多い、少し遅くなると、キャリアウーマンが増える。だが、朝の通勤電車をピークより2本ほど遅くすると、客の姿がごろりと変わる。

 若者の男女が、ラフでフリーな服装が多くなる。その中に、シニアや老人の背広姿、と、ダーク系のシニアや老女が入り乱れる。つまり、シニア、老人の客層が半分以上を占める。それでも混み合っている。そして、老人の男性はスマホが苦手らしい。ちらちら見て、フリをしている。シニア、老人の女性は、スマホでゲームを楽しんでいる。

 帰りの電車は、1時間も早くなるので、こちらは、老女が俄然多くなる。それでも、結構混む。席の取りが、巧妙だ。割り込みは当たり前。乗り換えに最適な車両では出口に近い扉に陣取るように工夫する。降りるときは、ぶつかり、蹴散らして自分だけ優先する。たくましいと言えば、そうなのだが?

 高齢者を減らすために、政府の考えは、70歳までは働かせようと考えている。2042年では、勤労者が6000万人から1000万人は減るという日本は、女性活用といって、高齢者の女性も働け、と。確かに、年寄りの同年代であれば確実に 女性の方が元気である。

 少子高齢化の日本は、どんな選択をするのだろう。

<読書>

「未来の年表」河合雅司 講談社現代新書

=人口減少日本でこれから起きること、との副題。これらの内容は、新しいことは無い。その解決策10の提案も、斬新ではない。ボケ爺の思うことは、先ずは、年金保障は必ず破綻する。100歳時代は来ない、何故なら、健康を維持するための生活費が破綻するからだ。清貧を幸せと思えるようにはならない。もっと恐ろしいことは、少子化した日本国が存在できるのか?空地は、多分、中国人が買い占めるだろう。九州は韓国が買い占めてしまうことを恐れたが、韓国は日本と同じの運命にあるから恐ろしくはない。日本の島々は乗っ取られる。さて日本国は無くなる?

 

 

 

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2019年7月 3日 (水)

久しぶりの大阪

 大阪への出張は、久しぶりだ。さて、3年ぶりか?名古屋までは、年に3回程度は出張しているのだが。

 朝、早々に切符を求めたが、一便早いのでは、B席(真ん中の席)しかなかったので、10分後の便にして、C席を指定すると、何と16号車であった。長い間、頻繁に新幹線を愛用していたが、初めての車両だ。親父が、突然現れる。「最前列と、最後尾には乗ってはいけない」、と。なぜなら、列車は、時として追突があるからだ。その時の被害の最も受けるからだ、が理由であった。親父は、70年も、60年も前の話らしいが、何度か目撃をしたらしい。ボケ爺は、亡き親父に、苦笑いを返したのだが。何故に、突然、親父が出てきたのであろうか?ボケ爺を三途の川へと呼んでいるか?

 新大阪駅のエキナカが大きく変わっていた。10年ほど前は、大阪城の近くのJR大阪環状線の「森ノ宮」の材料メーカにお世話になっていた。そこのファーストフォード店に入ってみたが店員は中国人のアルバイトである。店内の客は、中国語がうるさいほど飛び交っている。隣の玉造駅のカフェでも、中国人のアルバイト店員だ。お客に、中国人、と。この辺りは、過っては、鶴橋に近いので、韓国人が多かったのだが、中国人に乗っ取られたのだろうか?大阪の大きな変化なのだろうか?

 大阪駅構内は、目鼻立ちのいい外国人が大きな荷物を抱えて、右往左往している。東京よりも目立つ。新大阪駅構内も同様だ。

 待合室では、福岡へ帰る人達の、大雨を心配する話声が飛び交っている。今日の打ち合わせのアクションのメールを出し終えたので、帰ることにしょう。

<読書>

「自分中に毒を持て」岡本太郎 青春出版社

=あなたは“常識人間”を捨てられるか、の副題。かの有名な画家の「爆発だ!」の著者だ。迷ったら危険な道に掛けろ、とか、好かれる奴ほどダメになる。自分を切って、改革せよ。政治、経済、人間の三権分離で人間とは芸術だ。自己がある限り、他者とは意見は違う。違う意見を大切にせよ。他人に迎合するな。自分に責任をもって、自己否定をし続け、挑戦を繰り返せ。もっともだが。

 

 

 

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2019年7月 1日 (月)

下半期の始まりは雨

 今日から、下半期の始まりだ。が、通勤電車は常とは変わらない。幸いに、今日は遅延がなかった。日本では、年度決算が多いだからだろうか?

 朝から大粒の雨が降ったり、止んだり。そんな中、アジサイは元気である。雨に濡れた花は瑞々しい。今日も、明大前から渋谷まで、井の頭線に乗った。常に思うのだが、東京広しと言えど、井の頭の車窓は、楽しめる路線である。

 住宅の間の狭い軌道内をくねる様に、ぬうように走る。ここまでは、他の路線とあまり変わらない。しかし、やや軌道の幅は広いところがある、その理由は東京の土地に谷あり山ありの地形であるからで、軌道の敷地に坂が出来るからで、そこに、いろんな雑草や木々が季節折々に咲く花が愛らしい。又、そこには住宅の庭の借景が路線に馴染んでいる。

 特に、梅雨時、アジサイはけっこう沢山の花、花と長く続く。特に今日は、雨に濡れたアジサイの色気は、艶めかしい。渋谷まで、飽きることがない。

 夕方5時半の新宿の高層ビルは霧で、霞んでいる。幻想的な光景だ。伸びた欅の街の新宿は、湿っている。都会のオアシスだ。

<読書>

「藤田嗣治」別冊太陽編集 平凡社

Leonard Foujitaでフランスと日本で活躍した画家である。副題に「腕一本で世界に挑む」となっている。独学で、孤独に、コツコツと絵の世界を追求してきた。その生涯を紹介している。ボケ爺は、なんといても、「カフェ」の大理石の肌の美女が憂いに富んだ眼をして頬杖をしている画風は、心に刺さる。晩年はフランスで過ごしキリスト教(カトリック)の洗礼を受けて宗教画をささげて、終わる。ある意味壮絶な人生だ。

 

 

 

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