高齢者車事故
日本のシンギュラリティは、もう30年前に訪れている、と宣うのは、新進哲学者で、新存在論を提唱する、マルクス・ガルブレイスである。日本は特に、都市化が際立つ、と言う。
都市化、そこには人工物で一杯である。自動販売だって、我々は機械に命令されている。溜池山王駅にある、銀座線の外装の自動販売機は、どうでもいいことを鬱陶しくしゃべる。東京の電車網だって、JRから私鉄、それに地下鉄、と賑やかである。何処行くのも、事前に乗り換え方、時間に支配されている。うっかりはできない。深酒で、乗り過ごすことはあっても。その行動には目的以外で、偶然の発見や、自然の風景に驚くことは皆無である。時間に追われている。
最近は、交通事故、しかも、運転ミスによる人身事故が際立っている。高齢者が多い。つまり、車と言う機械に支配されて、脳が操作法をマスターする余裕がなくなる。人の動作は全て、脳が手足の動きを支配している。脳がさぼると手足もさぼる。年寄りの脳は、機械に支配されて疲れている。否、誰もが疲れている。だから、「自然物の脳」は時々ボーとしたくなる。だが、都市化はそれを許さない。
昨日、新横浜で年寄りの運転を見た。駐車場の入り口に留めて、誰かを待っていたのであろう。その前後に、他の車も停車していた。その駐車場を使いたいだろう車がクラクションを鳴らす。その老人運転手は、手を挙げて、「済みません」と挨拶。だが、中々発進しない、パネルなどを忙しく操作している。又、クラクション、又、済みません、と。3~4回繰り返す。やっとエンジンが作動、右の車線に出たところで、後続の車に接触。事故だ。その間5分か?年寄りはボーとしていたところに、急な事態が発生。脳は対応できない状態だったのだ。これが人工物に支配された脳の一面だろう。
<読書>
「ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?」 養老孟司 扶桑社
=脳化社会の生き方、が副題。だが中身は、かなり違っている。自然を取り崩した人口社会、つまり都市化する社会に、著者は警告する。人口社会(都市化)は、すべてが有目的化されている、つまり意識しなければ生きていけない。果たして人はそれに追従できているのか?無意識を意識することだって脳である。人間とは、脳で考える、事もあれば、体で感じることもある。都市化は、体で感じ、無意識に過ごせることは許さない。ボケ爺の結論は、「体で感じる、何か?」が、無意識な意思を生む。これが自然であり、それを許さない都市化(人工化)は、有目的の機械(人工物)に使われて、多くの生物が滅びたように、「人も滅びる運命(疲れ)をたどりそうだ、と。
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