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2019年6月30日 (日)

半年が過ぎる

 2019年の半年が、今日で過ぎる。朝から小雨、雨雲が垂れ下がっている。なんだか、今年の後半もいいとは言えない予測ができる。

 先実から、ここ東京は雨が降り続くだろうとの予想だったので、伸びた木々の剪定をあきらめてしまったが、霧雨程度であったので、思い切って実行していればよかったと後悔している。

 初までの乾燥時期が長かったために、2本の木が枯れてしまった。が、その後の長雨で、木々は生き生きと、伸び伸びと勢いよく成長している。実篤公園の林も、うっそうと生い茂っている。孟宗竹は、すでに伸び切ってしまっていた。池では、鯉とカメが悠然と泳いでいる。だが、小鳥の鳴き声は、全く聞こえない。

 G20が終わり、気になることは、共同声明には関心がなくて、各国の個別問題の会談に熱を上げていて、各論の調整に忙しそうだった。トランプ大統領は、キム委員長との会談の茶番劇を演じて、中国、ロシヤに、それに大統領選挙にアピールしていた。中々、劇場つくりには長けた人だ。日本は、首相や、外務省はどんな信念と戦略を持っているか?

<読書>

「暁天の星」葉室麟 PHP研究所

201712月に亡くなられた。未完の作である。明治維新の外交政策の、否、日本で最初の外国との戦争である日清戦争の意義は何だったか?を。坂本竜馬を師と仰いだ陸奥宗光の外務大臣の行動記である。日清戦争が、諸外国との不平等条約の解消のためだったとは?江戸末期から約25年で海外と戦争をする日本は誰もが無謀だと非難したが、大義名分があった、と?藤沢周平の後継かと思いきや、司馬遼太郎の後継者でもあったのだ。 

 

 

 

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2019年6月28日 (金)

「京大変人講座」

 「京大変人講座」酒井敏、ほか 三笠書房、を読む。ボケ爺も「変わり者(変人)」と言われて久しい。今はボケてしまって、すっかり変人が真面に見られるらしいが?

 若かりし頃、京大の最強の変人と言われて有名人の「森毅 教授」の著書を読んで、憧れた。だが「変人」になるのは容易なことではない、と悟った。京大の天才の最強の天才の「岡潔 教授」の著書を読んで、「哲学の道」を散歩した。散歩すれば、「アイデアが生まれ、解が浮かぶ」を凡人のボケ爺は信じた。だが、当然に凡人には出来ない、自明だったのだが。京大には、霊長類研究所がある。ここ出身の先生方の本も、又、愉快だった。

 「京大変人講座」は実に愉快!創造性には、この変人的要素が必須!と悟る。

1:地球学;地球は毒ガスに満ちた「奇妙な惑星」=>地球の成り立ちは奇跡の研究

2:経営学;なぜ鮓屋のおやじは怒っているのか=>「おもてなし」は経済合理性に相いれない、の研究

3:法哲学;人間は「おおざっぱ」がちょうどいい=>不安と共に生きて耐えることこそが、ワクワクして生きるための秘訣の研究

4;社会デザイン学;なぜ、遠足のおやつは「300円以内」なのか?=>「不利益」は「社会の豊かさ」を考える手本である事の研究

5:生物学;ズルい生き物、へんな生き物=>変人(はみ出し者)が進化のチャンスを作るか?の研究

6:予測学;「ぼちぼち」という最強の生存戦略=>あまり計画的に生きることは、徒労。「ボチボチでっせ」が好い事との研究

<読書>

「京大的アホがなぜ必要か」酒井敏 集英社新書

=カオスな世界の生存戦略。アホ(無駄を好む)は人類「生き延びる」には必然である、と説く。この世は予定調和はなく、予測不可能である。生物は多様性の変化に耐えてきた。そこには無駄で、非効率がある。人間の社会も生物の多様性的な生き方が必然だ、と説く。「選択と集中」を続ければ必ず滅びる。世はカオスであり、フラクタスであるが結論である。イノベーションは「ガラクタな知識と行動」が生み出す。好奇心の「面白い」が一番有効だ、と。

 

 

 

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2019年6月23日 (日)

漱石コード

 ダビンチコードが数年前に騒がれたが、漱石にも作品にもたびたび漱石コードが見え隠れする。これが漱石の恐るべき創造力のすごさである。

その中でも「坊っちゃん」が最も色濃く出ている。一般に、坊っちゃんは、青春小説ともいわれている。だが、隠されたコードを読み取ると、何と風刺小説となる。

日本は、江戸(徳川時代)から明治維新へ歴史は動く。山嵐(堀田)が「会津出身」で佐幕派である。戊辰戦争で会津は敗れる。「敗れた江戸は過去の世界」「勝ちの明治維新は近代」との図式でもある。漱石の留学体験の、英国の産業革命から生まれる格差社会を輸入した日本近代化の危うさの実情を批判したかったために仕掛けられたコードの一つである。さらに、この小説の中には秘められた記号がある。

1)坊っちゃんの松山での宿泊先の山城屋の雅号は、山縣有朋陸軍大尉が金儲けをしていた時の悪徳の商社「山城屋」と同じ。

2)坊っちゃんらの散歩の途中で松が話題になる。山縣が京都に無隣菴を作り「松」2本を植え、「天皇の松」と、権力の象徴に利用した。

3)赤シャツの「マドンナ」は、山縣が囲っていた妾、芸者出身の「貞子」を指している。

つまるところ、校長の狸が「山縣」、図学の教師の野だいこが「桂」、教頭の赤シャツが「西園寺」、そのコードは、日露戦争の張本人たちへの批判が隠されていたのだ。

「坊っちゃん」は小説としてあまりにも凝り過ぎている。一種の失敗作か?それとも、漱石の創造力の豊かさを見せつけられたのか?だが、ボケ爺は漱石を愛す。

<読書>

「太宰治の辞書」北村薫 創元推理文庫

ダボハゼで本を読んでいると、良書に当たる、とはよく言ったものだ。久しぶりに感激した。①実に、文章が軽妙な文章。②実に、微に入り細に入り気が付くものだ。③実に、多読であり、記憶力が良い。など。ボケ爺は、文面から作者は男性だと思っていた。読み始めて、「軽妙な文章」は、女性でなくては展開できない(女性の井戸端会議的)、と確信した。すると、文中で、「私の婦人」と暴露する。なるほど、すべてが氷解、この作品は女性でなければ書けない、と。さらに得られたのは、「芥川、太宰の発想力の魅力」の発見である。

 

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2019年6月19日 (水)

高齢者車事故

 日本のシンギュラリティは、もう30年前に訪れている、と宣うのは、新進哲学者で、新存在論を提唱する、マルクス・ガルブレイスである。日本は特に、都市化が際立つ、と言う。

 都市化、そこには人工物で一杯である。自動販売だって、我々は機械に命令されている。溜池山王駅にある、銀座線の外装の自動販売機は、どうでもいいことを鬱陶しくしゃべる。東京の電車網だって、JRから私鉄、それに地下鉄、と賑やかである。何処行くのも、事前に乗り換え方、時間に支配されている。うっかりはできない。深酒で、乗り過ごすことはあっても。その行動には目的以外で、偶然の発見や、自然の風景に驚くことは皆無である。時間に追われている。

 最近は、交通事故、しかも、運転ミスによる人身事故が際立っている。高齢者が多い。つまり、車と言う機械に支配されて、脳が操作法をマスターする余裕がなくなる。人の動作は全て、脳が手足の動きを支配している。脳がさぼると手足もさぼる。年寄りの脳は、機械に支配されて疲れている。否、誰もが疲れている。だから、「自然物の脳」は時々ボーとしたくなる。だが、都市化はそれを許さない。

 昨日、新横浜で年寄りの運転を見た。駐車場の入り口に留めて、誰かを待っていたのであろう。その前後に、他の車も停車していた。その駐車場を使いたいだろう車がクラクションを鳴らす。その老人運転手は、手を挙げて、「済みません」と挨拶。だが、中々発進しない、パネルなどを忙しく操作している。又、クラクション、又、済みません、と。3~4回繰り返す。やっとエンジンが作動、右の車線に出たところで、後続の車に接触。事故だ。その間5分か?年寄りはボーとしていたところに、急な事態が発生。脳は対応できない状態だったのだ。これが人工物に支配された脳の一面だろう。

<読書>

「ヒトはなぜ、ゴキブリを嫌うのか?」 養老孟司 扶桑社

=脳化社会の生き方、が副題。だが中身は、かなり違っている。自然を取り崩した人口社会、つまり都市化する社会に、著者は警告する。人口社会(都市化)は、すべてが有目的化されている、つまり意識しなければ生きていけない。果たして人はそれに追従できているのか?無意識を意識することだって脳である。人間とは、脳で考える、事もあれば、体で感じることもある。都市化は、体で感じ、無意識に過ごせることは許さない。ボケ爺の結論は、「体で感じる、何か?」が、無意識な意思を生む。これが自然であり、それを許さない都市化(人工化)は、有目的の機械(人工物)に使われて、多くの生物が滅びたように、「人も滅びる運命(疲れ)をたどりそうだ、と。

 

 

 

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2019年6月16日 (日)

老後資金「2000万円」不足

 残念ながら「老後資金2000万円必要」は歴然とした現実である。国会で、麻生太郎財務大臣が、報告書を受け取らない、と嘯いている。自分の諮問会議の報告書を受け取らない、何とも詭弁が通る政府機構の世界だ。又、これを国民は黙ってしまう無責任な社会になってしまった。

  先ずは、問題点を整理しなければならない。野党が言う「100年安全な年金」とは、誰にもばらまいて、誰もが、年金で老後が送れる、との根拠は何処にも無い。100年間は年金運用で、「安全に運用」する、事である。だが、ここにも落とし穴がある。安全運用とは、現状の資本金から赤字を出さない?とか、何%の利益を生み出す?とかは何処にも書かれていない。つまりロジカルではない、どうにでも解釈はできてしまう。

  国民としては、厚生省が2017年に、公表している不足5.5万円/月は、暗黙の了解なのだ。今回の諮問会の審議で、この年金不足を、どうすることが良いのか、と議論を促している。税金増か、年金納入額を上げる?などなど。

 ボケ爺も、子供に頼らない老後を考える年になって、いろんなカタログを見るが、2000万円で済ませることはできない。介護付マンションでは、マンション代は別としても、一人当たり月々の食事代は12万円平均、二人なら24万円、これで既に破綻だ。

  6大学のエリートの卒業生の雑誌(学士會会報)の中の老後マンションの広告では、さらに高額となる。高級官僚は高額なマンションを購入して、高額な食事代が出せて、医療費も賄える。そんな貯蓄(退職金、天下り、の繰り返し)が出来るのだろう?

 よって、年金の資金不足の議論は真剣には進まないことは当然と考えられる。

<読書>

「科学する心」池澤夏樹 集英社インターナショナル

著者は、大学で理学部に在籍していた、との事で、科学には並外れた知識量だ。科学関連の知力を活用して、各種の社会で起きる事件に鋭く食い込んでいる。その内容は想像以上。ボケ爺の技術家では太刀打ちできない論理力である。いわゆるリベラルアーツの第一人者であろう。

 

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2019年6月15日 (土)

一日中の雨

 今日は朝から雨模様。天気予想では、一日中降り続けるとの事である。習慣(ルーティーン)としている散歩は、雨靴を持っていないので、止めにした。しかも、昨夜は、焼酎を、一気飲みを繰り返して、帰宅が12時前であり、疲れていたので、持病の「怠け癖」が兜を持ち上げた。

 ボケ時の部屋からは西向きに出窓がある。そのカーテンは普段は締め切っている。だが、フト何の気もなく開けて外の風景を眺めた。当然に結構強い雨足が見える。雑草にまみれたアジサイの木から一輪だけ元気に咲いている。何上か、このアジサイは、年に一輪か、二輪だけしか、咲いてくれない。どうして遠慮しているのか、理解できていない。きっちりと剪定をしてあげているのだが。きっと相性が悪いのだろう。

 1階のボケ爺の部屋と2階のリビングを行ったり来たり。リビングでは紅茶を飲みながら、ボーとTVのニュースを見る。安倍首相の面目丸つぶれだ、それは、イランの日本船の攻撃?外交は素人だった、と暴露してしまった残念な安倍首相。など思いながら、居眠りをしているボケ爺は、昨夜の避けも残っているのか、本当にぼけてしまっている。

 サツキの花は終わりに近い。来週の土曜、日曜には、剪定しようか?と、又居眠り。

<読書>

「表の顔と裏の顔」幸田真音 小学館

経済小説家の著者が、コラムをまとめた本を出版。期待して読んだのだが、少々期待外れである。表の顔は経済関連の数字を題材にコラム化している。裏の顔は著者自身の日常の所作のコラムである。「苦みがない」「嫌味がない」。だが一か所だけは、気になった。①アメリカではM&Aは芸術だ!―>組み入れ方の戦略がアートだ。 ②磨き過ぎてはいけない!->磨き過ぎると主張の勢いがなくなる。滑らかさよりも「ごつごつ感」が良い。③一生懸命に「適量」がある!->何事にも過多はいけない。集中する時間に限度がある。即断即決も又妙である、との経験談。

 

 

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2019年6月14日 (金)

お役所仕事?

 幼児や、幼少の児童の虐待が目立つ。何とも悲しいニュースだろう。そこに、記者会見が行われる。「そこまでとは気が付かなかった」「配慮が足らなかった」「警察との認識違いでした」「役所間の伝達不十分でした」「縦割りの連絡ミスです」など言い訳は決まっている。

 そこには、「無責任と、責任逃れの言い訳」と、誰もが気が付くし、怒りを抱くのだが。当の本人たちは、その後、平然と地位の降格もなく、給与も減額もなく、平然と勤めが継続出来ている。民間の企業とはまるで違う。これがお役所仕事?

 同じことは、「虐めの検証の言い訳会見」も同じである。ここでは、担当教員は一切、会見に現れないことだ。「校長、あるいは教頭が代弁」する。「教育委員会は証拠を隠蔽する」ことに躍起である。その言い訳や、限界を聞いて、お役所仕事だな、とため息がでる。

 だが、教育の場で、「教員が責任を取らない」ことは教育を放棄していることと同じだ、と思う。未来のある学徒に、示しがつかない、「世の中は無責任で良いよ!」と教育していて、後ろめたさが無いのか?日本の未来に暗雲が覆っている。

<読書>

「集中力はいらない」森博嗣 SB新書

集中力を必要とする場面は、作業や、その効率化だから、そんなのはいらない、と嘯く。本当か?考えることは、分散であり、拡散事象だと言う。もっともだが。その「考える」何かの創造する作業にはやはり集中力は必要だとボケ爺は思う。カフェで、周りの雑音が消える、するとそこに、あれやこれやの思考回路が生き生きと作動する。だが、その場では決して答えは出てこない。答えは、忘れたころ、ふとした時に生まれる。集中した時の思考が、想像を生むことが多いことはボケ爺の経験から明らかだが。なんと言っても、集中力は要る。

 

 

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2019年6月 9日 (日)

老眼が始まる

 ボケ爺は、今まで近眼であった。後期高齢者の仲間入りを前に、残念なことに老眼が進んできた。今はそれほど重傷ではない。

 17歳の時から、近眼の眼鏡を調達するようになった。高校時代は、あまり勉強しなかったにもかかわらずだ。近眼は勉強のし過ぎとは無関係だ。DNAか?体質だろう。

 それから、何度か、眼鏡を壊しては買い替えることがあった。その度に、近眼の進捗を測るが、更新は無かった。多分45歳の時だったかで新調した時、近眼が進んでいることが分かり、新たな度数のレンズとなった。

今年に入って、思い切って新調したが前回と度数は変化なかった。だが、ここに来て、PCの画面を見る時、眼鏡をはずすとよく見える。又、文庫本を読む時に、離さなければならず、満員電車の中ではスペースの関係上、場所取りが上手く出来ない。

 そこで、5月ごろから、眼鏡を常時外すことにした。イメチェンに乗り出した。だが、誰も気が付かないようだ。年寄りには、誰も気を留めてくれない悲しさがある。

ただ、先日の中国の出張時、自動出国手続きで、承認されない。係員が飛んできて、「眼鏡は?」と聞かれ慌てて装着。無事に通過できた。画像認識ではボケ爺の老人顔でも眼鏡は認識してくれる。

眼鏡をはずすが、基本は近眼である。風景はぼける。遠くの文字は読めない。女性の顔もはっきりとはしない。だが、これがなかなか好い。女性への関心が薄れる。その他の風景や、乱立する看板にも無関心になる。すると、周りの動きが、全く気にならなくなってきた。ボーと、のんびりとできるようになった。つまり俗人から聖人になったのだ。これが老人の下り坂の安全な歩み方なのだと、今更ながら感心する。

<読書>

「初春の客」平岩弓枝 文芸春秋

=御宿かわせみ傑作集、かわせみシリーズの厳選の9編である。江戸市中シリーズ。この作家の特徴は、ミステリーであり、捕物があり、人情が、恋の物語が、穏やかに、流れるように展開されることにある。武士の父の亡き後の武家を継ぐことなく、宿の女将に変身した「るい」の恋が各篇の主題と並走して流れる。切ない恋の物語でもある。派手な立ち回りはない分、心は穏やかになる。

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2019年6月 8日 (土)

妄想で妖しい日

 昨夜の雨も上がり、曇り空が梅雨入りを証明する。朝の散歩に、大地主の側道を通う。そこに、一坪ほどの神棚がひっそりと置かれている。ボケ爺が引っ越してから在るので、随分と古い。誰も手入れはしていないようだが、雑草に覆われている。その雑草に、夕顔が十輪ほど咲いている。

 ボケ爺の玄関先の雑草の中の夕顔は、一つ二つ程度だが、ボケ爺の心を癒してくれる。だが、十輪ともなると、その光景は妖しさを伴う。しかも神のご加護もあることから。

 夕顔は、朝顔の派手さから、捨てさられ無視されるのだが。淡いピンクの色合いは、上流作家の濡れ場の肉体の上気の表現として記される。源氏はこよなく、ゐたく夕顔を愛し続けたことだろう。もしボケ爺と通じる夕顔の妖しさが源氏に宿り、通じているならば、源氏が夕顔に溺れていったことは想像に難い。

 アラブの千夜一夜の妖しさとは違い陰と陽の関係となろう。勿論、ボケ爺は陰の夕顔を好む。

 こんな気持ちで散歩するボケ爺は、今日は少々変である。街路樹のサツキの一角が枯れている。よく見れば、枯れ枝に苔がしがみ付いている。枯れたから苔が宿ったのか?苔が宿ったからツツジが負けてしまったのか?生物の多様性に、今更考えさせられる。余生で、興味のある苔の栽培でもしてみようかとも思うのだが、余生短き年寄りは、持ち物を増やしては、あと始末に困る子供たちの顔が浮かぶ。想像の中で余生を過ごすことが、みんなに迷惑を掛けない方法だ。変な考えを払拭して散歩は終わる。

<読書>

「蘭の影」高樹のぶ子 新潮社

女にとって年齢(40~50歳)の時期の女の心や体は、ふとしたことで揺らぐらしい。その揺らぎは、人や状況でいろんな事態がおこる。それらの短編集である。ときめきあり、切なさが表に出たり、体の奥がざわめいたりする。官能の表現では、「ぴくぴくと」、「突き上げる」、「体が震える」、「押し寄せる波」、「甘やかな感覚」、「ほんのりと色に染まる息づかい」、とか、女性作家特有の表現が参考になる。

 

 

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2019年6月 7日 (金)

欲望の日本社会

 <読書>「マルクス・ガブリエル 欲望の時代を哲学する」 丸山俊一 (NHK出版)NHK BS1スペシャル「欲望の民主主義」「欲望の資本主義」のエッセンシャルである、を読む。ボケ爺には難しく、遅々として進まなかった。

欲望は民主主義の実態を捻じ曲げる、資本主義は差別を拡大する、と言うことか?人間社会は、欲望の拡大で、大きな変革が起きている、と「新実在論」哲学者のガブリエルは訴える。彼は、「知の整体師」であり、「臨床哲学」を切り開いている。世界では天才哲学学者と言われているようだ。

日本は30年前にシンギュラリティ―を迎えている、と驚く。電車の正確な運用、つまり正確な機械に操られている、と言うことらしい。自動販売機にも。渋谷のスクランブル交差点は資本主義の欲望が渦巻いている、原宿然り、秋葉原然りと。さらには大型の看板も然り。

シミュレーション社会の日本、イメージをシミュレーションすることに支配されている。例えば、「おもてなし」ができる人間が正しい、美しいと強要されている。などなど。世界から見れば日本は狂っている? 皆様も考えてみよう。

日本の民主主義は2層に分断されている。一つが民主政治のベールを被った官僚的ルールに従わされている。一方では民衆は民主主義を、多数決的大衆に迎合することへ誘導されている。日本人はそれでも反発しない、世界で稀な人種と、なかなか手厳しい指摘である。

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2019年6月 4日 (火)

日本のAI人材

 何度も同じような課題を書いて、読者にとってイササカ食傷気味ですよね。しかし、これを解決するためにどうすべきかの提案を繰り返し出張しておきたい。日本の未来のために。

 ソニーは、デジタル人材の報酬を二割ほど増やすそうな。やはりAI開発の遅れが心配らしいが。増やしても2割程度では、世界から大幅に出遅れている。アメリカでは、優秀な人材は、上限がない。

 AIの人材はトップクラスの半数はアメリカに手中している。日本のAI関連の人材は、アメリカの4%程度である。それもディープラーニング関連では1%に満たないだろう。当然ながら、英国や中国にもかなり劣る。そして、レベルとすれば、5周回の遅れであろう。日本の学界の人工知能の集会には出席するが、ボケ爺は、よく理解できないけれど、それだけを観れば、盛んな方だと思ってしまう。

 その大きな遅れは、海外、特にアメリカに出かけて知能を学ぶ姿勢に欠けている。日本のSW教育(コンピュータサイエンス)が極めて貧弱なことも関係する。大学で始動できない。残念ながら各企業は、M&Aで俄か補充を考えるだろう。

 なぜ、AI人材が必要かは、当然わかるでしょう。金融、医療、製薬、セキュリティーなどの最先端技術が脅かされるからだ。しかも、かなり高付加価値の産業ばかりである。出来上がった製品(AIの装置(キット))を買って導入すれば良いと思っている人がいるだろうが、とても買えるレベルの製品ではない。高額で競争力は無くなるだろう。

 AIでも「機械学習」技術程度なら、ロボットへの適用にカバーできる。機械学習のSWなら、日本は強い。だが、防衛、テロ対策では難しい。やはり、日本はモノつくりから脱却できないのだろうから、得意を伸ばすことに集中すべきだろう。

 さて、アーキテクチャー技術や、ディープラーニング技術のコンピュータサイエンス者の育成にどのような方法があるのだろうか?

 

 

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2019年6月 3日 (月)

漱石の女性像

 漱石の発想法を研究している。ある業界紙にコラムを依頼されてのことだが。「漱石のビジネス脳」と「漱石の創造性」である。月一回で、約3年になる。

 阿刀田高は、漱石の文豪としての能力は高く買っている。しかし、漱石の女性の軽視には腹が立つようだ、だから、漱石の人格を否定している。

 本当にそうだろうか?江戸から明治にかけて女性の社会進出は、主張する女性へと変化。それをいち早く小説に登場させて、「男・女・男の三角関係」から、女性の立場の向上を賛同するかのように男女関係をテーマにしている。多くは、強い女性を主人公にして、男が翻弄される物語が大半を占めている。

 漱石には、気になる女性は5人いたという説がある。嫂であり、京都のインテリ芸者であり。総じて美人である。だが理想とする女性像は、別にあるようだが。

「色の白い割に髪の黒い、細面の眉毛の判然(はっきり)映る女である。一寸見ると何所となく淋しい感じが起こる所が、古版の浮世絵に似ている」。「美しい線を奇麗に重ねた鮮やかな二重瞼をもっといる。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据えて凝(じっ)と物を見るとき、大変に大きく見える」。は、「それから」の美千代である。

「・・頬は何時もより蒼白く自分の眸人(ひとみ)を射た。不断から淋しい方靨(かたえくぼ)さえ平生(つね)とは違った意味の淋しさを消える瞬間にちらちらと動かした」。「・・・その唇の両端にあたる筋肉が声に出ない言葉の符号(シンボル)の如く微かに顫動(せんどう)するのを見た」。「行人」のお直(嫂)でる。

 漱石にしては最もエロチックな表現は、「昔美しい女を知っていた。その女に後ろから頸筋(うなじ)をなでて息を吹きかける」。女を感じさせるシーンがある。「文鳥」から。

夏目漱石の作品はそれぞれ奥が深い。まだまだ研究すべきことが多い。

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2019年6月 1日 (土)

AIで無くなる仕事

 今日は朝から薄曇り。散歩に出かける。野川は至る所で、のり面(散歩コース)の草刈が行われている。使われているのは乗車タイプの草刈り機である。汗をかきながら作業されている人は老人と言える人々だ。

 ふと、AIで無くなる仕事、の一つではないか?否、このような作業は無くさなければならない、それが技術開発だろう、と思うのだが、すると年寄りのアルバイトがなくなるのだろう。それでいいのか?

 昨日の脳外科での診断でも思う。放射線画像の解析は、放射線技師にAIの補助を供給すれば、医師の判断の90%は賄えるのではないか、に思える。放射線画像だけではなく、例えば、超音波画像診断、血液検査データでの判断、あらゆる検査機器の取り扱い技師にAIがサポートされれば、その結果、取り扱い技師で、70~90%は判断で状況は判断できる。

 ならば、医師よりも、検査機器の技師の方の地位の方が高くなり、報酬が多くなる日が間近迄進んでいることになる。医療界も大きな変化が起きそうに思えた。

 恐るべきは、AI(ディープラーニング)の進化だ。再生医療の進化も医者ではなく、細胞の培養技師や、薬剤師の報酬の方が医師を抜くであろう。

 確かに、AIの進歩で、仕事の重要度や、報酬額もすっかり変わる時代が間近に迫っている。ボケ爺の孫に、未来の進路を何といえばいいのだろう。

<読書>

「凛冽の宙」幸田真音 講談社文庫

バブル後の日本の金融界の現実を描いた小説。不良債権の回収に走る銀行、その不良債権を狙って外資系金融関係の企業が、それに群がる不良債権肩代わりの「ハイエナ」の一部を描いている。ずれかはつぶれる。その付けは、預金者であり、税金である。この負担は我々に今も引きずっている。

 

 

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