千利休で考える
突然に千利休を持ち出して、「ボケ爺、遂に狂ったか!」と言われそうだが。前にも話したように、イノベーションとは何か?を生涯の課題としている。
その中で、イノベーションに必要な作動(作業)として、「抽象化」作動が必要だ、と考えている。今までのイノベーターは、多分この作業に優れた能力を備えているのでは、気になっている。日本人がなぜ、今日、イノベーションに後れを取っているのか?明治維新や、戦後復興での日本人は「物まね」が巧いのだ、と言われながらも、実用段階のイノベーションは現実に存在していた。
だが、今日、日本人のイノベーション力は世界から見ても下降している、と評価されている。なぜだろうか?そこがボケ爺の課題である。
日本人の抽象力は高いと思っている。千利休が冴えたる人物だ、とも思う。イノベーターの代表選手である。「詫び、寂び」=「無言の前衛」だ。には、皆様も賛同される、と思っています。江戸時代の浮世絵、明治維新での画家たちも。
前衛は、絶えず変化を求めて走り続けなければ、前衛とは言われない運命なのだ。変化を求めて走り続ける悲哀が、そこにはなければならない。そこには、「スピードとエネルギー」が必然として必要だ。疲れる、そこには「一期一会」を飲み込む勇気が必要だ。
だから、無言のスピードとエネルギーの持ち主の利休は、それを恐れた秀吉に殺(切腹)されてしまった。
さて、今の日本はどうだろうか?太平の今日、「形式美」すなわち「管理された教科書」を学び、管理されることに満足する「マゾヒスト」を快いと感じている。
前衛という先頭を走る勇気をなくしてしまったのではないだろうか?
<読書>
「千利休 無言の前衛」赤瀬川原平 岩波新書
千利休を路上の前衛化の赤瀬川原平が評する組み合わせが、何が飛び出すか?楽しみだ。ところどころ脱線するが、急所は鋭い。イノベーターの研究には十分な示唆に富んだ評論がある。満足な一冊である。だが、奥が深い。
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