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2019年3月30日 (土)

老老介護

 桜の満開時期である。が、ボケ爺の住んでいる地域の桜は、まだ満開とまでには至っていない。開花も遅れていた。都心と比べて、最低気温が2℃ほど低いからだ。

 

 だが、ボケ爺はここの所、精神的にまったくの余裕がない。一つには仕事が忙しいこともあるが、連れが左手首を複雑骨折して、家事が出来なくなってしまったからだ。歩いていて転倒時に左手を先につっかえに使ったようだ。どこに文句をぶつけることができない。その分ボケ爺に当たってくる。なんと、2時間ほどの手術だというところ、4時間以上にも及んだ。チタンの添え木を骨にボルト締めしたのだが。

 

 その後、毎日、食材の買い物、食事を作ることになってしまって、約一か月。疲れました。学生時代は、基本的に自炊していたので、食事を作ることに格別抵抗は感じなかったが、今回は全く違った。

 

 わがままに育った連れは、美味しくなかったら露骨に顔に出す。同じものが続くと嫌味を言う。何とか美味しく作る、目先を変えて同じものが続いていない工夫をする。これは「イノベーションだ」、と気付く。

 

 料理は、まさしく「イノベーションの宝庫」だ。味付けの方法、火加減(煮る、焼く、揚げる、炒める、蒸す)、材料、水量あるいは油の量、それに、いかに簡単(短時間)に作れるか?パラメーターは無限となるが?

 

 そうなると、AIを使って調理機のイノベーションは今後の家電の一大市場となるであろう、と実感できた。さて、ボケ爺の経験をAIに埋め込んで、イノベーションを生み出せるか?これからだ。

 

<読書>

 

「料理の四面体」玉村豊男 中公文庫

 

ボケ爺は「料理はイノベーションそのもの」だと思っている。早く、簡単に料理が出来て、且、美味しくなければならない。中国の友人は、食事をする時に、必ず言うことは、中国4千年の歴史の中国料理は奥が深い、と。イノベーションは、定義、定理化でき、「抽象化」することである。そこでこの本に出会う。四面体で考える、と。底辺は水・空気・油、頂点は「火(火加減)」具材をこの4つのパラメーターで、調理するという。なるほど、だが、これでバラエティが豊富で、美味しい料理ができるとも思えない。抽象化に今一歩である。が、抽象化のきっかけになる。

 

 

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2019年3月23日 (土)

花冷え

 桜の開花が届く。昨日の17時ごろ、東横線の中目黒の駅から見える目黒川の桜並木を、車窓から見下ろすと、一週間ほど前から提灯で飾られた桜の古木は、一割程度の開花になっていた。その近所の居酒屋は、金曜日とあって活気に賑わっていた。

 今日は、寒い。花冷えとなった。ボケ爺の町内の八班の南端の古木桜は、まだ蕾だった。実篤公園の桜も開花はまだである。散歩に出た野川の桜も、まったく開花の気配はない。都心よりも幾分、気温は低い。僅かだが雨が降ってきた。

 日本の凡人は桜を愛でる。淡いピンク、はかない花の命に哀れを感じるのだろう。この「哀れ」と言う言葉は古代から意味深だ。「詫び、寂び」に通ずる、と思っている。英語に訳すことは難しいのだろうと想像する。

 同じ町内の八班の北端の家の庭には、春の花の植木鉢で埋まっている。その豪華、豪勢な花を愛でる人に感謝する。それに比べ我が家は殺風景だ。人間性の表れだろう。淋しい限りだ。

<読書>

「恋歌」朝井まかて 講談社

幕末の水戸藩の内紛と言っていいのか?天狗党の暴走。尊王攘夷の急先鋒の天狗党の志士に嫁いだのは、江戸の池田屋旅館の娘であり、武士ではない町人の恋物語。武士でないことの武士の女たちの批判、に耐えながら、天狗党排除の荒波に耐えて恋を抱いて貫く人生の生きざまを描いている。歴史、と壮絶な人間模様に葉室麟の二世か?

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2019年3月21日 (木)

辛夷と木蓮

 昨日の夜、月は満月だったのだろうか?朧月夜であった。東の空から登る幻想に満ちた月明かりであった。

 朧月夜の次の日は雨になる、と昔の話をよく聞いていた。その通りとなって、お彼岸の今日は朝から小雨が混じる天気となった。午後は春二番なのか、南の温風が、実篤公園の竹林を大きく揺らしている。その隣に辛夷の白い花が浮かんで見える。

 ボケ爺の田舎では、木蓮が主であった。ボケ爺の十八番に「・・辛夷策、あの北国の春」のフレーズの「北国の春」がある。20年も前だろうか、実篤公園の見事な辛夷が目に焼き付けられたのは。その後、遅咲きの梅と競うように、その実篤公園の辛夷をまばゆく眺め桜の季節を待っていた。

 今年は、仕事で心の余裕がなかったのか?むしろ、満員電車の車窓から木蓮を先に見つけてしまい、アレ、実篤公園の辛夷は?と。3本の大木の辛夷が、今年は1本切り取られ、そのうちの1本は老木になったのか、僅かしか花をつけていない。来年あたりは、老いに負け、切り取られる運命にあるのか?悲しい事情だ。だが、残りの若い辛夷は元気にいっぱいに花をつけていた。世代交代は世の常だが。淋しい。

<読書>

「劣化するオッサン社会の処方箋」山口周 光文社新書

=なぜ一流は三流に牛耳られるのか、との副題である。年功序列社会の日本は世帯交代が下手である。またサラリーマン経営者がほとんどの大企業の劣化は避けられない。新聞を賑わせる不正がはびこる理由はここにある。一流の比率は一割にも満たない、つまりほとんどが三流だ。しかも三流は、ゴマすり出世者がほとんどだ。三流は三流、しかも自分以下を選ぶ。結論として、世代交代はかくも難しい。企業成長の劣化に繋がっていることは確かだ。

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2019年3月15日 (金)

まんぷくヌードル

 朝ドラの「まんぷく」は、技術者にとっても参考になる番組である。イノベーションに関心のあるボケ爺には、考えさせられることが多い。

 即ちそれは、イノベーションを起こすには、「明確なアジェンダ(課題)」が必要だということだ。

まんぷくの、「まんぷくラーメン」の時には、①簡単に(お湯をかけ3分待つだけ)、②美味しく。③栄養満点、④人体に安全である、⑤長時間の保存できる、を掲示して、一点一点解決して行った。このような「明確な開発アジェンダ」があった。

「まんぷくヌードル」では、どこでも食べられるために、①調理機になる、②器になる、③梱包材にもなる。さらに、世界を目指すために、新しい美味しい味付けにする、である。これも、画期的な商品の開発のためのアジェンダ(課題)である。

日本の現状のイノベーションでは、「何でも良いから、画期的な製品を見つけろ」「世界をあっと言わせる商品を開発せよ」、などなど、ボヤーとしている。多くの企業では新規事業開発ティームの組織を作り、「自由に、何かを提案せよ」と、ハッパを掛ける。多くは、明確なアジェンダがない。あまりにもマクロすぎる。「自由な発想ができれば、何とかなる」が決め手と誤解している。

繰り返しますが、「管理から離れて自由な発想」と、「明確なアジェンダあり」と、かけ離れた基本思想のように思えるが、日本で不足しているイノベーションは明確なアジェンダが無いことが、大問題だ。

経営者も、この番組をよく参考にして、リーダー自身がこのアジェンダの重要性と、パッション(情熱)が揺るがないことが必須である、と分かるだろう。

まんぷくラーメン、ヌードルの開発の仕方(アジェンダありき)を参考にして、勘違いを正してほしい。

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2019年3月14日 (木)

千利休で考える

 突然に千利休を持ち出して、「ボケ爺、遂に狂ったか!」と言われそうだが。前にも話したように、イノベーションとは何か?を生涯の課題としている。

 その中で、イノベーションに必要な作動(作業)として、「抽象化」作動が必要だ、と考えている。今までのイノベーターは、多分この作業に優れた能力を備えているのでは、気になっている。日本人がなぜ、今日、イノベーションに後れを取っているのか?明治維新や、戦後復興での日本人は「物まね」が巧いのだ、と言われながらも、実用段階のイノベーションは現実に存在していた。

 だが、今日、日本人のイノベーション力は世界から見ても下降している、と評価されている。なぜだろうか?そこがボケ爺の課題である。

 日本人の抽象力は高いと思っている。千利休が冴えたる人物だ、とも思う。イノベーターの代表選手である。「詫び、寂び」=「無言の前衛」だ。には、皆様も賛同される、と思っています。江戸時代の浮世絵、明治維新での画家たちも。

 前衛は、絶えず変化を求めて走り続けなければ、前衛とは言われない運命なのだ。変化を求めて走り続ける悲哀が、そこにはなければならない。そこには、「スピードとエネルギー」が必然として必要だ。疲れる、そこには「一期一会」を飲み込む勇気が必要だ。

 だから、無言のスピードとエネルギーの持ち主の利休は、それを恐れた秀吉に殺(切腹)されてしまった。

さて、今の日本はどうだろうか?太平の今日、「形式美」すなわち「管理された教科書」を学び、管理されることに満足する「マゾヒスト」を快いと感じている。

前衛という先頭を走る勇気をなくしてしまったのではないだろうか?

<読書>

「千利休 無言の前衛」赤瀬川原平 岩波新書

千利休を路上の前衛化の赤瀬川原平が評する組み合わせが、何が飛び出すか?楽しみだ。ところどころ脱線するが、急所は鋭い。イノベーターの研究には十分な示唆に富んだ評論がある。満足な一冊である。だが、奥が深い。

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2019年3月13日 (水)

災害の平成時代

 昭和の時代は戦争の世紀であった。平成では戦争はなかったが、災害多発の世紀のように思う。

 1993年(平成5年)の北海道南西沖地震から始まった。翌年(平成6年)には北海道東方沖地震と続く。

 1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災はショックの震災である。ボケ爺は転職して、大阪本社の企業に、117日に出勤することで、東京を6時の新幹線乗っていた。居眠りしていたら、まだ出発していなかった。強烈な印象だった。

 そして、毎年、地震災害は起きているような印象だ。その中でも、東日本大震災、熊本地震、さらに北海道地震、と続く被害は凄まじい。

 水害の被災も毎年起きている。梅雨明けは、どこかで水の災害が起きなければ、終わらない。ひどい悪循環が続いている。

 自然災害は、事前に防ぎようがない。困ったものだ。これは、二酸化炭素の増加のための温暖化なのか?とにかく異常気象には困ったものだ。

 それ以外に、火山の爆発災害も起きている。これは、地球が暴れているのだろう。

 地震もどうしてこんなに頻繁に押し寄せてくるのか?太陽の黒点の発生が関係しているという説もある。

 日本の平成不況は、バブル崩壊からの意識変調(内向き)と言われているが、これらの災害特需がなければ、もっと不況になっていたのだろうか?経済からの考察も必要だ。

 平成は災害の世紀だった。さて次の世代はどうなるのであろうか?

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2019年3月 9日 (土)

春一番

 昨日は良く晴れた。名古屋へ出張で、朝早く出かけた。京王線からの富士山や、新幹線から見える富士山を堪能した。名古屋も晴れていた。犬山の方角(北へ)に向かう高速道路からは、西には滋賀の山の雪化粧、北には木曽の山々の雪景色がみえる。

 だが、風が少々きつい。花粉症について現地の営業の方に伺うと、今年は多い、ということだった。ボケ爺は帰りの新幹線で苦しむことになった。

 今日は、やはり昨日と同じようにいい天気に恵まれた。晴天の空は美しく、心軽やかになるのだが、午後から風が強くなってきた。するとTVでは、「春一番が吹いた」と言う。

 ボケ爺は花粉症で寝込むことになりそう。早く雨にならないか、と思う。

<読書>

「男の不作法」内館牧子 幻冬舎新書

ボケ爺、この歳になっても「男らしい人」と、言われたい。だから、辛口の著者の男をどう見ているのか?「男らしくない」、と言う意味の「不作法」に興味を抱いた。どんな行動も、「不作法」と言われてしまう。恥ずかしきも、このボケ爺の殆どが当てはまるではないか。なるほど、今になって「持てない我がボケ爺」の実態が分析出来た。今更、「ドーしょもない!」

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2019年3月 8日 (金)

春先の不順な天候

 春先は、不順な天候が続く。3月末には、花冷えや、長雨も起こる。冬から春への移行時であるからだ。何事も順調な移行は無い。

今週は、月曜日から、通勤時間帯の電車の遅れが目立った。ボケ爺の利用している京王電鉄も、送れない日は無かった。京王電鉄だけではない。JRも他も、しかりである。

ひどい日は、水曜日だったか、新横浜の事務所での会議で、京王線、井の頭線、東横線、JR横浜線、と乗り換える。いずれも遅れていた。トータル約30分の遅れである。何ゆえか、春先の乱れがひどい。天候の不順と、電車と言う機械と、乗客、との3つのバランスが崩れるのであろうか?

それにしても、モノづくり日本の電車の故障が、最近、目立ってきている。第一がドア点検、次が車両点検(原因不明)安全確認(これも意味不明)、踏切安全確認(これは人為的なものが含まれるであろう)そして、人身事故、次いで、乗客対応(喧嘩、と健康不良)である。定常化しているのが、「混雑集中」との理由で、5分程度の遅れは慢性化している。

<読書>

「サイエンス・ネクスト」ジム・アルー 河出書房新社

=科学者たちの未来予測、との副題。多くは良く語られている未来科学の実現である。その中でも、トランスヒューマン(人格、道徳、寿命、知力などの操作)ではいろんな夢が語られている。量子コンピュータの実現は、大きな社会変化が起きるだろう。又、スマートマテリアルには、まだまだ夢物語が多い、が生物、動物に学ぶ事が多くなる。そして科学の未来は、人間がコントロールできて希望があるのか?発散して悲劇が待っているか?

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2019年3月 5日 (火)

貴重な晴れで花粉症は?

 今週は雨が多い、とか。今日は朝から晴れている。が、花粉が飛び回るようだ。雨で花粉の放出が抑えられていた反動だそうだ。植物も、環境で、我慢したり爆発したりするような感情的な振る舞いがあるそうな。不思議なものだ。

 ボケ爺は、花粉症に掛かってから、既に約40年になる。年々5月まで悩まされる。いい加減にセンサー(抗体)もボケれば、いいと思うのだが。これだけは一向にボケない。頭だけがぼける。不思議なものだ。老体になれば色んな抗体がボケ(鈍感)てくれば、健康に過敏にならず、のんびりした日々が送れるのではないか?

 マスクを忘れて、外出したものだから、やはり、花粉症の発作が出る。「くしゃみ」に、「目やに」に、「鼻水」と、賑やかだ。今日一日の晴れを満喫できると好いのだが。

 にっくき野郎、花粉症!

 今、通勤中、電話が来た。画面を見るとアメリカの友達からの電話がある、出るわけにいかない。FaceTimeWi-Fi電話だ。海外では、このWi-Fi電話がほとんどである。ほぼ無料で、海外通話もありがたい。国内も3分通話を気にしなくていい。時代は変わった、と思う。

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2019年3月 2日 (土)

シンギュラリティは起きるのか?

 シンギュラリティ(技術的特異点)が2045年に起きると騒がれてから久しい。AIが人間の知能を超える変曲点(特異点)の事を云うのだが。本当か?

 歴史的に見れば、日本では、「承久の乱」で、天皇を中心とした公家社会から、武家社会に移行したパラダイム変化が、その一つだろう。次は、「明治維新」である。江戸の徳川武家社会から、公民の社会へ、階層社会から平民社会へのパラダイム変化である。

 西洋では、「宗教革命」からルネッサンスへ、その後は、イギリスから起きた「産業革命」のパラダイム変化であろう。

 漱石は、産業革命の真っただ中のイギリス国民がパラダイムの変曲点で戸惑う社会に直面して、明治維新で、バカちょんで西洋文明の導入に日本の怪しさを強く非難してきた。

 AIの進化は、シンギュラリティとは別に、「パラダイム変化を起こす」事だけは間違いない、とボケ爺は確信する。労働者の質の変化である。1927年の世界恐慌は、フォードのベルトコンベア生産革命で、労働者のリストラを強いられて起きている。

 AIの進化は、知識力の業務で、定型の労務で、膨大なデータの分析の業務で、製造現場での労務で、比較分析の労務で、などでAIに置き換わる。今の業務の約50%はAI+ロボットに取って代わる。

 このパラダイム変化で、人類はどんな恐慌を起こすのか?さらには、どのように受け入れるのか?すでに始まっている。2025年には、変曲点を通過するであろう。その後の社会は、だれも予想が出来ない。

<読書>

AI vs 教科書が読めない子どもたち」新井紀子 東洋経済新報社

著者は、「東ロボくん」で有名であり、東ロボくんは東大入試に挑戦させた。が、偏差値57.1までで、あきらめた。その理由は読解力が身に付かないからである。AIは数学である。数字で解けなければ、役に立たない。読解力は数学に置き換えられない。読解力を身に着けるには、一に国語、二に国語、と言われるように教科書を徹底して読み通す事らしい。数学も、読解力で差が付く、との主張である。

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2019年3月 1日 (金)

創造性は「ひらめき」

 創造性の根源は「ひらめき」なのだろうか?昔から、ひらめいた、とよく言うが?「ひらめき」は、瞬時の事、多くは非言語であろう。

 「怖かった」「驚いた」「感激した」「嬉しかった」「美味しかった」と同じようなもので、瞬間に発する何か?である。「ひらめき」は、言葉になっていない、人に伝える形になっていないが、何かありそうだと思っている。

 内外の著名な人の「ひらめき」は、散歩している時に訪れる、と言う。ある人は、厠で、すっきりした時に訪れる、らしい。寝起き(夢で)の時と言う人もいる、だから枕元にメモ帳を置いておけ、と言う人もいる。ボケ爺は、夢の中で「ひらめいた」ことが多い。

 いずれにしても、直観である。感覚である。その時は、言葉では表し難い。そこからが難題だ。形にしなければならない。先ずは、模型などの様にモデルを作ってみる。図に書いてみる。音にして見る。そのうち、言葉になる。

 言葉になれば、みんなに理解を得たいので、抽象化して単純な形で訴えかけたい、と進化が続く。

 さて、「ひらめき」はどうすれば得られるのか?誰でもで「簡単にひらめくのか?」そうはならない。ボケ爺の経験からは、「遊ぶ」事、「まねて」見る事、どうすればみんなが賛同してくれるか「工夫する」事、などかな?

 資質として、「凝り性=変人」の体質、「ひつ濃い人=執念」の体質、「時を忘れて=集中力」の体質がある人が「ひらめき」が多いだろうか。

<読書>

「天才のひらめき」ロバート/ミッシェル・ルートバーンスタイン 早稲田大学出版部

副題に世界でもっとも創造的な人々による13の思考ツールとある。概ね、ボケ爺の体験、経験と同じように思えるが。問題は、何処まで深く、素晴らしい、超越的なひらめきが得られるかは、別の話で、これが問題だ。教育で賄えるだろうか?AIの時代の仕事ではこのイノベーターが最も需要なのだろうが。

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