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2019年2月27日 (水)

まんぷくラーメン

 「まんぷくラーメン」の創造の権利について、いま、NHKの朝ドラ「まんぷく」で議論を呼んでいる。

 せっかく、苦労して開発した製品がすぐに物まねされて、「バッタもの」が出て来て、創業者権利が守れない。それを守る法が「特許権法」である。一方、「独占禁止法」があり、特許権以外で、独占の仕組みを組み込み、独占することはならない、と言う、権利も存在する。

 苦労を重ねて開発した、インスタン(即席)トラーメン「まんぷくラーメン」の発明者の萬平は激怒している。特許もとれた。発明者から見たら当然である。米中貿易協議の中に「知財権」の主張に協定の難題を米中は抱えている。

 このボケ爺にも、チキンラーメンには、思い出がある。上京してすぐに、平塚市に住む親戚の家に遊びに行った時に、お昼をご馳走になったラーメンが、結果、チキンラーメンだった、と後で分かった。具が沢山入っていたのでチキンラーメンとは気が付かなかった。その味が忘れられなくて、学生時代、大いに助けられた。試験勉強の夜食に、部活の腹ペコを癒す間食に、深酒した後の仕上げに、と。

 だが、経営的に見れば、良い技術は物まねされて、「なんぼ」である。その点、今の段階では、萬平も未だ一介の技術家だ。技術には必ず逃げ道がある。代替え技術は見つかるものだ。まんぷくラーメンの最も大切な技術は、「麺を多孔質にする、その為に油で揚げる」であった。だが代替え技術では、油で揚げることなく、多孔質が作れるようになり第三者の参入が関を切ったように押し寄せることになる。

 良い技術は、代替え技術が生まれてさらに進化する。技術はオープンにして、競争があってこそ、その技術は発展する。だから、自由競争が「世界を変える技術」を生む。そして、創造性の根源だ、とボケ爺は確信している。

 萬平は、まんぷくラーメンの競争者に助けられて事業は伸びるだろうし、競争は、味の良さを競争して勝つことだし、次の「カップ麺」につながったのだ。

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2019年2月23日 (土)

はやぶさ2、無事着陸成功

 宇宙航空研究開発機構(JAXA)は探査機「はやぶさ2」が地球から約3億キロメートル離れた小惑星「りゅうぐう」に22日、午前7時29分着陸したと発表した。成功に万歳!

岩だらけの地表で半径わずか3メートルの場所を狙って着地した、との事。驚くほどの高い精度の着陸をなし遂げ、日本の技術力を証明するとともに、小惑星探査で世界に存在感を示すことが出来た、事は嬉しい。

 吉川真ミッションマネージャは「着陸に成功し、すぐに上昇した。地表の岩石を採取するための弾丸を発射した信号も確認した」と語っていた。

 重力場の3体関係は、数学的には解くことが出来ないことは証明されている。シミュレーションでしかない。繰り返し、繰り返し、根気よく、ひたすら演算を予測したのだろう。ボケ爺も学生時代、この3体問題に挑戦したが、その時は衛星のドッキングの課題だった、の思い出がある。

 小惑星「りゅうぐう」の岩石は太陽系が46億年前に生まれたころの痕跡を残す「タイムカプセル」であるらしい。岩石持ち帰り工程は19年夏までに再び着陸に挑み、20年末までに地球に帰還する。宇宙の成り立ちや生命誕生の謎を探るこれからに期待が膨らむ。再び着陸をすると、今度は失敗しなかと、老婆心ながら心配する。

 約3億キロメートルは通信に20分程度かかるらしい。指令をしても、20分後でないと言う事を聞かない、また、「はやぶさ2」が信号を発しても20分後にしか届かない。制御に遅れが入る。その誤差を縮小にするには、予測のシミュレーションを根気よく繰り返し、精度を高めるしかない。何年もの遠大な時間が流れたはずだ。よくぞ成功したものだ、その根気に、ボケ爺は感心している。

 宇宙は、夢がある。岩石が採取出来ていて、無事に戻ってくることを祈ろう。

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2019年2月22日 (金)

「野田市女児虐待死事件」

 「野田市女児虐待死事件」は、何とも言えない、言葉に出来ない悲惨は事件である。実の父親、母親が虐待を働き、我が子を死亡に至らしめた。冥福を祈る!それにしても親子とは最も強い愛情のつながりで、そこには、アン・ウンの最も強い「信頼」をベースにした「人間の愛情」の根源だと思っている。

 しかも、10歳の女の子は、しっかりしていて、親の虐待についてSOSを、勇気をもって出し続けていた。だが大人の世界は、杓子定規の受け止め方しか出来なかった。

 学級担当者の教師は、何故、事務的ではなく、もう少し深く相談に乗れなかったのか?そして、親身になって各所と連絡を取らなかったのか?校長も知っていたが、何故、手が打てなかったのか?記者会見に出てこない。コメントも出さない。何故?

 野田市教育委員会は何をしていたのか?記者会見で非難を一手に引き受けて、弁解をしている。その弁解に誠意がある言葉はない。言い訳するだけである。政府、官僚、政治家と全く同じパターンだ。何故、同じパターンなのか?

児童相談所はパターン通りの対応は、一様はやっていたが、杓子定規の冷たさが、悲惨な、痛ましい事件につながっている。何故?その経緯の議事録も残っていない。(悪く言えば、隠蔽した?)

結論から言えば、企業でも、政治でも同じような縦割り体制(行政)である。この事件は、日本の今日の社会の現実の縮小版である。何故、何故の連鎖である。そこには各部門が「無責任な体制」「関わりたくない」のそっくりな縮図がある。残念な日本!

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2019年2月21日 (木)

創造性とは何だろう

 この年になってから創造性とは何だろう。創造性を生む土壌はどうすれば育成できるのだろうか?を生涯のテーマにして考えている。

 最も創造性に富んだ日本の企業は、SONYか、HONDAであろうか?ボケ爺は、HONDAに軍配を上げたい。何故か?ボーイングも馬鹿にしていた個性溢れた軽ジェット飛行機が成功したからだ。

 これは本田宗一郎の手腕とDNAかも知れないが、社員が創造性を発揮できる環境にあったからだろう。しからば何故に創造性が生まれるのか?

大手自動車企業と言うほどではない、故に、潤沢な資源は無い。だが、これには経営ビジョンに訳がある、とボケ爺は思っている。二輪車も、自動車も、決して車種を広げない。簡単に言えば、無理をしなくて、「一台当たりの利益率を上げる」方針がある。

1986年は企業ビジョンを明確にした年である。自動車ではなく、「人の移動手段を事業」のビジョン、と定義の範囲を広げた。空であり、陸であり、二足歩行でもある。だから、人型ロボットも一流になっている。

上司を騙すのに長けている人が多い。本田宗一郎は、頭をかきながら、いつも「俺は騙される」、と言って満面の笑みを浮かべる。つまり、「策士」、「策士が出来なくては」、仕事(創造性)は生まれない。

「ワイワイガヤガヤ」、がいいと雑談の勧めが社風にある。その中に、その「絶対価値」に確信を持てるか、確認の場である。その「絶対価値」は「個」からでしか生まれない。「個性豊か」であることを奨励している。さらに付け加えるなら、「個」は自由な中で「自由に発想」が出来る土壌が必要だろう。

これがHONDAの創造性ではないだろうか?恩師であり、本田社長の顧問であった故佐貫亦男教授からの話の受け売りとプラスαでのボケ爺の体験からだ。

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2019年2月18日 (月)

イノベーションの効率化?(その2)

 イノベーションの重要性は、世界共通の課題である。だが、 世界経済フォーラムが発表した2017年版の「イノベーション能力」について は、14位から21位へと大きく順位を下げる結果となった。その原因は?

  高度経済成長期以来、日本は欧米先進国 への「キャッチアップ」(目標があった)を志向する中で、「効率と品質」を追い求めてきた。1990年代前半のバブル崩壊後は、無駄を省いて短期的な業績や成果を追求する姿勢を強めた。その結果、「過去にないことを独創したり、多少の無駄を承知で試行錯誤したりするような、創造性に不可欠な「思考態度の後退」が起きた。つまり「思考停止」現象である。

 「すべての事業・製品・サービスの目的、それが豊かさ、幸せ、快適、感動」である根本的な問いを考え抜く思考態度こそが、AI時代の人間に必要な思考力である。それは人間学であり、哲学である。

 「あらゆるスポーツや、芸術は、頭で理論を覚えただけでは出来ない。何度も繰り返す訓練が必要だ。フィギャスケートの紀平嬢の様に練習の虫が、本番で臨機応変に演目を変えることが出来る。不思議ですよね。そう訓練以外に方策はない、と思う。創造も同じことで、違和感や、感動が何処から来るのか?毎日、毎日の「思考鍛錬」を積み重ねて、五感全体で応答できる「哲学体質(Why)、芸術体質(What)」を教育と訓練をしなければならない。と、ボケ爺は考えるのだが。即物からは何も生まれない。

<読書>

世界経済大いなる収斂」リチャード・ボールドウィン 日本経済新聞出版社

このような技術革新の歴史書が、創造性の思考訓練に役立つ、と思う。直接の創造性の教えは無いが、物のとらえ方、味方が、心地よく伝わる。感動がいい。さらに読者は、そこに、「何故か?」を付け加えるからだ。

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2019年2月17日 (日)

イノベーションの効率化?

 最近、大手企業は新製品の開発効率の向上にイノベーション環境、作業の効率を検討しているようだ。バブル後期にも、同じような事が試みられた。コモディティ化する製品に差別化、先読み、などのために、顧客の声を聴くべきだ、との「顧客第一主義」を掲げて、研究所らしき事務所を人の集まる青山、赤坂、などに設置した。が成果は見られなかった。

 今再び?その基本は、「試行錯誤の回数」x「確率向上」=「イノベーションの確率向上」の方程式だ。平凡な方程式である。

 その中で、難しいのが、「確率向上」の中身だ。例えば、パナソニックは「パナソニックラボラトリー東京、PLT)」を東京・汐留 にある東京本社近くのオフィスビル内 に開設した。KDDIは「KDDI DIGITAL GATE」を東京・ 虎ノ門に開設した。オムロンは「オムロンサイニックエックス (OSX)」を、東京・本郷に設立した。

 これらは、最先端の技術の活用化のための研究所と聞く。何故最先端技術の研究を都心に置くと、確率が増すのか?は解らない。オープン化が進むのだろうか?異業種との交流のためだろうか?それともセミナーへの出席のためか?その意味がよく解らない。

 日本の欠点は、シリコンバレーの様に「人対人」とのコラボではなく、企業対企業で、「探り合い」であることが確立を下げている、と思っている。クリエーターは自由が欲しい。効率、と言う世界から円遠い。大企業の試みの様に「確率」=「場所」x「目標」では無理だろう。

<読書>

「サピエンス全史」ハラリX池上、他 河出書房新社

ハラリの「サピエンス全史」はベストセラーである。人類の誕生から今日までの変化につて大局的な観点の歴史の解説は解りやすく、新しい観点での展開であるらしい。然し、その中身に課題もあるようだ。本著は、不満や課題に付いて、専門家が提案している。なかなか鋭い、面白い視点での課題を提案している。その主な点は、イベント(変化点)が「何故起きたのか?」の「何故」の解析が無いことである。

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2019年2月11日 (月)

堺屋太一の訃報

 作家、堺屋太一が亡くなった。83歳だということである。まだ若い、と思う。活躍は作家だけではない。大阪万博のプロヂューサーや、沖縄博の企画も担当されていた。政界に、小渕総理時代の経済企画庁官でも活躍された。

 ボケ爺にとっては、「団塊の世代」の小説に感動した事を記憶に新しい。ベビーブームが経済に担い手なる、との未来予測。その前には、「油断!」石油戦争による経済危機について、やはり経済未来予測であった。

 さらに、ポスト工業化社会を予測して「知価革命」の時代になると予測されていた。その通りに展開されてきた。これらは正確な予測であった。「平成三十年」「団塊の秋」も先見の明があった、と記憶している。

 バブル崩壊では、「俯き加減の男の肖像」の歴史小説を読んで、なるほど、バブル後の人々の生き方は、こう変わると感心もした。歴小説では、「巨いなる企て」「峠の群像」「豊臣秀長 ある補佐役の生涯」「鬼と人と~信長と光秀~など、楽しんだ。まだ本棚にある。

 その他、評論もよく読んだと思うけれど、これらの方はよく覚えていない。いずれにしても、戦後日本の未来予測では、偉大な一人であった。残念な人を無くした。

<読書>

「二十五年後の読書」乙川雄三郎 新潮社

主人公の響子の生きざまを、男と関係の在り方と付き合い方。女の友達、それに編集者の女との対話は、作家の妙味であり、この主題の中心課題である。特に、言語の豊かさ、文章の美しさは群を抜いている。これは楽しめる。最近の書評の書評家、評論家の心構えについてズバリ皮肉っている。又、繊細な女一人、生きてゆくための参考作でもある。

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2019年2月10日 (日)

残雪に感銘

 一昨日の夕方から雪が少し降り始めた。1時間ほどで、うっすらと木々に積もる程度であった。天気予想では、午前中にかなりの確率で雪が降るということであったが、我が家の京王線のつつじが丘駅(調布市)では、午前中は雪が嫌ったのか、道路を湿らす程度であったのだが。

昼のTVニュースでは、都心や、千葉では、良く降っていたようだ。だが、予想に反して、夕暮れの前から雪となった、鳩は嬉しいのか?恋仲なのか、電信柱の上で、奇妙な声を発しながら、くちばしを突っつき合っていた。よく見れば、鳩と思ったのだが、カラスだった。カラスでも、鳩以上に、じゃれ合うらしい。なかなか激しい。

今朝の朝日は、一段と明るかった。近所の屋根には1cmほどの積雪であり、各家の庭や、木々にも積雪で、真白な光景だった。美しい白さであった。小鳥も、はしゃいで、何時もより大きな鳴き声でにぎやかに騒いでいる。

我が家の庭の椿の赤色の花にも雪がすり注いでいた。もちろん紅梅にもうっすらと積もっている。やはり普段と違う光景には感動や感銘を受ける。

道路は、凍てついて雪が凍てついている。ボケ爺は、滑らないように気を付けるのだが、年寄りのへっぴり腰に、小学生は、可笑しがっているように見つめている。

<読書>

「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」山口周 光文社新書

副題は、経営における「アート」と「サイエンス」となっている。経営の意思決定に、サイエンスは限界が来ている、と言う。サイエンスの処理スキルが進めば、全ては同じ答えになり「コモディティー化」に至る。差別化(機能、性能)は見つからない。だが、凡人の経営者はアカウンタビリティーを求める。アカウンタビリティーは、組織や人に「無責任」の無限連鎖をうむ。アートは感性で、直観となる。意思決定の客観性は示すことは難しい。が、差別化や、追従や、未来の予想に追従が難しくい。だが、ストーリーが生まれる、と言う。

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2019年2月 5日 (火)

立春で困ること

 昨日は20℃ほどの陽気な気候であった。今日は一転して寒い。立春とは良く言ったものだ。アメリカでは、インデアンサマー、と言う。特に東海岸の寒い日が続く時に時々、真夏の陽気になることがある。

 ボケ爺は、立春の声を聴くと困ることがある。花粉症であるからだ。今週の日曜日には、鼻水が出始め、くしゃみが出る。その時には、久しぶりに日中に入った風呂で長湯を楽しんで、湯冷めをしたのかと心配したのだが。イヤハヤ、花粉症の現れだった。

 年を取ると、ボケるし、何をしても鈍くなる。ボケと鈍さとは別の症状だが。いずれも、感覚が劣ることだ。花粉症に敏感なことは免疫細胞の抗体が、いまだに元気だということだ。年寄りになれば全てに衰える。抗体も弱ってくれれば花粉症に悩まされなくて済むはずだが。癌の方は、免疫細胞が鈍るので、歳を取れば癌に易なりやすい。と言うメカニズムなのだが。

 我が花粉症抗体菌よ、そんなにムキになって頑張るな!

<読書>

「影ぞ恋しき」葉室麟 文藝春秋

亡くなる前に、こんな大作を作っていたのだと、感謝する。2016年から新聞に書き溜めてきた。膨大な歴史資料、徳川綱吉から家宣の間の歴史である。赤穂浪士と吉良家との関係を中心に、多くの人物の関係図の構成が山盛りだ。さらに、従来にない仮説である。且つミステリー的に仕上げている。これだけの資料を集め、ストーリーの練り上げるには、何年掛っただろうか。580頁もある。さらに、武士道の教え、仏教の教え、忍びの世界の生き様、人間としての生き様、など人生論、人格論にまで及んでいる。

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2019年2月 3日 (日)

これ以上日本一人負けでは?

米中貿易戦争で日本企業にもダメージが押し寄せている。日本電産の永守会長の弁、1112月の中国の需要の減は想定外であった。引き続き、ソニーをはじめ、日本の強みで、経済の砦ある電気部品メーカーが下降修正だ。いずれも原因は中国産業の減速を挙げている。

ファーウェイが国際市場から排除されて、「中国企業もたいへんだ」 では済まないのが日本だ。なにしろファーウェイは、多くの日本製品を使っている。2018年の年間見通しでは 前年比36%増の約6800億円に達することが見込まれていた。

工場向けの産業用ロボット設備においても17年は日本企業と5000億円規模の取引実績があるらしい。

トランプ政権は、米中貿易戦争の準備を周到に進めていた。税制改革法案で、大規模減税に踏み切っている。第一が、個人に対する減税と、児童税額控除も拡大した。第2が、法人税減税だ。連邦法人税率を35%から21%へと14%も引き下げた。第3が、国際課税だ。

先を読むことができなかった政府、日本企業。一方、日本のマスコミは、トランプ政権を「保護主義」とだけを批判するばかり。

未だにこの重大さを理解できない日本の政府、企業。日本は一人負けになる。ここにも、残念な日本!

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2019年2月 2日 (土)

事なかれ主義

「お父さんにぼう力を受けています」「先生、どうにかできませんか」と、しっかりと訴えていた。懸命にSOSの叫び声を上げた女児(小学4年生)の命をなぜ救えなかったのか?

 何とも悲惨は事件である。虐待を受けていることは、周り人々は誰もが解っていた。にもかかわらず。各部門の言い分は、全て言い訳である。誰一人、責任を感じるとは言わない。境域委員会の言い訳を聞けば聞くほど、無責任発言と聞こえる。チョット不思議なことは、現場である担当教諭、その校長からの発言がない。何故だろうか。

 教育の場での多くの「いじめ」の話も、教員から校長、教育委員会までも、責任を取ります、と率直に言った人は無い。その後もノウノウと努めている。無責任、と言うしかない。

 この無責任の根本は「事なかれ主義」から生まれてくる。日本の最もな短所であろう。日本の生産性が低い、と言われるのも、組織内での無責任(事なかれ)主義が根本に流れている。

 国会でも、経済指標、方針に重要な指標になる各種の統計データの集計に不正が見つかっている。それの一つ二つではなく、20項目以上に及ぶという。厚労省の公務員は、税金から支払われている。それらの言い訳も、全ては「事なかれ主義から生まれる無責任」である。

 江戸時代の武士がサラリーマン化した気質が受け継がれて、面々と引き継がれているのだろうか?或いは、「沈黙は金」と。それにしても残念な日本である。

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