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2019年1月30日 (水)

人間の性(サガ)

 人間には自我がある。この自我が、なかなか厄介なことを起こすことが多々あるのだ。人間は、自我を主張したい、否、主張し続けてしまうというエゴが生まれる。

 自我をエゴと言うのは、エゴとは、他人が認めてくれない、他人から見る(聞く)と認めるには困難な状態も事である。「彼奴は、エゴを通したがる、我儘なエゴイズムな奴だ!」と言われる。

 夏目漱石も、自我と戦って来た作家であった。自我と個人主義との違いを主張もしてきていたが、理解されることは難しかった。

 小室圭さんと、秋篠宮さまの長女・眞子さまの婚約延長の件で、それである。「それ相応の対応をするべき」とする秋篠宮さまの問いかけに対する回答に。先日、やっと、小室圭さんが「元婚約者とのやり取りは、解決済みである、と。」文書で出された。

 だが、関係者や、国民全体が、「それ相応の」の意味とは少々違和感があると、感じたであろう回答内容であった、と思う。ボケ爺は、此れでは益々泥沼だ、と思った。

 何故か?小室圭さんの主張は、自分たち(圭さんとお母さん)は、「借金の話は、過去に解決していたので、今更持ち出す元婚約者が悪い」と、自分たちの一方的な主張であった。つまり、「皆様、解決しています。それを認めてください」との自己主張、つまり、これは自我である。ボケ爺も、こう主張したいことは良く分かる。しかし、これは、一種のエゴです。回答を発表前に、元婚約者と合意を得なければ、国民は納得できない、という国民側の思いが理解できてない。それを理解できず「先ず、こちらの主張を聞いてくれ」では一方通行となってしまう。すれ違いである。

 自我というものは、このように一方通行のすれ違いを起こしてしまう。漱石の悩みもここにあった。

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