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2019年1月21日 (月)

梅原猛を偲ぶ

 ボケ爺などの凡人が、梅原猛大哲学者の死を悼み、それを偲ぶなどおこがましい。だが、一言だけ、偲びの言葉を述べさせてもらいたい。

 ボケ爺は、田舎から東京に出てきて、大学生活を送り始めたが、如何せん暇であった。田舎の高校生時代の友達の何人か東京に出てきたが、場所が離れていて、会うことはままならない。大学の友達も簡単には作れなかった。部活も今一気が乗らない。

 暇なボケ爺は、本屋で手に取ったのが、三木清の哲学ノートであり、梅原猛の、確か「哲学する心」だたか?だが、古代日本の思想を中心とされていたので、読む機会はなかった。

 ボケ爺は、ご多分に漏れず西洋哲学、デカルトの「方法序説」に魅せられた。梅原哲学は東洋哲学であるから、この哲学とはほど遠いと思っていたのだが、何時だったか、何処だったかは全く失念しているが、「デカルト哲学を賛美」されていて驚いた。

 方法序説で言えば、2つの教えがあると思う。一つに、「部分に分解してみよ」から始まるロジック。もう一つが、「疑え」疑い続ければ、そこに仮説が生まれる。その仮説を証明せよ、だったと思っている。そのロジックを梅原哲学は踏襲して、日本学を展開されていたのか、と感嘆した。西洋哲学が東洋哲学に通用するのか、同一視して考えられるのかは凡人のボケ爺には、未だに解らない。もしそうならば、ボケ爺の慰めとなろう。

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