富士山が美しい日
今週は、電車の最後尾に乗ることが多い。京王線の電車の最後尾からは、仙川駅を過ぎて、芦花公園駅の手前まで、富士山が追っかけてくる。高架駅の八幡山駅では、左30度方面に移動してくっきりと富士山は浮かぶ。
今週は、寒気が南下して、気温が下がり、湿度が下がっているせいだろう。今朝は、新宿の西にあるタワービルの30階から、富士山を眺める。タワービルから西には、御オペラハウスビルぐらいが高層ビルで、見通しが良い。
しかし、ボケ爺の体調は一向に回復しない。疲れがたまっているのだろうか?それとも各所が寿命なのか?人生の晩秋の時期を迎えたようだ。気を遣うコンサルティンの仕事は、今年いっぱいで、止めることにしなければならない体、頭になった、と言うことだ。だが、気ままな研究開発はまだ続けたいのだが?テーマは4件ほどある。
いよいよ、人生の下りの留目が来たことに気が付く。つまり、来年からは人生「終わった」との宣言と、その余生の整理にかかろうと、今日の富士山の美しさに見とれながら、考えた。
残り2か月は最後の報告書のまとめに取り掛かる。昼休みの休憩時間には、漱石の研究の11月号の原稿の見直しをして過ごす。
<読書>
「終わったひと」内館牧子 講談社
全く、終わった人とは、この登場人物の物語に同感だ。一つ一つがうなずける。ボケ爺の子供たちの時代では、人生70歳まで現役で働かなければならなくなる。それからでも、後20年~30年は生きなければならない。さて、現役が続けられる体力とは?その食事方法は?再生医療で、生かされるのか?それとも、終わらされるのか?困った課題が、また増えた。脚本家でもある作家は、さすが読ませる文章を書く。
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