平昌オリンピックの余韻と日本人
まだまだ続く平昌オリンピックの話題で盛り上がっている。特に団体戦の活躍の話題が多い。
ボケ爺は、一連のオリンピックの活躍の件で、コメントしたが、個人戦と団体戦の違いはある。日本は団体戦に向いているのではないか?小平さんや、羽生君などは別として。金でなければ後は一緒と主張する「張本氏」の弁は良く分かる。
ビジネスの面では、日本電産の会長(永森重信)は、「一番にならなければ皆一緒」と常日頃社員に口酸っぱく訴えている。「リーダーこそ生き延びられる」、と。2個の高木菜那は、会長から、特別ボーナスをもらっている。本人曰く、永森会頭のこの言葉に、頭に叩き込んで練習してきた、と。
AIの研究会に出席した。AI(ディープラーニング)や自動運転などのソフト開発を見ると、日本人のジャーナリストは日本も検討している様に書き続ける。が、実態は、トップから3周遅れだろう。
何故か?ソフトウエアの世界は、「個人戦」だ。日本はその教育を怠っているし、個人戦で勝てるこの分野の秀才は出てこない。工業用ロボットだとか、機械制御だとか、計測器制御などは、なるほどソフトウエアの勝負でもあるが、ソフト開発の「団体戦」である。だからこの分野は勝てる可能性が大である。
ボケ爺の事業分野でも、このソフト開発で、いや、と言うほど辛酸を舐めてきた。アメリカしか知らないが、兎に角できる。スバ抜けてできるヤツが居る。今、顧問しているアメリカ企業のソフト開発VPも、ずば抜けている。さて、日本はどうする?
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