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2018年1月31日 (水)

Uberで通勤

 アメリカは車社会であり、車の運転が出来ない事は致命的である。ボケ爺は、右足が少々不自由になり、早々に運転を諦めて、免許書を返納してしまった。まさか、アメリカに、こんなに頻繁に来ることになるとは、思いもしなかったし避けたかった。

 若かりし頃は、レンタカーを借りの運転が大変に楽しかったものだが。歳には負ける。それに年寄りの運転はかなり気を使うことになる。その分疲れるのだが。

 そこで、アメリカ起業家のUber(空き車のシエアー)を使うこと示唆されて、一昨日から活用し始めた。実に便利なものである。Google Mapで現在位置が分かり、行きたいところを入力して、オンすれば、待ち時間が提示されて、運転手の名前、その持ち車の車種、ナンバー、いくらかかるかの価格は即座に提示される。迎えの時間も、それがどこまで来ているかが逐一知らせてくれる。基本的な会話は必要ない。値段はタクシーの6割程度に近い(チップも要らないから)慎重な運転だった。車から降りて10分ほどで領収書も送られてくる。

 こんな便利なものを何故、日本は拒否するのだろうか?タクシー会社の保護と言っても、なぜ保護が必要か、その理由が分からない。政府との結託の結果だけのタクシー会社のわがままだけなのだが。アメリカではさらに、もう一社立ち上がったと言う。

 地元の人が言っていたが、自分の車で、レストランに出かけて、バレーパーキングするよりも、自宅に車を置き、Uberを頼んだ方が安い、安心して飲める、と、そのメリット話していた。その通りだろう。明日からもUberで快適な通勤が楽しめる。

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2018年1月29日 (月)

2か月ぶりのレキシントン

 シカゴで6時間半ほど待ち合わせして、やっと、レキシントン(Lexington)へ。シカゴでは、昼過ぎから曇ってしまったが、Lexington5時半でも晴天だ。ホテルから沈む太陽を拝むことが出来た。雲一つない地平線に暮れてゆく。余韻の赤く染まった地平線が物悲しく。

 緑がない。冬場だから仕方がないが、全てが茶色である。2か月ですっかり景色が変わっている。ご存じのように、ケンタッキーはサラブレッドの産地で、その牧草も枯れているのだろうか。サラブレッドが放牧されている。その枯れ草を一生懸命食べている。

 今回は、街の真ん中のホテルを予約してくれた。2週間と長いから、食事に困るだろうと。ケンタッキーで最も美味しいステーキハウスのTony’sがホテルのすぐ前にある。$48~$68の価格には以前は驚いた。一人で入れるレストランではない。その他は、ホテルの近くでは、ジャンクフード店が多い。まさかピッザで済ませるわけにはいかない。

大きな有名な2つのホテルは、中高生でいっぱいだ。彼ら、彼女らは、日本人以上に個性がある。コンベンションセンターで、寸劇の競演があるようだ。異色の人たちの融合、共生のための必然な催しなのだろう。賑やかなことだ。明日まで続くのか?

<読書>

AIが人間を殺す日」小林雅一 集英社新書

「殺す日」とは衝撃的なタイトルだ。自動運転車の不完全性、医療のAIの活用でも診断は正しいか?ロボットは軍事に活用される、さらにAIが組み込まれたミサイルも現れる。さてこれらのAIは正しく判断できるのだろうか?内容には新しさはない。シンギュラリティの時、AIに人間は支配されるんか?それとも共存しながら支配できるのだろうか?SWにはバグがある。文章は名文であり文章は読み易い。

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2018年1月28日 (日)

シカゴのご来光

 今回は羽田からシカゴ便を使ってみた。羽田空港発は、1035発と、成田空港の夕刻とは違って早い。すると、シカゴへは7時半に到着だ。その分、通関は空いている。

 次の乗り継ぎは、いずれの便も悪い。6時間以上の待ち合わせで、ラウンジの利用権が無ければ、全くどうすることもできない。シカゴのターミナル2のラウンジは、いつの間にか、日本人が多い。何処へいうのだろうか?

 シカゴは晴天で雲一つない。ターミナル5からターミナル2の移動の電車の中から、ご来光にあずかった。その陽光がターミナルのガラス窓で反射してまばゆい。気温は10℃程度であろう。シカゴにしては思ったよりの温かい。雪の痕跡も全くない。

 UAのチケットだけれども、ANAとのコードシェア便だから、ANAの機体である。ANAの機内誌を読んでいると、新年号で、干支による運勢が載っていた。ボケ爺は、申年だから、今年の運勢を読んでみる。

 以外に良いことが書かれている。「知性面でとても良い運気がある」、と。頭脳明晰となり、クリエーティヴな仕事にインスプレーションが湧き出るだろう、となっている。アート面、技術面の人は、良い成果が出るだろう。その為には、環境を変えて気晴らしが肝心だとか。

 財運はイマイチで、散財に気を付けろ、となっている。親戚に不幸がある可能性が高い。恋愛運は、気長に待つこと。健康面は特に問題なし、健康であろう、と。

 さて、改めて今年の運勢が、仕事面で味方をしてくれるだろうか?

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2018年1月27日 (土)

氷柱の夜

 結果、京都は寒かった。東京も寒いだろうとの想像で、新幹線に乗り込む。どれほどの遅れが出るのか?アナウンスに聞き耳をたてる。その結果は、約15分程度と聞き安心した。何とか11時までには帰宅できる、と思ったからだ。

 米原近くの積雪を目凝らしてみていたが、良く分からなかった。車体に打ち付ける雪を落とす放水の音がうるさく、窓をもしぶきで覆う。うっかりと名古屋から、新横浜近くまで寝込んでしまった。

 在来線のホームで電車を待つが、京都よりもはるかに寒い。これが従来の自然な東京の冬の様子がして懐かしい。最寄りの駅に降り立ち、なんだか懐かしく思える。たかが2日明けただけなのに。道路に雪は完全に凍てついている。田舎の道はまだ十分に雪があるし、解け始めた雪水が凍っている。ボケ爺の身体能力では滑って転ぶことが十分に考えられる。

 波型のトタン屋根の倉庫の、屋根から50cmはあろうかと思える氷柱が15本ほど連なっている。思わず立ち止まり、その姿を目に焼き付けた。大昔、仕事で長岡や、柏崎の光景と似ているから、懐かしい思いが沸き上がって、寒さを吹っ飛ばす愉快な気持ちになった。変化は良いものだ。過去の思い出が一気に噴出する。これも歳のせいだろうが。

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2018年1月26日 (金)

大寒とは

 なるほど、大寒を過ぎると、大寒波がやってきた。昔の人は、経験値を上手く生活に反映していることになる。何かにつけ、昔の知恵に学ぶところが多い。

 東京の大雪の後、寒波で寒いから、と言う理由で、東京を逃げ出し、関西の方が少しはましだとの気象庁の発表だったので、京都と大阪の境(JR山崎駅)の企業で打ち合わせのため、京都に泊まることにした。

 だが、予想に裏をかかれ、昨日の朝は、寒いこと、マイナス3.9℃である。(東京はマイナス4℃との情報、我が家はマイナス6℃だったか?)それに少々風が強い。まったく裏切られた。うっすらと雪が積もった。今日の朝は、やはりマイナスだが昨日よりはマシだ。だが昼間でも雪が舞っている。積もるほどではない。

 この寒さだが、ホテルは、外国人でいっぱいだ。京都の寒さをエンジョイしているようで、防寒着のファッションを楽しんでる。卒業旅行の学生の集団で、通路がいっぱいでもある。JRの快速、新快速は、45分から1時間も遅れている。滋賀県の雪の積雪が理由である。

今日の夕刻、新幹線で帰るのだが、新幹線は朝から遅延だそうだ。クワバラ、クワバラ!

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2018年1月20日 (土)

欧州経済が好調

 欧州の経済が好調らしい。今日の新聞でも、日本では、日本車を抑えて、欧州車が順調な売り上げを伸ばしている、と。その意味は分かる気がする。安全性の装備や、インテリアの内装のモダン性、日本車よりはるかに進んでいる。

ボケ爺は車には興味が無くなったが、自動車向けLEDのマレーシャアの企業の顧問をしている。昨日までのビッグサイトで、カーエレクトロニックスの展示会のアテンドをしていた。インテリア、バックライト、ヘッドランプのLEDの使い方や、デザインは、はるかにヨーロッパ(ドイツ)が進んでいる。日本車は、残念ながらその後塵を拝している。日本車は、ドイツ車の物まねだ。

ヨーロッパの貿易は、化学、材料、ロボット、自動車、その部品、加工機械、など。「アジア、中国向け」が好調だそうだ。積極的な投資も続いているようだ。日本円との為替も130円を下回らない(円安が進んでいる)。

これらの市場は日本も強いと言われ続けているが、欧州はそれを上回っている。経済評論のジャーナリスト達の真の情報を流さない、或いは日本賛美しなければ、その評論が売れないのか?少々狂っている。無責任は人たちが蔓延している。

真実を知る権利が奪われている。残念な日本。

<読書>

「現代の見えざる手」元木昌彦 人間の科学新社

19の闇= の19人の評論家の分析を読み解く。もっともな話が多いのだが、なぜ、それらが表で堂々と歩けないのだろうか?なぜ無視されるのであろうか?今だからこそ、考えなくてはならない。

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2018年1月18日 (木)

ダイソンがEVメーカーに

 今週の日経ビジネスに、「ダイソンがEV車に参入」、の衝撃な特集が組まれた。英国の自動車産業の遅れの挽回に、ダイソンが名乗りを挙げ、自動車産業に殴り込みを図ってきた。

 これからは、従来の自動車メーカーでない異業種からの参入があるだろうとの予測が当ったことになる。ダイソンとは、サイクロン掃除機から家電に参入して、羽のない扇風機、ドライヤーと、異質な発想、イノベーションを起して、人々を驚かせてきた。

 ダイソンに言わせれば、自動車産業への参入は別に不思議なことではない、と言う。元々は、ジーゼルエンジンの廃棄粉塵の回収にサイクロンを開発しいたが、日の目を見ることが出来なかったので掃除機へと、その技術を転化させただけ、「唐突の発想ではない。自動車の事は良く理解している」、とのことだ。

 ダイソンに言わせれば、2022年には、二次電池をはじめ、EV車はフルに生産していることになっていることだろう、と豪語する。

ダイソンが考える車とは?さて、どんな車が街の中を駆け巡っているだろうか?早く見たい。その創造性に期待する。

ボケ爺は、17日から始まったネプコン・ジャパンの一部のカーエレクトロニックス展示会の説明員にアテンドしている。とにかく、満入り御礼が続く、明日までだが。

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2018年1月14日 (日)

ムクドリの嘆き

 今日も晴天。だが、朝夕の底冷えには変わりない。5時に図書館が閉まる時間である。つい先週までは暗く、冬を感じていたが、今日は、いつの間にかまだ明るい。確実に季節は変わりつつある。

 我が家の庭には、南天の赤い実、千両、万両の赤い実が唯一冬から春への季節の移り変わりの初めにある。そこに、ムクドリが群がる、程ではないが、やってくる。いつもは音なしの術で、鳴き声は発しない。しかし、今日は、赤い実を啄んでいるそばで、見守っているのか?離れたとこで、クー、クー、と情けない声で鳴いている。気の弱いムクドリだろうか?鳥の世界にもいろんな役割があり、いろんな性格があるのだろう。

 今日は全国女子駅伝のTVをリビングで、居眠りしながら眺めていたが、我が郷里の県が優勝して、嬉しく。

<読書>

「ネガティブ・ケーパビリティ」帚木蓬生 朝日選書

=答えの出ない事態に耐ええる力=が副題である。ボケ爺として、初めて聞く言葉である。ネガティブ・ケーパビリティは、悲観的発想か?と間違えていた。現在人に、最も必要なことは「共感する」ことだ。この共感が成熟する過程で伴奏して、容易に答えの出ない事態にたええる能力がネガティブ・ケーパビリティである、と言う。探索者が、結論を棚上げにすることにより、創造的な能力を持つこと。探索者は、問題を早く解決しようと、締めくくることでなく、聞き続けること、である、と言う。後驚く、目から鱗が落ちた。

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2018年1月13日 (土)

底冷え!

 しばれる。昨日、今日の朝夕は、久しぶりに味わう底冷えを感じる。足の先から寒さを感じる。ボケ爺の歳にして、さらなる寒さが体に凍みる。しかし、30年前の気候になったのだろう。そのころは、こんな寒さは当たり前だった。

 そんな中、近所の庭の木瓜が、真紅の花が、3輪咲いている。日本水仙の白い花が満開のところがある。四季咲き桜は、この寒さでも満開だ。蝋梅は、元気に咲き誇っている。いずれも近所の庭なのだが。

 近くの野川は、氷は張っていないが、カモが十何羽も列をなして川遊びをしている。まだカワセミの出現には早いだろうか、カメラマンが、まだ、うろうろしていない。

 仙川の街に戻り、寒さしのぎに、ユニクロでヒートテックの下着を買いそろえる。

 とにかく老人には、厳しい寒さである。一方、我が家のリビングは2階にあり、陽ざしが強く、暖かい。温度計は24℃を表示している。何とものどかな日和である。ウトウト、居眠りに、心地よい一日が過ぎる。もったいないと思いながら、癒されるままに任せるのも老人力だろう。そう言えば、老人をめぐる本の出版が盛んである。いずれも「つまらん」。

<読書>

「すごいトシヨリBOOK」池内紀 毎日新聞社

同郷の出身のドイツ文学研究者である、ので、一層興味が湧いたのだが。老いに逆らうな、下り坂を下りる、は一般的だ。老いの特性分析は面白い、が結論は孤独を楽しめ、となる。老化早見表なるも独自的である。「とにかく、最後まで人の話は聞け」を畳み込め、と言う。医者の言うことは聞かないで、自然死が良い、「老いとは寄り添い」「病とは連れ添い」「医者とは限定利用」だと。何処でも何時でも良く寝ること。安旅行や、ガラクタコレクションが金要らずで、適当で、結構楽しい、と言う。

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2018年1月11日 (木)

景気は良いのか?

 新年早々(?)9日から今日まで、連日電車が遅れる。ボケ爺は、京王線、つつじヶ丘を828分発に乗る習慣がある。よほどのことがない限りこの電車と決めてる。

 京王線が、連日遅れる、と思いきや、各線も遅れの表示が出てくる。新年の混み方が激しいらしい。寒いから厚着をしているのか?雇用状態が改善したので混み合うのか?それなら、日本景気が良くなっているから、嬉しいことだ。

ボケ爺の事をさて置いて、電車内は年寄りが増えている。帰りの早めの電車(ボケ爺は、何もない時は新宿を6時前後の電車に乗る。少々早めだろう、だが半分以上が、どう見ても定年後の老人だ。年寄りの女性も劣らず多い。ドアの近くに居たら飛ばされてしまう。クワバラ、クワバラと、逃げることにしている。

一方、遅れの原因に、ドア点検や、車両点検も含まれ、これが結構多い。製造力の劣化か?それともセンサー類の複雑さのシステム設計が出来ていないのか?このような日本のモノづくり、で良いのだろうか?と思う。ひかりの台車事件に通じるし、日産、スバル、神戸製鋼、東レ、などの不祥事とも通じるものがあるのだろう。

今日は中央快速線では、車両点検で、35分の遅れ、単なる車両点検で30分はないでしょう、と言いたい。

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2018年1月10日 (水)

春風一番

 久しぶりの雨に恵まれた翌日は桜が咲くほどの暖かい日となった。ボケ爺も、久しぶりに歩いていて、汗がにじみ出た。その為か、近所の庭の蝋梅の黄色の花が満開になって、春の始まりを宣言しているように思える。蝋梅の黄色は陽光に映えて何とも美しい。

一方、イチョウの街路樹の落ち葉は、2割ほどの木が、残念ながら落ち葉になり切れず枝にしがみ付いて無残な姿となっている。まるで、ボケ爺のようだ。思わず苦笑いを滲ませる。

少しずつ、正常なペースを取り戻しつつあるが、まだ完璧でない。これも歳のせいか?そんな中、思わず苦笑いした本の読書にペースを乱された。

<読書>

「勉強の哲学」千葉雅也 文芸春秋

副タイトルに、「来るべきバカのために」、となっている。バカなボケ爺は、同情して、早々に、図書館に申し込んだ。6か月以上も待たされた人気の本である。大いに期待して読んだが、残念なことに、がっかりである。

タイトルからして、「勉強するには哲学がいる」と読めるが、何処にも哲学らしき内容は出てこない。が、「勉強するためにはノウハウがいる」、となる。所謂、ノウハウ本である。「現状に流されることなく」、「自己破壊の覚悟で、勉強を続けろ、研究を深く掘り下げろ」との平凡なことを、哲学と称して、ノウハウをゴマ化すために、ノウハウを、それこそ哲学と称して、もっともらしく述べているだけだ。

こんなことは「漱石の個人主義」を読めば、もっと説得力のある言葉で読み取れる。

著者の言う通り、副タイトル(言語の意味の挑戦)が、顧客受けしただけだ。だが、この「来るべきバカのために」の意味もよく理解できない。この本を読んで、どれだけの人が「勉強の哲学」を理解できるだろうか?多くは言語の遊び、アイロニーとユーモア、そのものだ。騙されたバカなボケ爺が悪い。無駄な時間を費やした。

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2018年1月 7日 (日)

科学技術の未来、社会の未来

 新年早々から、明るい科学技術の未来に明るい兆しがあると、騒ぐ。「シンギュラリティ」は2045年には確実に到達する、と言う。AIは、多くの仕事を奪うだろう。IOTが生活や、健康面で、人間に役に立つ技術だ、等々。

 ボケ爺の関心事は、人間の寿命である。20年毎に10年の寿命が延びる。少し、大げさだろうが、現実だろう。遺伝子の操作、たんぱく質の合成、免疫細胞と、ホルモンと作用など、すごい速度で、解明されている。それを分かって、再生医療などの進化も早い。

 一方、社会面は、ものつくり資本主義から、金融資本主義となり、有り余った金を工夫して、現実性のない姿で、脅かす。今日の株高は行き過ぎではないだろうか?実態との差が目立つ。リーマンショックから10年になる。日本は、モノつくり製品の輸出で、稼げる時代ではない。原料の高騰するし、加工品は安く売るしか勝てない。だから貿易赤字国となっている。何時まで、「モノつくりニッポン」と唸っているのか?

 それよりも、自然環境の崩壊で、大災害の時代となっている。日本では、毎年、梅雨明けの災害は言うに及ばず。アメリカも、中国も、ヨーロッパも、どの国も、必ず、年に一回は大災害に見舞われている。このギャップが、どんな社会になるのだろうか?

<読書>

「敗者の構想力」加藤典洋 集英社新書

ボケ爺は、自らの、中・高・大時代、サラリーマン時代を通して、敗者の道を歩んで来たと、今も悩んでいる。よって、この敗者からの構想力が、目に飛び込んだ。だが、個人的なことでなく、日本の敗戦と言う意味での敗者から、作家たちは、戦後の認識をいかなる構想で描いてきたか?で、ボケ爺とは規模で違う。昨年のノーベル賞作家の

「カズオ・イシグロ」氏を、賞をもらう前から、構想力の素晴らしさを指摘している。「日の名残り」「浮世の画家」「わたしを離さないで」。大江健三郎、山口昌男、ゴリラ論。面白く、興味ある本だけどボケ爺には難しい。

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2018年1月 5日 (金)

ボケ爺の仕事始め

 ボケ爺の仕事始めは、5日(今日)からである。新宿にあるレンタルオフィスに、一日居座る。新宿には、4か所ありどこでも構わない。西口店が便利である。

 新しいアメリカのコンサルティングをする企業から、2日ごろから徐々に課題が送られてくる。日本は正月休みだから、出来ないと言ってあるのだが。元のコンサルティングの中国からも、何かと問い合わせが入る。結構忙しい年の幕開けだ。

 体調は未だに回復は成し遂げられていない。明日からの3連休も、体力改善のために寝て過ごそう。そもそも、こんな寓だらな考えがいけないのだろうが。

  漱石の研究の今月の締め切りが迫っている。この3連休で、概要は整えてみようと、本をあさる。あせって出てくるものではないが、構想が浮かばない。そんな時に、「ネガティブケイパビリティ(答えの出ない事態に耐える力「帚木蓬生 著」)が目に留まる。漱石も答えの出ない事態に耐えてきた人だった、とヒントをもらった。これで、今年のアウトラインは決まりだ。偶然性の恐ろしさ、と言うが。

 今年で3年目、ダイヤりーを使うようになった。今までは、少なくとも一週間の計画は頭に入っていた。長いサラリーマン時代、不真面目なボケ爺は、一度もダイヤリーを使ったことがない。それでも不都合なことは起こさなかった。今年のダイヤリーには、すでに来週は空きがない。

<読書>

「答えのない世界を生きる」小坂井敏晶 祥伝社

アウトローの生き方と考え方である。確かに、この世の中、答えのある道はない。すばらしい、異端な世界を歩んでいる。「自分の頭で考えるために」「創造性の世界を作るために」「何がしたいか?何が出来るか?何をすべきか?」放浪の旅を続けている。羨ましい限りだ。

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2018年1月 3日 (水)

元旦の夢

 元旦の夢を見るが、相変わらず仕事の夢のようで、記憶することが出来なかった。3日の朝は、ムクドリのかん高い鳴き声で、目が覚める。が、相変わらず夢は記憶にない。いよいよ歳か?しかし、今年の抱負は、欲張らず、二つの計画を立てる。

一つには、新しいコンサルティング先のオーダーに答えるべく努力をする。新しいチャレンジに期待に胸が膨らむ。新技術のネタは、いろいろなアイデアが湧いてきた。これをいかに確実にすべきか、ここ一か月で練り上げて実行に移したい。一年でどこまで出来るだろうか?

 二つ目が、夏目漱石の研究を続けて、寄稿する。昨年の延長線だが、研究の成果を発表できることが嬉しい。一年シリーズ(12か月)これでお終にしたい。次の研究が待っているからだ。

 年を取ると2つ以上の課題は無理である。仕方のないことだと諦めながら、努力は続けたい。知力を心配しているが?無理をしない様にしよう。

<読書>

「ありすのすさび」佐藤正午 岩波書店

エッセイ集である。作者は「月の満ち欠け」で、第157回直木賞作家である。もちろん直木賞以前の、無名は雑誌へ投稿されたエッセイである。エッセイと言っても結構長文であり短編小説に近いかもしれない。エッセイと言うかコラムと言うか、その短編には、思わず引き込まれるユーモアがある。こんなコラムニストになりたいボケ爺が唸りながら、感動して、そこに居る。

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