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2016年12月25日 (日)

火の粉による飛び火

 糸魚川の大規模火災の主な原因が、強い南風に火の粉が舞い上がり、それが飛び火となり、火災の地域の拡大につながった、との住民などの証言で、明らかになった。

 ボケ時にも、その様な経験がある。高校一年の2月のある日のだったと思う。その日は、たまたま学校の休日だったので、自宅に居た。火事の鐘が、村々から、けたたましく鳴り続いた。(その頃は、サイレンではなかった)多分、昼過ぎだった、と記憶している。ボケ爺の部屋は2階にあり、2階は東向きに窓があった。

 姫路の西の太子町である。町は村の集団で出来ていた。我が村は、その町の一番南に位置していた。半農半勤で、昼間は、大人は会社務めて、家には男は居ない。

 その窓に映った火事の煙は、隣の村の集落の北側にあった工場からの出火であった。見る見るうちに、火柱が舞い上がっていた。その時は南風が強く、白い煙は北側になびいていた。

年寄りの消防団の副隊長が、ボケ爺の家に来て、我が村の名前が入った消防団のハッピを羽織って、村の名前の入った旗を持って、「小学校に集まってくれ」、と言う。我が村の消防団員は誰もいない、お前は消防団員(田舎の村では、中学生になると男は全員が消防団員になる)だから、「兎に角、でぱってくれ!」我が村からきていること知られることが大切だ、と言う。

 小学校までの、各村は、火の粉の飛び火で、火災となっていた。田舎では、特に藁屋根が狙われた。村と村とは、500m~1Kmは離れている。結果は村々で、最低5軒は火災で燃えてしまった。被害の村の数は5~6村もの数だった。大規模の火災の経験だった。その時に配られた炊き出しのオニギリが、ナント美味しかったことか。

 糸魚川の悲惨な火災跡を見て、大昔の経験を鮮明に思い出すこととなった。

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