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2016年9月28日 (水)

金木犀の香り

 比較的天気が回復してきたからか、昨日あたりから、金木犀の香りが、やたらに匂ってくる。我が家の金木犀は2本あって、道路側は、大きくなってしまったので、根本からバッサリと切ってしまった。今はその幹からほんの少し、枝が育ってきている。

 もう一本は、西の狭い庭の隅の隙間にひっそりと育っている。その金木犀は、花を付けているが、誰も匂いを嗅いでくれる場所にはない。可哀想だが。

 金木犀と言えば、上期の業績の締めの週に匂い、夜中に帰宅する疲れの癒しの匂いであった。年々、香りは遅くなって、その時期を外す様になってしまった。それにしても、秋雨前線はしぶとく留まっている。今年の紅葉は楽しめるのだろうか?すぐに冬に突入となってしまう事だけは止めてほしいものだ。

<読書>

「夜明けの星」池波正太郎 文春文庫

人生は、①悪と、善は紙一重、②流される運命がある ③それには劇的な出来事がある ④女と言う生き物は、運命を操る才能と柔軟性がある ⑤死ぬつもりで生きれば、運命は開かれる、を中篇に凝縮した作品である。池波の心情、人生論を要約した作品となっている。

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2016年9月24日 (土)

無名

 以前にも、この主題で、書いたことがあった、と思い出す。しかし、元のネタは違っていたはずだ。改めて「無名」を考える。と言うのは、

 「無名」沢木耕太郎 幻冬舎を読む。一気に読む。作者の父の介護を通じての、父の思い出と息子としての作者と関わりに付いて、実に丹念に掘り起こしている。実に巧みな構成で、読者を惹きつける。さすがにノンフィクション作家の大御所である。リアルであり、親身な親族のほのぼのとした父の思い出である。

 父は、無名であって、平凡な父であったらしい。しかし、本の虫であり、読書しか趣味が無かったらしい。病気も多く患っていたようだ。仕事は一種の職人であって、真面目で、器用ではあったようだ。

 ボケ爺は、作者の物語に状況を合わせて、ボケ爺の親父は如何であったかを重ね合わせて、親父との出来事を思い起こすことに、深い感銘を得た。いやはや、歳を取るとは、昔を思い起こすチャンスが与えられる。愉快だ。無名な親父を、無名なボケ爺が、ここまで思い起こせたことに、この本に感謝する。

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2016年9月22日 (木)

憂鬱な一日

 

 台風一過とはならなかった。だが、「暑さ寒さも彼岸まで」は、自然の実行力である。ぶり返しはあるとしても。ボケ爺は、基本的には、雨は好きである。雨の滴る音は、心を癒す。雨に濡れることに、慰めが甦る。傘(とりわけ番傘は)をたたむときのしぶきを観るとアートである。

 

 そんな一日を楽しみかったが、昨日の日銀、黒田発言には失望する。日本の未来に悲哀が漂う。黒田バズーカ―は、何だったのか?人気取りの単なるアベノミクスに加担しただけだったのか?日本人の悪い癖が出てしまった。つまり、十分な、反省、考察がなされていない。2%のインフレ目標の実行が難しいことは、バズーカ後1年で失速していた。が、今になって、「まだ失敗ではない、無期限に延長」、今度は金利に注力、それも10年先の金利を。

 

 重要な反省点は、「何故今まで引き延ばしてしまったのか?」である。日銀は言うだろう、「日銀には限界がある」、政府の施策の変更が無かったから、と。無責任、極まりない。日本のトップは、自然より劣り、実行しない。まともな反省をしない。

 

それにしても、FRBのイエレン議長の説明は論理的である。雇用状況判断と物価2%の見通しを見てから、利上げ、と。理由がはっきりとしている。

 

 このことを考えると憂鬱な一日を過ごすことになる。

 

<読書>

 

「日月めぐる」諸田玲子 講談社

 

駿河半紙の発祥地、小島藩、1万石しかない、城もない小藩での日常の処世術をつづった7編の短編集である。つまるところは、人は「疑心暗鬼」「嫉妬」「宿命」で、縛られている、と言うことか?短編の結末は、涙を誘う。

 

 

 

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2016年9月19日 (月)

敬老の日

 915日から変わって、どの位になるのだろうか?意識していなかったので、ピンとこない。昨日のブログでも書き及んだが、毎日、一生懸命なのだが、何故生き延びていないといけないか、答えが出せていない。年寄りも働かなければ、生きていけなくなって来たのだ。ご隠居ナンテ言う時代ではない。

 高校時代の東京支部の同窓会をやろう、と毎年連絡をくれる奇特な人がいる。それで救われてはいるのだが。今年は、紅葉を愛でて、小石川公園で会食だと、豪気な話が舞い込んだ。だが、122日以降で無ければ空席が無い、と。

 今日は朝からシト、シト雨が降り続いている。実篤公園では、無残にもセミの死骸があちこちに散乱し、水たまりにしずんているのもいる。生きる為の絶叫で息が詰まったのか?森のテラスの坂道にはカシノキのどんぐりで一杯、転がっている。自然の生き物はどうして秋を感じるのだろうか?

 雨の中、近くの野川(結構大きな河で)は、成城を通り、二子玉川の手前で、多摩川に合流する。その土手には、曼珠沙華が、怪しげで、妖艶な真っ赤な色で魅了している。構造も何ともなまめかしい。雨に煙る曼珠沙華に恋をする。

成城の街のサクラの葉っぱも、散り急いでいる.明日からの台風の襲来で、一度に季節は変化するだろう

<読書>

「何故近大は繁栄したのか」E・フェルブス みすず書房

何とも、こ難しく書き綴るモノだ。要は、イノベーションがもたらす結果ではあるが、何故、産業革命に至ったのか?思いついたのかは、読んでも解らなかった。が、人の欲望と好奇心の相乗効果と、資本の偏り、がもたらすのか?難解な経済の本である。

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2016年9月18日 (日)

シルバーウィークと言うらしい

 今週は、シルバーウィークと言うらしい。敬老の日だけではないだろう、皆が一周間のんびりせよ、と言うことらしいが。このボケ爺も、そんな余裕はなくなっている。何時になれば、心安らかにゆったりとした時が作れるだろうか?

 これは社会が余裕を無くしている。老人がスマホに四苦八苦している姿がそれを現れている。通勤時間帯の満員電車に、老人が多くなった。夕刻は、老人がドアの入り口に、場所取りで小競り合いがある。時に女性が厚かましくなり、カバンをぶつけて来たり、体をぶつけて来たりで強くなっている。

 仙川商店街は狭く、長い道が続く。楽器を持った女子学生や、小学生が多いのだが、目立つのは老人である。歩く速度が違うので、ボケ爺には歩き難い街だ。

 台風の襲来、今週は雨の日が続くらしい。秋雨は寂しい気分になる。夏の思い出の回想に。そんな中、最後の命を繋ぐセミの叫びが悲しい。百日紅の花も散るスピードが速くなってきている。

<読書>

「臥龍」今野敏 徳間書店

=横浜みなとみらい署暴対係=シリーズである。警察には、色んな係に分かれており、それらの関係が複雑である。そんな中、それぞれの係の縦役割から、抜け出せなくて、冤罪が生まれることがある。その冤罪が生まれるカラクリの展開である。

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2016年9月15日 (木)

価値と無駄

 昨日は、定刻の時間に家を出た。すさまじい大雨の最中で、駅までに下半身がずぶぬれになった。今日は、何も用事がない。「毎日が日曜日」気分で過ごそう、と。

 だが自宅で過ごす習慣が無い。或は、余裕が無い。しかるに何かと余分な事を考える。TVをつけっぱなし、消せばいいのに。無駄にコーヒーを入れようとする。飲みたくもないのに。お菓子に手を出す。

 イチローは非凡だ。誰もが言う。体重のコントロールを見ても解る。自己管理がしっかりと出来ている。きっとルーチーンが守られているのだろう。食事、練習時間、メニュー、睡眠、と。優秀な選手はすぐに太る。その結果は?

 平凡なサラリーマン生活が長かったボケ爺は、通勤と、会議の確認がルーチーン。それが一日の価値だと思っていた。居酒屋での悪口もルーチーンの一つだった。

 だが、「計画性のない無駄を愛おしく過ごせなければ、良い作品は生まれない」と言いうのは、向田邦子。「無駄な雑談と、無駄な散歩が無ければ、課題や構想は生まれない」は夏目漱石だ。無駄がアイデアを生む。イノベーションを生む。これは確かだ。

 さてボケ爺、今日一日、無駄な時間を過ごしたが、アイデア創出は???

<読書>

「お春」橋本治 中央公論新社

何が言いたかったのだろう、と思うほど、すんなりと読んでしまった。筋はあったのだろうか?主題と仕掛けはあったのだろうか?不思議な作品だ。女祇園精舎か?女版徒然草か?人は流転する。因果応報と言うことだろう、と、ストンと収まった。

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2016年9月11日 (日)

北朝鮮の挑発に

 災害をもたらし台風達が去り、秋雨前線が活発になって来た。いつの間にか、夜明けが遅くなり、暗くなるのも早くなって来た。

 季節は定常の変化ではあるのだろうが、世界は大きな変化のうねりが起きている様に思える。シリア情勢は、今は少ないニュースになって来ている。ISのテロや、英国のEU離脱から始まり、EU各国の難民問題。中国の経済の低迷、海洋進出。ここに来て北朝鮮の地下核実験に至る。

 世界中が北朝鮮を非難している。北朝鮮にしてみたら、「当たり」と、ほくそ笑んでいるだろう。それに乗じて、各国は軍事力の強化を唱えてくる。とりわけ安倍首相は、調子に乗るだろう。北朝鮮で核の開発が、そう簡単に出来る訳は無い。必ず背後で援助している国が居るはず。それは中国か?ロシアか?イランか?世界を混乱させて徳をする国であろう。北朝鮮よりも、そちらの戦略にかき乱されないようにしたいのだが?

 日本はその挑発に最も乗りやすい、と思われている。日本国民は調子に乗った安倍首相の挑発に乗ってしまうのだろうか?

<読書>

「父の酒」安岡章太郎 文芸春秋

随筆集か、コラム集か、エッセイ集か、ボケ爺には判然としない。だが文章は美しい。「執着に付いて」「日本人と朝鮮人」「電灯のささない家」などは、考えさせられる。「犬の愛情」「私のきいたジャズ」は愉快。「父の酒」は父の思い出で、ボケ爺と共通するところが在る。このような本を読んでいると時代を忘れる。日本人とは?も考える。

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2016年9月10日 (土)

ネットの次に来るモノ?

 ボケ爺は、まだスマホを使っていない。ガラケイと、PCで済ませている。別に不便を感じない。満員電車の中は、スマホで時間を過ごす人が8割ぐらいか?以外に、本を読んでいる人がいる。

 いま、IoTInternet of Things)と言って、物がネットに繋がる時代になると言う。インターネットが始まり、Web2の時代が現れ、クラウド時代だと騒いだかと思いきや、今度は、ビッグデータ時代に突入、と。同時に、IoT時代、更にAIだ、と。

 このソフトサービスは、留まるところが無い。そのIoT時代の目玉が、スマートセンサーだ、と言う。或は、AIをまじえてスーパーセンシング時代だ、とも騒ぐ人がいる。

 確かに、ビッグデータと、AIと、センサーを組み合わせると、想像できない程の可能性が生まれてくる。その一つが、クルマの自動運転だ。

 しかし、この自動運転も、一つ間違えば、凶器にもなる。何故なら、ネット、センサーにノイズをほり込めば、サイバー化する。今でもネットのウィルスは留まるところが無い。自動車は、武器(凶器)に早変わりする。さて、20年後はどんな時代になるのだろうか?人とモノが共存できるだろうか?目に見えないテロの時代になっているかも。

<読書>

「〈インターネット〉の次に来るもの」ケヴィン。ケリー NHK出版

=未来を決める12の法則=との副題が付いている。それぞれは、それなりに解らない訳ではないが、それが法則と言われても理解できない。ボケ爺は、もう、着いていけない歳になってしまったのか?残念。

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2016年9月 6日 (火)

ロシア外交の懸念

 安倍首相が、ロシア外交に熱心だ。だが心配だ。ロシアと緊密な外交関係を作ることは、二国間だけを見れば、なるほど良い事だ。だが、

 だが日本は基本的には、アメリカの友好国(同盟国)となっている。これを忘れてはならない。ロシアと日本が親しくなれば、何が起こる?安倍首相のオチョコチョイで?

 アメリカの同盟国の日本は、アメリカの共通の敵を、十分に理解し共有しているのか?このことは伝わってこない。公ではないので解らない。国家秘密であろうが。

 それが、中国であるとするなら、ロシアは、その間で、どんな行動に出るのだろうか?少なくとも、アメリカ寄りの欧州の各国は、アメリカと意思疎通を図って、中国に近づかないようにロシア包囲を行っている。日本だけが抜け駆けする事は、日本はどうなるだろうか?アメリカとロシアとではどちらが日本を助けてくれるか?中途半端が最も危険だ。

 中国が共通の敵とするなら、ロシアに、中国と関係を持たせないようにするべきだ。今、ロシア外交課題に熟知しての行動なのか?アメリカと、その情報共有が、十分になされているのだろうか?

 日本には、領土問題を抱えている。韓国とは竹山(独島)、ロシアとは北方4島、中国とは尖閣諸島。それらが今、最大の課題であろうか?悲願であっても、国の存在、生存にはそれほどの影響はない。解決しない方が良い。外交の「切り札」になるからだ。切り札は何時までも手中に納めておくことだが。

<読書>

「チャイナ2049」マイケル・ビルズベリー 日経BP

中国の国家戦略 1949年から始まる「100年マラソン(The Handed year Marathon)」と言う。ビルズベリー、30年以上のアメリカの中国戦略担当だった人だ。アメリカは中国の戦略に翻弄させられ、誤解を抱いてきた。その経験からまとめられた、中国の本音が見える本である。

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2016年9月 4日 (日)

灼熱の太陽に真紅の花は

 図書館に行く途中に養護介護センターがある。その花壇に、真紅の大ぶりの芙蓉の花が咲いている。真紅の花のヤマユリが、3本ほど咲いている。更に、百日紅の花も真紅である。3種ともそっくりな色である。そこに、灼熱の太陽が注いで、まったく暑苦しい。死を予測するようで不愉快だ。何故、養老院にこんな花を選ぶのだろうか?

 この月曜日に、右足の根っこが腫れてきた。ボケ爺は6年ほど前に、脳出血で、右足の裾野の痛みの感覚は1/4程度である。それでも腫れると少し痛くなる。其れより歩き難い。スワ痛風か?二日前に、たらふく食べたイクラがいけなかったか?しかし、腫れ方が違う。

 足の甲を良く見ると、小指と薬指の根元に、真紅(茶色)の筋がある。棘が刺さったのか?と思い、針で突っついて取り出そうとしたが、真紅の血で染まり、判然としない。あくる日、まだ腫れが大きくなったので、近所の外科医院を予約した。

 外科医は、遠慮なくピンセットで、ホジクリ回す。何本かの指はピクピク動く。すこし痛い。医者は「痛いだろう?」と言いながら遠慮なくいじり回す。その間出血は続く。結果、「棘は見つかりません。」「カットバンを貼っておきます。様子を見ましょう。」「治らなかったら皮膚科に行ってください?」「冗談じゃない、何故皮膚科なのだ!」と思ったが言えなかった。

 今日は腫れも引いて、快適だ。何故、腫れたのか?疑問のままだ。ボケ爺の歳では想定外が起きる。

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2016年9月 3日 (土)

紙のはなし

 いつの間にか、9月に入っている。時は巡る。図書館の裏山の林のセミの声は、去りゆく夏を惜しむ、むせび泣きか?7年も暗い土の中で、我慢して生活をして、やっと下界に飛び立ったら、子孫を残す期間は一週間しかない。無我夢中でメスを呼ぶオスは哀れなり。

 紙の話をしたい。先日、工芸展の漆コーナーで、漆の中の異物を取り除くには、和紙をフィルターに使うと最高に良いらしい。ボケ爺の興味は、残された和紙と漆のコラボが面白い。その和紙は捨てられるらしい。それを使って、壁掛けオブジェを作ろうと、その収集を願い出た。

 紙は面白い。セルロースである。セルロースは、一本一本は強い。カーボンファイバー以上だ。又、自在に化けてくれる。これからの応用開発が面白い。紙の欠点は、親水性であり、水を吸い込むと、メチャ弱くなる。燃える事も欠点だが、これは防炎処理がホウ酸で出来る。撥水性を求めて奔放した。珪素のナノ物質をセルロースに絡ませることに成功。少々の水ははじく。面白い。

琵琶湖人力飛行機大会では、紙を使っている人は居ない。トンボの骨格を真似ている人も居ない。残念だ是非、和紙でトンボの骨格を作り、貢献したいのだが。

 紙の筒を、建設する柱、壁にして、簡単の内が建てられる、と言う人がいる。坂茂氏だ。阪神淡路大震災時に、教会を立てから、積極的に、紙の利用を建築に活かしている。ボケ爺は、珪素のナノ撥水剤で、貢献をしたいと思っている。

<読書>

「紙の建築 行動する」坂 茂 岩波書店

紙で建てる建築物は、将来面白い、とボケ爺は期待している。自分で作ってみようかな?

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