ピカソに学ぶ
「ピカソ」粟津則雄 生活の友社 =20世紀美術断想=を読む。目から鱗。今までのボケ爺は、ピカソは天才だ。訳が分からない構図、色彩で、要は抽象画、と。世界の美術館で、ピカソの表層を撫で済ませていた。
本箸の解説は違った。デッサンの時代から、青の時代、桃色の時代を経て、突如「アヴィニョンの娘」の時代を「創造と破壊」を繰り返した。
「ゲルニカ」の創作時代の苦難の創造の道のりを過ぎてからは、「宮廷の官女たち(ベラスケスに)」「マネの「草上の昼食」」の時代、「画家とモデル(レンブラントとサスキア)の時代、作者の発想に自分流の解釈を加える作風へとたどり着く。
ピカソの作風は、「創造と破壊」の画家である。ある画風に集約できる人ではなかった。時代と共に、自己の過去を破壊して行った。更に、一枚の絵を描く時に、習作?を何枚も書き構想を練ってゆく。つまり、試行錯誤の数が多い。試行錯誤中の絵も作品だが。そこに意味がある。多くはキャンパスの中で修正する。
これに似た人は、夏目漱石だ。短編集で、試行錯誤している。エッセーでも、手紙でも。兎に角、多作を本望とし、それをもとに、更に発想を変更する。創作ノートも立派に存在する。
技術家は、創造性、発想力、表現力が命だ。他には、正確な実験力、検証力も。つまり、「演繹と帰納」となる。その想像力、発想力、表現力は、ピカソに学び、漱石にも学ぶ必然を認識した。
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