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2016年5月29日 (日)

すでに紫陽花が

 3日前に井之頭線を明大前から渋谷へ、利用した。その沿線の両サイドの紫陽花は、延々と続き、梅雨時の憂鬱な時期を癒してくれる。すでに開花しているが、まだ、花の色は薄い。これから一ヶ月は楽しませてくれるだろう。

 一方、我が家の紫陽花は、まだ開花していない。否、花の芽を付けていないから、当然だ。紫陽花の剪定は難しい。切り過ぎるのだろうか?今年は剪定を止めてみよう。

 我が家は、サツキの花が満開だ。昨年よりの勢いが良い。今年は、何処のサツキも美しい。さて狂い咲きか?

<読書>

「ユーモアのレッスン」外山滋比古 中公新書

2003年の作である。ユーモアの例を良くここまで集めたものだ。根気のいる仕事だ。だが解らなかったのは、ユーモアと、ウエットと、ペイソスと、の違いだ。また、日本の「洒落」とは?ユーモア、と言えば英国だ。日本にも、沢山の作品がある。落語、川柳(俳句)、等。漱石の「吾輩は猫である」「坊ちゃん」は最高。しかも、英国嫌いだった、その英国仕込みだと言う。ユーモアが話せるには、心の余裕が、何と言っても必要だ。経営者の必需品である。

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2016年5月28日 (土)

機内食のナマズのかば焼の味は?

 ボケ爺はウナギのかば焼きは大好きだ。ウナギ味のナマズが、機内食に登場するとの記事があった。いよいよ本格的なデビューとなるのだろうか?

 近畿大学の開発品である。近畿大学は養殖マグロの開発で有名だ。梅田に、東京にもレストランを開設して人気がある。今度はナマズである。

 ボケ爺の幼少の頃は、川で沢山捕れたが全て捨てて帰った。網を壊される事度々で、路肩に捨てて日干しの罰を与えたりしていた。ナマズでウナギの漁場を荒らされないように、と。ボケ爺の幼少の頃は、稲作の用水の為の小川にも、ウナギは上って来ていた。夏のご馳走に躍起になっていた。

 ところが、45年ほど前、アメリカに出張するようになって、ナマズ(キャツフィッシュ)を食べることに驚いた。フライが多いのだが。これが不思議に結構おいしい。中国でも食べることが出来る。日本でも食べる地域があるとか聞いたことがあるが?これが過っては捨てていたナマズの味かと驚くと共に、過去を残念に思った。

 近畿大学は、エサとか、水の条件などに工夫をして、ウナギに近い味に出来たと言う。多分料理の仕方にも工夫がいるのだろう。駅弁にも「ナマズのかば焼」、と出回ることだろう。新しい食材に期待したい。

<読書>

「昔日より」諸田玲子 講談社

美しい文章に酔う。市井の暮らしで起きる出来事を、ミステリー風に仕上げた8編の短編集である。色んな出来事の発想が出来るものだ。

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2016年5月26日 (木)

ピカソに学ぶ

 「ピカソ」粟津則雄 生活の友社 =20世紀美術断想=を読む。目から鱗。今までのボケ爺は、ピカソは天才だ。訳が分からない構図、色彩で、要は抽象画、と。世界の美術館で、ピカソの表層を撫で済ませていた。

 本箸の解説は違った。デッサンの時代から、青の時代、桃色の時代を経て、突如「アヴィニョンの娘」の時代を「創造と破壊」を繰り返した。

「ゲルニカ」の創作時代の苦難の創造の道のりを過ぎてからは、「宮廷の官女たち(ベラスケスに)」「マネの「草上の昼食」」の時代、「画家とモデル(レンブラントとサスキア)の時代、作者の発想に自分流の解釈を加える作風へとたどり着く。

 ピカソの作風は、「創造と破壊」の画家である。ある画風に集約できる人ではなかった。時代と共に、自己の過去を破壊して行った。更に、一枚の絵を描く時に、習作?を何枚も書き構想を練ってゆく。つまり、試行錯誤の数が多い。試行錯誤中の絵も作品だが。そこに意味がある。多くはキャンパスの中で修正する。

 これに似た人は、夏目漱石だ。短編集で、試行錯誤している。エッセーでも、手紙でも。兎に角、多作を本望とし、それをもとに、更に発想を変更する。創作ノートも立派に存在する。

 技術家は、創造性、発想力、表現力が命だ。他には、正確な実験力、検証力も。つまり、「演繹と帰納」となる。その想像力、発想力、表現力は、ピカソに学び、漱石にも学ぶ必然を認識した。

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2016年5月23日 (月)

STAP細胞は在った?

 ドイツでは、名門大学のハイデルベルグ大学の研究所から、STAP細胞の存在の実証研究の論文が発表された、ようだ。低pHの酸性は、万能化する可能性がある。特に、癌細胞、癌幹細胞で、魅力的な研究課題だ、と言う。小保方方式そのものでは上手くできなかったが、pH3.3程の酸度による方法である、と言う。

米ハーバード大学付属ブリガムアンドウイメンズホスピタルから、作成法の特許申請を、各国に起こしている、と言う噂である。製造方法のアーティクルのプロトコルは、小保方さんは、オレンジジュースの中の酸性による刺激であったが、それだけではなく、刺激方法は多数に及ぶと言う。今後STAP細胞と呼ぶかどうかは解っていないそうだ。基本原理は同じだ。

 さて、これが本当なら、理化学研の「STAP細胞は存在しない」、との「言い切り」には、どんな未来が待っているのだろうか?

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2016年5月21日 (土)

雑草に悩まされる

 昨年の秋に雑草を綺麗に取り去ったと思ったのだが、今年は、新たな雑草がやって来て、一面覆っている。その雑草の名前は知らないがよく見る嫌な雑草だ。それにしても植物の生態の不思議さに驚く。

 植物は足が生えて、移動している訳ではない。何故、一冬で、がらりと勢力分布が変わるのか?当然、種が降り注いだことになる。誰が持ち込んだのだろうか?風か?その雑草は、今にも花が咲き夏までには種になってしまったはずだ。不思議だ。

 近所の庭とか、そこらの空き地を眺めると、そこにもその雑草で多く分布している。我が家の庭だけではない。この地域全体で勢力分布が変わっているのだ。それにしても雑草は強い。

 以前には、青木の葉が、病原菌に侵されて、葉っぱが枯れてしまった。これとて、この地域全体の現象だった。

 植物は生き残りに、何か戦略を持っているのだろうか。それが分かれば、経営の生き残りに活かされるのだが。

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2016年5月19日 (木)

舛添氏、セコイよ!

 東京都舛添知事の政治資金の使い方の報道から、舛添氏の人格を予想するに、「セコイ人!」と言う批判がピタリの人格だ。政治家として最低で「小者」と言える。

 今日20年の経済低迷時期に、日本を救う指導者とならなければならない人達が、高度経済成長期の三番手として育って、その甘い汁を吸ってしまったために、「小者化=セコイ人」となってしまった。「日本人は疲弊」から「腐敗」している。

 マンション建設の不正、建材にまつわる不正、今日の贈収賄の記事にも「セコイ」は当てはまる。20万円程度で不正をしてしまう。人格の規律を守れないか、忘れてしまっているか?これとて、高度成長のひずみである。

 三菱自動車の会見でも、率先して責任を取らなければならない会長の「益子修」は、相川社長に辞任を押し付け、自分は、三菱商事からきて、不正には関与していないと居座る。これも「セコイ」考えだ。しかも、三菱グループも、これを許すは「セコイ」。東芝の歴代の社長、取り分け居直っている西室特別相談役も「セコイ」。その顧問群も「セコイ」。シャープも然り、歴代の社長群は「セコイ」。

 明治維新後の富国強兵の高度成長期に似ているのか?そこに、人々に不安をもたらす狂気がある。すると人々は自分を見失う。漱石はそこにメスを入れた文豪であった。没100年にして、日本人は読み直すが必要がある。日本経済の復活は、「セコイ小者」が居る限り、無いだろう。だから、田中角栄か?

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2016年5月15日 (日)

狂い咲き?

 我が家の北西の隙間に、エゴノキが生えている。この家に来た時、45年ほど前になるが、直径7~8cmにもならない若木であった。今は、直径30cmは超えている。

 7年ほど前だったが、伸びすぎたので、枝をバッサリ切ってしまった。その時から弱ってしまって、今では、幹の半分は腐ってしまったようで、幹の途中に穴が祠(トンネル)のようにえぐれてしまい、かろうじて生きている様に見えている。近所の猫の居眠りの為の場所となっている。

 そのエゴノキが、今年は新芽もフサフサと生い茂り、今は白い小さな花を枝一面に、一杯咲かせて美しい。今年にも枯れるのではないかと思っていたのだが。これは、死を覚悟した最後の狂い咲きではないか?と心配している。老犬のチャーリーも、同じように最後は、散歩をせがみ、元気に家を飛びだしたのだが、その途中で逝ってしまった。今年の枝落し(剪定)は止めておこう。せめて後5年は生きて、50年の記念を祝いたい。ボケ爺は、まだ狂ってはいない?

<読書>

「破落戸」諸田玲子 文芸春秋

あくじゃれ瓢六シリーズである。翻訳者を経験した人の文章は美しい。水野老中時代の北町奉行所、南町奉行所の競争の中の展開である。下級武士の活躍と、叶わぬ恋の絡みが心躍らせる。気分転換には最適だ。

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2016年5月14日 (土)

腸内細菌はどこから来るか?

腸は、独自の脳のような機能を持っている。健康をコントロールしているのは脳ではなく腸内細菌だ、と言われている。

腸内細菌の数は、百億兆匹と、人の細胞の60億兆個、をはるかに超えている。腸内細菌の存在の多い少ない、とか、在るか無いか、で、健康状態に絡み、精神状態の状況、欠陥が現れる、と言われている。

その腸内細菌は、何処からやって来るのか?どの様にして子供に住み着くのか?膣内に居る時は、無菌状態であるはずだ。へそからの供給ではない事は解って来た。なんと子宮の膣に育まれているらしい。産道を通る時に産道周辺の粘膜で、鼻や口に押し付けられて、子供に、受け継がれると言う説が有望である。神さま仏さま子宮さま。

(腸内以外に、常在菌叢(そう)(フローラ)は皮膚、口腔、胃、鼻、膣、等に存在する)(口腔菌は、胃の菌と似ているが、腸内へは移行しない)

(米国と中国が似ている。日本はロシアと似ている。これは、食べ物だけではなく、環境、ヒトの気質、等絡んでいるのでは?)

不健康な状態の時には、健全な人の腸内細菌を移植すれば健康体生まれ変わるようだ、健全な腸内細菌を持つ人のウンコを食べれば良いらしい。研究が進み、今に、ウンコを包み込んだオブラート錠剤が売り出されそうだ。

ここにも母親の重要性が関わっている。母親の、健康性は勿論の事、精神の安定状態で、コロニーが変化すると言うから恐ろしい。子供はうっかりと作れない。すでに出来てしまった人はどうすれば?永遠に女体は恐ろしい。妖怪と一生暮らすことに?トホッホ!

<読書>

「生命デザイン学入門」小川葉子、太田邦史編 岩波ジュニア新書

過っては、バイオミネテックスの活用は、技術面で進んでいた。他にも展開できる、と言う。「微生物と超生命体」、「コミュニケーション空間」、「空気と雰囲気」、「予測手法」、「最適化アルゴリズム」、「生きている社会の観方、作り方」、など。

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2016年5月11日 (水)

何故今、田中角栄

 

 ここに来て、「角栄ブーム」は?石原慎太郎氏がかつての政敵としていた田中角栄について書いた本天才がベストセラーになったからだ。

 

 昭和の時代のボケ爺には、善悪を超えた魅力あふれる政治家だ。人を動かす情、官僚を動かす現実性、巨額のカネ。構想は、凡人の発想を超えていた。

 

「日本列島改造論」では、公害と地方の過疎化を一気に解決、日本全国を新幹線と高速道路で結び、工場を地方に移転させる。工場は日本の北半分に誘致。理由は、雪が降らず農業に適した太平洋ベルト地帯は農地にして、寒い雪の多い場所を工業地帯にすれば、農業も工業も同時に発展させることができる、と。

 

政治家の功績は、一つは郵政大臣時代に民放テレビ36局の一括免許交付。1957年に、全国に民放を開局させた。孫正義が居なければ、日本のブロードバンドも携帯電話も発展しなかったというエピソードに近い。

 

二番目は日本中に道路のネットワークの建設を推進したことだ。中でも有名なのは1971年の自動車重量税。これで、財源を確保した。

 

 三番目の功績は日中国交正常化だ。これを非難する人も居るが?

 

中曽根康弘元総理は国鉄民営化だ。小泉純一郎元総理は郵政民営化。どちらも「壊すこと」以外にない。これが今の「日本の闇」である。今の日本には「破壊神」はいても「創造神」はいない。

 

 確かに、立花隆氏が告発した金脈問題はあった、その分実行力が備わっていた、と思う。

 

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2016年5月 8日 (日)

穏やかな日曜日

 大型連休の最後の日である。朝から日射しが強い。花水木が終わったと思えば、マロニエの花が咲き始めた。5月末のパリのブローニューの森を思い出す。

 我が家のクレマチスは、一週間ほどで、今日で、一斉に散ってしまった。短くも、はかない運命である。それに代わって、ユウガオ(夕顔)が3輪、ひっそりと咲いた。今日から咲き始めた。まったくの野生である。我が家のユウガオは、白色を基調に薄い、薄い紫色が添えられている。

淡い紫色の大人の色気が、日陰から覗いている姿は、光源氏が、偲び愛でる女人、夕顔を想像する。ボケ爺も、夕顔のような人に出会いたい。このひと夏を楽しませてくれるだろう。

 実篤公園や、国分寺崖線の森からウグイスの合唱、他の小鳥との協演が聞こえてくる。穏やかで、平凡なひと時。

<読書>

「なつかしい時間」長田弘 岩波新書

詩人の感性は、技術家のボケ爺には、残念ながら響かない。だが、そうありたいとは望むところだが。言葉は自由でなければならない。言葉の共有が人をつなげる。言葉が人の憎悪を生む。言葉は人の心を刺激する。言葉は国境を超える。そこに詩が生まれる。言葉があってこそ「なつかしい時間」が得られる。五月は「木下杢太郎」の詩の風景だ。

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2016年5月 7日 (土)

ルーティーンの重要性

 この連休は、少々長すぎないだろうか?何時ものペース(ルーティーン)を崩すと、ボケ爺ほどの年寄りは、何をすればいいのか?戸惑って、無駄な時間が過ぎる。元々ボケている頭が一層ボケる。

 ルーティーンの重要性は、ラグビーの五郎丸で騒がれた。ボケ爺の覚えているのでは、数学の天才、岡潔の随筆集(40年ほど前?)だったかで、毎日の散歩の重要性を唱えておられた。アイデア創出のためだとか。

 最近、漱石の「ビジネス脳」として研究をしているが、漱石も、ルーティーンを実行している事が分かった。午前中、机に向かって執務を終わらせて、午後からは、散歩、と決めていたようだ。その時に次の構想を練っていたようだ。

 ボケ爺のルーティーンは、朝の駅までの徒歩、通勤電車で格闘する。メールを見て、返事を終える。コーヒーを飲む。そこから、何かを始める、のパターンだ。頭をリフレッシュしている様に思える。ならば、座って居眠りしている人は、ルーティーンをサボっている。仕事の出来ない人だろう。

<読書>

「コラムばか一代」石井英夫 産経新聞社

産経抄のコラムニストを35年も続けられた方の思い出話である。35年と言うと、毎日(週に6日)だから、年300篇、掛ける35年。その間、1日も休んだことは無いと言う。健康に気を付けて、少しは書き貯めてはいて旅はしていたようである。続けられる意慾に乾杯。基礎には、毎朝、に書き終える、と言う習慣を持つ事。午後の勉強が隠されている。含蓄の言葉はそこからくるのだろう。「好奇心と諦めない」、である、と。

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2016年5月 3日 (火)

都立神代植物園

 まだ、荒れる天気までには余裕がある。薄日が気温を上げている。都立神代植物園はボケ爺の家から、ゆっくり歩いて約1時間の所に在る。兎に角広い園内には、人、人で、一杯。やはり年寄りが多いが。バラには少し早い。藤の花と、ボタンが満開だ。それぞれに、種類が多くて覚えられない。

 驚くことに、植物園の周辺に、多摩動物園の所有と張り出されている。一部の動物を飼育するのだろうか?

 その他、テーマ(木木や、草花)ごとの地域がある。椿、梅、サクラ、赤松、黒松、竹類、アジサイ、山草類。芝生の遊び場もある。そこで寝っころがって、本を読む、が居眠りしてしまう。残念なひと時だった。

 3日は、憲法記念日だ。安保法制は、違憲であることは、普通のロジックでは、正しい。9条の戦争放棄の平和主張に違憲であることは明らかだ。憲法は、政治を司る人が守らなければならない法律だ。そのことが99条に明確に記されている。

 日本憲法は、「日本国民」に、と記されているが、自民案は全て「日本国」に、変更されてしまっている。こんな非論理が通じていいのか? 考えよう。

<読書>

「酒田さ行ぐさげ」宇江佐真理 実業の日本社

=日本橋人情横丁=市井の人情物の短編集だ。市井の人情は心が和む。久しぶりの時代小説だ。

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2016年5月 1日 (日)

五月晴れ?

 朝から晴れる。が、薄雲で太陽光線は弱い。ボケ爺の冬物布団類の入れ替えだ。一冬、使っていたので、体臭を吸い切っている。太陽の熱で、吹き飛ばしたいが、今一つ。布団カバー枕カバー、敷布、毛布など洗濯する。午後は晴天となる、ラッキー、と、体臭が消えることを願う。

 今日の実篤公園は、お年寄りばかりだが、賑やかである。当然ボケ爺もその年寄りの仲間だ。池のニジマスは、相変わらず元気に飛び跳ねている。木漏れ日の似合う園内である。

 エックス線天文衛星「ひとみ」の失敗をJAXAは認めた。これで3回の連続失敗である。失敗の現象の公表では、技術家から言えば、シンプルな初期的失敗ばかりだ。ロケット打ち上げの成功率は高くなったが、今までの衛星の活動不具合は、まだまだ一流とは言えない。「ハヤブサ」の生還の奇跡に、称賛されるが、元をただせば基本的なミスであった。今日の、日本の技術の停滞の一つであろう。残念な状況が続く。何時五月晴れとなるのだろうか?

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