無常な句
ボケ爺、古希を迎えるに当たり、無常を考える事が多い。蕪村はどうなのだろうか?無常を生きた人なのだろう?鴨長明の方丈記は随分と参考にしているのだが。
「御手討の夫婦なりを更衣」社会での不成功者の夫婦がひっそりと無常を生きている姿に思えてならない。まるでボケ爺の様だ、と解釈している。
そう言えば、漱石の作品の「門」のように共通するように思える。友人を裏切って不義な結婚をして、暗い過去を背負っている。ここに流れる無常とは、「武士道」の精神を守るココロがあったのでは、と思うのだが。
今は、如何であろう。侍=サラリーマンとしたら、サラリーマンは、侍の様な倫理観を持ち合わせているのだろうか?悲しいかな、競争社会の中で、浮草になっているように思える。深慮不足と言う事か?
<読書>
「こどもの疑問」中央公論新社
僕は何時大人になるの?どうすれば他の人と分かり合えるの?考えるってどうすればいいの?悪い事って何なの?自分らしいとは何なの?なんで生きているの?心ってどこにあるの?幸せって何なの?など等。
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