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2013年9月 5日 (木)

イチローの行動発想

 イチローの4000本安打の記録を達成した翌日にもヒットを放っていた。前回のイチロー論は、「努力の人」の考え方であった。今日は、努力するに「目的が要る」はずだ。夢をどう持つかが重要だ。多分、野球人生悔いを残したくない、と思う「執念」であろう。その目標は、「記録に挑戦する」、ことであったのではなかろうか?

 問題は、多くの挑戦者は、新聞で騒がれる優秀な選手の比較値であろう。打率など一年ごとの記録の達成だろうと思う。イチローは、そのような目先の手段ではなく、世界の記録(目的)に挑戦することにこだわったのではないか?何本のヒット数、毎年の最低記録(200本連続)出塁の最低の数、盗塁の連続数、など。「長期の目標(総量)」に注力したであろう。

 即ち、ボケ爺が言う「目的・目標」が先か「手段」が先か、との発想の違いである。イチローは前者であり、多くの凡人は、後者となってしまう。目的・目標があって、そのための手段である。財界、政界も同じ発想であってほしいのだが。

<読書>

「橘花抄」葉室麟 新潮社

武芸を鍛えるとは、「人を殺す(戒める)ためではない。人を死に至らしめない、ためだ」と豪語する。「己の虚勢を張るためではない、己の道を貫くためだ」「信念を築く」「覚悟を決める」とも言い切る。これとて、「目的と手段」の正しい論証でもある。「己の道は前にのみある、振り返るのではない」「人は温かみの彩り、が必要」「己は煩悩の徒であるかして、一人静かなること」「花の美しさは生き抜こうとする健気さにある」「生きる覚悟が美しい、人を引き付ける」

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