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2013年7月31日 (水)

7月最後の日

 31日は、当然7月最後の日。駆け込みBlogである。今年も梅雨明けは、早く明けたのに集中豪雨の災害が出ていしまった。毎年の恒例となってしまったことは残念だ。ボケ爺の庭には、格好の水の補給であった。元気のなくなった庭木は、やっと元気を取り戻した。百日紅は、薄ピンクの優しい花が爽やかにそよ風で揺れている。お気に入りの色の百日紅だ。

 世田谷バイアスの街路樹は、百日紅だ。今、一斉に咲き誇っている。今年は、セミの鳴き声が少ないし、遅い。朝方の小鳥の鳴き声は、4時半ごろから、5時半ごろまでが激しい。6時頃からは暑さのために、声を潜めてしまう。小鳥だって、夏バテなのだろう。兎に角、猛暑が続く。夏バテ気味なボケじいだが、スタミナ食は効かない歳になってしまっている。残念!

<読書>

「この君なくば」葉室麟 、朝日新聞出版

「この君なくば一日もあらじ」、この愛に一筋、この気概に一筋、この君子に一筋、この使命に一筋、この学問に一筋、この教えに一筋、この思想に一筋、で、一日もあらじ、になり切れるか?著者の作品にしては珍しく、滑稽なストーリとなっている。が、中身は濃いい。

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2013年7月27日 (土)

戻り梅雨のような日

 朝から曇っている。蒸し暑い。湿度が高く不愉快な一日になるようだ。不愉快だ、と言えば、安倍自民が圧勝したことだ。寓民はなぜ、安倍自民党に共感するか?安倍の危うさは、大きく分けて、2点ある。

 1点目は、軍国主義が復活しそうな危うさである。力の論理での外交方針だ。軍力でねじ伏せよう。経済力(GNP)でねじ伏せよう、と考えている。

 2点目は、企業を統制しよう、している。大企業を再編成して、益々大規模化して、格差は見逃す。大企業を優先とする。そして政府が支配権を握る。つまり経営権まで握ろうとしている。

 債務超過、つまり、財政赤字(歳出削減はしない)は無視をして先送りを決め込んでいる。何故、なぜこのような単純なストーリーに騙されるのだろうか?日本の教育の将来指針の欠如であろう。世界との差が開くばかりである。残念な国、日本。

<読書>

「霖雨」葉室麟 PHP

 人生の生きる基本は「中庸」か。派閥にも属さず、孤独に耐える事か?何人にも迷惑をかけることなく退く事か、自己主張はしてはならないのか?そして、噂や、誹謗中傷に、一途に耐える事か?と言っても、民の常識を育成するには、さらに民の平等を守るには教育しかない。国を守るには民全員が幸せになる最低の経済成長には、いかなる苦難にも立ち向かう気概が必要だ。本著はこんなことを問い詰めている。

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2013年7月24日 (水)

イノベーションと言われて久しいが

 イノベーションが企業の活力に欠かせないと、誰もが、叫ぶ。しかしながら、イノベーションンによるヒット商品は日本からは、一向に生まれてはいない、と言うのが実感ではないだろうか。

 多くの学者や、評論家が、イノベーションの本を、未だに多くの出版を続けている。その効果たるや如何に。ボケ爺も、イノベーションを信奉している張本人である、と自負しているが、イノベーションのタネすら生まれてこない。それは第一線から離れているからだ。イノベーションは、実践の中にいて、自ら開発、営業、製造している人からでなければ生まれない、ことだけは事実である。

 最近の本に、面白い傾向がある。もっと身近で、小さなイノベーションを起こせ、と言う人々が多くなった。イノベーション思考も縮小化の現れだろう。一つは、「模倣が原点だ」、イノベーションは誰もが模倣して創造してきた。つまり、無から有は生まれない、と言う。二つ目は、リバースイノベーションと言って、新興国向けに、現製品を適合させよ(VEと機能削減)、それが、イノベーションだと言う。悲しい時代であることに同情する。ボケ爺は、新材料から挑戦中だ。

<読書>

「ぼくとギル・ゲイツとマイクロソフト」ポール・アレン 講談社

著者のポール・アレンは、ギル・ゲイツと一緒に、マイクロソフトを立ち上げた大の親友であり、共同経営者である。本著の第一章目から、いきなり、ベンチャー立ち上げの経緯が懐かしく回顧している。事業は、「偶然であり、且、必然であり、事象にのめり込めるか」であると言っている様だ。

 延々とマイクロソフトを育てた、否、育てられた経緯が書かれている。1970年代後半のシリコン材料の半導体の時代の変化と、流れにのって、相乗効果で拡張した歴史は、ボケ爺の時代と一致して懐かしい。結果は、良き時代だったということか?

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2013年7月21日 (日)

オノマトペ、とは

 最近よく、オノマトペ、と言う言葉を耳にする。ネットで調べてみると、日本語では、擬声語と言うことらしい。オノマトペはフランス語からきていて、onometopeeと綴るらしい。有名になってきたのは、「きゃりーぱみゅぱみゅ」と言う若い歌手?(エンターテイナー)が深くかかわっている様だ。アメリカでブレイクしている様だ。彼女が主催するエンターテイメントは、世界中の女性の心をくすぐる可愛らしさ(パニュパニュ)があるのだと言う。日本の若いエンターテイナーも捨てたものではない。日本の文化だ。「おしん」一味違う日本文化だが。宮崎駿のアニメも、服装デザイナーも、建築家も、多くの日本文化を世界に発信しているが。

 朝ドラ「あまちゃん」の、「ジェジェ!」は、今では日本文化に止揚しようとしている。昔から多くの擬声語文化が存在している。世界への発信は、田舎方言に秘める魅力とオノマトペが大日本文化を生む。ボケ爺、大いに協賛(但し金は出さない。文化に金は似合わない)する。

日本の擬声語は、漫画の影響も大きい。「ジャーン」「ドカーン」とか、擬声語があったから漫画が成立した、と言える。ガタンゴトン、ガタンゴトンなど、上京の思い出話に。お前はビリだ、ビリだ、とバカにされたり、あの子にドキドキしたり。シトシト、ソヨソヨ、ゴロゴロ、ピカピカとの今の季節。

「きゃりーぱみゅぱみゅ」は擬態語か?とにかくメロメロだ。世界に向かって日本文化を、ガンバレ―!!!

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2013年7月20日 (土)

「得体の知れない奴」

 例年より早く梅雨が明けて、猛暑が続いている。そんな我が家に、例年と変わらずブドウが実っている。今年の実りは葉っぱの勢いと比べ少し良い。早めの成熟に、早めの収穫を楽しみにしていた。例年は、「得体の知れない奴」に、食べられて、ボケ爺の口に入らない。三年前までは処分するのも厄介であったのだが。二年間口に入っていないのだから、今年こそ、早めに収穫しようと楽しみにしていた。

 が、「どの程度色づいたか」とベランダに出たら、なんと、既に色づいた粒は、食べられている。今年も忘れず「得体の知れない奴」はやってきたのだ。皮だけが、無残にもまき散らし残っている。ホンのチョット色づいただけなのに。さてこの後、その「得体の知れない奴」と戦えるのか?今晩から徹夜で見張ろうか?昨年も一日徹夜したが、負けたことを思い出す。網でも買ってこようか?これから作戦を練る。頭の緩いボケ爺の楽しみが増えたのか?これではヤバイ、ヤバイ!

<読書>

「千駄木の漱石」森まゆみ 筑摩書房

漱石ファンのボケ爺にはたまらない話が次から次に飛び出してくる。漱石評論は、社会面の漱石(表の漱石)論が多く、ボケ爺も多くの正統派の評論、伝記を読んできた。

しかし、家庭人(裏の漱石)の漱石は、実に愉快だ。シャイで、家人には甘く、夫人には、頭が上がらず。明治の亭主関白の時代では、時代の先端を走っていたのか?

「道草」は自伝である、と言われている。健三が漱石自身だ。その妻は境子そっくりだ。神経質な漱石と、おおざっぱな妻境子が一生連れ添えたのだから、漱石はえらい。女性の著者も驚いている。多くの男性作家は何人もの女性と絡んでいたのだが。

漱石はロンドンから帰ってから千駄木に長く住んでいた。その近所には著名な方々の住まいも多かった。森鴎外も元、その家に住んでいたようだ。すれ違っている。著者の森まゆみ氏は、森と言うから鴎外の系列かと思いきや違っている様だ。実によく漱石の日常と、逸話を集めて、年代順に資料を、漱石の多くの交流も整理、まとめている。ボケ爺、久しぶりに愉快、愉快、爽快だ。

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2013年7月15日 (月)

ロボコン大会に興奮

 大学ロボコン2013の日本代表決定戦の放映があった。同じ課題に、色んなアプローチがあり、その工夫が面白い。リーグ戦で勝ち上った8大学が、トーナメントで決戦になる。一発勝負である。会場には、多くが機械系の工学部の学生は集っている。一戦ごとに、興奮と拍手で一杯。極め付きは、決勝戦である。結果は、一秒差であった。手に汗を握る戦線であったが。慎重派と自信派との差となった。勿論、慎重派が一秒先行したのだった。

 慎重派は、人間の操作感と、機械の自動化のバランスを求めた技術開発の装置であった。だから、操作員は、弛まぬ訓練を繰り返してきた。自信派は、完全に近い自動化で設計されていた。人間性を求めるものではない装置であった。パソコンを片手に、プログラミングで、勝負した。その分、正確無比であるが、数センチ狂うと、手におえない。

 それにしても、技術開発で、燃えることは素晴らしい。技術に生き甲斐を感じ、楽しみを知り、勝利に泣き、機械の誤動作、故障に悔し涙。開発者の一体感。ボケ爺も、技術家だ。久々に興奮した。40年は若返りたいのだが。工学部バンザイ!!!

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<読書>

「北欧デザインのめぐる旅」萩原健太郎 ギャップ・ジャパン

総論は、シンプルで、質素で、直線と、曲線の組み合わせ、と言うことか。色彩は原色で、透明感がある。和に通じるところがある。コラボに憧れる。

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2013年7月14日 (日)

日本列島思考停止

 猛暑のせいか、その疲れから来ているのか?ボケ爺だけが思考停止に陥っているのかと思いきや、日本列島、至ることに思考停止が存在する。

 そのもっとも冴えたる事象は、東日本大災害の、①東北地域の復興支援である。何故か、少ない支援金が使い切れない。これは、政府の言う、金は出すが、手を出さない。知恵を貸す仕組みを作らないからだろう。 他人のことには「口出すな主義」の蔓延だ。

次が、②福島電発の廃炉作業である。高濃度の汚染水が海に流れ出ていることは、当初から分かっている。今さら?データーを東電自身で公開しながら訂正することで、感性を麻痺させる確信犯が東電だ。誰も今は論評すらしない。マスコミも逃げている。何故か?アベノミクスを掻き立てている方が、新聞雑誌が売れるからだ。

 この猛暑で、なぜ、政府は節電を訴えないのか?電力が足りないのなら、節電しかない。いつの間にか、電燈はまばゆいほどに復帰している。クーラーはつけっぱなし。その為に月伝ボイラー用燃料の購入額は6兆円藻に上る。貿易赤字はますます増える。財政赤字は膨らむ。物価が上がればインフレ目標の2%が達成できる。だからアベノミクスは口をつぐむ。歳出を抑えることにも、口をつぐむ。真に経済復活の国民のためのインフレではない。

 猛暑が終われば思考停止は終わるのだろうか?ボケ爺と同じで、疲労破壊寸前だから、治ることはない!ゆとり教育で、黙る国民を作ることに成功した確信犯がいると言うのだろうか?

<読書>

「テロルの決算」沢木耕太郎 文芸春秋社

ノンフィクションである。17歳のテロリストと、日本の未来を真剣に悩み行動する野党党首との心理的形成を見事に描き切っている。筆者は、日本を代表するノンフィクション作家である。さすがに。今日の民衆との違いが際立っている。気概がほしい。

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2013年7月13日 (土)

猛暑が続く

 猛暑が続く。35℃近辺が一週間ほどは続いている。昼間の暑さよりは、最低気温に堪え切れぬ。今年の夏は、また昨年を上回る。きっと、家電業界、飲食業は、笑いが止まらないだろう。景気も異常気象で、上向くから経済とは不思議な魔物が住んでいる。

 今日も朝から強烈な日差しを受けて、昼顔が、朝顔よりも元気にピンク色を輝かせている。我家の百日紅の花は、2週間も前から、一枝だけが花を咲かせていて異常だった。今日は二枝目が花を咲かせた。異常気候は百日紅まで狂わせている。当然、ボケ爺の頭は、益々狂って来ている。どこまで狂えば済むのだろう。一過性ではないだけに悩みが大きい。

 夕方の雷雨を待ち望んだか、叶わなかった。この世は叶わないことは多いので気にしている訳ではない。木々には水打ちをすればいいだけだ。そんな水が欲しい。ウナギか、参鶏湯か、生ニンニクか、スッポンの生血か?

<読書>

「陽炎の門」葉室 麟 講談社

実にいい。推理的に人の心を抉り出す。掘り起こす。人はここまで考えられるものか?怨念あり、嫉妬あり、友情あり、忠義あり、義理があり、人情あり、拘り、捻くれ、愛があり、友情があり、忠勤あり。一途な心在り、情け涙在り、憎悪あり。一体、人はどこまで複雑なのだろうか?

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2013年7月 7日 (日)

梅雨明けに七夕

 関東甲信地域は梅雨明けになった模様と、昨年に比べ19日早い、と言う。例年大きな災害を経験してからの梅雨明けであったが、今年は、大きな災害が無く幸いであった。さらに今日は七夕である。幸せ在れ!

 外山氏の言う頭の緩い、緩いボケ爺は、頭の悪い人への讃歌である。頭の悪い人、つまりは「緩い人」とは、うまい表現だ。

 クリエイターEXPO、プロダクションEXPOは、これからの日本の文化を築く卵の集団だ。東京のあきしの村で、東京では唯一の手漉き和紙の製造をして、東京から「和」を発信したく多くのクリエイターが集い、楽しんでいる。ボケ爺も参加したく挨拶をしてきた。頭の緩い人達の努力がある。漫画、写真、包装、カリグラフィー、などの個人ブースで、熱気でむせ返っていた。

 新装東京駅を光と音楽でエンターテイメントしたが、観客が多すぎて、安全が保障できないという理由から中止となったプロダクションが、東京駅の20分の1のモデルで、その時に見せることとなっていた演出を見た。とても素晴らしく、感動した。こんなことを考える人々も、頭の緩い人々であるだろう。日本の文化に止揚してほしい。

 頭の緩い人の創造の時代がやってきた。日本から世界への活動を!

熱中症緩い頭にはこたえない

ひねもすにのたりのたりかなユル頭

<読書>

「五七五の力」石寒太 毎日新聞社

3原則は、季語が必要、定型(五七五)、切れ字であることは自明である。その必要性が、①季語の美意識、②定型のリズム、メロディー。更には、奇数の、風変りの持つ危うさ。③余韻、余情の楽しみ。だから俳句は楽しい。

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2013年7月 6日 (土)

頭の緩い人

昨日は忙しく過ごした一日であった。マイクロテック(主にSiMEMS)の見学、熱技術(炉)の見学、国際ブックフェア、併設されているクリエイターEXPO、プロダクションEXPOが印象に残った。(この印象は明日のBlogで)その後、外山滋比古(英文学者、御茶ノ水大名誉教授)の講演を聞いた。

題名は「思考力を鍛える本の読み方~乱読のセレンディピティ―~」である。現在の日本の困難さは、今までは「頭の秀才」が支配してきたが、それは、「知識」を用いた「物まね手法」であった。物まねには知識力が必要だった。日本人の特徴は「物まねに優れた」日本人と言われた理由がそこにある、と。これからは、「個性を基礎とした創造性、思考力」「自己思考力」を持った人がリードしなければならない時代だ、と。

 秀才ではなく「頭が緩い人」の活躍する時代が来た、と。「頭の緩い人」は、知識を優先しない。経験や、思考力を活用する。「知識と思考は、反比例する。」と言い切る。創造性豊かな日本を作るには、思考力である、と断定される。思考力なら、若い人、年寄りは平等だ。

 思考力・独創性を身に着けるには、セレンディピティ―(偶然性)が活躍する、と言う。その「セレンディピティ―」を身につけるために、乱読が最も良い、と言い切る。(外山氏は、70歳を超えてからの著書が最も多い人である)

 乱読の仕方は、①自分のお金で本を買う事、②最後まで読む義務を課せない事(途中放棄、大いに結構)、③分野を問わない事(専門書から離れる事)、である。成功率10%以下で多いに満足すべきである、と。但し、読み切れなかった理由を考えて反省はすること、と加える。乱読中に、ハッと、本著と違う発想が生まれるはずだ。それがセレンディピティ―である。大切にすれば、個性や、思考力が出来る。

 日本を救うには、秀才人の知識ではない。創造性だ。「頭の緩い人」ガンバレ!!!と言う。頭の緩いボケ爺への讃歌に感動した。

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2013年7月 5日 (金)

ヒニクレ者と、天邪鬼者

 言葉からすれば、良く似た雰囲気がある。いずれも、世間から見れば、変わり者で、アウトローが多いだろう。ボケ爺は、お袋から、いつも「ヒネクレ者」と言って育ってきたから、自他ともに認められている。否定する余地はない。

 天邪鬼の方が、可愛さがある。大体が世間の逆をやるのが天邪鬼と言われる所以だろう。右と言えば、左と言う、上、と言えば下、と言う。類だ。「天邪鬼経営塾」なるものが存在している。例えば、①儲からない時は給料を上げよ。②不況なら顧客訪問は無駄だから、するな。③仕事の効率は上げるな。④不景気に、大型発注が来たら断れ。⑤主戦場から、ずれよ。などなど。様は、皆と一緒の行動をするな!逆をやれ!と言うことらしい。

 ボケ爺は、天邪鬼者でなく、ヒネクレ者だから、可愛げが無い。「逆の行動」もさることながら、「一味変わった」ことを考える。プラスアルファーが、ヒネクレ者の心情だ。すぐやれと言われたら、やらないと言って、こっそりやる。右と言われたら、反対しながら右を向く。Aと言われたらA’を主張する。この特性で考えろと言われると、真似になるから特性の一部を変更する、歩けと言われれば、タクシーを使う。など等。いずれも嫌われる人生だ。ヒネクレ爺バンザイ!!!

<読書>

「経営危機には給料を増やす!」村田朋博 日本経済新聞社

「天邪鬼経営塾」を率いている創始者だ。とにかく世の中の反対をやるのが、良い経営者だ、と豪語する。ボケ爺に似ているが、違う。機械系を卒業して経営コンサルをすること自体、天邪鬼だ。本著書の真髄は、日本は競争に負けたのだから、天邪鬼でしか生きる方策はない。と言い切るところだ。天邪鬼バンザイ!

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2013年7月 3日 (水)

世紀末ジャパン

 今の年寄り連中、或は企業は、昔の良き時代のバブル前へ回帰したがって、古い概念が未だに、呪縛となって淀んでいる。時代は変わっているのだが。それが理解できない。社会なり、経済は、バウンダリー(境界条件)が変われば違う振る舞いになってしまう。多変数関数を解けば、すぐにわかることだが。

例えば、医療費の低減には、必要なのは「競争」より「協調」なのだが、こんなところにも、アメリカの自由競争主義が蔓延している。大型の病院が普及している。人口千人当たりの入院ベッド数は、13.6、ドイツでも、8.3程度。患者の在院日数も世界と比べて穴出している。CTや、MRIや、高額医療機器の人口当たりの設置台数も、際立って日本は多い。病院は都心に偏在している。患者数を増やすこと、保険金の増加を狙った金儲けの競争をしているからだ。

 アベノミクスの経済成長にも医療事業を重視しているが、経済成長の増強に使うつもりだ。医療に必要な事は、経済成長と言う金儲けの俗なことではなくて、充実を図ることだ。つまり競争から、協調への政策が必要なのだが。残念な日本がここにもある。

 企業においても同じことが言える。秘密主義、競争主義で、利益を減らしている。今は昔と違う。協調の時代である。共同して開発する技術を構築する時代である。

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