体罰
大阪のスポーツ名門校で、「体罰」を気にして自殺した高校生が出てしまった。「いじめ」により自殺者が後を絶たない中の出来事である。今回の体罰は、母親の話から想像するに、一日(一回)で、30~40回の平手打ち。これは「虐待」、と言っていいだろう。更には、「指導死」と言うのまでもあるようだ。教師が、見せしめに、一人悪者にして、皆に見せしめに追い込むことらしい。兎に角、教師の聖域の仕事は辛かろう。
ボケ爺も、小学校4年生までは、「ヤンチャ坊主(関東弁で、いたずらっ子)」であった。平手打ちで右左を殴られて、唇を切って、血を噴き出し口が開かないほど腫れあがった。親は同情しない。当たり前、と思っている。それから、ボケ爺、大人しくなった。が、5年、6年の担当教師に度々、げんこつを食らった。当然だとおもった。勉強を期待どおりしなかったからだ。
さて、これからの教師はどうすればいいのだろう。昔より、今の子供の方が生意気になっていることは明らかだ。悪い情報が一杯だ。大阪の件は、行き過ぎ、としても、陰湿な指導死よりも、まだ体罰は許される、と考えたい。虐待になってはいけないのは当然だ。体罰で能力が向上しないことも明らかだ。「いじめの課題」とは、異質な課題である。一緒にして語らないことを期待する。
<読書>
「冬の標」 乙川優三郎 中央公論新社
女の心理を語らせれば、右に出る人はいないのではないだろうか。主人公の心の情感を文章にしながら物語って行く手法は、楽しめる。「情熱はかけがえのない命のように愛おしい」と、芸を高める女性も情熱の賜物である。生きて行くにも情熱が必要だ。萌えるように輝くにも情熱だ。情熱がある限り人生は終わらない。
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