「あらゆる小説は模倣である」
清水良典 幻冬舎新書 出版だ。芸術はオリジナリティーが生命だ。それが模倣で成り立っていると言う。絵画では、贋作騒ぎが後を絶たない。文学でも多少あるのだが。本著では、過去の模倣の作品を紹介して、オリジナリティーでなければならない「呪縛から解放されなさい」と呼びかけている。最後には、どう「パクル」化、まで指南してくれる。
「優秀な芸術家は模倣するが、天才的芸術家は盗む」と言った人がいた。ボケ爺の仕事の商品開発、技術開発でも、イノベーション源泉の、創造性、創造性とにぎやかなのだが、「学び」「真似する」を、その第一歩としている。そんな「アイデア発想法」として読めば、「創造性発想法」と、この内容は一致する。
それにしてもショックなのは、歴代の大作家が、大なり小なり「模倣者」であると言う。例えば、夏目漱石の「吾輩は猫である」が、ホフマンの「牡猫ムルの人生観」の影響だ、と言う。あるドイツ学者が、それを指摘すると、猫の死亡通知を出して、早々に終わらせてしまったのだ。森鴎外、三島由紀夫も、横山利一も、谷崎潤一郎も、寺山修司はパクリの名人だ、と言う。村上春樹も。翻訳が出来る人は、特に多いと言う。
模倣と盗作との違いは、そのままか、解らないように書き換えられるかの違いだ。文学は言語の生命活動だから、もっと模倣が必要だ、とも言う。「ヒントは学べ」、と言う。外国作品から、ことわざから、前文(書き出し)から、題名(タイトル)から、一文字から、漫画から、戯曲から、何でも在りだ。これを読めば元気が出る。誰でも発想力、想像力が身に付くこと間違いなし。ボケ爺が保障する。それでもダメならご相談あれ。
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