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2012年9月30日 (日)

独創技術は逆境を超える

 多くの企業で、上半期も終えて、結構苦戦しているところがある、と聞く。この下期での取り返しに期待をしていたが、日中問題で、操業率が悪くなり、経済の回復の減速感は払しょくされない。

 そんな中、上場企業を調査してみると、334社もの「最高益企業」がある、と言う。驚くべき数である。ゲーム、スマホアプリのソフト企業もあるが、製造業でも、しっかり売上、利益を稼いでいる企業があるから驚きである。

 特に製造業を調べてみると、ヒット製品が供給出来ている。即ち、「独創技術」を持っていることとなる。他にも、ビジネスモデルの改革企業も見受けられる。ソフトでは、時流に巧く乗った企業が多い。これも創造的技術の一つであろう。

 シュンペーターの言うは「破壊的革新」とまではいかないにしても、事業の利益の根源は、いつの時代も、革新的「独創技術」であることには間違いない。当然と言うほかは無い。「企業は人なり」である。「未知未踏」に挑戦の精神が必須。ボケ爺、遅まきながら、独創性を育成したいと、無駄で、バカで無為な活動を続けては、顎を出してくたばっている。

<読書>

「昔話にはウラがある」 ひろさちや 新潮社

関西の小企業の材料メーカのコンサルティングを行っている。その社長が懐の深い人であり、一か月に一度、読む本を指定して考察を出させている。先月は「ロジカルシンキング」であった。こんな難しい本を読まなくても、本著を読めば、愉快に論理(屁理屈?)が実に付くはずだ。「愉快だ!」で終わらせては元も功もない。著者は仏教学者だ。常の著書は「禅問答」で、解りにくいのだが。こんな「たちまち解る論理学入門」を出していたとは、古本家に感謝。

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2012年9月29日 (土)

夜の帳(とばり)

 ボケ爺の一生は出張の繰り返しである。まともな家庭を知らない。子供たちも良く我慢してくれたものだ。20年ほど前には、1カ月に一回は海外出張との年もあった。最近コンサルティングで大阪が多いので、新幹線を良く使う。

 飛行機の場合、「黄昏」が美しい、河が黄金に光る中を着地する時が最も幻想的で好きである。闇夜のネオンや街灯も好いのだが、気分的には寂しい。一方、新幹線では「黄昏」時はわびしい。ビルの隙間から見える弱い太陽光は、仕事の苦行から離れられない。

 新幹線の場合で好きな光景は、新横浜を過ぎて、武蔵小杉あたりのアパート群から品川にかけての、しかも「夜の帳」時期が好きだ。「夜の帳」で、人々の生活が見てくる。アパート一棟ごと暗闇であったりする。高層マンションが、パラパラ光がともっている。一軒家でも、一室だけがともっている家や、全部屋が輝いている家もある。それぞれの人生を生き抜いている姿の存在を知る。様々な人がいる。どんな夢を持っているのかを想像することが好きだ。ボケ爺は、「黄昏」から「夜の帳」を急ぎ足で過ぎ去ろうとしている。

<読書>

「男たちの好日」城山三郎 新潮文庫

ボケ爺の若きサラリーマン時代を過ごし方と照らし合わせて、考えるところが多かった。ボケ爺はいったい、何に「気概」を持って働いていたのだろうか。目の前の業務に専念していて、先は見ていなかったのだろうか?「好日」の夢を期待していなかったのだろうか?困難な仕事が終えて、満足した時が「好日」?修羅場を生きている時が「好日」?無為の日々を生きてこそ「好日」?それぞれの死の直前が「好日」?「好日」とは「男の美学」なのだろうか?ボケ爺、残る人生、一つでも取り残した技術を完成させていきたい。これは「美学」でも「好日」を夢見ている訳でもない、ボケ爺の欲望からである。

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2012年9月28日 (金)

政治家のロジック

 このような事は言いたくもないけれど、世の中、ロジックが通用しないのかと、嘆かわしい。尖閣の、中国とのやり取り、言い分を聞いて、日本の政治家ジャーナリストは、まともに答えられていない?

1)中国:「歴史的に」みて、中国領土、所有だ! 日本;領土問題は、存在しない。これは、中国領土に対する答えになっていない。日本は歴史的に見て、領土だ、と証明しなければならない。

2)国連も、米国も、豪州も、英国も、多くの国が、日中の二か国間の問題、それでしか解決できない、と言っているのに、日本は、「世界の法に則って」、と言う。議論のすれ違いで、どこも国も賛同はしてくれない。アーミテージ氏も、沖縄返還時に、統政権は、日本に帰属する、となったが、領有権は棚上げになっており、二国間で解決すべきものとアメリカは考えている。と、当人が言明している。日本は、この解釈にどうこたえるのか?本日の中国の発言に、日本は反発権を行使した、と言うが、中国は、「日本は泥棒」、と言っているのに、日本は、「事前に国有化すると伝えた」と反論。これでは、反論にもならない。バカな日本人を丸出しにして大恥をかいている。

 これらの論理は、竹島にも通じる。議論がすれ違ってしまっている。それも日本の解答が連れた答えを出している。日本の政治家、ジャーナリストは、何を勉強して来たのか?これでは日本はグローバルで生きていけない。ボケ爺、日本は、世界の中で孤独な人種だと毎日嘆いている。政治のコメントは止めたいのだが、ついつい口出す悪い癖が直っていませんね。

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2012年9月23日 (日)

リニューアル東京駅

 東京駅のリニューアルが終わったようだ。その記念イヴェントで、ライトアップが22日に行われたのだ。2000人の来客用のスペースを用意したようだが、1万人以上の集客があって、3回のところ2回で終わらせたようだ。交通マヒ、混雑の危険性を考慮したと言う。今日は雨でデモは出来ないと思うが、この2回だけでなく、しばらく、毎週、イヴェントを開いてほしい。きっと新たな芸術の世界に生きがいを感ずる若者が出て来ると思う。

 前日に、NHKで、そのライトアップのダイジェストが放映された。ボケ爺も、それを見て、東京駅まで行って生を見たいと思った、が実現しなかった。NHKの事前の放映はそれほど素晴らしい。本当に久しぶりに感動、感激した。コンピュータの応用(音と映像)が、新たな芸術文化を創っていることになる。低成長時代は、このようなITを活用した芸術を、若者たちで進化させてほしい、と思う。

 ボケ爺は、デジタルカメラから、ソフトで具象、抽象化して、プリンターへ、で、版画以上の芸術の世界を創りたいのだが、今は時間がない。

 古い東京駅での思い出は、親との待ち合わせもさることながら、バーのカウンターでカクテルを飲んだことを思い出す。一度だけであったが。落ち着きがある中で、電車の到着、発着が見えて、旅情が味合うことが出来たのだ。

<読書>

「世界一自由な脳のつくり方」茂木健一郎 かんき出版

茂木さんの著書は、近年はレベルが落ちて来ている。同じような内容の焼き直しで、新鮮さが無い。今回のこの著書も、同じ事で、今までの説を繰り返しているだけだ。解っていながら、手が出てしまう。自分が変わりたい願望が、ノウハウを求めてしまう。簡単には脳は成長してくれない事は解っているのだが。

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2012年9月22日 (土)

我が家の重鎮

 随分と涼しくなってきた。天候は良くないが。暑さ寒さも彼岸まで、と言う古来の言い伝えは確かなものだ。先祖からの暗黙知、と言うことか。

 我が家の重鎮が現れたと言う。重鎮とは、ガマガエルである。このブログでも取り上げたが、家を建て替えて以来、20年ほどご無沙汰だった。てっきりと、ボケ爺に愛想を衝かせて、どこかに引っ越してしまったのだと思っていた。しかし、数年前に、3匹ほど見かけたと言う。それ以来、昨日、1匹が現れて、悠然と庭を闊歩していた、と言う。翌日、ボケ爺があわてて探したが、残念ながら、見当たらなかった。どこかで、「様を見ろ」、笑っているのか。どこが住まいか?土が掘り起こされた形跡は無い。この現象は、以前からそうである。どこに生活しているのかの実態を現さない。縁の下に居るのかもしれない。我が家の神様だ。

 思っていたほどでも無いボケ爺の先行きを、そろそろ身取ってやろうかと、観察に現れたのかもしれない。それとも、我(ガマガエル)は家庭を持って生活しているから、もっと頑張れ!と激励に来てくれたのか?

<読書>

「セクシィ川柳」 東正秀 メディアファクトリー新書

江戸時代に生まれた川柳は豊かな文化である。「破礼句」として、「俳風柳多留」はせストセラーだったらしい。「末摘花」はワイ談の川柳である。その選に漏れた川柳を集めて、「末番花」が出現。江戸時代の文化は奥が深い。感激だ。これからの低成長時代は、こんな文化が生まれることを期待したい。

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2012年9月21日 (金)

日本は「型無し」になった

 民主党になってから特に目立つのは、どこにも「型」が見えない。型とは、人間の魂のことである。「情熱」「判断力」「責任感」の基本のことである。最近の日本は、この「型」を持っている人が少なくなっているだろう。型を持つためには、「努力」と「経験」の繰り返し、「自分と他人との絡み合い」、であると思っている。

 特に民主党は、松下塾生が多い。民主党には、「教条主義」的発言が多い。教条主義とは、「答えがある問題」を解くのは得意だが、誰かが答えを作ってくれなくては、「コピペ」で喋れない。答えは、官僚(官庁)待ちである。「総理の器量、中公新書ラクレ」「リーダーシップ。新潮新書」を分析してみると、今、日本は、この二つ(「型が無い」「教条主義」)の課題を抱えていと、思える。これは政治問題だが。

 政治だけではない、経済に至っても同じことである。今のトップ経営者も同様に、「型が無い」「教条主義」が大幅に掛けている。「情熱がない(サラリーマン的)」、「判断が遅い、出来ない」「責任を取らない」と言うことが目立つ。韓国企業の差は、この3点に絞られる。韓国企業は「情熱がある(オーナートップ)」「決断が早い」「責任感が強い」と言うことだ。もう一つの教条主義は、「真似が出来るモノ」が無くなって、「先行き」が見えなくて、右往左往して、約15年は経っている。日本人の教育方法の、教条主義からくる悪い結果である。

 さてさて、型を身に付ける方法論と、教条主義をブチ破るものは? ボケ爺は引退だから、知らない。これが、現状だ。

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2012年9月19日 (水)

アップルVSサムスン混戦

 アップルから、9月12日、iPhone5の発表がなされた。サンフランシスコは、アップルファンであふれ返っていた、との報道を目にした。結果は、革新があると言う意見もあるし、大型画面、LTEの高速通信は既に、サムスンが先行していて、シエア挽回にはつながらないのでは、との批判もある。

 なんといっても、特許闘争の結果が、注目される。アメリカでは、アップルが全面勝利、と言うことだ。新たな特許4件の結果も、アップルはサムスンの特許を侵害していない、との速報である。サムスンの敗訴となる。

 他国では、いずれもサムスンに有利な判決が出ている。つまり、サムスンはアップルの真似をしている訳ではない、となった。何故各国での評価が分かれるのだろうか?それぞれの国への提訴の時の特許抵触の申請内容が違うからだ。アメリカでは主に機能技術特許を中心とした争いであり、他の国では、意匠性(表示デザイン)を中心とした争いの内容である。

 ICTモバイル機器は6か月の命である。6か月ごとに新製品の発表が続く。特許闘争の審判は、製品ライフサイクル以上の日程になる。闘争は何時まで続くのだろうか?傍観者(アウトロー)のボケ爺は技術家、この闘争に興味津々であるのだが。

<読書>

「代表作時代小説」

①牡丹咲くころ 葉室麟、愛の世界は美しい心が宿る。②チャーリーの受難 皆川博子、アンソロジー西洋時代物。③蚊帳のなか 池永陽 男と女の幻想と現実の違いを解り易く。

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2012年9月17日 (月)

敬老の日、生き残るとは

 仙川にある神代高校の垣根の樹から、沢山のドングリが落ちている。樹の名は知らない。車に踏みつぶされて、白い中身がはみ出ている。タンパク質だ。動物のえさでもある。古代では、人間も樹の実を食料としていた。樹の実は基本的に、毒を含んでいる。生き残るためだ。それを、あく抜きをして、良質のタンパク源としていたのだ。

 森のテラスにも、ドングリが落ちている。近所の子供たちが拾って、ままごと遊びに夢中だ。秋は確実に訪れている。それにしても残暑が厳しい。未だにセミガラが、至る所にしがみついている。

 植物は、種を作る。種がいかなる環境にも耐えるようになっている。寒さ、暑さ、水不足、空気の汚染、等、種になってしまえば、何年でも生き残れる。昆虫は化ける。卵から、幼虫になり、脱皮して、本来の姿になる。仮の姿が、環境の変化に対し保護して、生き延びる手段を選んでいる。哺乳類は、保全手段を持たない丸裸の一生だ。生き延びるには戦わざるを得ない。人間も同様に、何かに付け戦わざるを得ない。戦い、そこには不幸が、不公平が待っている。子孫を残すにも戦いがある。ボケ爺は右足の不自由を妬みながら、蔑みながら、隠しながら、何時まで生き続けるのかと、解の無いバカな事を考えながら散歩している憐れな老人である。

<読書>

「代表作時代小説」

①たもと石 山本一力、時代を生き抜いた人には、背骨の太い覚悟があった。むごい世の中で生き抜くには覚悟が必要だ ②天竺の甘露 吉川永青 娘の増悪から情愛へと変える男の言葉、しぐさとは?

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2012年9月16日 (日)

エネルギー課題以上に重要なもの

 今日、電子力発電の是非が深刻に議論されているが、それ以上に深刻なのが水不足ではなかろうか?さらに、日本の地形が、集中豪雨で、大きく変化してしまっている。つまり、山と川の変形がもたらす、生活基盤の変革が起きて来る。

 関東は、水不足が深刻である。世界的には、干ばつ、豪雨で穀物の不作による高騰が続いている。アフリカは飢饉による難民が未曾有の数に達している。これは、「水」が、人類の生活の基礎となっているからだろう。水は食糧の多寡に直接かかわっている。食物を無くして人間は生きていけない。その基礎エネルギーは、水と、空気と、太陽だ。

 産業界では、エネルギー技術に、血眼になって議論し、開発に取り組んでいる。しかし、それ以上に、天候悪化による水の偏在に、技術の革新の出現が望まれるのではなかろうか?灌漑、治水技術、水の清浄化技術、塩水の真水化技術、雨水の濾過技術、砂漠の緑化技術、地熱の冷温化技術、など。日本は水再生、水の持続可能な技術の開発にもっと力を入れたい。政府の支援が、全てエネルギー課題になってしまわないように、とボケ爺は願っている。

<読書>

「水と人類の一万年史」ブライアン・フェイガン 河出書房新社

食料を支えるのは水である。穀物価格は、洪水と干ばつで決まる。人口増爆発が、飢饉を生んでいる。文明の場所は、大河の歴史によって左右されて来た。歴代の支配者は水に悩まされた。アメリカの経済成長も水の拡大、開拓の歴史に重なる。気候異変によって、水は「持続可能」なのだろうか?これが課題だ。

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2012年9月15日 (土)

コラムニスト

 ボケ爺は、業界紙に「コラム」を連載しているコラムニストだ。飯の糧にしている訳ではないが。それでも既に2年半ほどになる。毎月連載する事は、気分を変えるには、良い刺激になる。技術動向、マーケット動向を中心にしている。この業界紙は、営業関連に読まれているようだ。だから、ボケ爺の書くコラムは理解してもらえない。業界の技術家や、商品企画に伝えたい。必要な人には、メールで配布してもいいのだが、新しいブログを開設しようか、と考えている。業界紙の社長と相談する必要がある。

 1200字ほどだが、それでも、一カ月間は新ネタを仕入れるために、業界の動向を探っている。その関連業界も注目する必要がある。今月は、今日が〆切だった。朝から社会人学習室に閉じこもって、メモを片手に、悪戦苦闘していた。書き終えると、なんとも言えないすがすがしい気分になる。今回は特に難しい課題を提案したので、表現に誤解が出ないよう苦労した。この提案を実行してくれる技術家はいるだろうか?ワクワクするような課題なのだが。実現を期待したい。

 誰か、コラムを依頼してくれる人はいないだろうか?結構頑張ってみるのだが。

<読書>

「代表作時代小説」 日本文藝家協会編 光文社

短編集の秀作が集められている。時代巧者16人ほどの作家が思い思いに書き連ねている。その内、1)毒蛾に刺された男 伊東潤、2)船饅頭 小池昌代 を読んだ。短編の面白さが出ている。続いて、紹介したいが。

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2012年9月12日 (水)

シャープのジレンマ

シャープがLCDパネル、そのテレビ事業、等で、経営的に、苦境に立たされている。韓国勢の強さは一つの原因ではある。経営としては、やはり、かじ取りを間違えた事とになる?偉そうには言えないが、日本の弱電メーカの誤りと、相似だと思う。(「過剰品質」へのこだわり、と、「世界競争」の市場予測の誤り)

 一言で言えば、「おごれるもの久しからずや」の平家物語の冒頭の言葉である。①テレビの画質に絶対的な自身があった。更に技術を極めようと、高画質にこだわって原価低減を怠った。「品質さえ良ければ」売れる、と。顧客の要望とは違っていた。②パネルの大型化に、過剰の投資をしてしまった。富裕層向けの大型パネルでの競争は事実であったが、市場の中心は、中型パネルで良かったのだ。過剰投資が、経営を悪化させてしまった。(日産自動車の時と同じような、不況構造である) 

 シャープのもう一つの「奢り」による誤りは、アップルの携帯パネルの供給に頼り過ぎた事だ。アップルのスマホの50%ほどを請け負っていた。だが、iPhoneは、市場で伸びなかった。サムスンに阻まれたからだ。これも過剰投資であった。iPadのパネルであったら良かったのだが。

 経営の難しさは、一度成功すると、次世代への切り替えがなかなか、踏み切れない。代表的な「イノベーションジレンマ」は、HDD(磁気ディスク)の世界に見られる。世代ごと(20“、12”、9“、5,5”、3,5“、2,5”・・・)にトッププレーヤが入れ替わって来た。トップになった途端に、次の「新技術の一手」への決断が遅れる。(HDDは栄枯盛衰の代表であった)

 シャープは、「集中と選択」で、98年に、LCDパネル、その液晶テレビに集中する、として、成功を収めた。さて経営再生への次の「集中と選択」は、何を選択するのだろうか? それともホウハイ(台湾企業)に、経営を委ねることとなるのだろうか? ボケ爺の見解からすれば、「基盤技術を失った」縮小均衡には明日は無い。

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2012年9月10日 (月)

憧れの企業と人の栄枯盛衰

 ボケ爺の学生時代の憧れの企業は、IBMであった。当然、頭が悪いから入社できるはずが無かったが。今から10年ほど前に、若くして社長になった大歳卓麻氏に憧れた。率先して、これからのIBM、世界戦略(無限大理論)などの講演を何度も聞いたものだ、動く社長、戦う社長、と見えた。

 IBMはパソコン(ThinkPad)を捨てたのには驚いた。大歳社長時代、過激なリストラ、組織変更、業務革新で有名だった。つまずきは、スルガ銀行2004年に基幹開発を委託したが、完成出来なかった。約74億円を損害賠償しなければならなかった。1兆七千万円あった売上は、昨年では、八千億円まで減らせてしまった。その責任は大歳氏にあったと、社員は訴える。それにもかかわらず、最高顧問で残っていた。更には、5社ほどの社外取締役を勤めていた。

 8月22日に、東京都迷惑防止条例違反で書類送検された。女性のスカートの中を盗撮していたのだ。話によると、常連だったらしい。それも、IBMのモノ(H/W)を罵倒した張本人が、活用したのは敵陣のアップル製だった。優秀な人が、何故、会社を弱体化させ、人格的にも堕落してしまうのだろうか? ボケ爺が思うには、権力が自分を見失ってしまうのではなかろうか?ボケ爺の周りにも、大なり小なり、そんな経営者は居たし、居る。

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2012年9月 9日 (日)

生きざま

 ボケ爺の「生きざま」は人様に語れるものではない。例え自分の子供たちへも同じである。自分自身で、「自分の生きざま」を処分するより方法がない、と考えている。その時、司馬遼太郎の弁が気になる。「金を積まれても、使いたくない言葉に、「生きざま」がある」と、言っている事を知っているからだ。ボケ爺は、偉い作家とは違う、と考えているのだが。今日、良く聞く言葉であり、気になっている。

 つまり、数少ない有識者でも、「彼の生きざま、死にざまは、見事である」等、良く使っているからだ。司馬遼太郎はさぞ不愉快に思っている事であろう。辞書では「様子や、ありようをあざけて使う、時に、体たらく、を言う、「ざま」は醜い言葉で、確かに品のいい言葉ではない。「ざまを見ろ」のように使う。

 自分に使う分には、へりくだって、使っていると思えば必ずしも、醜く、品の悪い言葉とは言えないのではないだろうか?ボケ爺の使う「生きざま、死にざま」の本音は「自分の、無様な生き方であって、それだけに死にざまも、かっこいいとは言えない」と言う意味である。結論は、自分自身に使う分にはお許し頂きたい、である。

<読書>

「快楽としての読書」丸谷才一 ちくま文庫

名文で、有名な丸谷才一の、読書感想の書き方を知りたい、更には、読みたい本を探したいからだった。あまりにも難しい本が多いので、読みたくなるどころか、ボケ爺には、深く読むことが出来ないと、諦めた。読書感想(書評)の歴史には、紆余曲折があり、今日の姿になるまでには、苦労があったのだ、と、までは解った。しかしながら、書評の良い例を示して頂いたので、「なるほど」と解った事は、苦労して読んだ甲斐(成果)はあった。

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2012年9月 8日 (土)

解り合えることは難しい

 また、招待での飛行機旅であった。羽田のカウンターで、ANA(メールでは予約してある、と)に行って、名前が無い、コーシエアリング会社に行って、聞いてみたが名前が無い。帰りは、一便早くして違う航空会社にした、とは、メールの知らせはあった。行きたくなかったので、これを理由に、自宅に引き返ろう、と思ったのだが、帰りの航空会社のカウンターで聞いてみた。無いと言う。姓名が逆ならあると言う。間違えたらしい。無事出かけるkとが出来た。メールでの意思疎通の難しさだ。

 今日は、社会人学習室を使うためやっとPVが立ち上がり、気分が乗ったところで、となりに若い、多分、学生だろう。いきなり、机、蛍光灯など掃除をし始めた。誇りがディスプレイ前を隣から舞い込んでくる。「迷惑だから、止めてくれ」と言う。「綺麗にして何が悪い」と、「公共の場だから、迷惑行為は止めように」と繰り返すが止めない。他人の迷惑を考えない、典型的な現代人の若者だ。

 帰りに、図書館により、借りていた本の一部を返して、出ると、ブ―と音がした。掛りが飛んできて、荷物を点検させてください、と言う。「ハイ」と中を開けて、本を取り上げ、「調べます」と言う。まだ返却期限が来ていない本であった。その若い女性の掛りは、黙って、返してくれたが、それ以上は何も言わない。せめて、「有難うございました」位は言ってもいいだろう、と思うのだが。

 帰りの京王線で、ボケ爺と太り気味の人の席との間に若者が割り込んで座って来た。体を振ったり、左右に傾けたりして、自分の場所を広く確保しようとする。体が当たると、「チェ」と鳴らす。股を広げ、あたると貧乏ゆすりをする。困った若者だ。気にするのはボケ爺が年を取り過ぎたからか?永遠に解りある事は無い。

<読書>

「暇と退屈の倫理学」

面白い本かと借りて来たが、20ページでつまずいた。この読書欄で紹介するのに躊躇されるのだが。書かれている内容が、暇にするには、倫理がいると言う。退屈であるにも倫理を働かせよ、と言う。倫理とは、が解らなくなってきた。暇で、退屈な生活にあこがれるボケ爺だが、難しい倫理があるなら、避けたい、と思う。

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2012年9月 4日 (火)

黄昏の関東平野

 積乱雲の発生の関係で、房総半島の南へ迂回して東まで出た。それでも房総南端では、これでもか?と激しく揺れた。房総半島の上に居座る積乱雲を迂回して、銚子を超えて茨城の入り口から成田空港上空を旋回して千葉市内へ出る。茨城の利根川の近傍の風景は実に美しい。田の薄緑と里山の深緑とのコントラストがそれである。茨城の北に居る積乱雲は雲と雲との間で、雷光と激し稲妻が、飛行機に落ちないか、と思える位だ。千葉に向かうと、下界は、ゴルフ場で一杯だ。こんな混んでいても、潰れないものだ。西は黄昏の終わりの夕焼けである。その中に一段とお高くそびえる富士山の黒いシルエットが目立つ。都心は夜の明かりが一層あでやかになって来た。東京スカイツリーのイルミネーションは何故か無い。東京タワーの方が目立つ。

 東京湾は、貨物船のトバリで、海面の幻想を増している。天候のお陰で、関東一円を観察できたことになる。羽田では、新滑走路にタッチダウンだ。ボケ爺、単純だから初めての新滑走路に感激だ。サンフランシスコの滑走路に近い感覚を得た。しかしここは日本だ。その為に、ゲートまでは、退屈するほど時間がかかる。

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良く、良く確認を!

 信じられないことが起きた。チェックインカウンターで、ボーディングカードを受け取った。エコノミーである。はて、招待先が、急遽ビジネスクラスに変更したのか?マイレージ番号も記載されていない。二回も提示を求められたのに。マーこんなものか、納得をして、荷物チェックに向かおうとしたのだが、気になるので、イチケット(最近はほぼこのスタイルである)を見て、変更したとのメールも受け取っていないので?

チェックインカウンターに戻り、「確か、ビジネスではないかと思うのですが、それに、マイレージの記述はどこを見ればいいですか?」と、ボケ爺にとっては蚊の鳴くような声で質問した。カウンター嬢は、「チョット待ってください。これは他人のチケットです。」「どのカウンターで発行されましたか?」「一番奥です」良く、良く確認をすれば、全くの他人の名前が印刷されていた。ボケ爺自慢じゃないが、かなりの経験をしているが、こんな誤りに会ったのは、初めてだ。ボケ爺の名前とは全く違っている。無事変更で来きたが、ボケ爺も名前のチェックをするべきだったと、反省しきりである。

25年ほど前だから時効であるが、一度名前を間違えられて、得をしたことがあった。バッファロー空港でレンタカーを借りたのだ。ナイアガラの観光で使ったのだが、返却して、後日、その領収書を見ると、Yoshihiro Takeuchiとなっていた。ボケ爺と良く似た名前だった。アメリカ人には、紛らわしい。その時使ったVISAカードもいい加減である。今日のようにIT(コンピュータ)が行き届いていなかったのだが。結果はVISAから請求は来なかった。(会社が得した事ではあるのだが)

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2012年9月 3日 (月)

反省しない国民性

 辱めながら、オープンカレッジに通って、勉強をしている。先週の金曜の夜は「孫子と戦争論の比較研究」である。戦略論に参考にするためだが。講師(78歳)が、元軍人の幹部で、「日本は、未だに太平洋戦争の反省をしない。」「アメリカは、ベトナム敗戦の反省で、早々に「ワインバーガー・ドクトリン提案」と言う反省の研究結果を発表している。それは、「孫子の兵法」と、「クラウゼビィッツの戦争論」を元にしている。」と言う。元軍人が言うので迫力がある。

 福島原発の検証は如何なってしまったのか?国会が混乱していると言っても、被害を受けている人達は、毎日の生活がある。畑村洋太郎委員長は、立派な検証をされたけれど、責任追及に付いては、口を濁している。何故か?被害者が居る以上、加害者が居るはずである。その加害者の罪の責任は、非常に重いはずである。

 結局、3か所からの事故調査書は、「枕」にするには高すぎる。あまりにも立派すぎるから、床の間に飾っておくしかないのだろうか?何事にも、「曖昧な国民性」が露呈している。この曖昧さが、今日の世界で活躍できない、経済も復活できない、外交課題にも太刀打ち出来ない、小競り合い(蝸牛)に戯れる国民性から脱却できないのだろう。

<読書>

「気分上々」森絵都 角川書店

気分の悪くなる思考が続くと、頭は重い。最近の政治、政策関連は特に、気分がすぐれない。そんな中、気分上々とは、怪しからん!として手に取ってみた。児童文学系では著名な作者の、多彩な9編の短編小説であった。若者の話題を取り上げて、それはそれで、愉快な深刻な課題を軽いタッチで挿絵のように描かれている。その分、気分は沈滞した。

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2012年9月 2日 (日)

荒れる雷雲

 昨夜からの雨は気まぐれだ。激しく降ったり、止んだりして、朝には治まったのだが。午前中は軽く降る時もあったが、このまま、午後は雨が上がるだろうと思って、午後からは傘を持たず、図書館に出かけた。閉館の時間まで居て、帰ろうとドアを出た時、突然、激しい雷と雨が、前が見えないほど、本当に激しく降って来た。御厚意で、小雨になるまで、開けて置いてくれることなった。すぐに上がるだろうと、新聞を読む。

 政治の混沌ぶりがどの新聞にも載っている。こんな日本で良いのだろうか?と思う。そんな中、北朝鮮との会話が再会している。このチャンスに外交は、世界にしっかりした存在を見せて欲しい。尖閣諸島へは、東京都が調査に向かっている。その中国とは、日中友好親睦会が順調に進んでいるようだ。この後に待っている中国の反撃は如何になるだろうか?アップルVSサムスンの特許闘争は面白い。そんなことしている内に、次世代の製品が出て来て、あれは何だったのか?と。マウスイヤー(ドッグイヤーより短時間)のIT変化に日本は置いてきぼり、参加も出来ない惨めな業態となってしまった、と考えていた。

 しかし、それでも雨は止まない。アップル、サムスンの仲間入りも出来ない、と嘆きながら豪雨の中、濡れて帰ることにした。日本ICT企業は、ボケ爺のように回復不可能な脳卒中を患ってしまった。半身不随の障害者である。ヘリ曲がった口、声の出ない口をパクパクさせているようだ。豪雨の為に、考えなくてもいい事を考えてしまった。イヤダ、イヤダ!

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2012年9月 1日 (土)

虫の音

 未だに残暑が続いている。地球が寒冷期に突入する初期にあらわれる偏西風の異常蛇行からくる異常気候だろう。1~2年の辛抱とか?ツクツク法師セミ、カワセミの鳴き声が委縮して、夏蝉のアブラゼミが元気になっている。

 ボケ爺、不注意にも障害者(脳出血、痛風)になってから、その防止に、薬を飲まされている。尿をアルカリ化して離尿を促す薬らしい、痛風の薬であるが、脳出血の再発にも良いと言う。しかしこれを飲むと、真夜中、排尿を催し、度々起される。寝不足になってしまう。医者にクレームすると、脳出血が再発していいのかと、逆襲を浴びる。我慢が大切か?

 そのトイレに起きると、小窓から、虫の鳴き声が、賑やかになって来た。虫には既に秋が訪れている。ミミズが鳴く、と言われたが、ミミズは鳴かない。その鳴き声は「おけら」(ケラ科)と言う、モグラと良く似た暮らしをしている。田舎でも、「おけら」獲りをして遊んだものだ。虫かごに土を入れて飼って夏休みの宿題にした経験を思い出す。その「おけら」が一晩中鳴き、良く飽きないものだと思う。ボケ爺も、「おけら」と良く似た「害虫」なのだ。何時までもくだらない事で鳴き続けることだろう。

<読書>

「狸穴あいあい坂」諸田玲子 集英社文庫

寝苦しい夜には、こんな爽快な、気の置けない、が、愉快な小説が良い。ボケ爺の推薦する諸田玲子の作品である。火盗改方の娘、結寿の獲り物帳物短編集である。特にこの作品は「人情」のこまやかさが良く描かれている。麻布狸穴坂の情景の良く描かれている。

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