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2012年8月25日 (土)

ロンドンオリンピックから観える日本人

 電車の中でも「保存版ロンドンオリンピック」を手にしている若者に会うことが多い。8km、20分の銀座パレードに50万人、大変なフィーバーであろう。うつむき加減な日本に、メダリストたちは元気をくれたことには間違いがない。久しぶりに、若者に夢を与えてくれたロンドンオリンピックであった。されど、ロンドンオリンピックから見える日本人の原点も気になるところである。

 先ずは、「金メダルの期待は15個程度」と、協議会は期待していた、その理由は、それだけ、金を投入したと言う。しかし、現実は半分以下である。が、論理を磨り変えて、38個の最多メダル数だったから成功だったと、自己弁護。反省もしない。個人競技のメダル数が極端に減っている。団体競技が頑張った。競泳グループまで、団結力だ。と言う。確かにリレーはそうだが。これも問題のすり替えだ。金メダルにどれだけの金を投入したのか忘れている。とにかく個人技(マラソン、トライアスロン、ボート系、柔道)には、日本人の気の小ささが目立つ。集中力の欠如である。(その他の個人競技は順当?)

 一方、団体競技は、期待以上に頑張ってくれた。その分が、今日のフィーバーに繋がっている、と思う。全員で頑張る姿は美しい。これが日本人の持つ美しさであり、強さであろう。団結力は日本の文化かもしれない。この感動を、さらに他の団体競技に期待したい。更に感動の元は、女子力にある。近年、男子の元気の無さを、女子力で頑張っている。他の職業でも。社会全体が変化している。変化しいきれないのが男子と言うことだ。

<読書>

「荒凡夫 一茶」金子兜太 白水社

現代徘句の大御所の兜太が、いきつく先は、「一茶」の荒凡夫であると言う。「荒」は「自由な」と解釈すべきだと言う。人間は「生き物の感覚」で生きなければならない、と言う。生き物の感覚とは、「欲を求める、欲を捨てる」葛藤に生きると言うことだろう、とする。「一茶」は漂泊の人生で、社会の中で、欲を捨てることに生きた。「山頭火」は放浪者であった。この世を「欲」と闘うため放浪をつづけていた。「5欲兼備」「煩悩具足」「無縄自縛」人生は「流動性」、絶えず変化している、と言う「方丈記」繋がる。「物足りて」も「心うろつく」のが人間だ、と言う。「さいながら」と言うことか?

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