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2012年6月30日 (土)

日本の本質的弱さ

 今日の、製造業の弱さは目に余るものがある。半導体、テレビ、携帯電話、タブレットPC、多分、自動車も時間の問題であろう。「Japan as No.1」と言われてから、10年も経ていなく、下落を始めた。

 色んなことが言われているが、どの説も、表層考察にすぎないと思う。個人スキルは昔と比べればはるかに優秀になっている。これは事実である。しかし、組織として発揮できていないのだ。その根本は、社会システムの変化に、日本は追従できていない、と思う。社会学、経済学としてのグローバルが追従できていない。韓国、アメリカ、欧州の黒船に、如何に対処したらいいのか?解らないだろう。幕末の混乱の組織体制の変化の本質が理解できていなかったように。

 戦後、共同体から出発した社会に、市場主義が入り込み、個人主義が隈なく進んだ。それに、幸福感が、金本位、となってしまっている。日本はそれに、社会として付いていけていない。企業は、オーナー時代から、サラリーマントップ時代に、政治も同じことだ。その変化に対して、共同体(組織)が理解できていなく、世界の変化に追従できていない。社会構造上の本質に、弱さがある。明治から昭和までは、共同体(組織行動)まで輸入したが、今は独自の共同体で、その呪縛から抜け出せていない。企業の株式会社も、日本独自の行動隊である。それが世界、グローバルと違っていても気がつかない。

 つまり、弱さの本質は、「組織上の構造にある」と、小生は思う。司馬遼太郎の「峰、上・中・下」の、長岡藩の河井継之助の幕末の活動から、読み解くことが出来る。心、実感としては改革の意味を理解していても、下流武士から、大老になってしまって、武士社会の呪縛から脱しきれなかった悲劇がある。薩長は、下流武士は、下流武士のまま、武士社会を壊すべく日本改革に奔放した。だから明治維新は薩長で、成功した。河井継之助の能力はとても高いが、武士の小市民性から脱しきれなかった。その違いが、今日の日本にもある。

 今の社会は、昭和復興時代の呪縛から、未だに脱しきれていない日本の姿である。企業は、マネージメント力に、個人能力を発揮させる近代化が必要だが?企業戦略に、参謀組織の活用が必要だが?韓国はいち早く、これを欧米から学んでいる。日本は無視している。製造業はオーナー企業文化の呪縛から、早く脱することである。

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2012年6月24日 (日)

うつ病の東京の梅雨

 はっきりしない、すっきりしない梅雨が東京では続いている。雨が降るようで降らない、晴れることもない。今日の経済、政治のように、うつむきかげんで歩いている多くの人々の様である。

 我が家の梅の実が、そろそろ色づき始めた。今年は梅ジュースを作ろうか?迷っている。ブドウは、何故か豊作だ、老木だと言うのに、迷っているのだろう。

 これからは、「寒冷化」であろう、と騒がれ始めた。ボケ爺は、前から寒冷化に入っているとの説を貫いている。やっと真剣に議論をしてくれるようだ。12年周期説の13年目だ。太陽の活動が、おとなしくなっていることが理由である。災害の多い時代を迎える。経済は、ますます混乱する事だろう。約5年は続くだろう。

 中国思想で言うなら、「老荘の教え」を研究することか?日本は未だに儒家(論語)の呪縛から離れる事が出来ず、引きずっている。ボケ爺に言わせれば、「孫子」に学ばなければならない時だと言いたい。「有事の備えは平時にあり」が、孫子のメッセージの中心だと思っている。正に戦略を練ることである。

災害が多く、経済の低迷、政治の混迷、世界の人種争い、こんな時代には、今こそ「備え(戦略)」を、しっかりとしておくことだ、と考える。

<読書>

「使える!「孫子の兵法」」斎藤孝 PHP新書

斎藤先生の著書は、いささか軽いと言われているが、それだけに良く読みこまれている。それに、経験を交えて、解り易く解説されている。よって、凡人には理解が良くできる。啓蒙家としては優れている。ノウハウ本として読むのではなく、思想を読みとることが必要だ。

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2012年6月17日 (日)

ゲームを楽しんでみよう!

 茶番劇の野田首相のストリーの予測は、ゲーム理論の例題としては、最適である。また、仮説の応用である。先ずは、自公民連合の成立は、眼の前まで、詰める事が出来た。その裏には、反対派の代表である、天敵の「小沢」の追い出しである。ここで仮説を立ててみる。

 民主党の小沢を含む反対には、中間派も含む。反対して、総会に欠席するか?あるいは、出席して反対するか?ここで、仮説である。①反対者を罷免できるか?する、と何人が小沢に付いていくか?②反対しながらも決議を引きのばしていけるか?それぞれの場合によって、野田首相は勝てるか?100名程度が離脱できないと、野田の勝ち。2か月、引き延ばされれば、野田の負け。(当然、国会延長は、覚悟の上である、何時までか?)

 もし、野田が勝ったとした時、次のステップは、総選挙を何時にするかの、仮説で、次のゲームが始まる。当面は、小沢派の離脱で、何人か?あるいは、小沢派は、何時まで党内の決議を引きのばせるか?7月の先まで出来るか、どうか?これも、ゲームの遊びと見れば、政局も楽しめるものだが。議員は、毎日、こんなゲームを楽しんで、高給を取っている。そして、自分を守るために、飲み食いの経費を増やしている。これでは、日本の将来は、心配ごとで一杯だ。

<読書>

「池波正太郎の「自前」の思想」佐高信・田中優子 集英社新書

両氏とも、池波正太郎、と藤沢周平が好きである。自立、と「自前」は違うと言う。今日の、自己責任、と「自前」とも違うと言う。池波の、藤沢も、「自前」を説いている、と言う。「自前」とは、状況を受け入れて、自分の人生を作り上げ行く、経済的自立ではない、と言う。深く考えてみよう。今の政治家に、この「自前」思想が欲しいものだ。

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2012年6月16日 (土)

茶番劇とは

 野田首相は、巧い劇作家である。それも茶番劇の作家である。国民がそれで騙されるだろうか?

 大飯原発は、何一つ修正する事、追加投資もせずして、大げさな議論の場を、もっともらしくでっち上げて、何度も、会議を開くこれ以上の議論は必要ないとさせて、賛同させる。「生活を守る」どんな生活を守るのか?福島の人々を助けることも出来なくて、「良く言うは!」との無責任劇。

 消費税も、野党の自民党とは、裏で、筋道は作り上げていて、期限ぎりぎりまで、もっともらしく、反対、修正などで、騒ぎ続ける。騙されるは、国民で、記者達(ジャーナリスト)も知っていて、その物語に協賛する。日本の未来を救うための歳出を削減する策は、全てを骨抜きにしてしまった。こんな茶番劇は止めて欲しい。その茶番劇の続きは、早目の解散、総選挙をするだろう。それは、第三勢力が準備の出来ないうちに。騙されないためには、総選挙を延ばすことである。国民の不満をもっとため込む必要もある。

 誰が日本の未来を真剣に考えてくれるのか?企業の未来も同じであるのだが、今のトップは無責任の集団だ。

<読書>

「葡萄物語」林真理子 集英社文庫

この作者の作品を読むのは、初めてである。少々退屈であったが、女性の「恋」とか「不倫感」との考え方は、ある程度、読み解けただろうか。多くの女性がそうだとするなら、あまりにも、身勝手な考え方だと、思うのだが。ボケ爺の僻みかな?

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2012年6月11日 (月)

大飯原発再会論

 先日、野田首相は、「国民の生活を守るために」との発言で、私の責任で、再稼働させる、と言っている。安全面では、今までの「検証、説明で」明らかだ、と。が、これらには納得いく補足説明は、何一つ話されない。松下塾出身の政治家は、ロジックの勉強をしてきていないのか。矛盾の絵空事を「しゃべる」事は出来ているのだが。

 福島原発の対応についての検証をしている委員会の公聴会でも、政治家の答弁は、自己正当ばかりで、質問とはかけ離れた回答ばかりであった。政治家はどうして、ロジックの通じないおしゃべりしかできないのだろうか?

野田首相は、最近は苛立ってヒステリックな話し方になってしまって、冷静さを欠いている菅首相と変わらない。大人げない集団だ。先ず、「国民の生活を守る」、とは「何を」守るのだろうか?次に、「私の責任」、とは、「何を」「如何に」取るのだろうか?「辞職」することか?その次は、安全面での保障だが、福島よりは安全と言うが、これから追加処置をして初めて、少しは安全となると言う報告書であった。何時追加処置が完了するかは、不透明だ。最終は少なくとも5年は掛るであろう、と言われている。これには触れない。

それよりも、国民は節電をするべきだ。都市の昼も夜は明るすぎる。昼間の電車は、もっと間引けばいい(現状の半分でも、不自由ではない。満員にもならない。)。エレベータの速度も遅くすればいい(速さを競うことはない。)ビルも、地下鉄・駅の灯りも、今の明るさの半分で良い、その方が、ムードがあるだろう。これからの世の中、成長は望めない事は、世界を見ても明らかである。日本はまだ成長できるとしての政策を取っている。その制作費が、払えなくなり、沈没する。成長しない、出来ない、を前提とした政策、方法論(財政政策)、生活の仕方、を考えなくては。国の財政は赤字決算が続いている。すでに破綻しているのだから。ギリシャ、スペインを笑ってはおられない。このまま、成長、成長、と投資を続ければ、10年後には、IMFの介入は確実だ。

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2012年6月10日 (日)

「企て」と「戦略」

 「企て」と「戦略」は同じ意味だろうか?しばらく考え込んだ。「企て」の中には戦略や、戦術や、計画(目的、目標)が含まれているけれど、戦略は、企てとは違うのだ。「企て」は、自分の意思で考え尽くした方策のように思える。戦略は集団(組織的)での戦いの策である。戦略は客観的でなければならないように思える。

 「「企て」の仕事術」阿久悠 KKロングセラーズ、を本棚で見つけた。「阿久悠」だったので買ってしまった。読み進むにつれ、言葉使い、展開の仕方に違和感をおぼえた。阿久悠氏は、5年ほど前に亡くなっているはずだ。作品が残っていたのだろうか?前書きも、あとがきもない。(大森博介のルポルタージュかもしれない。)

 それは兎も角として、内容には満足できた。ジョブスと通じる感性に充ち溢れている。エンターテイメントの世界も、電子製品の世界も、商品化への感性、と言うか、商品の創造への活動は、似ている、と思える。ジョブスや、ゲイツなどは、戦略と言うよりも、「企ての天才」の活動であった、と言うべきだ。

   好きな事を見つけ、それにアンテナを張って、情報を集める。好きな仕事を創作する。(ジョブスの基本である)

   長期戦略(企ての基本)、目的、目標を明確に作り上げる。一作ではヒットさせられない。少なくとも三作の道筋を立てる。(ジョブスの言う、継続は力なり。)

   顧客の時代感覚を読む。早すぎても遅すぎてもダメ。(ジョブスの言う、顧客に夢の実現に全力を挙げる。)

   人と同じ作品は作らない。(ジョブスの言う、差別化された商品を開発する。)

   NOと言う。しかし、Why, Becauseを必ず説明する。その上で、何でも引き受けて、やり抜く。(ジョブスの言う、NOを言い続けて、商品を練り上げよ。)

   「祭り」を作り上げろ。共有、共振を育てよ、となるのだろう。(ジョブスの言う、共感を呼ぶ商品を創造せよ。)

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2012年6月 9日 (土)

梅雨入りはまだ?

 昨夜から、弱い雨が降り続いている。10時からの告別式に出席すべく、雨の中を飛び出す。井の頭線の明大前から渋谷までの、線路の両サイドは、アジサイの花で一杯である。四季折々の花を楽しませてくれる沿線だ。

雨に打たれた花は、お辞儀をして乗客に「ご苦労様」と挨拶をしているようだ。渋谷に向かって、左側のアジサイの花よりも、右側の方が、種類が多い。それだけ変化が楽しめる、と言うことだ。我が家のアジサイは、昨年、剪定しすぎたせいで、花芽が無い。残念な事をした。

昼寝を破るのは、ウグイスである。雨が止んでいるらしい。3時ごろから、夕暮れ時まで、鳴き続けてくれている。実篤公園に行ったり、我が家の近くに戻ってきたり。ウグイスの青春はいつごろなのか、過ぎ去ったのか? 雌との子作りの為に、雄は、声高に美しい旋律を奏でているはずなのだが? 待てよ、山では、残暑でも鳴き続けている。それだけ欲望が強いのか、雌への誘惑ではなく、単なる戯れなのだろうか?ボケ爺の謎が、一層深まった。平凡な一日が過ぎ去るようだ。

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2012年6月 5日 (火)

節電の必要な関西では

 昨日から今日まで、大阪や、京都で4社ほどの企業を訪問した。何社かの電鉄にも乗って来た。これで、節電15%も必要な関西か?と嘆かわしい。橋下大阪市長は、現場が解っていない、エセ政治家ではないのだろうかと、疑う。

 と言うのは、外気は27~8℃はあるだろう、急ぎ足で、事務所を訪れ、汗を拭き拭き話しあい、終わるころには、鼻水が出てくる。24℃以下の室温である。大阪も、京都も、いずれも同じである。各社の電鉄内も、冷房、送風がきつい。電灯の間引きも、どこもしてない。難波の繁華街は、節電ムードなど皆無であり、ますます派手になっている。

 確かに、まだ、深刻な状態ではないと言うことだろうが、真夏になれば、一変して、心差しを変えることが出来るのだろうか?昨年の夏も、ほとんど節電は出来ていなかった。この事は、昨年のブログでも記した覚えがある。

 こんな状態で、電力不足を訴える政府、電力企業に負けて、大飯原発の稼働を容認する地方政治家も、中央にゴマ摺る軟弱者であり同罪だ。橋下大阪市長はもっと悪い。中央に乗り込むための茶番劇で、市民を騙しているだけだ、と、夏風を患ってしまったボケ爺は、鼻をかみながら憤慨している。

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2012年6月 3日 (日)

カワセミの魅力

 例によって、日曜日は、チャーリーの散歩道であった野川を散歩する。成城の麓の川沿いには、今日も沢山の、カメラマンが集まっている。しかし、普段とはちょっと違っていた。「どうしました?カワセミが出現しないのでしょうか?」との質問に、皆の返事は「カワセミは、居るのだが、落ち着きがなくて、カメラに収めるのが難しい」「どうして?」子供の育て中で、餌を取るとすぐに、巣に戻るからだ」なるほど。カメラマン達は、過去の画像を見せ合って、自慢話に花が咲いていた。カワセミは、色んな美しい姿を見せる。

 成城学園駅近くの大きな屋敷の大きな樹が黄色く色付いている。近くで眺めると、なんと、枇杷の実であり、早くも色付いていたのだ。初夏であることを印象づける。そう言えば、梅雨前には、ドクダミの白い花が咲くのだ。美しいとは言えないが。

 世田谷工業高校(今が名前が変わったようだが)の北側に、深い森がある。何だろうと、入口を探すと、上智大学の国際会館となっている。随分広い敷地だ。散歩していたのだが、気が付かなかった。そんな、のんびりした日曜日だ。

<読書>

「風の果て 上下」藤沢周平 文春文庫

古本屋で手に入れた時は、読んだことがあるかも知れない、と思ったが、結果は読んでいなかった。実に、ボケ爺のサラリーマン生活に経験したそのものである。それは、その時の友人(同期)との競争における複雑な人間関係、組織の派閥争い、など。サラリーマンには、「出世」、という厄介な欲望がある。それが、否応なく友人を巻き込む。派閥に悩まされる。ボケ爺の過去を顧みることとなってしまう。いやだ、いやだ。

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2012年6月 1日 (金)

避雷針は道徳的

 ビックサイトで、グリーンエネルギー関連の展示会が行われていた。ボケ爺、植物工場関連の展示内容に興味があり、出かけたのだが。植物工場関連は技術的に新しいものは見られなかった。センサーとフードバック系の勝負である、ことに変わりがない。こが小型化しようとするが、大きな魅力はない。

 植物による断熱では、植物では、キリン草に興味が集まっていた。更には苔にも。苔は魅力のある断熱材だそうだが、欠点がある。成長が遅い(6か月以上)そうだ。如何に培養するかの研究がホットな研究であるらしい。

 日立ハイテック社が、避雷針を、否、非避雷針を発表していた。今の日本は天気が不安定で、雷の被害を減らしたいと言う。だから、雷を落とすための避雷針ではなく、落ちないようにする避雷針だそうだ。よって、ボケ爺は、非避雷針と呼ぶ。ボケ爺、担当者に聞いてみた。「ここには落ちないが、となりに落とすことになるのでは?」「そうですね、自分から回避するために開発しました。他のことは考えていません。」「雨をよける傘のようで、周りの人々に雨がかかる迷惑は考えないと言うことですか?」つまり、雷を自分には降りかからないが、その近所に落ちるようにする、事となっている。それなら、自分のところに集めて早く地面に流した方が、まだ道徳的だ。それが避雷針と言う。非避雷針は、非道徳的だ。こんなことがあって良いのだろうか?

<読書>

「アートを生きる」南條史夫 角田書店

アーティストの絵の解説と、人間像を綴っている。が、ボケ爺の全く知らないアーティストである。研台アートの人々ばかりである。アーティストたちの行動を一言で言えば、情熱、熱狂的な生き方であり、創造力の為には、何でもする、と言うことになるのだろうか?

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