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2012年4月21日 (土)

生誕100年、ジャクソン・ポロック展

 アメリカの生んだ偉大な美術家だそうだ。生誕100年を迎えたと言う。ボケ爺が初めて、ポロックの絵を見て衝撃を受けたのは、確か、学生時代だったともう。絵具を垂れ流しただけの作品に、偶然性だけを頼りの絵画に、芸術だ、と騒ぐことへの戸惑いと、その作品の魅力を感じることへ、絵の不思議さを感じていた、自分を思い出す。次に観たのは、グッゲンハイム美術館だったか、ニューヨーク近代美術館だったか、思い出せないが。

 東京国立近代美術館(竹橋駅)で、ジャクソン・ポロック展が開かれていた。大手町近くで打ち合わせがあり、時間の暇を見つけたので、大手町から御濠を歩いて会場で出かけた。この江戸城蹟の風景は日本の宝だと思う。基本的には、3点の作品に魅力を感じたが、他の作品は、全く寄せ付けなかった。ボケ爺の感覚が鈍ってしまったのか?その三点はいずれも、ポーリング(pouring)と、ドリッピング(dripping)の作品であった。疑問に思っていた作品だったのだが歳のせいなのだろうか?

<読書>

「日本人は何を捨てて来たのか」 鶴見俊輔・関川夏央 筑摩書房

鶴見と関川の異質の知の共演は、読者を楽しませてくれる。愉快で愉快。不思議な組み合わせだが、溶け合っている。鶴見俊輔は、学生時代のボケ爺の好ましい哲学者でした。

日本人が見失ったものは、自分を見失い、名刺をばらまいて、仕事をすることになったことだ、と言う。大量虐殺にもマヒしてしまった、とも言う。江戸時代の方がまだ進歩的だったのでは?

変わらない日本は、「一番主義」、何でも一番を欲望する。日露戦争までで、その後は後退している。漱石、鴎外が、日本の地を支えている。不条理な怒りの作品では寺山修司が生きている。敗北力を身に付けることだ。敗北力とは;敗北する時の条件を知っている事である。日本人は、自国の思想を捨てて、ヨーロッパ思想の模倣を繰り返してきた。夏目漱石、藤沢周平の作品は、今も日本に溶け込んでいる。「ただの人」であり続ける事である。

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