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2011年12月31日 (土)

日本人の失敗の繰り返し

 今日の政治の動きと、国民の挙動を見ていたら、日本人は懲りることもなく失敗を繰り返すのだな、と思ってしまう。「一瞬の勢力」を費やすと、その後は「あきらめ」の、無責任に逃げ込んでしまう。

 「変化を求める」ために一瞬の勢力を見せる。その「変化の本質」の追跡はできない。何故か?それは「変化の目的」を理解できていないからだ。変化だけが、変化までが、目的だったのだ。本質を理解できない国民だ。論理の嫌いな国民だ。

 明治維新の西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次太平洋戦争、第二次太平洋戦争と突き進み、結果は、日本国は守れたけれど、国民の生活は破壊的状況に陥った。今の民主党の政治力では、今に日本の生活は破壊的状況に陥ってしまうだろう。国民のそれを望んでいるのではないかとも思う。2015年の10%消費税?それ以外に、所得税の増加、相続税の増加、酒、ガソリンなど増税は目白押しだろう。

 国民は政変革命を支持したが、鳩山、管、野田、と進んできたリーダは、リーダの資質を持ち得ていなく、「頑固で意固地」な資質だった。野田首相に至っては、最初から、「ドジョウ」だと、泥の中で「喘ぎます」と宣言している。リーダではなく、みんな(国民)で泥の中で窒息するまで進もう、と宣言していたのだから、たまったものではない。

 消費税の積み上げだけで、社会保障とのバランスシートは示さない、歳出削減の行政改革はしない、経済成長戦略は全くない。このままでは、戦後の昭和20^24年に近い状況までに至るだろう。

<読書>

「蛍の航跡:軍医たちの黙示録」ハハキギ 蓬生 新潮社

500ページ以上もある大作である。ここまでのヒヤリングを出来たことに驚きである。作者の粘りに脱帽。それと伴に、戦争の悲惨さ、組織のエゴと人格との戦い、など考えさせられる内容が深く、深く、提示してくれている。秀作だ

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2011年12月30日 (金)

ボケ爺の2011年、仕事納め

 ボケ爺の2011年の仕事納めは今日(30日)となってしまった。昨日は、旧戦友と、昼食であったが、しこたま飲んで騒いだ。ボケ爺の悪いところだけが似てしまって気の毒だ。(ボケ爺には良いところが無いので)戦友よ、来年も張り切って頑張ってほしい。

 その後は、田町駅の近くで、年寄り仲間が集まったが、M&Aの案件を検討しろ、と年末になって難しい課題を押しつけられた。いささか、調子のいい条件だ、高すぎて売れないだろうが、いただいた仕事を、こなすのがボケ爺である。

 脳出血の後遺症でどんな年になるかと不安であったが、現役時代よりも激しく働いた。その点充実していた。若者も心を開き、良い仕事をしてくれた。感謝!来年の成果に期待が出来る。

 読書、論文のまとめは、その分、進んでいない、不満である。時間の使い方がヘタクソなのだ。昔から変わらない。

 業界の月刊誌「OAライフ」に、コラムを寄稿してから、19回無事に書き終えた。良く続けられたと、思う。来年も、頼むと言われ、悪い気はしない。頑張らなくては!

<読書>

「旅する漱石先生」牧村健一郎 小学館

2011年の締めに、漱石の逸話が読めたことは、幸せだ。芥川龍之介に宛てた手紙に、「牛であれ、馬を目指すな」とある。漱石も作品に悩んでいたのだろう。漱石書簡が東北大図書館に集大成されていると言う、なぜ東北大なのか理解出来た。作品が旅と関連しているらしい。草枕が熊本、虞美人草が京都、草枕が松山、など。人間漱石は鏡子夫人のノイローゼに優しかったらしい、など。

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2011年12月25日 (日)

雪の関ヶ原

 例によって、月曜日朝早くから会議と言うこととなり、日曜日に移動となっている。名古屋駅から見る北の空には黒い雪雲が一面に覆いかぶさっている。アナウンスは無いが、雪で遅れるのではないかと心配であった。岐阜羽島液を過ぎた頃には、5時前だと言うに、すっかり暮れてしまった。車窓には雪が溶けて並行に滴が走っている。夕刻の家庭の灯火や、看板のネオンなどが、雪でくすぶっている。美しい光景である。ボケ爺、師走の初めての雪である。

 ふと気が付いたのだが、新幹線のうるささが(騒音が)少なくなっている。雪がもたらす防音効果か。それとも。速度を予想以上に遅くしているのか。遅れのアナウンスはまだない。と言うことは防音効果があると言うことだ。今までは、新幹線の騒音は自身の発している騒音が機体を伝わって聞こえていると思ったが、機体の振動音は意外に少ないのだ、外へ発した騒音が、周りの、外壁や、レールの砂利などの反射を通じて反響する騒音で倍程度になっているのだ、と想像できる。新しい発見だ。

 米原液を過ぎると雪雲は無くなり、夕焼けで周りは明るく赤く染まっていた。

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2011年12月24日 (土)

クリスマスイブ

 今日はクリスマスイブだ。ボケ爺には関係が無い。仕事上、打ち合わせがあったので都心に出かけたが、例年を知らないのだが、にぎやかであり、はなやかである。家庭で過ごす人々が増えたと言うが、普通の休日の2倍以上の人出である。

 とにかく寒い。ボケ爺の脳出血での後遺症の右足感覚は寒さで、反応が強くなってきている。つまり、雑音が多くなっている。運動にはほとんど影響は無いのだが。とにかくうるさい。帽子をかぶりたいのだが、似合わない、カッコ悪い、と思い、未だに「かぶる」勇気が出ない。

 庭のモミジの紅葉が、散り急いでいる。山茶花は、生き生きとして咲き誇っている。寒いと言っても、確実に温暖化は進んでいると思う。何故か?霜柱が見られない。この土地に移って来た時には、関東ロームの霜柱は、5~10cmほどもあったのだ。それが見られないと言うことは、その分暖かいと言うことだ

<読書>

「別れの時まで」蓮見圭一 小学館

恋愛小説と、ミステリーが含まれて、久しぶりに楽しむことが出来た。この作家の作品は、確か「水曜日の朝、午後三時」と言う変わった表題の小説を読んでから、久しぶりだ。文体、と、物語の進め方が良く似ていた。良いことか悪いことか?

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2011年12月21日 (水)

社会保障と税

 政府では、「社会保障と税」について議論が進んでいる。税と社会保障と逆の形の進め方のように思える。税を論ずる前に議論しなければならないイシュ―(課題)があることは、バカなボケ爺の単純な頭でも解ることである。

 先ずは、国家予算のバランスシートを議論しなければならない。つまり、歳入と歳出のバランスである。そこで生まれた差が、社会保障に分配されるからだ。と言うことは、先ず「歳出」の削減をぎりぎりまで議論し実行できなければならない。

 それには行政改革を真っ先に議論する必要。① 議員の給与を含む給与の削減、② 議員の削減、③ 公務員の削減、④ 政府、官僚が作った機関の削減、⑤ 既得権の改革、これらを国民の前で、削減の議論をしてほしい。そして先ずは実行してほしい。その上で、社会保障額を決める。その差で、税収を論じ、足らなければ、国民は負担しなければならない。

 さらにその時に、最も税収が多い企業税の増額を期待できる経済の発展構想をも提案する必要がある。企業税率はこれ以上高くすると世界競争力がなくなってしまう。売上を、利益を出せる経済刺激策である。

 そんな政府に期待したいが、ドジョウ首相はウナギにはならないか。(石がダイヤモンドにならないように)

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2011年12月18日 (日)

美しい夕焼け

 寒さの為に、空は冴えきっている。国分寺崖線の南端に位置する仙川の街は、東京都でも最も高い台地となっている。仙川駅の東にある橋(京王線の陸橋)から都内が下方に良く見える。都庁のてっぺんが赤く染まっている。ちょうどその橋の高さだろう。新宿の街に灯りもともり始めた。

 わが家は西方に位置し谷間に存在する。崖線の高台からは、坂道や階段を下らなければ我が家にはたどり着かない。まさに地平線に沈もうとしている真っ赤に変化した太陽が、その崖線を守っている林の紅葉を、山ツツジを、実篤公園の池を真っ赤に染めている。時を経つのをしばし忘れる。がその間、10分ほどだった。短いが故に、その美しさは、ボケ爺の心を空っぽと成してくれた。

 森のテラスの階段の、黄色の紅葉が赤く輝くさまは、言い難し。そこに、カメラでとどめる映像があり、絵画として筆の具象が生まれるのだ。満足な散歩であった。

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2011年12月17日 (土)

冷温停止

 福島第一原発の「冷温停止」を、ドジョウ首相は、声高らかに宣言した。政府や東電や専門家は、これで、安心だと言っているように思える。この低温停止とは、市民は理解できない。「停止」だから、一般的には、原子分解(核反応)が「停止した。」つまり、放射能汚染が止まった、と解釈するのが普通だろう。国語的にも常識となるはずだ。

 だが、未だに放射能の放出は続いている。周辺は高い放射能で危険である。冷温に使われている水は、高い放射能を含み、汚染は止まっていない。それとも、核反応は止まってその各物質からは放射能は出ていないと、証明されているのか?物理的にもあいまいで、実態は解っていないはずだ。なぜ、「停止」と言う都合のいい言葉で国民を誤魔化すのか?専門家まで。

 ボケ爺の考えるには、停止ではなく、「冷温の運用が継続できるようになった」が正しいのであって、「核反応が停止した」のでは無く、「これ以上の核反応は増加しなくなった。」と言うのが正しのではないのだろうか?ジャーナリストは、言葉を厳密に使うように、指導する役目もあるはずだ?原発災害対策担当の細野大臣の言葉も貧弱で、幼稚語が多く、説得力がまるでない。その頼りなさが、人々の追求から逃れている。これが日本の政治家の現状である。欺瞞の蔓延した世の中を過ごすには、耳を閉じるしかない。日光の「見猿、聞か猿、云わ猿」は何時の世も同じこと象徴しているのか?

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2011年12月16日 (金)

鹿児島空港にて

 鹿児島にやってきたのは、新しい材料を求めて、鹿児島工業技術センターで、話を聞くためだ。ボケ爺の一生の仕事にしたい天然材を使った機能材の開発である。電子機材から、工芸材にもなると言う高付加材料の開発になるだろう。その素材の一つが、ここ鹿児島にあるのだ。火山地帯に無尽蔵に存在している。特に鹿児島は県を挙げて研究している。

 それにしても、四国の山々は頂上の尖った険しい山々がほとんどであるが、九州には、山の頂上をカットした台形型の山が多い。その為、九州では球の台地が開けているところが多い。隣の四国と、どうしてここまで地形が違うのだろうか、不思議である。鹿児島空港もそんな山の台地の上に出来ている。

鹿児島空港は38年ほど前の出来たばかりの時に利用した。その時に大失敗をしてしまったことを思いだした。少々早目に手続きを終えて中に入ったので、お茶を飲んで、すっかり時間の過ぎるのを忘れていた。急いでゲートに着いた時は定刻の10分前であった。すると、「ドアを閉めたので、機上出来ない」、と言う。当然、ボケ爺、クレームするがかなわない。2時間後に、最終便があるのでそれに搭乗券を変更してあげると言う、今では考えられないアクシデントを経験した。みんなが素人の田舎空港であった。空港の構造はその時とほとんど変わっていなかった。

<読書>

「蜩(ひぐらし)の声」古井由吉

使われる言葉の幅が広く、深い。淡々の展開される文脈に、意味深い言葉が散らばっている。元々この著者は言葉の魔術師と言われているが今回の作品はさらに意味深い。例えば、近代の人間は言葉の洪水に溢れ、論理的になって、耳がふさがれてしまっている、と言うシーンをうまく展開している。

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2011年12月15日 (木)

伊丹空港

 久しぶりに伊丹航空を利用した。随分昔は、時々使っていたのだが。早朝の東京からか、夜での東京への便であった。今、離陸をしたのだが、リクライニングが要らないほど機首を持ちあげている。つまり、エンジン全開で急上昇をしているからだ。都市型空港の特徴である。羽田などと比べものにならない。

 サンホセ空港を思い出す。サンホセ市はシリコンバレーの街の中にある空港で、アメリカでも有名な、都市型空港である。同様に、エンジンを全開で、急上昇をする様はアメリカ一番である。伊丹空港がそれと良く似ていることがやっと今日解った。騒音問題で急上昇する理由があるのだが。サンホセの街は、シリコンバレーのせっかちなビジネスマンが好んで利用していた。

 四国の山々は、尖がっていて険しい。平野も少ない。はるか下に、JALの小型ジェット機が東に向かっている。足摺岬から、日南海岸までの海には、小型漁船がいっぱい出ている。大型タンカーと良くぶつからない事だと感心する。平和なフライトだ。

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2011年12月12日 (月)

目的を追求する生き方

 酒を少々頂いた。昔と比べると随分と弱くなってしまったものだ。今日のお酒は、仕事関係とも、友人と言う昔の因縁を持った関係でもない。ましてや女性ではない。一緒に飲むことの目的がはっきりしていない。歳を取ってくると、目的を持たない行動が多くなってきたように思える。つまり徘徊をするということだ。散歩しても、昔は健康の為に、あと何歩け、の脅迫めいた掛け声を自分に課していた。まして、会社仕事は、目的に向かって、みんなと頑張ってきた。目的が無い行動、無意味なことと思えたし、考えていた。

 この年になると、目的を持たない行動が、思わぬことの発見につながることある、と思える。カマキリが、トンボを取って食べているとか、池の鯉がトンボと戯れていて、餌と間違えてのみ込むと大変だ、とヤキモキしている自分を発見する。今季節のメジロは椿や、山茶花を相手に自分の美しさを磨いていることや。落ち葉の美しさに、思わず拾い上げては、しばし見入っている。ボケ爺は思わず、何をしているのか?と自分で反省する。なぜか、無目的のそのような振る舞いに年を感じて、がっくりとするからである。

 美術館や、ガローなどを覗きたいのだが、目的を考えるとそんな場所に出かけるにも理由が必要で億劫になってくる。昔の俳人の芭蕉や、良寛や、一茶などは、目的を持たないからして、自然の詳細が見えたのかもしれない。目的を持つと、その過程で、周りが見えなくなってしまうのだろう。

 と言うことは、目的を持つことは不孝につながることになる。人間とは厄介なものだ。

<読書>

「幸・不孝の分かれ道」土屋賢二 東京書籍

好きな著者だ。哲学者だ。ユーモアのある文章は、思わず哲学を忘れさせてしまう。中身は深い、思慮深いことを述べているのだが。しかし、今回の著書は、哲学とは、なんだろう、と言う教科書的である。考えることを考えるには最高の作品だろう。

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2011年12月11日 (日)

小春日和の休日

 我が家の庭のモミジにも紅葉が始まった。美しい変化である。山茶花の花に、メジロがやってくる。薄緑の美しい色がうれしい。鳴き声を聞かなければ最高に美しい。小春日和の二階の部屋は暖かく、暖房が要らない。そんな合間を見て、残っていた木の剪定をするも、汗がにじむ晴天の休日である。

 散歩に出れば、秋桜が10月の末ごろから、未だに咲いている。まばらな咲き方だから、派手ではないが、桜類であることには違いない。その後ろの白樺の葉は黄色に染まっている。白樺の木肌は、乙女の白肌の湯気のごとく、色気を発しているのだ。

 月曜日の朝から奈良で会議があるので、休日だと言うのに我が家を出る。京都から、近鉄線に乗り変える。日曜日の京都を楽しんだ買い物客が、途中で下車して前がすっきりしたら、橙色の大きな満月が車窓から見える。寒く氷のように冴えきった空気に似合わない穏やかな月の光である。ボケ爺の乗った電車を追っかけてくる。時には前に、時には後ろに、見え隠れしながら、満月は奈良まで追っかけて来た。この満月は昨日の皆既月食を忘れたように、落ち着いている。

 平城京 満月光を 浴びている

<読書>

「リーダーシップ」山内昌之 新潮新書

難しい課題である。今の政治の在り方を嘆き、リーダーとは何かを見据えたこの著書は、実に迫力がある。近年の中で最も優れた作品である。内容については別途取り上げたい。副題は、弾力と大局観である。

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問責審議可決

 問責審議が可決しても、その罰則が無いので、その効果が今ひとつ解らない。問責審議の回を重ねるごとに、軽くなっている。さらに、今回は2人一緒、と軽々しい。ボケ爺は面白く成り行きを眺めていた。

 一川氏は、善人である。「知らない事は知らない」と正直だ。本人も、「正直に話して何故追求されるのか」理解できていないと思う。市民的善人の典型的な人だ。だが、政治家ならば、気配りが必要だ。「今正確な理解が必要で再勉強中だ」、とか。自分の信念を通して大臣を全うする気なら、周りの状況が判断出来なければ実行できない。ただの善人は、政治家になってはいけないのだ。

 山岡氏は、悪代官そのものである。政治家になって、「金が勝負だ、金もうけして何が悪いのか?」と、政治家として正しい判断を主張している。政治家は悪人(金で動く)であることを自覚している。こんな政治家も国民にとって迷惑な存在だ。

 今回の2名の問責審議は、今日の政治の停滞、だらしなさ、の典型的な代表例であり面白い。この先どうなるのだろうか?楽しみだが、何も変わらないだろう。

<読書>

「四十八人目の忠臣」諸田玲子 毎日新聞社

人間には「信念」が必要だ。「信じる」も必要だ、と強く考えさせる作品だ。赤穂浪士の仇討の新しい解釈だろう。裏から眺めるとこうなるのだろう。想像を掻き立てられる作品だ。さらに、諸田の美文が読みやすい。

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2011年12月 5日 (月)

思い出す女性(人)

 韓国での孤独な生活を癒してくれた女性(人)である。少し意味神?孤独を癒すには、テレビでも見ているしかなかった。それも日本語放送が良い。韓国では、NHKの世界向けの放送(ワールドプレミアムだったか?)がある。朝方、またある時は真夜中、日曜日などで、短歌、俳句の楽しみなどの放映があった。今もあるだろう。

 その先生、評論家に、歌人の「河野裕子」が居た。透き通った優しい声で、満面の笑みを湛えて評論する内容は、心が温まった。顔は美系とは言えないが童顔で、若々しく、可愛いいのだ。この人の亭主がうらやましく感じ、嫉妬していた。雲の上の人だった。ボケ爺は俳句に興味があったが、河野先生の時は短歌の時間でも観ていた。

 日本に帰ってきた年だったかに、壮絶な乳癌と戦ったが、残念にも亡くなられた。合掌。残念に思い続けていた。偶然にも、「もうすぐ夏至だ」永田和宏 白水社 を手に取ってみたら、この著者が河野裕子の幸せな亭主だった。うらやましい亭主は、有名な細胞生物学者である。たんぱく質細胞の権威者である。この著者が、歌人でもあったことは知らなかった。このエッセイを数時間で読み終えた。

 うらやましい亭主は、文学と科学とを両立させていたのだ。どんな頭の構造であるのか?子供たちも歌人になっていると言う。食事は、外食もしたことなく、全て、歌人の河野裕子が賄ってくれていた、と言う。繰り返すが、美しい声、優しい話し方、情緒豊かな表現、笑顔を絶やさない、豊かや気配り、愛尽くし切る人、それでいて亭主に干渉せず自分の世界をしっかりと持っている。社会的な活動は半端ではない。こんな素敵な女性がこの世に存在する。亭主も絶賛である。ボケ爺が憧れて当然だと解ってもらえるはずだ。

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2011年12月 4日 (日)

不愉快な日

 雲ひとつなく、朝日が玄関にある小木の柳モミジの紅葉を輝かせ、美しい。にもかかわらず、昨日の雨の雨戸を叩く心地良いリズムと違って、とにかく不愉快な日となった。図書館からは、早く本を返せと言ってくる。まだ読み終えていない。月例報告が、未だに終わらない。書くことが見つからないからだ。いま進めている仕事が、ロジカルに進められない。猜疑心の多い人々に説明するが進まない。日曜日でもストレスが溜まる。

 もっとも不愉快な事は、読んだ本が理解できないからだ。面白くもなく、感銘も受けない。筋書きは分からなくもないが。四重奏(カルテット)の演奏者が、それぞれに裏切り、不倫、愛の不信、また真摯な愛とが幾重にも奏でられるのだが、美しくも、素晴らしい演奏は何もなかったように進む。

 「持ち重りする薔薇の花」丸谷才一 新潮社 が不愉快なのだ。題名からして意味が分からない。読んでいてもかったるい。すぐ邪念がめぐる。そう、仕事上のストレスを思い出してしまう。丸谷才一だから美文である。愛読者の一人だ。理解しようとすればするほど、理解が出来ない。ボケ爺もこの種の作品が理解できなくなってしまったかと、これかの人生に不愉快となる。

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2011年12月 3日 (土)

師走の雨

 今日は朝から、今年の象徴らしい師走の始まりの、冷たく、凍えるほどの雨が激しく雨戸を叩く。その雨音は元気づける心地良いリズムを奏でている。雨で何もできない土曜日で、読書がすすむ。

 昨日は奈良にいた。曇り空であったが、空気は氷のような鋭く研ぎ澄まされている。そのせいで、東の山々、西の山々、南の峰、北の丘陵が良く見える。紅葉の盛りで、美しい。雲は山々の頂上は隠している。そのコントラストが神秘的だ。古都が反映したゆえんの一つがこの光景ではないだろうか?

 その分、寒さはこたえる。4℃とは、少々冷え過ぎだ。昨夜までの小雨は上がっていた。襟を立てて、駅へと急ぐ足は、いつもより早くなってしまう。前日の韓国よりも寒いのだ。今朝の東京では、暖房を入れることに躊躇するが、ボケ爺の体が我慢してくれない。歳はとりたくないのだが。

<読書>

「複眼で見よ」本田靖春 河出書房新社

辛口の評論家であった。亡くなって久しいが、その未発表の集積である。確かに一筋の論理が通っている。こんな信念と自信はどうすれば得られるのだろうか?文章も心地良いほどのロジカルさである。このボケ爺、未だに迷っている。恥ずかしい。

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2011年12月 1日 (木)

水原(Suwon)にて

 水原(Suwon)を訪れたのは、今年は2回目である。今回の訪問は楽しみがあった。昔の仲間に会えることであった。残念ながら、みんな仕事が忙しく集まれなかった。もう一つの楽しみは、冬の到来で、どこまで寒くなっているか?を実感することだ。これも残念ながら、裏切られ、暖かい雨の毎日であった。当然、紅葉の季節はとっくに終わっている。

 帰路のリムジンバスに乗って出発した。右側には、韓国に滞在中過ごしたアパートが見える。懐かしい。ボケ爺のあとにはどんな人が住んでいるのだろうか?世界遺産の華城(Haseong?) の東門近くの道路の立体化工事は今も続いている。ここら一帯はボケ爺の散歩道であった。マイナス10以上の寒さの中でも、土曜、日曜はジョギング、散歩を楽しんだものだ。5年間はあっと過ぎてしまった。

 次回の訪問では、必ず、昔の仲間が集まってくれるだろう。次回の楽しみに期待しよう。

<読書>

「本と怠け者」萩原魚雷 ちくま文庫

こんなに本を読んで、怠け者は無いだろう。しかも、あまり日の眼を見なかった希少価値の高い本を紹介している。この丹念な探索と、評価は、怠けては出来ない。驚くことばかりである。

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