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2011年6月30日 (木)

久しぶりの休暇は?

 先週の23日から、今日まで、早めの休暇をもらった。久しぶりの長めの休みであった。休暇といえば、日ごろの疲れのリラックスだ、と言うことが一般的だ。だから楽しかったはずだが、正直、疲れた。安く上げるために、パックに挑戦したからだ。

ある意味では楽だが、自由行動が制限されているので、思うように見学が出来ない。マーこんなものだろう。スケッチをしたかったのだが、一枚も描けなかった。その分、バカチョンカメラで、スケッチを自宅で仕上げるつもりだが、どうなる事か?多分出来ないと思う。

それにしても、パック旅行は年寄り夫婦、おばさんグループで、疲れを知らず歩き続けるし、買い物も休み無く動き回っている。高齢者78歳と68歳の姉妹で、元気だ。今更ではないが、日本の高齢化、女性の強さは、驚くばかりである。

何所に行ったかは、ナイショ!食事も全て現地食、飽きることは無かった。その分まだまだ耐えることができる、と自信を持てたのだが。右半身は自分でありながら他人のような物だ。これに耐えることは何時までだろうか?それにしてもスケッチ一人旅は何時実現するだろうか?

<読書>

「リオ」今野敏 新潮文庫

警視庁強行犯係 樋口顕 シリーズである。機内、眠れない夜にはこんな気楽な読み物が良い。

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2011年6月22日 (水)

発病から8カ月目で考えること

 発病してから、ようやく?早くも?8か月が過ぎた。症状は、7ヶ月目よりも、ちょっと後戻りしたようである。つまり、悪くなっているみたいだ。右半身の下半身の足回りは、筋肉を使うと、硬直が以前よりも強くなってきたようだ。足の裏が、ガンであるのだが、踵と右側面は正常に戻ったがそれ以外は全く変化がない。上半身は、以前よりは雑音が多くなってきて煩わしい。

 発病したときは、正常な意識を持っていたと思う。「アー、やってしまった。」「高血圧メ!」「ウム、人生終わったな!」死にはしないが、半身不随の障害者として生きなければならない、と衝撃と、覚悟の日々であった。今日の安定期で、完治したわけではない。外見上は正常風ではあるが、身体は言うことを聞かない。また、正常に血液がめぐり細胞は働いているようだ。人間の機能は「複雑な超機能システム」である。また、右半身は「自己でありながら、非自己でもある。」

 リハビリをしている時に、考えたことは、正常者としての人生は終わった。これからは、障害者の人生を歩まなければならない。「どんな生き方」が出来るのだろう、と。「復元」はかなわない。元に戻らない。「新たな人生観」に変えなければ、と言うことだ。

 すると、今での技術で、取りこぼしたアイデアが次から次と湧いて来る。そうか、ボケ爺は、この「アイデアを実現するため」にまだやらなければならない人生があったのだ、と気がついた。幸い、大金は出してくれないが、提案する技術について自由にやらせてくれるスポンサーが見つかった。この恩に報いることが、残された人生の生きる道である。

 時を同じく、大病後、生き帰って未だに、夢を語る人々との交流が始まった。オジン・クラブの集いは、夢いっぱいである。

<読者>

「邂逅」多田富雄、鶴見和子 藤原書店

多田富雄氏は、免疫学の大家、で、脳梗塞で倒れ、鶴見和子氏は、比較社会学の大家で、脳出血で倒れた。

 小生と比べれば、はるかに重病である二人の脳卒中の障害者の、それぞれの回想録は、ボケ爺の体験と良く似ている。当然、このボケ爺のスケールは、はるかに小さいが。発病後は、狂言作家として有名だし、歌の大家で有名な人となられた。脳とは不思議な生き物である。「自発的発展機構」であるらしい。ボケ爺の説は、「人間機構の冗長性」のお陰だと思っている。

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2011年6月19日 (日)

「なぜならば」が足らない

 特に、菅首相の発言には、理解できないことが多い。唐突のような思いつき発言が多い。理解に苦労するのは、理由が述べられないからだろう。つまり、「なぜならば、、、」の丁寧な説明がまるで欠落している。

 海江田経産相の「原発安全宣言」も同じ事である。「停止中の原発の安全性が確認できたので、再開の依頼をする。」と言うのだが、どんな方法で、誰が、確認したのか?などの、「なぜならば、、、」の説明が欠落しているようだ。

保安院が、基本的には、停止中の原発を、「こんな方法で、安全を確認した。」「責任を持って安全であると宣言する。」と、情報公開して説明が、先ずあって然るべきでしょう。どうしてこんな手続きが取れないのであろうか。

枝野官房長官も同じ論法で、「なぜながら、、、」の説明は絶対にしない。更に悪いのは、情報公開を明らかに操作していることが見え見だ。明らかに政府責任を少なくしようとの工夫が、憎たらしいほど含まれている事だ。その点素晴らしい論客と言うべきか?東日本震災の支援費にしても、福島原発の保障費用にしても、なるべく、少なくなるように操作した発言が目立つ。さすがに官僚の言いなりの政府と言うことか。そのコツの基礎は、「なぜながら、、、」を言わない事だ。

<読書>

「天涯 1」沢木耕太郎 集英社文庫

島は舞い、光は流れ、と言う副題がある。写真集であり、文章は少ない。人は旅をする。その理由は。「夢」の数だけ存在するはずだ、と言う。その理由からすれば、「夢見るボケ爺」も、これからでも「旅」に出られるはずだ。さて?「旅」に出かけられるのだろうか?

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2011年6月18日 (土)

パジャマのままの一日

 疲れが溜まって、土曜日曜は寝て暮らすことが続いている。が、そうは言っても、図書館、散歩、古本屋漁り、等、最低の行動はしていた。今日は限界だ。朝風呂で癒して、さて朝寝、と、何時ものコースと思いきや、何ゆえか、朝寝が出来ない。寝返りを繰り返したが、どうしてもダメだった。

 借りている本が、明日で返却をしなければならない。どうしても読みたい本がある。たまりに溜まってしまっている。それが気になっているようだ。気にはなるが、読みきる元気は無い。一冊だけは読もうとしたが、進まない。夕方になって、やっとその理由が解った。つまりパジャマのままで、着替えていなかったのだ。人間、環境作りが必要だと思う。

 又、ボケ爺、家の中では、勉強できる気力が出ない。雰囲気的にボケてしまう。賑やかな中に飛び込む事によって、自分を追い込む事に慣れてしまっているからだ。「15分あったら喫茶店」ではないが、喫茶店がいい。図書館も良いのだが、近くは、節電のために、学習室は使えない。中央図書館は、四駅もかかっても、常に満席である。

 午後には雨が降り始めた。ボケ爺、雨が好きだ。だが、今日は出かける勇気が出ない。窓から、紫陽花に降り注ぐ雨を、ボーと眺めていた。花びらに落ちる雨粒と、揺れる花びらが、1/fの揺らぎがある。それが心地よい。

<読書>

「火車」宮部みゆき 新潮文庫

バブルが弾ける前には、気軽に借りられるローンによる被害が増えていた。その後、自己破産の対策法が出来た。その時と同時期に通信販売が流行り始めた。そんな時の、犯罪ミステリーであった。東京から郡山、宇都宮、甲府、名古屋、大阪、と関係する広範囲な場面が忙しい。情報化時代のためである。構想力は遠大だが、アクセントがない分飽きてくる。更には、社会制度などの解説が多くて、正直飽きる。

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2011年6月12日 (日)

関西電力の陰謀は?

 東日本の大震災で受けた産業界の打撃は想像を絶する。当然、生活基盤の災害も底が見えない。これからの日本は、この支援だけでも消費税3%のアップに相当する。さらに、福島原発の後始末で、消費税5~8%アップは必要になるだろう。

 産業界の復興は、このままだとGDP3%のダウンに相当する。東京電力の節電25%指導で、GDP5%ダウンに相当するという。東京電力都県内は止むを得ない。その落ち込みを留めようと産業界は東日本から、西日本に作業現場を移動することで、努力をしている。

 その努力に泥水をかけたのが、関西電力の節電15%宣言である。東日本から西日本に移す作業中の産業界に衝撃が走った。試算では、GDP4%ダウンに相当する。現状では十分に余裕がある。何故、この時にこんな宣言をするのであろうか?陰謀説がチラつく。

 原発阻止運動に対抗するためか?関西電力は原子力発電の比率が多いからだ、と思いたい。しかし、関西電力の単独の発想ではなかろう。政府がらみの陰謀であろう、と想像できる。

今日の日本の発想は、セクショナリズム過ぎないだろうか。産業復興なくして日本は存在できないはずだ。大局感的発想が出来なくなった。大局観のリーダーの出現に期待したいが、今の政府は小物ばかりでは期待できない。やはり、日本は転覆の工程を歩んでいる。

<読書>

「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」城山三郎訳 新潮文庫

佐々木何某が大変に褒める物だから読んでみた。申し訳ないが、変凡な内容だった。ボケ爺も、自説を何らかの伝承を試みたいのだが。凡人にはそのチャンスは無いだろう。

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2011年6月11日 (土)

紫陽花が似合う日々

 紫陽花が似合う日々がやって来た。我が猫の額の庭にも、3種の紫陽花の花が開き始めた。今日のように、しとしと降る雨に、色彩が輝く。我が家の紫陽花は顎花びらで、華やかさは無い。

 井の頭線

の東松原駅

から下北沢駅

までの両サイドは、紫陽花の通りである。この季節は毎日の出勤でも疲れが吹っ飛ぶ。混み合ったストレスも吹っ飛ぶ事請け合いである。下北沢駅から、東大駒場駅までも、緑が似合う車窓である。

 雨上がりの森のテラスでは、アゲハチョウの競演が始まっていた。これから楽しめる鬼鉄砲ゆりが背を伸ばしてきている。雨上がりでは小鳥の叫びも一オクターブも高くなって激しい。ボケ爺は以前も言ったが、この雨の季節が大好きである。雨しずくの音がストレスを慰めてくれる。

 ボケ爺、血圧を、薬を飲んで無理やり下げているせいか、歳のせいで体力をなくしているのか、頭は重い。冴えない土曜日であった。

<読書>

「日々平安」山本周五郎 角川春樹事務所

多分以前に読んだ事があるらしい。古本で100円だが、読み応えがある。「信念」を持って生きていくには難しい。難しい人間関係を周りに理解させなくても、それなりに信念を持って、且つ、周囲に迷惑を掛けずに生きていくことは、並みの意志力では出来ない。周五郎はその表現が実に巧い。ボケ爺の曖昧な生き方に鞭を打ってくれる。

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2011年6月 5日 (日)

ペテン師

 「ペテン師」とは死語ではなかったか。見事に復活した。霞ヶ関は、一体何をやっているのか?東日本大震災の復旧の話も、福島原発の対処も、そっちのけで、保全に全身を掛けている。災害に対して、議員は、寄付も、経費節減(給与削減)もしない。その話題も出さない。利己的な議員ばかりだ。

 今日の産経新聞は過激だ。「ペテン師」「ホームレス」などと評論されている。ホームレスとは、菅首相を取り巻くブレーンが居ない、ことを言うらしい。岡田幹事長は、昨日は菅首相の延命に、力を貸しているのかと思いきや、菅首相が8月までにやめそうだとすると、途端に発言を覆す。こんなブレーンでは、菅首相にも同情をしてしまう。日本の政治家は組織で仕事をする事を知らない人々である。「道化師」の世界であり「詐欺師」の集団である。多分今後とも変わらないだろう。期待は持てない。

 菅首相が退陣した後、自民との大連合を誰が指揮するのだろうか?少なくとも、復旧対策(復興は別)と福島原発封じ込み対策、保障問題は、何とか大連合で、日本が一体になって対処できる事を国内、世界に見せて欲しい。信頼性を取り戻してほしいものだ。さて?

<読書>

「太宰治の言葉」童門冬二 致知出版

作者は、太宰の言葉が最も気になるという。ボケ爺にとっては、なかなか付いて行けない。道化師であり、自分のために他人を巻き込んでいる。ボンボンで、我儘と思う。残念ながら、参考になる言葉は見当たらなかった。

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