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2011年5月30日 (月)

老人趣味で仕事する会

 ボケ爺が顧問をすることになった中堅の会社の会長は、この時期でも黒字会社のつわものである。そして老人会の会長であり、歳は70に近い。

まず営業は、営業の人脈を頼りに、つながりを提案する老人、この人は、脳梗塞で一命を取り留めて、全快をした奇跡人。70歳まであと1年、そこで死ぬと豪語している。しかし、レスポンスは早い、がくどい。せっかちでもある。

化学系の技術屋で、胃が無い、内臓の一部が無い、10年ほど前に癌で三途の川を渡って引き返した。いまだに、自ら、実験室で真っ黒になって実験をしているアイデア老人。元は文系の公務員だそうで決して技術屋ではない、と言う。お客さんのところで、自説を主張しすぎ、受注が取れない。歳は70歳を超えた。親戚の兄に、有名な陶芸家がいる。その人も建築機械を設計している。

エチケットブラシの考案者で、最近、さらに新製品を発表して意気揚々の織物アイデアマンの老人。最高齢だ。やはり持病を持っていて、いつ倒れるかわからない、と言いながら、街を闊歩している。

上場していないが、大手の専務さん。アイデアマンである。金にならないアイデアで一杯だ、このまま金にならないと、明日にでも会社は潰れるだろうと、自慢している。最も若い。酒はこの中で最も強いのではないだろうか?

 集まって飲むと、ビールは少なくとも中ジョッキーで5杯から10杯、焼酎瓶二本(3人で)それでいて、老人だから朝はすっきり、早くから起きてくる。そして、彼らの人脈がすごい。大手企業の技術、営業など、複雑に絡まっている。

 発想が面白い、何でもありで、試作に取り組む。否定をしない、「何でもやってみなければわからないではないか」がモットーである。「夢を見て楽しく仕事をしよう」、である。大きなお金は出てこないが、小金は出てくる。ボケ爺は若い方だから、夢の実現に楽しみたい。

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2011年5月29日 (日)

梅雨入りの雨

 昨日、今日は、梅雨の雨らしく、しとしと降り続く。実は、ボケ爺はこの梅雨らしい雨が好きなのである。傘を差していると、孤独になれる。孤独感にひしひしと浸ることが出来る。淋しさも身に沁みる。その二重奏に感謝する。その上、1/fの揺らぎの雨音の音調が、心を癒してくれる。

 庭の木々が、喜び、うれしそうに緑が輝いてくる。雨水を葉っぱから滴り落として、上下に首を振ってくれる。ボケ爺の愚痴を黙って聞いてくれているようだ。色んな葉っぱが一斉に揺れて、仲間だよ、と言ってくれている。

 雨の実篤公園を散歩する。孟宗竹の竹の子はもう出てこない。皆立派に成長を済ませてしまった。湧き水は少々少なくなったようだけれど、未だ健全である。池では、鯉が、葉っぱのしずくをえさと間違える場面に出会う。カモが一羽だけ、羽を休めている。何所からやってきたのだろうか?きっと、野川からだろう。迷ったようだ。このカモも「ボケ」なのだ。その隣の岩の上には、ボケ爺に似たボケ亀が居眠りをしている。雨時に甲羅干しでもないだろうに。だからボケ、といわれるのだ。ボケの仲間が増えることは良い事だ。

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2011年5月28日 (土)

世間は異常者の集まり

 人間とは、常識人の集まり、平均値を発言、行動をする人で社会を構成している、と思っていた。どうも考え直す時が来た。多くの人は、「そんな事は当然だ!」と言うであろう。そう考えると、チンパンジー、もゴリラも人類園に入ってくるのだろうか。

 最近、週に一回は大阪に出かけることになっている。どうも、東京と、大阪では、人間の平均値が違ってように思う。新大阪駅から,仕事先の難波に向かうのは、地下鉄御堂筋線を良く使う。席は6人掛けで、東京では7人掛けの設計になっている。6人掛けでも、平均に4人程度しか座っていない。多くの人は立っていて、席を詰めさせる様子は無い。大きく股を開く人、両サイドに荷物を座らせる人、肩の触れあいを嫌い、席を立つ老若男女が多い。大阪の女性の老いも、若きも服装が、明るく、奇抜である。東京のダーク系とはまるで反対だ。

 昨日、多少込んでいる山手線内で、目黒駅から乗り込んできた、若い男女が居た。見た目は平均的で、大人しい。が、青年は、大きなクシャミをする。口に手を当てない、「失礼な奴だ」と思った。隣の五反田駅で、青年が女性に引っ張られていた。「そこに居たら、人々の出入りが出来ないでしょう」「うん」との会話である。どうやら、平均的青年といえない、何か障害あり、お姉さんの付き添いが必要であるらしい。大崎駅で降りていった。

 ボケ爺も、何かにこだわって、意地を張って生きている姿を顧みるに、どうやら、平均的人間とは言えない。「人間は異常者の集まりだ」と。今になって認識が出来るようになった。若い時は、常識的コミュニケーションが出来き、理解しあえている前提で仕事をしてきたが、きっと、理解は遠かったのだろう。皆が我慢していたのだ。

<読書>

「恋文の技術」森見登美彦 ポプラ社

一筆啓上、手紙は送り続けろ、と言う。内容は、恋文とはいえないのだが。ニヒカル場文章が多い。ボケ爺はこんな文章が書きたいが、まじめすぎて、ニヒルになれない。これらの文章だって、異常者間の文通に思える。作者のヒヨッとすると、異常者なのかもしれない。そこが愉快だ。

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2011年5月24日 (火)

大阪駅の賑わい

 脳出血を発病してから7ヶ月目になる。右半身の麻痺状態は、相変わらず不自由が続いている。腰から上と右腕の変化は、発病以来ほとんど変わらない。一部では、接触感覚、温度感覚は、少し良くなっている。問題は右足だ。回復と悪化とが交互している。回復したことは、接触感覚が全く無かったが、少し解るようになった。温度感覚の少し戻っている。その分、いろんな雑音が増えてきた。 と言うことで6ヶ月前とはあまり変わらない。変わらないけれど、慣れて来た。このまま変わらないのだろうか。もう少し改善してくれることを期待する。

 月曜、火曜日に、大阪で複数の会議が出来て、その事前打ち合わせが必要だったので、日曜日に大阪に着いた。大阪駅と、その関連ビルが完成(大阪ステーション・シティー、と言うらしい)して、2~3週目か、ニュースで混雑している事は知っていたので、チョッと見物と思ったが、とても見学できる余地が無いほど混雑している。大阪がこんなに賑わうのは、ここ十数年無かったのではないだろうか?梅田近辺は大変な賑わいである。

 会議は難波で開かれるので、難波に移動したが、ミナミは閑散としている。健全なショッピング街はすっかりキタに映ったようである。若者の遊び場は、まだ、ミナミは健全らしいが。元気が大阪に移ってしまったようだ。

 久しぶりに大阪に居る孫と対面した。未だ幼稚園に通っているが、ボケ爺など忘れているだろうと思ったが、よく覚えてくれていて、手まで繋いでくれた。子供の記憶力はたいしたものだ。

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2011年5月21日 (土)

東京電力の経営

 東電の経営方針が発表された。経営合理化での内容が不十分であることは、ある新聞社の追求にある。それには厚生年金に追求されていないので、可笑しいと思われる。公的資金の投入、債権放棄などからは、JALと同じ事だと思う。独占企業の甘さが経営、事故対策の甘さに繋がっている。その上、人事の責任の取り方も可笑しい。ここに至っても、派閥人事が行われるし、ドンは辞めない。政府との癒着を今後も大切にしようと、言う事だ。

 福島原発の今後の対策費は、今回の赤字どころではない。それらが計上されていない。自らの再建は放棄していて、政府が助けてくれる。つまり国民から取ろうと思っている。先ず、放射線の封じ込めで、これから約10年で、10兆円以上。水の浄水化で、フランス企業の見積もりでは、約20兆円、土壌の改善で10兆円。被害者の保障で、約5兆円は必要だろう。燃料棒の廃棄で、5兆円。あわせると10年間で、50兆円、年間にして、5兆円の費用を見込まなければならない。企業破綻は明らかだ。

 だが、東電は存続させ、できると判断しているボケ政府はどう対処するだろう。菅首相も6月には退任?たらい回しで、誰も責任を取らないので、閣僚、政治家は気楽だ。未だに、給与、経費削減に言及しない政治家は、一体人間なのだろうか?

<読書>

「償い」矢口敦子 幻冬舎文庫

さすが社会派作家と言われるだけあって、深い社会の歪みに言及している。ミステリーといわれるが、ミステリー的ではない。松本清張の後継者と言われる意味の作品であった。やや、余分な書き込みが多く、それが雑音で読みづらい、と思うのはボケ爺だけだろうか。

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2011年5月15日 (日)

福島原発の隠蔽

 またまた、既に解っていた事を今頃発表して、過去を隠蔽した。核燃料のメルトダウンだ。水素爆発の時には、メルトダウンしていたのだ。2号機、3号機も同じことだろう。4号機は、もっと深刻であろう。

 足柄のお茶が被爆していた。お茶だけでなく、もっと、他の食物も調べる必要がある。入間のお茶も、大丈夫だとの発表が必要だが?線量の測定の仕方も可笑しい、そこで最も強くなった値を発表すべきだが、最も少ない測定値を発表している。

 1号機だが、メルトダウンしていた。温度は100~120℃で低温だと?水のところの温度ではなく、水蒸気の温度を測定しているのだ。地下に3000トンの汚染水が溜まっている、と言う。「川のように流れていた」と観察者の発表が隠蔽された。汚染水が多量に漏れていることを隠蔽するためだ。今までに注入された水は10倍ほどあったはずだ。自ずと、漏れていることは解るはずだ。2号機、3号機も4号機も。

 御用学者、ジャーナリスト、は何故、隠蔽に協力をするのか?こんな簡単な危険性に注意の喚起が出来ないのだろうか?これが、日本の現代である。「臭い物には蓋をする。」6ヶ月から9ヶ月に解決して、「帰郷ができる」と菅首相が発表しても誰もそれは出来ないとはいわない。たとえ、核拡散は終わったとしても、「汚染された土壌、環境を洗浄する日程が含まれていない」、事は明らかだが。

 科学は、仮説の実証で成り立ている。「仮説に基づいた課題解明」の工程が示されない。「結果はコウだ、何故ならば」の発表の仕方も無い。全く、科学的なロジックが無い。これも日本的なのだ。本当にこれで良いのだろうか?

<読書>

「東京随筆」赤瀬川原平 毎日新聞社

題目通りで、東京の各地を散策して、思うことを書き連ねている。写真と共に語られている物、と思っていたのだが、随筆そのものだったが、それは観察の細やかさが、言葉として魅力であった。「老人力」と言う言葉を作った原平の写真好きは有名である。

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2011年5月14日 (土)

鶯がついにやって来た

 昨夜は寝るのが遅かった。日本生活を追えて帰国する部下の歓送会で、少々騒ぎすぎた。遅い目覚めだったが、素晴らしく美しい深緑が眼に沁みる。素晴らしい一日が始まる予感がした。

 ボケ爺の体力では、午前中は昼寝となってしまった。これでは「いかん!」と思い散歩に出かける。実篤公園の竹の子は一週間がたった。なんと、3mほどに成長してしまっていた。だけれど次から次に、芽が出てきている。成長の早い竹の利用を環境課題の解決に活用しなければならない、とボケ爺は、足らない頭で考えている。

 調布市の若葉図書館の近くにある。借りた本を返しにいったところ、鶯が、その図書館の裏の森から聞こえた。「やった、今年も鶯がやってきた、この若葉町もまだ汚染されていない。」とうれしかった。近くの家には、二階まで伸びた大木のマロニエが蕾を付けて、歓迎している。

 森のテラスには、若くは無い男女芸術家が集まってパーティーを開いている。どんな芸術家かは解らない。楽器はもっていなかった。なぜ芸術家とわかるか、と言うと、服装に個性がある。とても一般人は恥ずかしいだろう。

 我家に帰ったのは、4時ごろだったか?なんと、鶯に鳴き声が、透き通った空気を振るわせた。すぐ近くで、ボケ爺に挨拶に来てくれたのだ。「チョッと遅くなったけど、今年もよろしく!」「今年も有難う」と。

<読書>

「雲霧伝左衛門 上・下」池波正太郎 新潮文庫

構成が馬鹿でかい。遠大である。登場人物も数多い。展開が速くもあり、遅くもあり、一気に読ませる作力は、池波だから出きることである。鬼平犯科帳シリーズの基本が、この一冊の中に凝縮している。

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2011年5月 8日 (日)

やっと五月晴れ

 やっと五月晴れが訪れた。5月にはいってから、天候はぐずついていた。早めの目覚めで、小さなベランダで、柔らかい山モミジの深緑を眺めていた。その葉の影に、アゲハチョウが居た。すると、表に出てきて、羽を太陽に向けて、広げたりすぼめたりしている。きっと昨日から雨宿りをしていたのだろう。暫くすると、飛んでいってしまった。 

 椅子を出して、気持ち良くうたた寝をしていると、あしなが蜂がやってきて、暫くボケ爺の周りを旋回していたが、主人の居ないチャーリーの犬小屋に入っていった。きっと、その中に、巣を作るのだろう。歓迎だ。二階のベランダには、ブドウの蔓が、洗濯干しの場所を占拠している。ようやくブドウの房が成長してきている。そこに、熊蜂がやってきて、未だ、花が咲いていない房を確かめて、残念そうに飛び去っていった。

 実篤公園には、孟宗竹の林があるが、ようやく、竹の子の先端が見えてきた。昨日の激しい雨で、思わず地上に飛び出してきたのだろう。来週には、1mほどに成長するであろう。森のテラスへの坂道に八重の黄色いツルバラが満開だ。その家から、熟練のピアノの練習の音が聞こえてくる。森のテラスでは、何組かの集会が開かれていた。みんなの笑顔が美しい。微風の中に、清々しさが漂っている。近くの家の庭には、一階の屋根ほどの高さの大木に、真紅の花をつけたシャクヤクがまばゆい。

 毎年変わらない五月晴れの風景だが、残念なことがある。ついに、鶯がやって来なくなった。我家だけでなく、実篤公園にも、NTT中央学園の林にも、あの美しい鳴き声を、一度も聞くことが出来なかった。地震のせいだろうか?

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2011年5月 5日 (木)

蛇を殺す

 仙川の街に出かけるために久しぶりに、実篤公園を横切ろうと、実篤記念館から入門した。(見学は無料である)地下道の階段で、先の人が騒いでいる。蛇が階段で頑張っている、と言うことだ。よく観ると、なるほど50cmほどの小型の蛇がトグロを巻いている。まさか、マムシではないだろう?よく観ると、攻撃的で、三角頭をもたげて、大きな口を開けている。まさかのマムシだ。

 先人の方が事務所に知らせ、柄の付いた束子を持ってきた。それを借りて、頭を狙い、討ち取った。が気分は良くない。蛇と関わったのはかれこれ55年ほど前だ。きっと今日は夢に出てくるだろう。悪い事がおきなければ良いが。

 世田谷地域の野川の散歩は、気分が良い。マガモは帰郷する事も無く、のんびりと泳いだり、居眠りをむさぼったりしている。何時のも白のアヒルは昼寝だ。その隣に、色付きアヒルが加わっている。珍しい色だ。白の五井サギも、いつもの所からあまり移動していない。鯉は、食パンを大きな口でもぎ取って、丸々と太っている。並の大きさではない。それも、世田谷区地域と調布市地域とでは、太り方が違う。ツバメが、水面すれすれに旋回している。セキレイも、水辺で、忙しくじゃれて、よく鳴いている。ここには変化の遅い平和がある。

 小学生が、釣をしている。ここでは釣はいけないはずだが。釣の先を見れば、ウシガエル(食用蛙)を釣っているようだ。こんなに早くも、「モー、モー」と鳴いている。

 そう言えば、こどもの日に似つかわしく、公園や学校の校庭などで、大きな声が飛び交っている。賑やかなことは言いことだ。もっと元気で騒いで、将来の日本を支えて欲しい。

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2011年5月 3日 (火)

貧乏性は?

 連休前半に、金沢市に旅行をして、鋭気を養おうと心がけたのだが、残念ながら、貧乏性のために実現しなかった。疲れだけが残ってしまった。電車の中では読書、と思っていたが、居眠りばかりだった。出かける前から、若干その心配は有ったのだが。ボケ爺は貧乏症に出来ているからだと思っている。

 金沢市の公園と、古い寺など、街の風景をスケッチしよう、と、準備して出かけたのだが、実際は、見物を忙しく走り回って、何一つ絵心が現れることは無かった。折角出かけたのだから、時間の許す限り、できるだけ多くの名所をめぐる方に力点がおかれてしまったからだ。これが貧乏症、と言う、ボケ爺の悪い癖である。

 学生時代は、一人ぼっちでいることが多かったので時間の余裕が有り、街をぶらついては、スケッチブックを持って散歩に出て、多くのスケッチを残すことが出来たのだが。今でも、花屋さんの前を通ると、切花を買って帰って、スケッチや、油絵にしたいと思いながら、貧乏性だから、その花束が買えない。弁解だが、お金が惜しいのでは無い、実際に描く時間が取れるだろうか、と不安になるからだ。やはりお金が惜しいのだろう。

 友人にスケッチをせっせと描いている人がいる。しゃくだがなかなか巧いのだ。秘訣を聞くと、なんとカメラに収めて、帰ってから描くのだ、と言う。が真似はしたくない。本格的に写真でも始めようかと、ぶらりと街歩きをしてみるが、一向に、撮りたい風景に出会わない。そんなことから、赤瀬川原平の作品を読んで参考にするが、そう簡単に面白い風景には出会わない。

 と考えているうちに一日が暮れてしまった。ボケ爺のつまらない休日であった。

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2011年5月 1日 (日)

強風の金沢

 昨夜から、金沢は強風に見舞われている。安いビジネスホテルのアルミサッシは、大きな風きり音で眠れない。早めの朝食を済ませて、未だ観ていないところは無いか、と地図を広げ調べて、犀川の西地域まで散歩することを決めた。西茶屋地域を目指した。そのチョッと手前に神社があり、巨木のケヤキが気になって境内に。そのケヤキは、北陸地域一番の大きさを誇ると、立てカンバンがあった。何だか得をしたような気がしる。隣の、大蓮寺のけや木、日本も劣らず大きい。西茶屋は10件ほどで小さいが、東茶屋とほぼ同じである。

 妙立寺(忍者寺)を通り過ぎた寺町地域には、寺町と言うだけあって、お寺が所狭し、と建て混んでいる。金沢の市街地は、お寺が多い。それほどの檀家がいるのだろうか?何れも歴史があり、且つ建物は傷んでいる。これからが大変だ。京都を思う。京都の建物と、何れもがよく似ている。

 豊かな水量の「犀川」沿いには、「犀星のみち」があり、途中に室生犀星の記念碑がある。美しい川沿いである。その間も風は強い。薄い髪の毛が乱れるほどである。ボケ爺は、遅いヒノキの花粉症でとても辛いのだが、美しさに気が晴れる。東には、泉鏡花の「浅野川」があり、金沢の街は、美しい二つの川の水量に育まれていたのだ。

 九谷焼の名店を、どうしても訪れたかったのだが、本日は13時から、とつれない張り紙であった。やることがなくなったので早めに金沢駅に向かった。切符があれば、早めに、と思い、みどりの窓口を訪れると、なんと、長蛇の列だ。その理由が、東に向かう列車が強風で、全てがキャンセル。急遽、米原経由東海道新幹線を購入して、証明をしてもらい、後日返金の手続きで、無事に帰宅できた。何が起きるか解らない。

 次の金沢は、漆の工業化で訪れる機会を作りたい。

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