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2011年4月30日 (土)

金沢の伝統

 金沢は前田200万石の地方の独立国家であった。それに、北陸の長い冬とはが重なり、特に工芸が奨励されたのであろう。すばらしい職人技は活き、活きと活躍している。

「石川県立伝統産業工芸館」は大きくはなく、名前倒れだが、それでも、36種類の全ての伝統工芸品が展示されている。衣・食・住・祈・遊・音・祭に分かれている。見事!特に、陶芸(九谷焼)、加賀友禅染、金箔、漆器、など、街中が工芸で満ちている。飽きない。

 「藩老本多蔵品館」の調度品には驚いた。実に沢山の品物が残っている。手紙類は読めない。昔の重鎮は、よく勉強をしていたし、手習いもしっかり教育されていたのだろう。何時の時代もリーダーはそれなりの努力が必要である事が良く理解できる。

 「石川県立美術館」実に美しく、立派な美術館である。金沢出身の画家の作品が沢山貯蔵されているようだ。見応えがある。レストランもインテリアが良い。ランチを賞味した。疑いなく美味しい。東京の自由が丘の有名店の出店であった。世界での美術館レストランのトップクラスに選ばれるだろう。

 加賀友禅の染めの手作りに挑戦した。捺染のインクジェットの将来の夢を見ながら。新しい技術アイデアは浮かばなかったが。

 東茶屋町を散歩した。武士の遊び場であったはずだ。茶屋の建物は、標準化されている。なぜだろうか。建屋の大きさにそんなに変わるところはない。入り口は、3種類ほどに分類できる。どうしてだろうか?主計茶屋町は少々小さめである。近くに、泉鏡花の記念館があった。二日目は、伝統の街、金沢を満喫した。

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金沢で、残念!

 五月の連休に入ったので、例年、何もせず、ボーと過ごすので、連休の初日から、遠出をすることにした。電車で金沢まで行ってみた。工芸で何か得る物はないだろうか?特に、「遊クラフト」で、漆と陶芸を融合したあたらしいクラフトを楽しんでいる人がいる、と聞いた。大いに期待したのだが、まことに残念。期待を裏切られた。陶芸をなぜ漆塗りするのか?意味が解らない。単に釉薬代わりに上塗りして焼いただけで、繊細な色も、漆の肌触りが実現していない。ボケ爺のアイデアとは全く違っていた。

 到着の29日は、「金沢21世紀美術館」を訪問した。ここも評判倒れ、全く失望だ。建物も斬新かもしれないが、美術館にしては採光が全く考慮されていない。単なる遊び場、としての利用価値しかないと思う。残念。工芸の金沢として存在が危ぶまれる。残念!

 その後、「兼六園」を見物した。見事な、贅沢な、広大な庭園である。風雪に耐えた老木の貫禄に、脱帽。前田200万石の権力の成せる業である。岡山の後楽園などと比べてと、少々騒がしく、てんこ盛りで落ち着きが無い、と言えるか?これも残念!

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2011年4月25日 (月)

同僚の死で考える

 同僚と言っても、ボケ爺より10歳若い。そんな年齢差を気にせず、商品化、技術では最も中心的人物であった。昨日、お悔やみを言ってきた。多くの人が訪れ別れを惜しんでいた。現役での死亡は、惜しまれて幸せなのかもしれない、と、不謹慎にも、羨ましく、自分の死期を想像した。

 21日の、スーちゃんの愛称の「田中好子」の訃報が、毎日、大きく報道されている。繰り返し、繰り返し、どの放送局も、新聞も報道している。確かに、経済成長時のアイドルであり、TVドラマでも活躍された。日本を元気にした功績、貢献は、ボケ爺も、惜しみなく賞賛をするに依存はない。

 一方、23日の「大賀典雄」東京フィル交響楽団の会長の訃報は、新聞の片隅に報じられただけである。「大賀典雄」は、ソニーの社長、CEO、そして、相談役であった。産業界では、「ソニー」と言う国家ブランドを、いち早くグローバル化に成功して、日本の成長産業時の、商工会議所、経団連の副会長など、けん引役を担った人物であったはずである。単なる「モノ」の産業での貢献にとどまらず、音楽のコンテンツ、を通して「コト」への布石を提案した功績も大きいはずだ。5月には、東フィルと共に交響曲の演奏の指揮者を買って出て、復興の支援の計画をされていた。

 キャンディーズの「田中好子」と、世界へ日本のソニーブランド(モノ、コト)を立ち上げた「大賀典雄」との功績を比べることは出来ないかもしれませんが、報道のあまりの大差に、これで良いのかと、ボケ爺は悲しんでいる。

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2011年4月24日 (日)

ロボット先進国の日本で?

 今の今まで、日本はロボット先進国で、しかもダントツで先端を進んでいる、と思っていた。あくまで、生産支援ロボットだけだったのか?未だに信じがたい。

 福島原発で活動しているロボットはアメリカ製である。確かに、アメリカでのロボットの研究は軍からの支援が多いことは確かである。それを民間に技術移転が行われ、実用化されていたのだ。カーネギーメロン大学の、ロボット研究所を訪問した事があるが、軍から、とNASAからの研究委託費が、65%ほど占めていて、並みの額ではなかった。ロボット研究のメッカである。

 なぜ、日本のロボットの実用の実力は、新興国並みであることが判明した。日本の研究・技術は、国内だけでしか評価されないし、他国との競争の中で比較される事がないのだ。今日の産業全般と、全く同じ構造を持っていることが良く解った。研究・技術の鎖国化を楽しんでいるようだ。

 原発は放射線環境と言う「特殊な対応ができていなかった」、と言うが、ドアを開けて、自走がある程度可能な形のロボットはない。大震災の海底の状況を調べる単純なロボットでも、アメリカ製が活躍している。日本の出番は無い。災害で想定していなかったので、実用化していなかった、と弁明が先行する。

 原発の事故対応技術もロボットも、研究・技術は、後進国に成り果てていたのだ。

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2011年4月23日 (土)

みのもんた、とは何者?

 TBSテレビ(東京では6チャンネル)の「朝ズバ」は人気があるという、その司会者が、「みのもんた」である。テーマなどは、放送局などの、ディレクター、あるいは、プロデューサー等が練り上げているのだろうと思う。その内容について、云々言う事は控える。

 先ず、「みのもんた」は人々の話を聞かない日本の代表者である。自分思うことを押し付け、一人喋っている。どうして人気があるのか解らない。もし、日本人がこのスタイルを好まれるなら、未来の日本は暗い。知的レベルが最低に成り下がるだろう。企業にもこんな人がトップになって、衰退していく企業の例は数多い。

 さらに、他の出場者(サブのアナウンサー、コメンテイターたち)は、「みのもんた」に迎合して、機嫌取りをしている。「サラリーマンは辛いよ」の代表のようだ。ゴマすり企業の体質そのものである。さらに、女子アナウンサーに差別が目立つ。セクハラがまかり通る。(ちゃん付け、で平気である)

 今の日本の社会現象の縮図を露呈している。このような番組が高い聴衆率であり、TBSと言う放送企業の反省が無いなら、まともなジャーナリスト、報道機関とは言えない。日本が疲弊している原因は、ここにも現れている。悪い代表例である。早くこの番組は中止すべきである。(みのもんたを辞めさせるべきだ)

 「タケシ」のように、人に喋らせる、異見(意見)を主張させる態度を見習って欲しい。

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2011年4月22日 (金)

6ヶ月目の診断

 脳卒中を発症してから6ヶ月が終わった。思ったほど回復はしていない。残念なことである。生活するにはそれほど不自由ではないのだが。気持ちの上からは、すっきりしない。

 5ヶ月を過ぎた頃から、右半身、特に足の下方で、従来よりも雑シグナルが増えて、痛い、動かした事の反射シグナルなど、うるさいほどであった。約一週間、過ぎると、その雑音は少なくなり、温度の感覚が、50%ほどに戻っていた。接触感覚は、35~50%に戻っていて、この件では、進歩したことになる。しかし、反作用が出てきた。「筋肉を使っているよ」、と、筋肉が固まったようなシグナルが増えてきた。歩く事には、なんら支障は無い。このことを医者に話をすると、そんな話(一週間歩で変化する)は聞いた事がない、と笑われた。ボケたボケ爺としても、事実は事実である。

 薬の反作用があるか、と血液検査をしたが、異常は現れていない。大きく外れている項目は無いのだが。血液だけでは健康体と言う事だ。血圧は、激しく変化する。医者の話では、コレストロールが進んでいる時に起きるのだが、正常だから、とクビを傾げていた。ボケ爺から、花粉症がきつい時に、高く出ると思う、と訴えましたが、笑われてしまった。次の検査日は、3ヶ月後である。

<読書>

「あたらしい哲学入門、なぜ人間の足は8本か?」土屋賢二 文芸春秋

確かに、変わった哲学入門書である。著者曰く、哲学がどんなものかを理解するために。つまり「問題の解決方法を導く」と言う。多くの問題、或いは課題がそもそも間違えている事があり解決できないことが多い。課題そのものが正しいか、から始まる。楽しい哲学の入門書である。

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2011年4月17日 (日)

血圧が下がらない

 今日もよい天気である。我家の八重桜が8分咲きとなった。美しい、と贔屓目ながら思っている。だが、散り始めると前の家に気兼ねする。花弁が、隣に舞い落ちるからだ。そろそろ、切ってしまわないと迷惑だろう、と思いながら、益々大木になり、今日まで迷惑を掛けている。申し訳ないと思っているのだが。

 杉の花粉には、少々抗体ができたのかもしれない。或いは、今年は花粉が少なかったのか。ヒノキの花粉は、昔はそれほど感じることはなかった、が今年はひどい。睡眠が浅いらしい。血圧が上がったままで、下がらない。微熱が続く。食欲が無くなる、気力も湧かない。困った事だ。

 最近、朝の小鳥のさえずりが少なくなっているように思う。数年前までは、小鳥のヒステリックな叫び声で、目覚めていた、と記憶しているのだが。大震災に小鳥も遠慮しているのかもしれない。目覚めが悪いことも原因だ。

<読書>

「ツチヤの貧格」土屋賢二 文芸春秋

土屋氏の哲学は、言葉の定義から始まる。言葉あっての哲学であると言う。だから言葉の貧格が哲学の理解を阻むと言う。知恵が生まれないと言う。

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2011年4月16日 (土)

花粉症が辛い

 目黒川の桜の見ごろから、1週間が経った。その間、気温も高かったので、一度に散り始めた。桜吹雪で、目黒川は桜花びらの川である。本当に桜の見所は少ない、履かない人生である。その履かなさを、愛される事が多い。長持ちは嫌われる。

 風が強い分、花吹雪はすばらしく綺麗だが、花粉症の持病持ちには、大変に辛い。鼻水をたらしながら、暫し、桜吹雪に見とれていた。花粉症は高血圧を後押しするようだ。気をつけなくては。

 目黒川 よごれを隠す 花吹雪

 葉桜に 花吹雪が 嫉妬する

 葉桜と 桜吹雪の もつれ合い

<読書>

「妻と罰」土屋賢二 文芸春秋

著者の土屋氏は哲学者である。多くの著書があるから良く知られている。多くの著書は、論理学の妙をユーモラスに教授している。ユーモラスな文体に、論理の妙が負けてしまうことが欠点である。ボケ爺もこのような作品を書きたいと、常々思っているのだが。足元にも及ばない。今回も妻の論理を巧みにユーモラスを交えて届けてくれている。

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2011年4月11日 (月)

初夏か?

 新宿のケヤキの街路樹が一斉に芽を吹き出している。調布市まで続くこの街路樹は壮観である。東京オリンピックの時に植樹された、と聞いている。今日は、初夏を思わせるほどの気温である。

 中央道の塩山市を過ぎる頃から、桃の花が8部咲きになっている。桜との競演である。一面の桃畑が一斉にピンクで覆われる。壮観以外の言葉が見つからない。例年と比べて、少々速いのではないだろうか?ボケ爺の記憶では、特急あずさから見たのは5月中ごろであったと記憶している。あまりの美しさに絶句した。桃の花は長持ちするのだろうか?

 急に気温が上がったせいか、霞で深い。空の雲は5月の雲である。双葉サービスエリアからの富士山の眺めは望めなかった。それでも、南アルプスの雪渓は美しく眺める事ができた。諏訪に入ると、春めいた姿はバスの車窓からは窺えない。

 天竜川の水量は、やや多くなったように思えるのだが、雪解け?河原の枯れ草は未だ目がさめていないようだ。それでも、水鳥は活発に活動している。水は緩んで来ているのだろう。水田地帯の雑草も、未だ目を噴出すまでには至っていない。

 駒ヶ根市にあるクライアントの契約が今日で切れる。最後のお勤めの記念すべき日である。駒ケ岳が霞みながらもはっきりと見える。一度も登る機会が無かった。南アルプスの甲斐駒ケ岳も少し顔を出している。駒ヶ根の名物のソースカツ丼は食べ飽きた。今日は、この店の名物の正月(セイゲツ)丼(イノシシ肉)に舌鼓を打った。

<読書>

「お順 勝海舟の妹と五人の男」上・下 諸田玲子 毎日新聞社

幕末に活躍した勝麟太郎(海舟)とその妹、順の史記を小説化したものである。歴史の勉強にもある。世間の変動に流される女の生き方の物語である。圧巻であった。井伊直弼の愛人の生き方の「奸婦にあらず」に続く、幕末の動乱に生き抜いた女の強さが描かれている。女は化け物だと言う事か?

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2011年4月10日 (日)

顔が見えない

 この春の季節感の顔が見えない。常ならば桜で盛り上がり、春が過ぎてゆく。しかし、今年は、桜の愛でる気持ちが中ぐらいである。石楠花が満開のところもあり、ボケが未だに咲かないところもある。木々、草花の花が一斉に咲き乱れたのが、理由であろう。さらには、大震災で、気持ちが塞いでいる事も重なっている。

 政府の顔が見えない。この東日本の大震災に対し、どのような手順で復旧を進めるのか?復旧に際して、今後の災害に対応するのか?何時までの仮設住宅には入れるのか?いくつ作るのか?産業の復興のグランド設計は誰が考えているのか?全く見えない。NPOなどボランティアの活動に依存してしまっている。政府は無能である。給料泥棒である。大木の人々が義捐金を発表しているが、政府筋、議員の支援が、全く無い、し見えない。全てが後手、後手である。議員が年間1億円もらっているなら、半額を供出すべきだ。まして、福島原発対応はもっとひどい。

 今日の朝日新聞が、2面を使って、菅政府の混乱振りと、エゴと、メンツによる初動遅れ、など、政府の無能さを暴露した。保守的な朝日新聞社がここまで書くのか?と驚いた。日本崩壊の恐れが滲み出ていた。ここまで無能になっているのか、と悩む。

<読書>

「隅田川 慶次郎縁側日記」 北原亜以子

シリーズ後半である。落語的ニューモア、人情、と、軽快なリズム、など、熟練の域に達している。読書後の心地よさは、たまらない。

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2011年4月 9日 (土)

桜満開

 黄色の花をつける木が移り変わっている。三椏、ロウバイ、レンギョ、今は、一重の山吹の時となっている。時は過ぎてゆく。地震津波、それに原発で避難されている人々には、時は止まってしまっていることだろう。

 昨日は、目黒のクライアントでの打ち合わせで、雅叙園の裏通り、目黒川の有名な桜並木を鑑賞した。満開一歩手前である。強風だったが、花びらはしがみ付いていた。汚れた目黒川は花びらの落下を待っている。五反田の桜通りは満開を過ぎて、花びらが強風に舞っていた。歩道は桜ジュウタンで、踏まれる桜は哀れである。ビルにより温度が高い事がその原因だ。

 昨日の強風の中での花見で、心は少々和んだのだが、今朝は、花粉症が激しく、この春最悪の事態を迎えた。眼は真っ赤に腫れて、鼻水が流れっぱなしで、一箱のティッシュがなくなるほどだ。口で呼吸するから喉は乾燥して激しく痛む。

 雨が恋しいと思っていたら、静かな小雨が、横殴りとなりガラス窓をぬらしている。ボケ爺にとって恵みの雨だけれど、草木にとても恵みであろう。何だか、草木が緑を増して、艶が良くなったみたいだ。

 夕刻、風が止んで来たので散歩に出かけた。実篤公園の桜は元気であった。それ以上の美しさが際立っていたのは、遅咲きの椿の花であった。真っ白な花がお辞儀をして感謝している不思議な姿が印象的であった。

<読書>

「傷 慶次郎縁側日記」 北原亜以子 新潮文庫

作家の北原の時代劇は正統派である。安心して、癒される。人々の掛かり合いの情緒の表現がたまらなく沁みる。

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2011年4月 6日 (水)

想定外の無能?

 都心の桜は、花冷えの影響を諸ともせず、満開に近く咲き誇っている。美しい桜が、恨めしく感じる今年である。人々の心は、不安で一杯である。その不安の最大は福島原発である、と思う。ボケ爺は原子力に専門外である。それにしても矛盾だらけの発表について、腹立たしい。それに、解説する、原子力専門家の、一糸乱れぬ弁明には、誰にイニシエーションを受けたのだろうか?「今の状態では当面、問題がない」つまり、「未来は問題があるかも知れない」、と言い続けている。

 その専門家の放射線量の単位がその都度違っても平気だ。そして、放射線の種類の発表に口を塞ぐのか?調べようとしないのか?どちらかだろう。想定外の無能、と言うことだ。さらには、原発の発表者が、政府、保安院、東電、原子力安全委員会、と、統一性が無い。その上、内容の本質を言わない事については共通している。不思議である。それとも想定外の無能なのか?次のことについて明確にして欲しい。

1)     避難地域の施設の人々(160人)が「被爆した」と認定した。この内容について、報道が止まっている。その後如何したのか?

2)     今の放射線量なら、当面、大丈夫と言いながら、野菜、牛乳が基準値を超えるのは何故か?人体は大丈夫だが、人間以外の生物はダメ、と言うことか?

3)     海への放水が、当面問題ない、と言いながら、放水の前に取った魚(コウナゴ?)が基準値を大幅に汚染しているのか?これでも海への放水が安全と言う根拠は?人間の口に入るまでは、経路が長いから、今の放出は問題ない、と言うが、なぜ、出荷停止になったのか?

4)     軽い汚染水を放出するが、問題がない。しかし、その中身は、ヨウ素131だけではなく、セシウム137も含まれている。」なぜ問題にならないのか?累積するはずだが。

5)     南相馬地域で、津波で亡くなられたヒトから、大量の被ばく線量が検出されたにも拘らず、その実態を解明しないのか?報道をなぜ止めるのか?これで、人体に影響が無い、と言えるのか?

6)     海への、汚染水を放出するにあたって事前に漁業関係者、隣国に、連絡していないのか?連絡することに気が付かないほど無能なのか?

7)     なぜ、もっと早く海外の専門家の協力を仰がなかったのか?今は、各国が痺れを切らして、日本にやって来てくれたが。日本人の技術力と言うプライドなのか?それとも気がつかない無能さなのか?

もっともっと疑問があるが、想定外の無能と言うことだ!

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2011年4月 3日 (日)

花冷えの想定外

 花冷えは 鼻汁垂れる 寒さかな

 雲低く 消えた香りは 花冷えで

 一転、今日は寒さが厳しい。桜だけではなく、一斉に咲き誇っていた花も萎んでいる。風も強い。それにも拘らず元気なのは、杉の花粉の飛散である。非情である。花粉症のボケ爺はこんな日が恨めしい。ここまで冷えるのは、想定外であった。

 今回の大被災で考えることは、「自然の力に想定外は無い」と言うことだ。科学や、工学は、必ず「境界条件」の想定値が無ければ、答えが出せない。ビルの耐震性にしても、津波避けの防波堤の建設にしても。だから、それらが破壊すれば、想定外、と言えば済む。しかし、自然には想定外があるとは思えない。全てが当然の営みである。そんな中で遺伝子をどう繋ぐかの仕組みが作られている。

 今日は、自然を学び、自然に従う気持ちがなくなってしまっていた。特に、福島原発は、想定外の地震であり、想定外の津波が襲ってきた。設計の条件はM7であったと言う。自然の変化を後追いで、解析することが出来ても取り返しが出来ない。エネルギー消費を、自然の力を借りられる範囲を超してしまった事が問題だが。

 亡き親父がよく言っていた。日本は水害、火災、地震、津波と、災難が多い。避けることは難しいが、歴史を良く調べ、災害の少ないところに住む事だ。そして、家の建物は、歴史に従って、木造、土塀、など、「安普請」で建てよ。決してコンクリート製にしないように、と。すぐに壊れてもすぐに建てられるし、初期投資が少なくて済む。日本では、一生の内で必ず災害にあうだろう、とも言っていたことが思い出される。

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2011年4月 2日 (土)

春到来

 春匂い その感動も 中ぐらい

 春が到来している。遠慮して遅れてくれている。今年は、その感動にあまり酔うことが出来ない。感激も少ない。何だか暗い。この東日本大震災の復旧への困難さ、福島原発の先行きの見えない状況によるものだろう。浦安市の現状もひどい惨害であり、液状化災害は人災である。

 実篤公園の大木のコブシ、白木蓮も俯いて歩いているために、気がつかなかったが、今日は道路に花弁が落ちていて、やっと気がつく。レンギョも盛りである。我家の西は空き地である。そこに、鉄砲水仙が一株寂しく咲いている。その奥には、何時の間にか、タンポポの群生ができていた。

 久しぶりに、故チャーリーの散歩道であった桜の名所に、散歩に出かけた。桜の満開には、後一週間程度か?所々、2分咲きも認められたが。満開までは野川沿いは遅そうだ。その野川の水も緩んで、鯉が悠然と泳いでいた。白サギも元気だ。美しい青色を身にまとったカワセミも目に付く。

 どう考えても昨年の春の感動を、今年は呼び戻せない。緩やかな、長い、長い坂道を登るが如し、俯いて歩むことになるのだろう。

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