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2011年2月12日 (土)

外国人の俳句修行

 ボタ雪に 犬も小鳥も さわぎすぎ

 ボタ雪に 積る変化を 祈るなり

 はと一羽 雪の合間を あさるなり

 ボケ爺は、文学的頭脳はまるで無い。能力ゼロである。まして俳句など逃げ回っていた。アメリカの女性で、日本に8年の滞在中に俳句を学んだそうだ。

 「私の俳句修行」アビゲール・フリードマン 中野利子訳 岩波書店を読むと、俳句のエッセンスが物語風に巧くまとめられている。その構成術に感服する。先ず、俳句の規則は①季語がある、②17文字でまとめる、③切れ字を使う、④句会にはいること、である、と言う。

 俳句を理解するには「禅の心」が必要なのか、悩んだそうだ。禅の心は必要なく、宗教にも関係が無い「人生観」を表現する。解釈は人によりけりだ。難解さは日本人にも同じらしい、と理解できたようだ。季語は、最低でも3000個は覚える必要がありそうだ。自然、人間味、心、を謳う、と言う。簡素、質素な素材を使う、物事や出来事の「本質」を表現している、と分かってきたらしい。俳句は「寡黙」で、「個」の文学らしいとも言う。彼女は、今ではアメリカ、カナダで俳句協会を運営しているそうだ。

 「省略の詩学」外山滋比呂 中公文庫 によると、省略の基本は「切れ字」だそうだ。俳句の魅力は、「曖昧さ」であり、余情、余韻の表現力だ、と言う。ボケ爺には、ここまで理解できていない。本屋には俳句にまつわる本が山ほどある。日本人は俳句が好きなのだ。短歌も。

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