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2011年2月27日 (日)

辛い花粉症

 朝から、セキレイ系の小鳥が騒いでいる。賑やかな頃となった。急に気温が上がって、元々敏感な体質のボケ爺は、鼻汁や、涙がこぼれて仕方がない。杉の花粉も毎年、毎年、律儀なものである。今日は、一日中うちに居ようと思ったのだが、図書館からメールが来て、予約の本が入荷しました、と。4時ごろから出かけることにした。外に出ると途端に、クシャミである。我慢、我慢の日々が続く事だろう。

 散歩と称して、仙川の街をウロウロして、街の賑わいを感じて、景気を予想しているが、桐朋学園の学生さんが春休みになったのか、幾分ゆったりとしている。小さな街にしては、人にぶつかりそうなぐらいの込み具合で、人通りは多い。この小さな街にスーパーが4件もある。

 黄昏の森のテラスの坂から見る西の空は、少し雲が出てきている。それに霞んでいるので、美しい夕焼けとはいえない。はっきりとは解らないが、富士山は雲のお椀を被っているようだ。東京から見えるのは珍しい。この時間の実篤公園は明るくなってきた。鯉の跳ねる音も聞こえる。

我が家の庭のピンクと赤の曼荼羅の椿の花が満開だ。やがて、モグラの掘り起しも現れるだろう。ゆったり、のんびりした2月の最終日曜日を過ごす事ができた。これで、花粉症が出無かったら天国に居るようだが。

<読書>

「抜き打ち半九郎」池波正太郎 講談社文庫

ここの短編集が、修作となり、大きな作品のベースになっているという作品である。短編の方が、なんだか集中力があるように思える。そこに現れる緊張感が、たまらなく心地よい。

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2011年2月26日 (土)

脅威、あるいは恐怖

 朝から良く晴れている。我が家に「メジロ」がやってくることは、御存知だろう。今日は、二組のメジロが、仲良く戯れている。梅の花をついばみ、隣の月桂樹の中にもぐり込み、春の到来を楽しんでいるようだ。暫く眺めていたが、あまりにも仲がいいので、ばかばかしくなった。

 ユージランドのクライストチャーチ市が、地震で壊滅的打撃を受けた。高層ビルも無い小さな街にもかかわらず、大きな被害が出ている。遅々として進まない救助に、その技術に苛立ちがつのる。28人もの日本人の行方不明の大半が埋まっているビルの崩壊は、あまりにも無惨である。ビルの跡形もない。これとて結果として人災となろう。我が家の家族も、15年ほど前に、ここを訪れているので他人事には思えない。胸が痛む。今更に、地震と言う自然の「脅威、恐怖」に身につまされる。海温の上昇の異常気象も、この地震や、火山の噴火に関係が有るだろう。次は日本だ。

 チュジニア/エジプトから始まったイスラム諸国の長期政権への不満は、アフリカ、中東へと及び、場合によれば、中国、北朝鮮へと飛び火する事は自明となって来た。これはインターネットと言う、近年の情報ネットワークの普及によるものである。こちらは人口の産物として、情報力の「脅威であり恐怖」である。

<読書>

「若い獅子」池波正太郎 講談社文庫

池波正太郎の作品としては珍しい、歴史上の人物の生き様を描いた短編集である。歴史の変わり目には、若者の志は美しいし、歴史が変わる。歴史を変えるには若者の情熱が必要だ。

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2011年2月23日 (水)

4ヶ月目

 今日は、脳出血を患ってから4ヶ月目である。早くもあり、遅くもある。右半身の足の部分の感覚がまるで無かったのだが、多少戻ってきた。大勢に影響は無い。接触感覚と温度感覚の不便を除けば、通常の生活は人並みに出来ている。医者に見離されて久しいが、我慢と忍耐で,余生を過ごす事になりそうだ。4月からはジョギングが始められそうだ。早く暖かくなって欲しい。

 京都での会議に出席のため、また、新幹線に乗った。平塚、小田原間で見る富士山は、夕焼けの中、春霞を帯びてはいるが、悠々自適にそびえている。富士宮市に廻ると、雲に覆いかぶさって、見ることは叶わなかった。前回、富士山の雪不足を嘆いたのだが、読者からお叱りを受けた。富士山の積雪量は、3月から、4月の初めが最も多いのだそうだ。南風が雪をもたらす時だそうだ。知らなかったとは言え、苦言に感謝します。

 京都は 不便な街だ されど京都

 早起きに 寒さ忘るる 京美人

 寒き街 白肌見せる 京娘

 寒さかな 色白多し 京美人

京都の宿にて

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2011年2月20日 (日)

幸福度は文芸で

 昨日の疲れは少々回復したのだが、「ダルイ感」はまだ残っている。曇り空で安定した一日であった。実篤公園の虹鱒はこの寒さと、暗さの影で元気に、はしゃいでいるようだ。今日はどう言う訳か、カラスが元気に騒いでいる。人々が俯きかげんになると、不幸を喜ぶカラスが元気になるのでは?

 ボケ爺、今は幸福か?と言われれば、「?」と言うことか。不幸かと言えば、そうとは言えない。仕事が出来ている分、安心感はある。工芸職人になる訓練がまだ出来ていないので、モヤモヤしているのだが。早く仕事には切りを付けて、趣味の工芸職人の訓練を受けなくては。

 先日、第53回グラミー賞で、日本人が一挙に4人も受賞する快挙が会ったところである。ボケ爺はうれしく思っていた。今日、何処かの新聞に、クラッシック、ピアニスト内田光子の受賞に際して小沢征爾のコメントが乗っていた。ジャズピアニストの上原ひろみは、ボケ爺はファンである。ポップ系の松本孝弘、琴演奏家、松山夕貴子は、全く知らなかったのだが。

 ボケ爺は、GDPでの「豊かさ」は、ほどほどにして、「幸福」つまり精神上の満足度に、日本はもっと軸足を移すべきだと思う。さて、何時から始められるか、ボケ爺の工芸への道。

<読書>

「亦亦一楽帖」乙川優三郎、中 一弥() 講談社

こんな小説があるのか?面白い試みである。新企画の作と言うことか。

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2011年2月19日 (土)

疲れた土曜日

 今週は兎に角疲れた。朝風呂に1時間も入っていた所為かも知れない。引き受けた仕事が巧く行かなくて、謝ってばかりいた。ボケ爺の未経験のことが多い内容である。この歳でチャレンジするとろくな事が無い。天気予想もはずれ、曇りがちである。近くの図書館のパソコンが使える机から見える風景は竹やぶである。そこには、時々光が漏れてきて、心を癒してくれるのだが。

 面白い本を見つけた。「金閣寺の燃やし方」酒井順子 講談社 酒井順子と言えば、「負け犬の遠吠え」で一躍有名になった。同姓から嫌われる辛口作家である。彼女が「金閣寺を燃やす?」と興味を抱いたのだが、全く内容は違っていた。それがかえって面白い。

 ボケ爺、一口で言えば、女性から見た男の嫉妬、コンプレックス論、と言うことか?金閣寺の火災は本当にあったことであり、昭和25年7月2日、当時21歳であった林養賢と言う修行僧の犯行であった。これを取り上げた作家は、三島由紀夫、と水上勉であった。いずれも、この衝撃を、生まれる以前、母のお腹に居る時に見たとの記憶があるという。

 コンプレックスの原型は、三島は、エリートでありながら「隠す」人であった。生い立ちを、自分を、誤魔化すために、反対の、或いは過激なパーフォーマンスを行って見せた。「美化する」「同性愛化」「崇高な像の創作」によって、自己の全てを隠してきた。作品「金閣寺」が、美化したコンプレックスの隠し場として、出来上がっている。

水上は「見せる」人であり、あからさまに、生い立ちの貧困、苦悩など自分の人生の悲惨(コンプレックス)を丸裸にしてきた。犯罪者、林養賢が自分の人生の生い立ちに似ているが故の、自分を見せる作品に「金閣炎上」「五番町夕霧楼」を仕上げた。

酒井順子の「男」の鋭い見る眼に楽しむことが出来し、ボケ爺の興味を満たす事ができた。その意味からも、ボケ爺は、三島は嫌いで、水上が好きだ。「金閣寺」の三島由紀夫、「金閣炎上」「五番町夕霧楼」の水上勉を改めて読み返したい、と思った。

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2011年2月13日 (日)

日本の海の広さは世界で6位

 夕方5時半でも明るくなっている。森のテラスの坂道から、丹沢稜線の奥に真っ赤な空に富士山のシルエットがクッキリ。そんな日曜日である。

 日本の国土は38万平方Kmで、61番目でロシアの45分の1らしい。地上での資源は望めそうに無い。一方、海は、海域と排他的経済水域(EEZ)を併せて447万平方Kmで、6位になるようだ。第一のアメリカでも762万平方Kmで、見劣りはしない。6800個もの島で出来ているようだ。海底資源の埋蔵量が多いことで期待ができる。当然コスト問題はある。

天然ガスは、100年分は硬い。メタンハイドロレーンがそれである。今中国課題の一つのレアメタルは伊豆、小田原、沖縄海域に存在する事は確認されている。大陸灘は魚資源で大切であるばかりでなく、CO2の封じ込める働きがある。尖閣諸島近辺ではガス田の可能性が高い。

前原外務大臣、ロシアとの北方4島の領土交渉では、菅首相の幼稚な発言問題も含めて、失敗に終わっている。日本にとっては、海域は国境と同等に、今後最も大切な交渉課題である。

それに加えて、海底資源の発見や、採掘技術の開発など、海洋科学技術の研究開発に投資が必要だ。国を挙げた支援が重要な時が来た。

<読書> 

「恋慕」山本周五郎 テーマ・コレクション 新潮社

恋慕は、初恋とか、恋心の悲しさ、愛の宿命、とかを含みながら、大胆にも女性の「性」を問題提起している。山本周五郎から、ここまで大胆な提案があったとは創造だにしなかった。

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2011年2月12日 (土)

外国人の俳句修行

 ボタ雪に 犬も小鳥も さわぎすぎ

 ボタ雪に 積る変化を 祈るなり

 はと一羽 雪の合間を あさるなり

 ボケ爺は、文学的頭脳はまるで無い。能力ゼロである。まして俳句など逃げ回っていた。アメリカの女性で、日本に8年の滞在中に俳句を学んだそうだ。

 「私の俳句修行」アビゲール・フリードマン 中野利子訳 岩波書店を読むと、俳句のエッセンスが物語風に巧くまとめられている。その構成術に感服する。先ず、俳句の規則は①季語がある、②17文字でまとめる、③切れ字を使う、④句会にはいること、である、と言う。

 俳句を理解するには「禅の心」が必要なのか、悩んだそうだ。禅の心は必要なく、宗教にも関係が無い「人生観」を表現する。解釈は人によりけりだ。難解さは日本人にも同じらしい、と理解できたようだ。季語は、最低でも3000個は覚える必要がありそうだ。自然、人間味、心、を謳う、と言う。簡素、質素な素材を使う、物事や出来事の「本質」を表現している、と分かってきたらしい。俳句は「寡黙」で、「個」の文学らしいとも言う。彼女は、今ではアメリカ、カナダで俳句協会を運営しているそうだ。

 「省略の詩学」外山滋比呂 中公文庫 によると、省略の基本は「切れ字」だそうだ。俳句の魅力は、「曖昧さ」であり、余情、余韻の表現力だ、と言う。ボケ爺には、ここまで理解できていない。本屋には俳句にまつわる本が山ほどある。日本人は俳句が好きなのだ。短歌も。

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2011年2月11日 (金)

もう一つの魚骨

 もう一本の骨も大きい。食べ物が喉を通る時。痛くて、痛くて、難儀して涙が出るほどだ。何時になったら、刺さった骨は抜けるのだろうか?

 「技術で勝って、事業で負ける」IT商品では10項目、10敗。無勝が続いている。先にも明るいニュースは無い。一体日本はどうなってしまったのか?ボケ爺が考えるに、その最大の悪は、①トヨタを筆頭に「改善」思想、②「タブチメソッド」品質向上の思想にある。未だに、その呪縛から抜け出せていない。競争力の場はそこには無いのだ。

 競争力は、別の場所に移動している。つまり、今までの事業の「拡大=成長」は、コモディティーとなり、コスト競争力と変化している。「改善、品質市場主義」の「連続路線」は、空虚なのだ。我々はシュンペーターの言う「発展=革新」が必要なのだ。イノベーションとは「不連続変革」を起こすこと、と言う。つまり、戦いの市場を「移す、移転」する事にある。

 柔道の規則(標準化)でも、日本が勝てないように、常に変更している。スポーツの世界でも、勝つために、ルールの変化に合せ、勝負どころの急所を磨く努力をしている。ビジネスの世界はもっと激しい。今の経営者はその変化に鈍感であり、気づいた時には、市場を奪われている。サムスン電子に絶対に勝てない。経営者は「基本思想」を持っている。経営者の思想の深さが違う。勉強、勉強、毎日勉強である。(別の機会に紹介する)

 インプルーブではなく、イノベーションである。イノベーションとは、ビジネスモデルの革新である。戦いの場を移転する事である。サミュエル・パルミサーノ「ゲームのルールを変えた物だけが勝つ」。ダーウィンの言う「変化し続けるものだけが生き続ける」に繋がる。

 しからば、如何すればビジネスモデルの革新が出来るのか?「モノ作り日本」の呪縛から抜け出すことである。アメリカが、1980年代の日本力を分析して、日本の強さの「競争の場」を変えた(インテルに代表される)ように、ニーチェが言う呪縛から脱却して、謙虚に学び、革新の勇気を持つ事であろう。「ニーチェの嘆き」を学ぼう。

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2011年2月 8日 (火)

喉の奥に魚の骨が

 喉の奥に魚の骨が2本刺さって何時までも取れない。それも大きな骨だ。日本の景気が復活しない。日本の競争力が20位以下の低迷が続いている。ここ20年の失われた日本の活力は、何所まで落ち続けるのだろうか。(2000年から2007年は戦後最長の景気であった、とされているが。)お隣の韓国企業に追い越されて久しい。

1:「競争の作法」 (斉藤誠) ちくま新書

2:「競争と公平感」 (大竹文雄) 中公新書

新書版だけれども、今日の経済の状況を巧く説明されており、悩み深い内容が良くまとめられている。いずれもベストセラーともなっている。

 最初の著書は、豊かさ(生産量)と幸福度(消費量)を、経済指標を使った説明で、「格差(貧困)は起きていなかった。」「リーマンショックでの打撃は少なかった。」アメリカと比べ、一人当たりGDPは90%ほど、「購買力は75%」と幸福ではない。「投資の3割は無駄に投資」されている。

結論として、競争をして格差が生まれればそれを修正し、又競争をする循環に載せる。持てる人は社会責任を果たさなければならない。企業や政府は無駄な投資を抑制して効率良く、生産性を向上させなければならない、と提案する。

 2番目の著書は、行動学からまとめられている。日本人はそもそも「競争が嫌い」なのか?市場原理にも、政府の役割にも期待しない。勤勉より「運」「コネ」で決まると、日本人の42%もの人が思っている。不条理な社会を容認して、競争意欲が減退していることの表れだ。競争心や格差を容認する気持ちは、就業前の教育が大切であり、家庭や学校の教育の介入で我慢や寛容は向上する調査結果がある。

看護婦の賃金と患者の死亡率を調査してみると、高所得者では死亡率が下がる、と言う統計値がある。競争して、高賃金を確保した人は、平等に人に接触が出来る、と言うことに繋がる。競争して、ある程度の格差は必要悪である。

両者とも、「競争、(格差)は認めるべきだ」、と言う。競争の中にこそ、真の人間性が宿り、豊かな幸福を実感できる社会を作ることが出来る。追い詰められた美学と道徳に守られるべきである。と言っている。

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2011年2月 6日 (日)

周平に学ぶ

 藤沢周平のエッセイ「ふるさとに廻る六部は」新潮文庫は昨日紹介した。生きる原点が語られているように思える。

1)     故郷とは;自分を知る原点だと言う。度々、自分を見失う事は、人間の悲しい出来事である。自分の過去を回想することによって、呼び覚まされる。故郷の風景であり、母の感性であり、父との葛藤、兄妹の嫉妬、である。

2)     「人は皆失敗作だ」と言う。「人生は失敗だらけ」と言っているように思える。すごすぎる言葉だ。ボケ爺はこの「失敗作」と自負している。それを「石川啄木」に映している。啄木自身は、さほど短歌には重きを置かなかった。小説で立身出世を試みたが行き詰ってしまい、周りを巻き込み生きる気力を失った。啄木自身失敗の痛みを抱いたままだったことだろう。しかし、大衆は、今も変わらず、啄木の短歌をこよなく愛している。「ひねくれ啄木」井上ひさしの戯曲にもある。

  ボケ爺は次の歌が好きである。「友がみなえらく見ゆる日 花を買いきて 妻としたしむ」(一握の砂)

3)     時代小説は;時代を超えて普遍なものがある。時代に順応して変化するものがある。普遍なものには、「人情」と思う。繊細に、臆病に恋をする。親子の断絶に立ち往生する。親の情、兄妹の親愛と嫉妬。変化するのは、義務とか義理とかは、社会の構造の変化に関係する。心を描くためには時代設定が意味を深めるだろう。

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2011年2月 5日 (土)

気まずい思い

 立春に相応しい、暖かな日となった。馬喰町で会議が終わって、次の打ち合わせが有楽町帝国ホテルで、1時からであった。散歩をしながら銀座を過ぎてホテル前まで、40分ほどで来てしまった。まだ1時間ほどの余裕があったので、スパゲティー屋でコーヒーを飲んでいた。

すると2人の外人と一人の日本人の女性が入ってきて、スパゲティーを頼んでいる。英会話を聞いているとなんだか、知った話である。今から会う友人であった。「ヤー」、と挨拶をしようかと思ったが、こんなファーストフードで食事をしているところを見られれば、双方気まずいかもしれないと、顔を隠した。

 アレ!ランチミーティングだったはずではなかったのか?一つ離れた隣で、「美味しい、美味しい」と、ガッツイテ食べている。1時からなので、昼食は誤解だったのか、と思い、ボケ爺も、こっそりとスバゲティーを注文した。

 1時前にホテルのロビーで友人と会ったら、「お腹はすいているだろう?」と聞かれ、「ハイ、空いた!」と言ってしまった。ボケ爺の誤解ではなかった。注文する時に、友人はあまり食べられないらしく、サラダだけを頼んだ。そうだろう、スパゲティーの大盛りを食べていたのだから。ボケ爺も「しめた」と思い、サラだけを頼んだ。サラダの盛りが沢山で、お互い、半分以上残してしまった。多分双方とも気まずい状態だったのだ。

<読書>

「ふるさとへ廻る六部は」藤沢周平

周平のエッセイ集である。周平には故郷のエッセイが多い。ボケ爺は故郷を回顧する気持ちは薄い。このエッセイには他にも意味深な話が含まれている。別の機会に紹介したい。

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2011年2月 1日 (火)

雪不足?

 東京から見える富士山は美しい。新幹線で京都に出張。平塚平野から小田原辺りまで見える東からの富士山は果然大きく聳え立つ。しかし、東京から見える富士は丹沢渓谷に中腹まで隠れているのではっきりしないのだが、どうも変だ。富士宮平野から見える富士山は正面で、裾野まで見え、その雄大さは、日本一の美しさだと疑う余地は無い。しかし、何時もの冬の季節の富士山とはチョッと違う。

 よくよく眺めると、どうも積雪量が少ないのだ。日本海岸側は、何年来の豪雪に襲われている、と言うのに。局部的にも異常気象か?新幹線は米原付近で遅れが出ているアナウンスされている。確かに富士山は雪不足だ、と確信する。

 京都工芸繊維大学に行った。地下鉄で松ヶ崎(送り火で法と妙の麓)で降りた。雪でも積もっているかと思ったが、まるで無い。寒さはやはり厳しい。F教授と「デザインとは」、「感性とは」、「価値創造とは」と、2時間ほど雑談をして、文献をもらって充実の時間を過ごす事が出来た。F教授は「泊りがけで来い」と言う。「お酒と京料理で歓談したい」と。教授はめっぽう酒が強い。ウッカリその話に乗ると、ボケ爺は、きっと三途の川を渡る事になるだろう。この大学は、研究の幅が広い。バイオから、デザイン、言語学と。興味のある研究が沢山ある。教授は「今からでも良いから入学しないか」と言ってくれるのだが。ボケ爺興味があるが、勇気が無い。幸いに今年の願書は締め切っていた。

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