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2011年1月31日 (月)

政局より政策を

 NHKのニュースが、国会議会の報告よりも、アジアサッカーの報道を優先する事など、許せることだろうか?NHKが顧客に迎合している姿も許せないが、政治もだらしが無い。

 サッカーの勝利の要素に、監督と言うリーダーの重要性が今更注目を集める事は無かったのだが、やはりリーダーは重要だ。果たして、今の民主党は如何なものか?ビジョンが語れない。公約は全て無視して、国民を裏切っていても、閣僚、議員全員が無視。政局だけに注目している。全く無責任だ。野党は野党で、政権奪回だけが興味で、与党の揚げ足を追っかけている。政策論は出てこない。

 与党内がここまでまとまり無い政党は今まで無かったのではないだろうか?与党内での議論、審議はほとんどされていない。日本を良くしよう、など考えていない。人の好き嫌いで、愚痴を言い合う酒場だけが繁盛している。

 菅総理の発言は何時聞いても、ロジックがはっきりしない。ここまでロジカルでない人と議論すると疲れるだろう。首相夫人も「こんな夫を首相にして良いのか」と言いながら権力にしがみ付いて、夫のしりを叩いて、夫婦で首相を務めるのも始めてのことだ。先日も国債の格付けが下がった質問に、「疎いので・・」と発言。その非難に対して言葉の意味が違うと弁明に走る。国語が分からないし、まして経済も知らない、と自分で言う首相を、我々は放任していてよいのだろうか?今までに何回の弁解をしているだろうか。

 国民は諦めている、と言うことか?抗議の行動も起こさない。これが20年前の若者たちであれば、抗議行動を起こしていたのではないだろうか?そんな意味で、国民にも責任がある。政策がいい加減でも、国は荒れることなく納まっている。不思議な国だ。

 寒々と 飽きることなく 政局に

<読書>

「時雨みち」藤沢周平 新潮文庫

やるせない時局には、優しい、淡い物語が気持ちを癒す。短編集である。関連の短編に「時雨のあと」がある。

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2011年1月30日 (日)

日本画の前衛

 今日の天気は、予想が一日遅れたので、朝は晴天であった。太陽の光が、白くなってきた。つまり日差しが強くなってきたのだ。確実に日は伸びてきている。裏のバケツの水は凍っていた。

 眠い。アジアカップの決勝を見ていたので。一回しかなかったチャンスをモノにした日本チームに驚いた。それにしても今回の監督の采配はぴったり当たっている。サッカーにも監督の手腕があるのだと、良く理解できた。短時間で結果を出した監督はすばらしい。如何すれば人身を掴む事と、勝負どころが掴めるのだろうか?

 「日本画の前衛」が終わりに近くなったので、展示会に行ってみた。日本画の前衛運動が始まったのは1938年ごろから1949年ごろの約10年のことらしい。洋画の抽象、シュールリアリズムの影響を受けたのであろう。ボケ爺には具象画程度までしか理解が出来ない。日本画なのか?洋画なのか?も見分けが出来ない。絵の具の違い程度しか区別が付かないのだから、困った物だ。「前衛画」では、絵心は沸き立たなかった。残念。

<読書>

「よろずや平四郎活人剣 上/下」藤沢周平 文春文庫

周五郎と平行して呼んでいたので、両者の違いが良く解った。周平はテンポが速い。単純で、痛快である。平四郎の「よろずもめごと仲裁つかまつり候」はボケ爺のコンサルティング業と良く似た「生業」である。誠に良く似ている。平四朗は気楽な浪人である。引退したボケ爺も浪人に相当している。

 それにしても、芸名人の迫力のせりふのように、身に迫る言葉が、いたるところに散りばめられている。人情味あふれて愉快!

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2011年1月29日 (土)

早くも花粉症か?

 今週は、日に2~3回のクシャミと、それに伴い、水のような鼻水が垂れる。いよいよ花粉症が始まる時となって、センサーが働いているようだ。ボケ爺の花粉センサーは優れものである。それにしても、この寒波で、どうして杉の花が咲くのだろう。杉の木も少しは気を利かせば良いものを、律儀なものだ。

 一昨年まで5年間は韓国にいたので、花粉症に掛からずにすんだ。韓国にはほとんど杉の木は生えていない。昨年は花粉の量が少なかったお陰で、それほどの苦痛を覚えていない。さて今年は。話によれば、猛暑が続いたおかげで、杉の花は順調に育っているようだ。花粉の量は昨年の3倍から5倍程度だと言われている。

 さて、街頭で配られるティッシュペーパーを集めて、準備を始めておこう。出歩くのも控えめが良いのだが。今日から今年一番の寒波が押し寄せてくると言うので、コタツで丸くなっている。寒さ対策には良い。コタツはつい、居眠りをしてしまう。太平をむさぼる事となる。

<読書>

「武家」山本周五郎 テーマ・コレクション 新潮社

周五郎の作品は、少々、展開の歩調が遅いようだ。その分、文章に意味の含みが多いようだ。その分つまらない様だが、なかなか難解だ。本「武家」の短編集も奥が深い。「致し方が無い」との正義を貫く事と、「政治をつかさどる」使命との葛藤が、絡みあう。「さしたる仔細は無い」、「不条理」など生きるに困難な事が描かれている。

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2011年1月23日 (日)

発症から3ヶ月

 今日は、発症から3ヶ月になった。朝の血圧が128/76で、先ずは安泰である。3ヶ月目の医者の診断でも、「血圧が安定してきた。この調子」、と言うことだ。しかし、「高い方へは30ほど上がる時がある」と訴える。医者曰く、「そのぐらいは変動内で、問題はない」、と言うことだ。CT結果については、ほぼ腫れも無くなっている、6ヶ月でまだ良くなると思うが、今出ている症状は残ると思って置くように、との事。少々残念だ。次の診断は3ヵ月後の4月だそうだ。医者に「寂しいから、来月も見てください」と言うと、「こちらも寂しいが、余分な診断はしないことにしている」と、冷たい返事だ。

 今日の朝は、霜が目立った。西の空き地は真っ白だ。昨日は土地が暖まって水蒸気が凍ったらしい。この冬最高の白さだった。いつの間にか、水仙が黄色の花を咲かせている、黄色だから咲くのが早いのか、と思ったら、図書館への道なりに、白いギザギザの花が静かに咲き誇っていた。2月の季節のようだ。実篤公園の福寿草はまだ芽が出ていない。

 水仙は 季節の事など 気にしない

 水仙の 黄色の顔に 恋をして

<読書>

「痛快」山本周五郎 テーマ・コレクション 新潮社

いやはや、「痛快だ」だからボケ爺の血圧も下がったのか?小説で、気分転換が出来る事はありがたいし、安上がりで良い。

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2011年1月22日 (土)

なぜ、これが傑作なの?

 よき休日を過ごせた。久しぶりに快感に満足している。ブリジストン美術館に行ってきた。タイトルが良い。「なぜ、これが傑作なの?」展である。展示の内容は名作ばかりで、なぜ傑作か?など疑う余地は無い。カタログの表紙には、パブロ・ピカソの「腕を組んですわるサルタンバンク」である。実物の前で、暫したたずみ、離れる事ができなかった。リアルな顔相から語りかける思慮に、目を離せなかった。やはりセザンヌがボケ爺には理解が進む。

 それにしても、大作が多かった。これらが、ブリジストンの貯蔵品の一部からだ、と言うから、いったどのぐらいの名作を抱えているのだろうか?大企業の利益隠しなのだが。その足で、国立新美術館に寄った。「日本画の前衛」とかが、やっていると思ったからである。これは「国立近代美術館」でやっているらしい。その代わり「国際書画展」を鑑賞する事が出来た。ボケ爺も、すぐにでも習字を始めたい、と懲りることなく思い起こした。窓の近くの椅子が空いていたので休んでいたら、太陽の暖かさで居眠りをしてしまった。寒さが緩んだ青山墓地を横切って、根津美術館の骨董通りの、ボケ爺では似合わない通りを渋谷まで歩いてみた。本当に人種が違うのだから困った。国連大学本部の前では、バザールで賑やかだ。

<読書>

「鴎外の恋人」今野勉 NHN出版

サスペンスだ。実に苦労の多い資料の探求から生まれた作品に頭が下がる。「舞姫」のエリスは林太郎がドイツに留学していた時の恋人だ、と言われてきたが、来日した恋人の本当の人物は誰だろう?が主題である。エリスは貧しい家の娘と小説の中では位置づけされている。ほぼほぼ、今野氏が鴎外の恋人を探し出した。長い年月の探求から生まれた作品は、読んで欲しい、と推薦する。

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2011年1月20日 (木)

自宅にて

 今日は珍しく、会議が無い日。しかし、資料作りが溜まっている。午前中は近くの図書館で、チョッと調べもの。寒いが散歩のついで、と、のんきなものだ。これが、脱サラリーマンの生活だ。ゆったりと仕事はしたいものだ。そうすると、良いアイデアも浮かぶだろうと思うのだが、忙しい方が生まれやすい。もっと大きなアイデアは如何か?

今年は「破」の字が、年末で騒がれるのではないだろうか、と予想する。つまり、悪い話と、良い話が、両極端に起こりそうだからだ。ボケ爺の生活にも起こりそうだと、思うようになってきた。悪い方は「破談」「破錠」「破産」「破損」など、文字通り「壊れる」事である。良い方は「打破」「走破」「読破」など、「乗り越える」言葉として使われる。

午後は、暖房も要らないぐらいに太陽の光で暖まった部屋で、うたた寝をしながら、外を眺め小春日和を満喫した。

ペアメジロ 紅梅一輪に ツツキあい

<読書>

「哲学個人授業」鷲田清一x永江朗 パジリコ株式会社

哲学者の言葉から、想像たくましく、その解釈を議論した内容である。ボケ爺、安心した事には、「哲学書は解らない事が常識で、だから本を買い、積んで置く」事だ、と豪語するところだけが理解できたことだ。ボケ爺のわかるところといえば、科学系として、デカルトの哲学の重さが今日の産業革命を支配した哲学だ、と言うこと位か。ウイリアム・ジェームスの「論理よりビジョンは先行する」がなんとなく現実的だ、と思ったり?

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2011年1月16日 (日)

原稿締め切り日

 東の空は雲ひとつ無い。西は、雪雲が切れ切れに東に流れてくる。朝の散歩は、一枚余分に着膨れで散歩に出かける。猫も、犬も背中を丸めている。図書館は出足が悪く、自習室は空いている。今日は現行の締切日であって、少々焦っている。窓から見える孟宗竹の林では、いろんな小鳥が日当たりを求めて遊んでいる。

 昨日よりも、今日は体調が良い。幸いにして、1時間ほどで、400字の原稿は仕上がった。切羽詰る前に終えようと思っているのだが、人間は色んな理由をつけて怠けるものだ。皆がそうではない。ボケ爺は優れた怠け者だ。ボケ爺のある挑戦に、未だに原稿が一ページも書けていない。参考書も2冊が溜まったままだ。困ったものだと思っている。

 昨日の仙川の街の散歩で、不思議な店を観察した。街の中心からチョッと離れているのだが、この寒さに関わらず50人の老若男女が並んでいると場所がある。何時もは行き過ぎるのであるが、6斤もの食パンを抱えて店から出てきた人が居たので、驚いた。マンションの一角にあるパン屋さんだとは知っていたが、看板が出ているわけではない。日曜日はやっていない。平日はどうだか知らない。10時から、午後は2時半から、弊店は6時、とは書かれている。以前11時ごろ通り過ぎた時は「売り切れ、2時半から」となっていた。若い女性店員さんが56人で経営しているらしい。3人が、パンをセッセと焼いている。レジは一人だ。欲しいパンの名前を言えば店員が紙に包んでくれる。自分で取って包んでももらうのではない。買いに来ている人は皆、パンの名前を知っているのだろうか?

 外に並んでいるだけではない、店の中にも15人ほどいる。知る人は知っていると言う事か。口コミマーケットなのだろうか?付加価値のあるビジネスのあり方だ。ボケ爺には不思議な店に出会った。

<読書>

「夫婦」山本周五郎 テーマ・コレクション 新潮社

夫婦とは、相手を理解できていないことが多い。言葉だけのコミュニケーションでは、到底、理解が出来るものではない。唯一つ、巧く行っている夫婦は言語ではなく、相手を「信じている」事である。「信頼」し合えてこそ夫婦が続く、が結論か?

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2011年1月15日 (土)

いのちの一句

 土曜日の朝の散歩が、今日の天気では辛い。リハビリだから我慢する。元々、今日は、昨日からのセミナーに出席する予定だったのだが、怠け心が出てしまった。サミットの中身は、「漆」を復興しようとの呼びかけである。昨日は、「漆の持つ魅力とは」。今日は、「漆の木の増殖」「縄文時代からの漆の歴史」であったのだが。 

ボケ爺には昨日で十分に目的は果たせた。ボケ爺は、漆の持つ「接着力」「耐薬品性」「塗装の色彩」「造形性」の活用方法を考えている。印刷のインクや、陶器に似た造形で花器や、食器が作れないか?建材(タイル)の応用を検討している。夢の話にならないように気をつけよう。

図書館で、「いのちの一句」(がんと向き合う言葉)毎日新聞社が目にとまった。借りてきて読み始めるととまらなく、4時間ほどで読み終えた。俳句には、「残念と悲観」の句、「負けないぞ、と頑張る」の句、に大別できる。初期と、後期で違うのは人間の弱さが現れて、感銘と哀れを誘う。人生の苦労人が以外にも俳句を残しているのに、単純に感動した。

ボケ爺の部下であった「堤君」の事が甦って来た。アメリカに出向中に癌に掛かり、解ってから1年もたたない内に亡くなってしまった。優秀な人材であったのだが。合掌!壮絶な戦いであって、悔しかった事だろう、と、改めて思い出す。

ボケ爺の脳卒中の発病の時でも、次のような一句を詠む事となったのだから。

発病に これで終わりかと 我が人生

発病時 なぜ死ねなかった 悔しくも

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2011年1月10日 (月)

北風と成人式

 晴天は続く、が、今日は朝から強風だ。出かける気持ちが萎えぐ。成人式に出席の若者も億劫になっていることだろう。変曲点にして欲しい。今の若者に期待が持てないとは、安藤忠雄先生の言葉だ。自然と戯れていない、向き合っていない、からだと、ボケ爺は思う。ボケ爺の時代と違って、不幸でもある。「でも、しか、先生」から教わるのだから。

 北風や 猫とカラスが にらみ合い

 昨年なくなられた、2人の天才を思い出す。一人は、数学者の森毅氏である。「融通無碍」を唱えて、発想の広さは格別だ。人生20年節を唱え、4回で終える。20年ごとに目標の内容を変えると人生楽しいし、沢山の事が出来ると言う。ボケ爺も、サラリーマンとして、10年に一度、仕事を変えていた。(結果論であるが)10年で、4回、今5回目の後半に差し掛かっている。残り3年半になった。

 もう一人は、書道家、詩人の榊莫山先生だ。若くして書道家として大成してしまった。書道界の体質には合わず、「一生アウトロウー」(アウトサイダー)として、書道美を自然に求め、単独で追求された。「偏屈が生きる先生や!」とでも言いたいのだろう。ボケ爺も、昨年亡くなった母から「偏屈だ」と言われ続けた。基本は孤独である。「偏屈」を究めなければならない、と考えている。

<読書>

「あたまをオシャレに」森毅 筑摩書房

大学番外地から、となっている。兎に角、発想が跳ねている。付いていけない?

<読者>

「莫山つれづれ」榊莫山 毎日新聞社

人生伸びやかに、しなやかに、奔放自在にとは、この著書のごとし。豊かな発想。

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2011年1月 9日 (日)

中だるみ

 爺になると、エンジンのかかりが遅くなる。七草粥も過ぎ、初仕事で、緊張感を得て、さて、と始動したが、連休で、怠け心に戻ってしまった。我が家の御来光は、7時半である。晦日から連日の晴天が続き、機嫌の良い目覚めは確保出来ているのだが。我が家は、国分寺崖線の上になる仙川の尾根が邪魔をして、1時間ほど、御来光が遅れるのである。(つまり、低地にあるということだが)

 鳩一人 首を振り振り 霜柱

 連日、一人ぼっちの鳩が我が家にやってくる。以前我が家で生まれた鳩かもしれない。一人ぼっちがボケ爺と馬が合うし、哀れを誘う。昨年は、母を94歳でなくしたことで、新年の挨拶を失礼している。その分、メールで挨拶が来ている。

新年会に誘われる。酒は飲めないと断りながら、参加するが、今年は、上期の経済は若干、良くなる、と言う意見が多い。下期も良いと言う人と、中国から危機の兆候が現れ、最悪になると言う人もいる。いずれにしても、この円高では日本経済は活性化しない。輸入で恩恵のある業界は、悪の面を引きつって、儲けを考えるからだ。政府の経済音痴が、デフレが問題と言うから、この悪徳儲けに誰も目をつけない。ダメな日本は今年も続く。

<読書>

「無名仮名人名簿」向田邦子 文春文庫

人脈が広い。初対面での人物洞察、考察が巧い。文章も巧い。家族との比較もユーモラスであり、文体の妙に味を添える。ボケ爺、真似は出来そうにない。当然だが。

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小寒

 床から起きるのが辛くなっている。血圧を下げろと言われるし、寒さが襲うからだ。今日は特別に寒いような気がする。我が家の庭にも霜柱が、2cmほど出来た。昔はもっと、10cm位の霜柱は常識だった。朝の散歩(と、言っても9時出発)でもめったに霜柱に会わない。乾燥しきっているからか?

 一人鳩 凍て付く枯れ葉に 食もとめ

 と、ボケ爺の今の心境を詠んでみた。散歩の途中に図書館に寄る。我が家は残念ながら新聞は取っていない。図書館の二階の学習室が北向きで、孟宗竹の林となっている。サクラの大木が1本のみである。昼間から暗い。所々日が漏れる。その風情が好きである。

 「美の方程式」布施英利 講談社、が目に飛び込んだ。「美=完璧X破れ」と副題が付いていたからだ。「プラトンの幾何学」「黄金分割」「レオナルド・ダ・ヴィンチのシンメトリー」「螺旋・生物の形美」など、子供向きの解説書であった。ボケ爺なら、「破れ」を「崩し」と、一人称にするのだが。絵が描きたくなった。

<読書>

「歳月」山本周五郎 テーマ・コレクション 新潮社

「風雪」と同じように、時間が過ぎていく中での人々の気持ちの揺れを描いている。風雪は個人の中での葛藤となるが、「歳月は、他人との関わりでの自分の変化」と言うことか?友人も時と共に変化するし、永遠なモノは存在しない、相対的であるのだろうか?その場その場の勝手な考えがヒトと言うものか?その変化は、そして説明するにも、あまりにも複雑である。考えさせる作品が多い。

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2011年1月 5日 (水)

仕事始め

 晦日に、新年を迎えるために庭の木を切った。ハシゴニ乗っかっての作業だったが、心配したよりはかどった。空腹で年越し蕎麦を食べ過ぎてしまった。その為に、3日間食欲が出ず、疲れが出てリンゴダイエットとなってしまった。それに、切羽詰った仕事がない事もあり、すっかり気力、精力が失せてしまった。

仕事始めである。少々足元と、頭がふらついていたが、気は引き締まってきた。仕事があることは幸せだ。今年の決め事は、あまり働かない、ゆったりと考えることだ。

人生の下りで、つまずかない、ひざを痛めない、嫌がられない(出しゃばれない)、上手に「降りる」ことに神経、精力を使うことに決めた。

1)クライアントに可愛がってもらう。

2)コラムの投稿を、確実に続けよう。

3)新素材の開発のコンソーシアムを立ち上げるため。仲間と議論を良くする。

4)アイデア技術の実現先を探す。

5)仕事系の新Blogを始める。(経営力アップ、MOT関連の二つ)

決して焦らずコツコツと積み重ねて行こう。ここまでが、時間の7割にして、右脳の活用に3割を割く。三日坊主にならない様にしたいのだが。さてどうなるか?ボケ爺、つまずかない様に気をつけなくては。

<読書>

「風雪」山本周五郎テーマ・コレクション 新潮社

保守的で、反骨である人の生き方は、以外に時間が解決してくれることが多い。時間や、距離と言う空間は、物事の見る目を変えてくれる触媒のようなモノである。しかし時間をかけて、良いことばかりではない。悪化することだって多い。人間長く考え抜くことが肝要かもしれない。

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2011年1月 2日 (日)

新年に

 雲かぶり 晦日の富士山 赤くなり

 紅梅や 咲くを合せし 元旦に

 元旦は 騒ぐ小鳥に 御来光

 新年早々、愚作ですみません。残念ながら、今年も初夢を見ることが出来なかった。発病してから、熟睡が出来ているようだ。これも、発病の影響か?穏やかな天気に恵まれた良い新年を迎えることが出来た。一度無くした人生だったが、奇跡的に助かった。さて、第二の人生を如何過ごすか?今年は格別の新年になった。

 人生は二毛作だ!と言った外山滋比古氏、そんな器用な事が出来ないことは解っている。自由人としての第二の人生は、下り坂を上手に下りたい。多田富雄先生をモデルに出来ると良いのだが。

1)     今までの延長戦ではあるが、何かを後輩に伝えたい。(今は何を伝える物があるかは、まとまっていないし、分かっていないが。これらの内容は、Googleのブログに発表していきたい。よってブログは、呟きだけになる。

2)     右脳をフルに使うことに挑戦していきたい。多分今年は、何がボケ爺に向いているのか?を試みる年になるだろう。時々、このブログの中で披露できると良いのだが?多分「笑い」となるだろう?

 愛読を賜っている皆様方の良き年でありますようにお祈りいたします。さらに、健康にはくれぐれも気をつけていただきたい。(ボケ爺から言われたくない、と言われそう)

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