« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »

2010年11月28日 (日)

小春日和

 今日は朝から、秋晴れで気持ちが良い。暖かくて、小春日和を絵に描いたような一日であった。例によって、朝は、実篤公園の中道を散歩した。小鳥が激しく言い争いをしている。図書館で新聞を読み、仙川商店街をぶらついて、ケヤキ街道の甲州街道から、つつじヶ丘駅を回って自宅に帰る。

 午後からは、思い切って、調布駅近くの中央図書館まで歩こうか悩んだけれど、思い切って歩いてみた。6Kmほどある。平常時で、片道、約50分だった、と記憶している。平坦で歩きやすい。今日も約50分で到着した。歩く速度はそんなに変わっていない。少々元気が出てきたし、自信にもなった。京王線のつつじヶ丘から、柴崎、国領。布田、調布駅に、品川通り(甲州街道も)は平行に走っている。帰りも当然歩いて返った。

 今日の朝日新聞に、ピアニストの舘野泉氏(74歳)の記事が出ていた。フィンランドに生活の根拠を置いている。(10日ほど前にもNHKで放映されていた。)「左手のピアニスト、右半身不随からの復帰」となっている。平成14年に、年明けリサイタル中に脳卒中で倒れた。4ヶ月の入院後、リハビリに励み、手足は日常の生活が出来るまでにはなったが演奏は出来なかったそうだ。しかし、左指のみの楽譜があり、演奏に希望を見つけ、2年後の平成16年には復活リサイタルが開かれた、と言う。先日の誕生日に50周年記念リサイタルを終えようだ。頑張っている人がいることで勇気づけられる。ボケ爺は、果たしで、何で復帰といってもらえるのだろうか?

<読書>

「流星 お市の方、上下」永井路子 文春文庫

お市の方から、兄の織田信長の生涯を眺める。女の立場から、男の観察、戦国時代の生き方を語る、当然、お市としての生涯(生き方)が描かれており、大変に参考になった。義理人情、愛と家系の戦いが面白く描かれていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月27日 (土)

秋の散歩

 リハビリの散歩道には、いろんな秋の顔がある。遠くに行かなくても、近郊で美しい秋の景色が味わえる。これはリハビリの苦やしさの弁明では決してない。無料で入園が出来る実篤公園は、近場でも風情がある。先週は、まだ秋には早いと思えたのだが、今日は小鳥が集まって、ティーティク、パーティクうるさい。秋に鳴く声はきつく聞こえる。えさの確保のためか?モミジが、先端から紅葉が始まった。来週が見ごろか。つつじヶ丘には、造園業で生計を立てている人がいる。その人達の、植木畑のモミジが、贅沢に紅葉している、そこにシートを敷いてケーキを食べているカップルがいる。

 秋は物悲しい、と思う。人生の晩秋のような気がする。ぼけ爺は取り分け今年の秋は物悲しい。「もう寿命なのだ」、と宣言されたようにも思う。何故、「秋」と言うのだろう。幸田露伴は、木々の葉が落ちて「空き」が、空間が出来たからだと言う。そうかもしれない。空きの先には、人生への「飽き」がやってくるのだ。

 散歩道で好きなのが、仙川から、つつじヶ丘の先までの甲州街道(国道20号)の歩道である。ケヤキの街路樹が茂って、道を追いかぶしている。(甲州街道は、笹塚あたりから、府中まで、ケヤキの街路樹で、見事なことは、他に類を見なく、壮観なのである。) 取り分けこの街道が好きな理由は、ゆっくりとした下り坂で、国分寺崖線の丘陵地の雑木とのコラボが良い。さらに下がって、つつじヶ丘の駅を過ぎると、又坂を下る事となる。その坂の終わりごろに、正面に富士山が見えるのだ。ケヤキの街路樹に囲われて。若葉の皐月時も、真夏の深緑も、取り分け、紅葉のこの時が、美しい。あまりの美しさに、時々立ち止まる。リハビリにはマイナスなのだが。今年は、ボケ爺のリハビリの癒しにもなっている。今年は近郊の秋を楽しもうと思う。

<読書>

「暁のひかり」藤沢周平 文春文庫

市井の機微を描けば、周平が最高だ。こんな筋書きに、安堵し、人の心は美しい。癒されている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月21日 (日)

今日は暖かい

 「奇跡に近い」と主治医から言われて、少々気分がよくなっている。熟睡は良く出来る。不思議にも、夢を何一つ見ない。ボケ爺は案外楽天家なのだろうか。

 母の喪中のはがきが刷り上ってきた。パソコンで宛名を書こうと思ったが、一念発起、手書きにした。右手のリハビリを兼ねて80枚ほどを書き上げた。一体どんな字になるかと心配したが、何とか失敗もせず、読める字となったようだ。小学校の生徒のような字ではあるが。ボケ爺の昔の悪筆を知っている人は、代筆か?と疑うだろう。

 私の尊敬する免疫学の「多田富雄」先生がかなり強い脳卒中になられた。(免疫の意味論、など、著作は多い)その後も口述などしながら、論文を書き、エッセイも数多く書かれている。学生も自宅に押しかけて、講義を受けるなど、精力的であった。ボケ爺もそこまでは出来なくとも、見習いたいものだ。努力をしよう、と誓う。

 朝の散歩で、何時もの実篤公園の中道は、サクラの葉っぱの落ち葉で一杯である。踏みしめると、カラカラと、ジャラジャラと鳴る音に晩春を感じる。さらには、ドウダンツツジが真っ赤に染まって一段と鮮やかに染まっている。森のテラスの周りは冬篭りのための整備が終わっている。後は落ち葉の坂道になるだろう。

<読書>

「隠し剣 秋風抄」藤沢周平 文春文庫

気休めに読むには最適である。武士の一分にかける機微の生き方に参考になる事が多い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月20日 (土)

主治医を決める

 発病してから、約2週間、田舎で入院をして、東京に帰ってきて1週間を、仕事をしながら、東京の混雑になれるリハビリを試みてきた。病院を探し予約を入れたが、ようやく昨日、予約が取れて病院を訪れた。

 いきなり主治医に言われた。「MRIを分析した結果、どんな格好でやってくるのかと思ったが、なんとすんなりやってこられましたね。」「結構、多量の出血ですよ。中程度ほどです。」「この病院では、最低4週間の入院です。」「それを2週間で退院して、喋れるし、しっかり歩いてこられるし、文字も書けるし、軌跡ですよ。」「触感が無いからと、贅沢は言ってはいけません。」「私の事例として初めてです。」「MRIを見る限り、高血圧を抑えていれば、大丈夫です。」「奇跡を楽しんでください。」「まだ1ヶ月です。3ヶ月、6ヶ月での長期で回復が出来るのですから。」「リハビリに通院はいらないと思いますが、リハビリの先生を紹介しますからこれから行って話を聞いてください。」「次は1ヵ月後です。」

 リハビリの先生に話を聞く。「奇跡ですよ。1ヶ月で、ここまで回復しているのは。」「ここまで回復させるのが、リハビリです。」「基本的には、リハビリの通院は、必要は無いでしょう。」

 結果は、奇跡だといわれ、喜んで良いのか、分からない。はっきりいえることは、「ハンディキャップ者」になったことは事実である。これからの生き方を見直さなければならないことは明らかである。まだ、未練は残っているが。これを機会に、行き方の変更を心がけよう。弱者となったのだから、弱者としての発想を理解していこう。そして、ボケ爺、趣味を絞って、趣味に軸足を移そう。と思うのだが?未だ方針が出せない。優柔不断だ。

<読書>

「真田騒動」池波正太郎 新潮文庫

池波の作品は気が休まる。真田家も複雑な生き方をしていたのだ。生きることは難しい、と思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月14日 (日)

発病から3週間目

 発病してから、3週間が過ぎた。病名は、「脳卒中の脳出血」と言うことだ。退院の時に、MRIの最新の画像を見て、先生曰く「奇形性の血管は無い。頚椎を通っている血管も、脳内の血管も欠陥,弛みなど無い。コレステロールで犯されている血管も無い。出血量は4cc以下だろう、約2cm径ほど範囲に分布している。」「高血圧だけを気をつければ良いだろう。」「リハビリに勢を出して頑張ってください。」で終わってしまった。なんとも味気ない結果であろうか。

 先ずは、血圧計を買うために、新宿ヨドバシカメラで選んだが、「これが正確」、「これが最も安い」で、実際に測ってみたが、プラスマイナス10ほどで、いずれもそんなに変わらないので、最も簡単なものにした。仕事の鞄は買ったばかりだったが、キャリーバックの物を買った。準備は整ったが、やはり、混雑の中は自信がない。リハビリの強化をしなければならない。

1)     最も不自由なのが、歩行である。朝、9時ごろから、1時間半、午後、1時間半の散歩をする。途中に、階段を入れながら。まだまだギコチない。他人が見れば少々変に思うだろう。

2)     右手の方は、箸で正しく物がつかめるし、豆腐もつかめる程度に回復して来ている。その他の訓練は、ゴルフボールを2個、転がす、が約30分。握力を高める訓練を10分ほど。今日から、鉛筆の書き方を始めた。

 足の右の全体は、相変わらず接触の感触が無い。自分で触ると解るのだが、第三者に触られると、まるで感じない、が続いている。風呂に入っても、左足はあったかく感じるが、右足は感じない。新陳代謝は滞り無く行われているようだ。不思議にも、不自由ながら歩けるのだ。基本的には、腰、膝、踵の3軸が平行に屈折しなく、それぞれがローリングしてしまうので、危うい歩行になるようだ。次の病院と、リハビリ先を、今週中には見つけてしまいたい。

<読書>

「漆塗師物語」 赤木明登 文芸春秋

サラリーマン生活を3年半で辞めて、輪島に住みついて、漆陶芸家になった赤木さんの、漆修行の物語である。多少、漆に興味のあるボケ爺の、将来にために読んでみた。ボケ爺の考える漆は、伝統工芸ではなく、漆の性質を使った新たな世界を開きたいのであるが、大いに参考になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月10日 (水)

自宅に戻る

 9日で退院をした。実は先週の土曜日では退院できていたのだが、月曜日に用事があったので、少し延ばした。結果は良かった。新幹線の中でのんびりと雲ひとつ無い、美しい富士山を眺める事もできた。東京駅、新宿駅の混雑した構内を巧く歩けるかが心配であったが、結構巧く歩けた。階段は手摺りを持って歩いたのだが、カッコウなんて気にしておれない。

 今日の目覚めは心地よい。朝から良い小春日和である。9時には早々に、リハビリを兼ねて、近くの図書館に行く。約15分だ。マズマズの歩行であった。勿論杖は使っていない。休憩をかねて1時間ほど、新聞や、雑誌を流し読みしてから、さて、すぐに帰るのはもったいないと思い、坂を登って仙川にでて、桐朋学園を約半周して、森のテラスの坂道を下る事とした。

 早咲きの山茶花がすっかり満開の垣根に出会って、時の変化の早さに驚いた。晩秋なのだ。森のテラスの立ち木は、まだ色づいていないが、どんぐりは沢山落ちている。近所の保育園児童が拾いに来ている。その坂も無事に心地よく良く降りることが出来た。隠居生活とは、こんなのんびりした生活なのだろうと想像する。

妹から「過去を後悔する暗いBlogは止めてよ!」と叱られる。今を現実に捉えて、「どう生きるかしかないでしょ!」と、激励を受けるのだが。確かにその通り、とボケ爺も思う、のだが。今週はのんびりして、来週から仕事に復活しながら、楽観的に考えてみよう。こんなに、のんびりと出来ているのは、今回の病気のおかげなのだが。「、、、だが。」が多すぎる。

午後から昼寝をして、又、散歩を楽しもう!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年11月 6日 (土)

瀕すれば鈍する

 このところ良い天気が続いている、と言うに、心はふさぐ。正常な左には痛風が再発するし、それがピークを過ぎて治り始めると、今度は、右のリハビリをしなければならない足先に、痛みを感じてきた。(4日の朝から痛く)

 痛みを感じてきたのは、無感触から、神経が回復し始めたので、これは喜ばしい事だと、考えられる。痛いところを探すと、始めは、指の付け根のきわめて狭い範囲だと、解ってきた。半日が多って、さらに痛み増えてくるので、指の中指から小指までを手前に引き起こすと、激痛が走る。前にたるんでいると痛さは感じない。予定通りのリハビリはそれでも何とか終える事ができた。

 5日の朝になると、足を平行に、地面に置くだけで、痛みを起こすようになってきた。朝方は、それでも、前に出した右足は、何とか痛みに耐える。踵が後ろになって、指が反ると激痛だ。それでも、ちょこまか歩く事はできる。午後に入ると、腫れが出てきた。シップで誤魔化していたが、「痛み止めのシップがある」から、と医師が言うので、期待したが、看護士さんが持ってきていたシップと変わりが無かった。午後の足のリハビリは、やむなく中止をしてしまった。始めてのサボりだ。痛さには負けてしまった。

 その理由を良く考えると、3日の夕刻に妹が「鉛筆でなぞる百人一首」を買ってくれたので、眺めていたら、60センチほどの高さから右足の甲に、縦に、諸に角を叩きつけた事件を思い出した。その時は痛さも何も感じなかった。が、アッと大声を出した。きっと何処かの神経では痛さを感じていたのだろう。それにしても原因が解って良かったのだが。これで退院が少し伸びてしまう。

 一つでも手一杯だというのに、このボケ爺、毎日休む事が出来ないほどのアクシデントが起きてくる。バカな時間を費やしでいる。情けない。

 5日夕刻 記

| | コメント (2) | トラックバック (1)

堕落気味

 発病の日から3~4日は、後悔で、悔やむ事ばかりで、高揚して、気が張っていたはずだ。4日ごろからは、「こうしていられない」「リハビリに励もう」と、リハビリに一生懸命になった。しかしながら、進歩は遅々として改善が見られなくなってきた。

 リハビリが難しくなってくると、疲れる。汗も出てくる。冷や汗かも知れないのだが。今は「疲れた」と思うことが多くなってきた。肉体だけではなく、気持ちの方にも。ゆっくり休みたくなってきた。後悔が、諦めかけ、になった訳ではないのだが、「如何にでもなれ」と言う気持ちがもたげて来た事は事実である。つまり堕胎の眼が目覚め始めた。

 今日は文化の日である。表彰される人は皆が元気である。少なくともテレビを見ている限りは。すると、後悔が目覚める。兎に角、複雑な気持ちである。

 今日から、リハビリの一つに、「手習い」が始まった。まともに書けない事は、繰り返すこととなるが、療法士に見せる事となれば、やはりとても恥ずかしい。住所から、小説、詩などの書き写しを、しかたなくやっている。とても恥ずかしい。いっそうの事、やり直そうと考えて、「鉛筆でなぞる、・・何とか」を、妹に買ってきてもらった。しかし、眺めるだけで、手が出ない。「何なら、習字をしようか?」と、浮気心が出てしまう。これも堕落であろう。明日は初心に帰って、「手習い」を始めようと思うのだが。

 3日夜 記

| | コメント (0) | トラックバック (0)

後悔の日々 11月2日

 闘病奮闘記などと、勇ましく書いたものの、実態はリハビリの日々である。すでに11月に入ってしまった。(11日もの朝である)悔しさと、後悔だけが、毎日頭の片隅に鎮座している。熟睡は出来る。夢は1つだけ繰り返し見ている。朝が来ると、右の足のつま先を左足で、ソーと撫でてみる。今日こそは、「感触が戻っていてくれ!」と祈るように。

 しかしながら、悲しくも、冷徹に、応えは反応しない。後悔が始まる。手足がボーとしたとき、格好を付けず、すぐに救急車を呼んでいればもっと軽かったのか?魔の30分の遅れが、こうなってしまった、と後悔をする。

 いや、痛風の先生にまで当たりたい。以前の先生は、高血圧も治さないと、と言い、高血圧の薬も厳しく関与していたが、今回の先生は、高血圧など無視で、痛風のことだけしか気にしてくれなかった。そこで今回も高血圧を監視してくれていたら、と悔やむ。

 兄妹の前で、熱弁を1時間も、奮った。何で自分が先頭になって話したのだろうか?今になって思えば、どうでも良かったのだ。兄妹の意見を取りまとめる事も必要なかったのだ。真剣になり過ぎだ。仕事についても同じことで、遊び心の欠如、これがボケ爺の欠点だと、後悔をする。

 兎に角、普段の健康について自信があり甘く見ていた。体調の良し悪しに無関心であった。歳を忘れ、何時までも若いと自信を持ちすぎていた。もう少し謙虚になれていたら、こんなことにならなかったと、後悔する。

 主治医が今日もご機嫌を伺いに来てくれる。「如何ですか、お変わりありませんか?」「変わりありません」「それは良かったですね、悪くなる人も居ますから」「そんな?」「徐々に良くなることもありますから」「エッ!」「リハビリに期待をかけましょう」先生の徐々に冷たくなる言葉に後悔がよみがえる。

 昨日は、外出許可をもらった。妹の車に乗せてもらって、ネットが出来る事務所に向かった。約2時間、パソコンでメールの処理をした。久しぶりのマウスもなかなか巧く使えない。右側クリックが良く、勝手に動作してします。普段は右がわクリックなど無視していることが多いのだが、おかげで、裏技が身に付いたかもしれない。

 2日朝 記

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2010年11月 1日 (月)

闘病奮闘記 31日

 一週間の闘病奮闘記をまとめておく。23日のMRICTの撮影、24日の朝のCTの撮影以外、医師に、体も、手も触ってもらったことは無い。だから、闘病と言うわけではない、と思う。当然看護士にも、闘病人らしい看護をしてもらったわけではない。血圧の測定、体温の測定だけだ。「ボケが進行していない」、かの質問をするだけだ。2~3日間はベテランを看護士であったが、それ以後は、今年入社の新人しか担当してくれない。病人だとは思っていないようだ。少々憤慨する。何らかの手術で、もっと回復が出来るのではないか、と思っている。一切無視である。こんなに不自由な事が起きているのに。兎に角まとめてみよう。

1)      右半分が麻痺している。頭から腰までは、触覚は50%、運動触覚は70~80%はあり、多少の不自由があるが、動いている。腰から脛までは、触覚は10%ぐらいか?運動感触は35%ぐらいだろう。脛から下から足の裏まで、触覚は0%である。運動感触は25%ぐらいだろう。杖を使わず、30分程度歩くことは出来る。階段は手すりを使って、3階までは登れる。

2)      字を書くことは出来るが、ボケ爺のユニークな美しい字は書けない。ムラがある。習字は初めから始めなければならないだろう。篆刻など細かい文字を彫ることは、多分回復は出来ない、と思う。陶芸のように、大雑把な分野に、趣味を変えなければならないだろう。油絵、銅版画は、変わった味が出るかも、と期待したい。華道は出来るかもしれない。漆はどうしようか?(仕事は最小限にして?)

3)      良く寝る事ができる。当初の4日ほどは、興奮していたのだろうが。しかし、体力は何時もの50%ぐらいに落ちている。気力が長続きしないのだ。頭で考えている事は100%だと思っているのだが、筋肉が勝手に休んでしまうのだ。

4)      食事は美味しい、と思う。ボケ爺の食欲は入院当初から衰えることは無い。看護士が、たえず聞く、「頭痛など気分は悪くないですか?」「何にもありません」と言うと首を傾げていく。食事係の看護士は、「全部食べましたか?」「ハイ」と言うと、また、首をかしげる、何故だろう?ご飯は60%位にして、実はこれをチャンスに、ダイエットに勤めているのだ。ボケ爺、これをチャンスに、チョッとはかっこよくなりたいので。

 と言うことで、これからのボケ爺の人生は、大きく変換を図りたい。今までの継続ではすまない。兎に角、後悔と、悔しさは、強く引きずるだろう。悔しい。

 31日夕刻 記

| | コメント (2) | トラックバック (1)

闘病奮闘記 29~30日

 29日の、医師の朝の巡回の時、ボケ爺があまりにもヒツコク聞く「この無感触は治らないのか?治す事はできないのか?」。医師軍も簡単に「皮膚の感触は戻りません」「しかし訓練で歩くようにはなります」「諦めてください、長期には回復することがありますが」これ以上質問をしないように、とダメ押しをされてしまった。諦めか?諦めきれない。

 作業の担当の先生が休みで、代わりの先生だ。手に持てる大小の物を正常な左と、異常な右手とで、時間の速さ競争である。右だ、左だと移動させる。正常の方を100%とすると、異常な右手は94点である。つまり利き手の右が、左に対してかなり劣っていることになる、と自覚する。

 歩行は、20分ぐらいであれば、自分で歩けるようになった。20分と言うのは、筋肉が疲れてくるようだ。右足は、一枚スポンジを下敷きにしているような感覚だ。筋肉が急にジンジンと騒ぐ。何かを感じたい、と頑張っているのだ。感触が無くても歩けるとは、医師の通りであった。ホンダのアシモ君と同じスタイルだ。だが彼ほどの愛嬌は無い。

 大阪に娘が見舞いにやってきた。孫が、「血液サラサラスープを持っていってやれ」、といったそうだ。退院後は、娘の「家に来い」、と言ってくれる。うれしい話だ。私の下の妹は、毎日の夕刻に、仕事の帰りに寄ってくれる。何かと日常の世話を焼いてくれる。入院の諸事項は妹が整えてくれる。ボケ爺は幸せだ。

30日、久しぶりに熟睡した、と感じだ。今まではやはり眠りが浅かったのだろう。先週の土曜日に入院してから1週間になる。朝の時点で何が進歩したのだろうか?

1)頭脳、変わりがないのか?2)言葉(しゃべり)は、マズマズで90%以上は回復している、と先生も言う。相変わらず早口であるので、この際治しておきたいのだが?3)手の動作は、やっと手先が思う通りの場所に、的確に届くようになった。頭から、腰までの右半分は感触が相変わらず鈍い。

 言語の訓練で、何時もの先生は休暇で変わりの先生がやっていた。「少し、ハスキーになっていますが、前からですか?」「いいえ、美しい高音でした。」確かにハスキーになったことを自覚している。これも後遺症だ、と言う。理学の先生には、今日はしごかれた。右の動かない足を基軸にした、立ち作業を沢山やった。汗が出てきた。しかし、ふらついて話にはならない。悔しい。

 30日夜 記

| | コメント (0) | トラックバック (0)

闘病生活 27~28日

27日は、朝から、点滴、心電図、血圧計が外れている。それだけ、自由さを感じるが、実態は、何も変わっていない。点滴の後が膨れて、痛い。看護士さん曰く、「点滴が漏れていたのかな」と、何か得体の知れない薬を塗ってくれたが?

 今日は、療法士(言語、作業、理学)たちが順番に訪れて来てくれて、リハビリに励む事になる。先ず、「言語」は、90%は話が出来るという言う事で、この時期では、回復が早い、と言ってくれる。「作業」は、手を担当するといわれたのだが、一向に手については訓練に入らず。ベッドの近くで歩行訓練となっている。「理学」は、足の訓練と聞いていたので、やはりベッド上の歩行訓練だ。兎に角、足は言う事を聞かない。感触も100%戻らない。医師、看護士、療法士も、訓練さえすれば、と慰めてくれるが?ボケ爺にとって、苛立たせてくれる。

 28日は、リハビリが本格的になってきた。言語は、ほぼ訓練が要らないと思うので、「明日か、その次で、訓練は終わりましょう」と、最後に、と、松下幸之助の経営語録を読まされた。作業は担当医が休みで、代替が来た。病院の3階を3週ほど歩いた。が、感触は全く無い。理学の方は、いきなり、1階の訓練室に行きましょう、と言う。そして「研究に使いたいので、写真や、ビデオを取らして欲しい、ここにサインをして」と言う。若い人が、研究心があることには大いに賛成だ。

 サインのしようとするが、まともに書けない。それでも枠内に入ったので、担当者は「良く出来ました」、と言ってくれる。療法士さんたちはイケ面が多い。実を言うと、理学担当者は女性であって、やりがいが出てくるのだが、体が動かないので、ボケ爺は惨めだ。箸を持っての食事は順調に訓練が行き届いて、豆をつまめるようになって来たし、食べるのも早くなってきた。多少諦め気味だ。

 29日朝6時 記

| | コメント (0) | トラックバック (0)

闘病生活 25~26日

25日の症状は、頭は半分ほどぼんやりしている、手足を動かしていると、結構な力が出せる。これだけ出せるならすぐに治るようだ、と思う。が、医師が見回りできた時に、重大な発見があった。これはボケ爺には重大な事である。 足の感覚がまるきり無い。他人が触っても、何の感触もない。これは重大な欠点だ。歩く訓練でも、回復しないこと覚悟しなければならない。

頭の方も感覚は、8割(2割が感じない)、手にいたっては7割ぐらい、下に行くほど感じが悪く、腰で、3割ほど、膝からが0%感じない。力は出るが、コントロールが出来ない。フィードバックがまるで掛からないことになっている。病名は小脳、左視床出血とあり、ここは、神経のフィードバックをコントロールしている所である。

しゃべる言葉は8割ほどの明瞭さで、話は出来る。小脳だから知識の方は壊れていないようだ。パソコンも鍵盤の、右の手の押す圧力が、時と場合によって、まちまちだから、時として巧く打てないが。この用に使えることが出来る。これもリハビリだ。午後から、リハビリが始まったが、思うようには行かない。辛く、悲しい。

もう一度、CTを撮影する。結果は、「新たな血液の漏れは無い」という。医者曰く、「もうこれ以上の悪化する事はない」。「脳溢血よりもましなのですから、不幸中の幸いを喜びなさい」、とも言う。脳溢血は、血管が詰まる方だ。何所まで詰まっていくか解らないそうだ。と慰められても、心は晴れない。悔やむ。

26日は、あまり代わり映えはしない。少しましになったのは、三度の食事を食べる事である。匙やホークを使えば、簡単なのだが、リハビリと思って箸で食べている。24日は箸がボロボロ落ちて、かなり舌を使っていたが、徐々によくなってきている実感が伝わってくる。

うれしいことに、午後3時ごろに、点滴も外す、血圧計、心電図も外れて少しは拘束から逃れることが出来た。その分、リハビリが厳しくなった。厳しくなったのは良いのだけれど、感触がない分、思うように出来ない。悔し涙がにじむ。

 27日朝6時、記

| | コメント (0) | トラックバック (0)

脳血栓め!

 高血圧を甘く見てほっておいた結末が、ついに、脳血栓で倒れる事になった。仕事で順調であっただけに,皆様に迷惑をかけることが、何よりも心苦しい。

 22日、京都で順調に仕事を終えて、大阪に住む娘家族と楽しい食事をして、そこかから、姫路で、1泊して、翌日、兄弟が集まってくれて、朝から話をして、昼前30分ぐらいから、なんだか、ボーとしてきた。右の手足が可笑しいと思い出したら、お昼の食事が届いて、皆で食べよう、とした時である。御箸がころりと手もとから落ちる。拾おうとしてみても拾えない。弟が、「何を言おうとしているのに解らない」、と叫ぶ。

 その結果は、救急車で病院へ移動だ。車の中では、「血圧が200以上もありますね。」と、言っている。しまった、血圧をおろそかにしていた事を悔しがる、も遅い。MRI, CTスキャンの診察が終わる頃には、後悔と、悔しさで、一杯で、悔し涙が、出てくる。右の手、右の足が完全に、動かない。頭だけが、冴えて来る。哀れなボケ爺。

 24日、起きて見ると、どうやら病院のベッドの上である。言葉が出るはず、と思ったが、恐る恐る発してみる。それも小さな声で。驚くことに、言葉は出たのである。次は、希望を持って、手を動かしてみた。これも動く。うれしくなった、が、そこまでだ。手が動くと思って、棚の物を取ろうとしても、その場所まで手が届かない。距離的には間に合っているのだが。やっとの思い出、物に触ったのは良いのだが、握れない。やっとにぎったが?と思えば、ぽとりと落ちでします。落ちたものを拾おうとしても拾えない。なんと惨めなことだろうか。

 左の手は、点滴で縛られている。右の手は、24時間観察の血圧計、と心電図で拘束されている。眼、や頭は冴えている。

 25日朝、記  実際に、24日の朝にキーを叩けている。この点は嬉しい限りです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年10月 | トップページ | 2010年12月 »