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2010年10月21日 (木)

ゆけむりの里、仙川

 我が家のお風呂を改造している。せめてお風呂だけでも新しくして優雅な一時を過ごしたい、との思いからだ。別の理由は、水周りの痛み具合も気になっていた。この家に住み続けるのに、最低15年ほど崩れないで欲しいからである。後15年も住めば、壊れても惜しくは無いだろう。そこまで元気でいられるかは、別の課題である。

 工事期間が10日ほど掛かるという事で、歩いて20分ほどの、「ゆけむりの里、仙川」に出かけている。ここは随分と古い。入浴料は、その間50円ほど上がっただけで、維持されている。土曜、日曜日ともなれば、いもの子を洗うような賑やかさである。この11月には大幅な改造をするようだが。

 ジャグジー、乾燥サウナ、高湿サウナ、薬草の湯など、十分に堪能できるのだが、40分が精一杯である。夕刻早めだと、子供たちの運動場となり、遅いと、体育系の学生で、鍛えた肉体のオンステージだ。ボケ爺のお尻の肉はこれでもか、と垂れ下がっているし、下腹はマーフィーン状態で、湯の中で隠すはめになる。湯から上がると、がっくりと疲れて、帰宅が恨めしくなる。それでも、仙川の商店街は、夜遅くまでお店が開いている。

<読書>

「松本人志は夏目漱石である!」峯尾耕平 宝島社新書

表題に引かれて、衝動買いであった。小説家と、お笑いと一緒にしてもらっては困る、との想いだった。しかし、いたってまじめは内容である。メヂアを騒がす要因が、何所にあるのか?その内容、その背景は?基本的に、メヂアは「共同体」に参加している事である。時代時代によって、メヂア共同体は違って来る。が、その中で共感を呼ぶ事によって、流行する。一躍人気者になるのだ。それを、小説の文学史と、お笑いの歴史とを対比しながらの論説は、「アッパレ」の一言だ。最後に、日本の今は、「私小説」の時代だと断定する。お笑いも、暴露時代となった、と共通を謳っている。ボケ爺、いつか、「小説家のマーケティング感」と題してのマーケッティング論を書きたいと思っているのだが。

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2010年10月19日 (火)

食欲の秋

 まだ十分に秋になった感じはしない。朝夕は若干涼しくなった感はある。確実なのは、日の出が遅くなり、朝起きがそれにつれ遅くなってきた。日の入りは早くなり、5時半では暗くなってくる。その分夜長になっている。

 ボケ爺、それに伴い、食欲が増してきた。「食欲の秋」とは良く言い当てたものだ。「天高く馬肥ゆる秋」とか。この2週間ほどで、4kgほど増えてしまった。良く食べるのだから、太るのは当たり前である。老人だから、半人前で良いのだが、どうも1.5人分は食べているようだ。食欲を抑えられないのだ。さらには、間食が欲しくなり、つい手を出してしまう。残念な習慣となってきた。

 ジョギングを始めようと思うのだが、一度止めての復活には勇気がいる。勇気が沸かない。意志は元々弱いのだが、気力まで弱くなってしまったのか。痛風が弱気に至らしめていることは確かであるのだが。

 それとも、定年後の暇な生活がストレスなのかもしれない。これとて、残念な習慣となってきている。コンサルティングの仕事はそれなりに忙しいのだが。まじめに仕事をすればストレスとなるが、責任が伴わないので気楽なはずである。ボケ爺にとっては、多少無責任な仕事の仕方になるので、つい世話を焼いて、やり過ぎることがある。それに好感を持ってくれる顧客は良いのだが、お節介と嫌がる顧客がいるので、ストレスとなる。

<読書>

「スパイ武士道」池波正太郎 集英社文庫

池波の作品は、ストレス解消によく、それに癒される。又元気もでる。筋書きも複雑、明快、滑稽、息も付かせない展開のリズム感、いずれもすばらしい。

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2010年10月17日 (日)

孤舟(こしゅう)

 「孤舟」(集英社)は渡辺淳一の最新作である。帯には、「定年退職して始まる本当の孤独」とあり、さらに「ばら色の第二の人生のはずが、待っていたのは、夫婦関係と親子関係の危機。人生最大の転機を如何に乗り切れるか、と続いている。

 定年後のサラリーマンの心理を、サラリーマンでない作者が実に巧く捕らえている。日ごろ感じてはいたが、こんなに巧くまとめることが出来なかった。ボケ爺が描きたかった作品である。「孤舟」利休が好きな言葉らしい。

 役員での定年とは、少なからず職場での確執が渦を巻く。主人公はそれを味わっている。こんなはずではなかった、「彼にだけは負けたくなかった」など、競争心が納まらない。「彼に、引き摺り下ろされた」などの思いも襲来する。

妻から、子供たちからは、「年金暮らし」とのレッテルが貼られる。収入がなくなると共に、自分の小遣いが極端に制限される。外出しても、交通費や喫茶店や入場券など、結構なお金が掛かる。まして、カルチャーセンターの受講料にも、年金生活者に、妻は良い顔をしない。結構、妻は出歩く事が解る。亭主に渡される小遣い以上に必要だろう。そのお金は何所から出ているのか?細かくなって疑心暗鬼でストレスだ。そのくせ、一日顔を突き合わしているのはイヤだ、と、リビングから「出て行け」、と言い草を付ける。

 何とかバイトを見つけ、図書館通いを続けて時間を過ごすコツを重ねるが、これが結構ストレスである。好きな趣味をするには、いまひとつ勇気が沸かない。一人でやるのが億劫だからだ。勿論お金も居る。そうかといって、妻と旅行しようと、誘ってみても、「貴方と行っても楽しくない。友達と行く。」となる。そのお金は何所から出ているのか。「自分ひとりで行くぞ」とお金を請求すると、「年季暮らしなのですから、小遣いの範囲でやりくりしてください。」となる。勿論、家事の分担も増やされる。

 これは、ボケ爺の哀れなサラリーマンを絵にした小説の構想であった。ボケ爺は、幸いにして、今は、この段階から脱出できている。

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2010年10月11日 (月)

今年のノーベル化学賞

 日本人の受賞が決まった。大変にうれしいことである。それも50年前の基礎研究に与えられた物である。この基礎研究が数多くの機能材料を実現し、今日の革新的な商品の生みの基礎となっていることに驚きを隠せない。カップリング技術、と言うらしい。ボケ爺に馴染みの多い事業分野で親しみが湧く。

 資源を持たない日本は、このような基礎研究から基礎技術によって、新しい材料を生み出さなければ、資源大国につぶされる。科学は無限の可能性を含んでいる。取り分け、有機化学の合成力には機能材料の革新に夢がある。無機材料の物理学も当然、夢がある。

 この20年で見れば、日本は研究費用の伸びは8%に過ぎない。GNP比率で言えば、過って2位が、今では6位に落ちでしまっている。中国が2位に躍進している。理工系大学進学率は約半分だ。ここに、日本の未来は無い。実績が出るまでに30年~50年が掛かる長期投資である。今伸びている韓国、中国、シンガポールは、日本がバブル崩壊した頃から急激な投資をして今日を迎えている。取り分け中国、韓国の他国大学への進学率が異常な増加である。

 ポスドクが増え、派遣研究員化して、3~5年で、職(研究所)探しでは、研究が商品化してしまい、未来研究はおぼつか無い。企業にいたっては、基礎研究を止めてしまって、研究を買うか、M&Aでしのぐ事が奨励されている今日である。

 10年後まで、日本のノーベル候補者は行列をなしている。1970~1995までの蓄積があるからだ。1997年以降の研究内容は不安が一杯だ。20~30年後の社会は、日本発の基礎材料、基礎研究、基礎科学など無くなってしまうのだろう。世界中、2035年ごろが最も苦しい社会となっているだろう。その頃での貢献は、日本から出せないだろう。

 繰り返しになるが、① 長期の勉学環境に投資。② 基礎学問、研究に更なる投資。③ 自然(生物植物)に学ぶ研究をおろそかにしてはならない。④世界に羽ばたく。事だろう。さて、次の戦争は、生物資源になる。

<読書>

「未来を変えるちょっとしたヒント」小野良太 講談社現在新書

ヒントの言葉に騙されて買ってしまった。ヒントのようなノウハウ本ではなかった。未来を変えるためには「夢を見る」「明るい夢を描く」ことだ、が結論だ。

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2010年10月10日 (日)

今は秋か?

 我が家の庭の百日紅の花は、今年は異常気象にまどわされている。猛暑では咲き疲れながら咲き延ばされながら、咲き終わり、か、と思いきや、ここに来て咲き始めた時のように若々しく、なぜか生き生きとしている。金木犀の匂いはそれほど香っていない。

 クライアントが目黒の雅叙園近くに引っ越してきた。今、五反田に事務所を借りているので、目黒川沿いを歩いて、15分ほどで、通えるようになった。雅叙園の目黒川沿いの垣根は、金木犀で作られていて、300mはある。どんなに鼻が悪くても、この匂い(香、とはいえないが)で、イヤが上にも秋への変わり時候を感じる。

 若かりし頃、9月は期末である。残業で疲れる。その残業のストレスを癒してくれたものだ。冷えた空気が、金木犀の匂いを増す。「暑さ寒さも彼岸まで」、の通り、彼岸過ぎのけじめのようなイベントであった。下期への期待と不安を感じたものである。しかし、開花は毎年遅れてきているが、今年は2週間ほど遅れているのではないだろうか? 

 サクラ並木で有名な目黒川は不思議な川なのだろうか。雨が振り水量が増えると南の方に流れているようだ。水量が減ってくると、北の方へ流れているように見える。登ったり下ったりの流れは本当か?だから、水質は一向に改善されていないようだ。それとも、海の満ち引きで川の流れが変わるのか。

 金木犀の匂いには、ボケ爺のサラリーマン人生の友だ。楽しさも苦しみも(楽しい時は少なかったが)共に感じてくれた「匂い」 であった。前期を猛烈に走り、気がつけば、1年の折り返し点に気が付き、後期の頑張りのエネルギーを貰った。金木犀に感謝する。

<読書>

「千日紅の恋人」ハハキ木 蓬生 新潮文庫

こんな淡い恋がある。飾る事ない心と行為が魅力ある物語にしている。この著者の作風を残しながら、柔らかいストリーが魅力となっている。ボケ爺も主人公の女性に魅力を感じている。実は、読み直りである。最初と同じ楽しさであった。

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2010年10月 9日 (土)

再びジュハイ

 ジュハイ市(Zhuhai)にある企業から招待を受けて訪問する事になった。香港から船の便が一番便利で早いのだが、いずれの便も満杯だということから、広州国際空港から自動車で、2時間30分、となってしまった。中国南方航空(Jalとコーシェア便)であった。招待といっても、勿論エコノミーであった。

 成田第2ターミナルからの出発である。大きな荷物を抱えた中国人が一杯だ。子供たちも待合場所で走り回っている。これでは、機内はさぞかし賑やかだろう。手荷物も一杯で、ビジネストラベルバッグが入らないかもしれないと早めに機内に入ったのが幸いして、バッグは何とか収納できた。

 帰りは広州国際空港である。同じく、中国南方空港である。朝6時ホテルを出発して、2時間ほど前に空港に到着できたのだが、カウンターは山の人だかりである。インチョン便、大阪便、東京便を一度に受け付けている。約40分は並んだ?中国は祝日に入った初日であるから、混むのは当たり前だ。

 東京便は80%が中国人で満杯だ。驚いたことに、行きも帰りも、機内はとても静かだ。すこぶるマナーが良い事に驚いた。サービスも大変良い。中国は人民の心も行動も大きく変化してきている、と思った。海外に観光に行けるクラスの市民は、大国中国が名実ともに「大国」を自覚してきているのだろう。

 ジュハイ(Zhuhai)市は観光の町である。日本で言えば熱海に相当するのかもしれない。海が美しい。ハーバー沿いのホテルに泊まった。島々が浮かぶ海岸沿いは何所までも美しい。朝市の魚の市場は賑やかだ。海上からの御来光である。波の小さい海に長く尾を引く真っ赤かで一筋の光は、いずこで見ても感動する。太陽がこんな大きかったかと、何もかも忘れて何時までも眺めていた。

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