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2010年9月30日 (木)

やばいぞ、日本!

 やや下品な見出しであるが、菅内閣は大失態をしでかした。21世紀最大の危機である。

1)     なぜ、中国漁船の拿捕の正当性(ビデオ)を公表しないのか?もしあるなら。

2)     なぜ、那覇地検が政治的判断での釈放をしたのか?拿捕の内容を表明しないのか?

3)     なぜ、菅内閣は、政府に責任が無い、単独那覇地検だと、逃げるのか?

4)     なぜ、尖閣諸島が日本の領土だとする根拠を、すぐに各国に表明しないのか?

5)     なぜ、尖閣諸島の案件で、沖縄返還時に、「アメリカから譲り受けた。」と、アメリカに確認、表明しないのか?

6)     なぜ、閣僚の責任所在を明確にしないのか?外務省?国土省?

7)     なぜ、岡田幹事長が釈放問題に解答するのか?ジャーナリストもなぜ岡田幹事長にインタビューするのか?(岡田幹事長は、民主党であって、政府(閣僚)ではないのだが)

8)     なぜ、フジタの中国との契約内容を公表しないのか?契約期限が切れている?或いはミッションが中国に認定されていたのか?

9)     なぜ、官房長官は、中国の回答の番だと、間違えた事を表明するのか?

10)             なぜ、村木元局長、検察の隠蔽工作を、内部だけで、捜査するのか?第三者を巻き込まないのか?

11)             なぜ、閣僚は、毎日、今回の失態の取り戻し策の議論に議論を重ねないのか?皆勝ってばらばらに動いている。(スピード感が無い)

12)             なぜ、経済刺激策に、資金を何所から持ってくるのか、公にしないのか?黙って、増税するのだろう?

13)             なぜ、国民は怒らないのか?

14)             なぜ、学生は、デモ、紹介を行わないのか?

<読書>

「生み出す力」西澤潤一 PHP新書

創造の巨人の西澤教授の著書は片っ端から読んでいるが、いつも、失望に至る。今回も自慢話に終始して失望であった。なぜか?あまりも創造の天才過ぎるので、結果しか述べられない。読者の期待は、創造のきっかけ、考えるプロセスにノウハウを学びたいのだ。ノウハウではなく、哲学、論理が欲しい。しかし、明らかには出来ない。それだけ超天才なのだ。

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2010年9月27日 (月)

組織と個人

 村木元局長無罪判決の判決文や、その後の結末で、検察庁で行われている他の捜査は正しかったのか?と思えてくる。昨日のNHKAZでの元特捜班のゲストの発言は、組織を守ろうとする発言である。「元」であっても、こんな深刻な課題が突きつけられても、組織保全の発言で、個人任せ、個人資質のみに起因すると言う。組織が個人を作るところまで考えが及ばない。ここが組織の最もの弱点である。現役の内部捜査、事件の解明などありえない。第三者が中に入るべきである。

 那覇地検の中国漁船の拿捕もデッチ上げかもしれないと、疑問が湧く。中国側もためしに、ぶつかってみろと隠密漁船だったかもしれない。組織として取り組む中国と、日本の政府は地検の個人の判断で政府は知らない、と日本国組織を放棄する無責任な政府である。

 組織とは厄介な物である。ボケ爺の経験からもよく分かる。最初の企業でのことである。10年目で、プロジェクトが出来て、元の職場(事業部)を離れ隣の職場(事業部)に移籍した。約15年その事業部で働く事になったのだけれど、最後まで、「君は、この事業部では、外様だよ」と、「外様」と呼び続けられた。同じ企業の、同じグループの中であっても、組織は内と外を区別してくる。その間、組織の嫉妬の渦の中で、陥れの闇の動きが続く。個人として責任ある仕事が出来ればそれで由としなければならない、と割り切った。その分、仕事においては、存分な待遇を受けたし、働けた。

 結果は26年目で、次の会社に移ったが、外様と割り切っていたので、中央には近づかなかった。アウトローで居たおかげで、仕事に専念出来たし、個人の責任で、仕事の上では企業に貢献できた、と思っている。それでも、当然ながら最後は追い出される破目になる。組織は責任ある個人を必要としないのだ

 ボケ爺の経験から、組織の中に入れば、ある意味、楽なところがある。「アン・ウン」で、きめ細かさは省かれる。責任は上司が取るものだ、と無責任が成長する。だが個人の責任ともなると、仔細に理由を提案しなければならないこととなる。絶えず上司とは緊張関係になっている。それにしても組織は闇の世界の怪物で、厄介だ。

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2010年9月26日 (日)

ショッキングな出来事

 ボケ爺にとって、ショックな出来に遭遇した。イヤハヤ、本当にショックであった。昨日の事である。聞き応えのあったセミナーに出席し、あれこれ考えながら、京王線に乗り込んだ。つり革を持った途端、新入社員ほどの青年が「席を替わりましょうか?」と立ち上がった。ボケ爺は席を譲っても、まだ席を譲られるほど老いぼれていない、と自負していたのだが。

 「有難う、だけど。。。」と断らず、「結構です」と断ってしまったが。自宅のある駅まで、約20分、じわじわと嫌な思いが募った。ボケ爺、もう席を譲られるような外観になったのだ。若々しい格好をしていたつもりだが、流行遅れなのだろうか?それとも、顔や、姿勢が、席を譲らなければならない風貌となってしまっているのか?髪の毛は少々少なくなっているが全面にあり、白髪は30%ほど混じっているだろう。顔のシワは、まだそんなに目立たない、が、顎の下の首周りは隠せない、と思っている。シミも少々あるが、そんなには目立たないだろう。お腹も飛び出しているわけではない。

 実は、電車に飛び込む前は、ヨドバシカメラで、スタンドを買ってきた。長い(約9ヶ月)闘争の結果、やっと、自宅に、自分の居場所が確保できたのである。「ここがボケ爺の居場所だ」とのマーキング用にスタンドを設置するためである。

 そんな喜びが、すっかり萎んでしまった。ボケ爺には、大変なショックな出来事であった。いろんな付き合いも自粛しなければならない。相手から見たら、「老人のお相手」では楽しいわけがないはずだ。早々にマーキングの机から寒々としたスタンドの明かりで、寂しくこのブログを書いている。

<読書>

「松本清張、傑作短編コレクション・上」宮部みゆき 文春文庫

以前にも読んだ作品が含まれているが、短編の大家の作品は愉快である。古典的と言う言葉が当てはまるのか分からないが、筋書きは単純なのだが、こんなところに、真理のスキ、と言うか、ホコロビと言うか、その数が膨大である。推理小説はこのような人間心理を知る上で大変に参考になる。

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2010年9月25日 (土)

日中米間の駆け引き

 日本の政府はこんなに、何も行動できないのかと、飽きる、と共に悲しくなる。無策なら、能力の問題だから、仕方がない。能力の無い企業が腐って破綻することや皆も納得である。しかし、」無策ではなく無責任ならどうか?これは由々しき状態である。

 今回の日中問題(尖閣諸島沖の事件)の駆け引きに、各閣僚は無責任である、発言の意見が全く統一されていない。那覇地検が独自な判断で、船長を釈放してしまった。菅首相も、岡田外相も、国土省大臣も、法務省も、官房長官も「地検がやったことで、我々には責任は無い」、と言う。

那覇地検の言い分が、「日中間が険悪な事になってきたので」である。地検は政治問題に口を挟んではならない。現実を粛々と検証するだけである。その後の判断は、政府にあるはずを無責任にも政府判断を独自で行ってしまった。地検も政府も、立法の憲法を無視して、無責任な発言をして平気である。

 昨日の釈放の理由なら、もっと早く釈放出来たはずだ。拿捕の理由に自信があると言ったが、実は自信がなかったのだ。ビデオがあると言うなら、何故ネットに流さないのか?中国が見れば一目瞭然となる。大阪地検で起きた村木局長検挙と同じように、保安庁の操作ミスを隠蔽するためだったのか?責任者は東京にて無関心、無視をし、誰かが何とかするだろうと、無責任だ。「日本国は無責任集団だ!」さて、ジャーナリストは何所まで政府を責められるのか、に注目である。

 フジタの事件がタイミングよく起きてしまった。どう見ても日本のフジタに分が悪い。契約課題や、活動場所など、日本人は他国で仕事することの甘さがある。これも無責任から来る。国や国民が困る事を知らない。 自分だけが毎日老酒が呑めれば良いのだ。

 中国は、アメリカに日本を支援させないように、甘い汁を与えて、日本引き剥がし戦略に出てきている。アメリカも中国との関係は重要だし、日本に普天間で金を出させるために、日本を横目でにらむ戦略に出てきている。無関心無責任の政府や、官僚のシンクタンクはボケばかり。ボケ爺だけでなく、国民もボケばかり。

 問題が発生した時、すぐに、小沢氏を派遣して問題解決に働くべきであった。尖閣諸島も、中国に取られるのも時間の問題だ。日本国として、政府は、「とんでもない失態」をしてしまった。筋が通らない、ロジックもない。戦略を持たない日本は、何所まで堕落してしまうのだろうか?菅閣僚には、官僚も含めて日本を守れない!

 ボケ爺の考える今日の日本は、無関心無責任が最大の悪であると繰り返す。失われた20年も同じである。自分だけがよければ良いという無責任さである。

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2010年9月23日 (木)

ネイチャーテクノロジーに期待

 2030年には、資源枯渇、環境問題で人間の健康は危険で一杯で、生活が破滅すると予想されている。後20年である。その理由は、今の機械要素論での技術開発では、人間の物欲に追いつかないからだ。人口が、この20年で、世界的には急増するであろう、もその理由である。

 破滅を避けるためには、2点のイッシュがある。1点目は、生活スタイルを変えねばならない。簡単には、物欲から、精神欲への変換である。2点目は、生活スタイルの変革に併せて、エネルギーが最小になる技術の開発である。

 人間の豊かさかとは、「感」:感じる(体験、体感)。「想」:想像(考える事、役に立ちたい)。「創」:創る(プロセス)。「協」:協力(参加する)。「伝」:伝える(自分史を伝える)。「究」:極める(使い尽くす)。と言う。人々が、「自ら行動し続ける」事で、豊かさを感じる、精神欲生活スタイルに変化しなければならない。職人、芸人、ボランティア、古典を研究、体を動かす事、などなど、結果としての物欲ではなく、「プロセスを楽しむ」精神欲を好んで、豊かになりたい。

 エネルギーを最小にする技術開発は、生物や動物の研究から始まる。その研究から、それを創る技術の開発する事が最短である、と革新する。ハスの超撥水性、蝸牛の超親水性、で、ゴミが付かない、汚れてもクリーニングが出来る。ヤモリから吸着版を、牡蠣の殻から、軽量強化材とか、トンボから極小乱流と層流を使った小型風力発電、など、200種類ほど考えられている。

 ボケ爺は、職人(自らの製作)、ネイチャーテクノロジーの開発とも興味がある。今から勉強したいのだが?

<参考> 東北大学院環境科学研究科:www.semsat.jp  

「石田秀樹のHP」に詳しい。

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2010年9月20日 (月)

敬老の日

 昨日の昼頃に、宅配便が届いた。娘夫婦と孫の名前が連盟で届いた。品物は長寿芋となっている。贈り物の意味を不審に思い、電話すると、なんと「敬老のお祝い」だと言う。ボケ爺、まだこの年にして、敬老を祝われる事に憤慨しながらも、娘夫婦に感謝する。一体、最近は何歳から敬老と言われるのだろうか?65歳から、70歳からなのだろうか?決まっているのであろうか。

 100歳を超えた人口は1万人を超えているらしい。65歳以上は今年で23%、2050年には、40%以上になるそうだ。其の時の人口は9000万人を下回っているらしい。2050年と言うと、40年後だから、ボケ爺は確実に死んでいる。

 2030年には、今予想されている経済状況が続くとすれば、資源の枯渇、環境(環境ホルモン、人口増加、生態系の変化による疫病、食料難、気温の激変、など)のターニングポイントになりそうだ、と言われている。20年後である。ボケ爺は、死期を迎えているが、きっとまだ生きているだろう。

 科学、技術はそのピーク時に重なる変化に対応できるのだろうか?今日の「代替科学技術」に使うエネルギーでさらに消費が増える。ジレンマである。医学の発達で、ボケ爺の体は、電気機器とパイプが体中覆いつくされベッドの上で身動き出来なく、外界から遮断されて寝かされていることだろう。

 これかの世紀は、デカルトの哲学観(機械論、自然観からの決別)は有効なのだろうか?エネルギー削減には、今の技術は十分に貢献しているはずだ。約60%は削減できているがトータルとして136%アップしている。このパラドックスは人間の「所有欲」による。

 自然に生きる倫理観に変革されなければ、人類の崩壊は明らかだと思う。ある意味では、「量、拡大」の欲から、「質、プロセス重視」の倫理を持てる生活スタイルへの変化が重要だ、と言いたい。芸術、芸能、文化、工芸、職人、手作り、体感、体験、などをこよなく愛する「精神、情緒欲」への変換である。「物欲」さようなら。

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 民主党首選挙で観る日本人

菅だ、小沢だ、と賑やかであった。この間、国民は多少政治に関心を持った事だと思う。日本の議会政治制度は、本当に民意を反映する制度だろうか?が第一に疑問になる。これが民主主義だろうか?大変に疑問である。

リーダー不在だと、嘆く国民は、リーダー選びの制度がこれで良いのか?間接的だから、リーダーが生まれない国になってしまっていると、つくづく考えさせられる。全てが、ジャーナリストの面白おかしく書くアジテータで、他人事で、無責任な評論家の日本人の姿がある。

菅も、小沢(小沢の方がましだが)も、具体策にかけている。こんな演説で、どちらが日本を託するリーダーか判断できない。特に、菅においては、突如「雇用3つ」。どうしたら雇用を増やせるか?は述べられない。「3ヶ月で党首変更では世界から見て恥ずかしい」と、浪花節。でしゃばり夫人まで、演歌を謳う。それに同意する国民は?3ヶ月で、主張がくるくる変わる菅首相の方が世界で、恥ずかしい。

明らかに、小沢の方が、何らかの変革が出来る、と思っているのだが、「人間味の欠如」、「威圧の凄み」が好きになれない日本人は、改革に一歩も踏み出せない、変革に勇気の欠ける日本人の結果で、今回の選挙の結果と同じになったのだろう。昨日まで、45%の菅内閣支持率が、選挙後67%(菅支持は80%)まで回復する日本人の情緒性(浪花節)が鮮明になった。

こんな今日の日本人の無責任、他人事、気概の欠如が、日本の経済回復の遅れを起こしている。選挙が終わった途端に、「単独」の為替介入。日銀総裁白川、しっかりしてよ。意志があるのか?ロジックがあるのか?ボケ爺、今の政府にも、閣僚に、日本国民の考え方にも失望だ。

<読書>

「次に来るメディアは何か?」河内孝 ちくま新書

新聞メディアは危機的状態である。メガメディアのあり方が問われている。そんな状態に、日本は規制制度が7個もあって、変革には用意ではない。国民はニュースを手に入れるに、高い費用を払わされている。ジャーナリストの育成もおぼつか無い。考えるためのメディアはどうしてくれるのか?

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2010年9月14日 (火)

台風一過で混乱

 先日の台風が、まさか日本列島に上陸して、関東までやってくるとは想像だに出来なかったのだが。そこでのアクシデントは、前回のブログで嘆いた。しかも台風一過とはならなかった。

 8日の翌日、其の翌日の夜は比較的涼しくて、安眠をむさぼったのだが。年寄りは、そうは言っても、夜中、厠に起きる事になる。心地良い法尿に、ふと疑問が湧いた。虫の鳴き声が全く聞こえない。9月には行ってからの熱帯夜が続く夜中にも、良く鳴いていた。植物や、昆虫の季節感は何所からやってくるのだろうか、疑問に思っていたのだが。さすがに虫たちも、台風を避けてどこかに避難していたのか?避難に疲れたのか?それとも災害にあってしまったのか?虫の世界の方が生きるには困難なんかもしれない。

 猛暑日、熱帯夜、と騒いでいても、確実に季節は変わっていく。空を見上げれば、はるか上空に薄い筋雲、さば雲(うろこ雲)、など、秋を感じさせる雲が発生している。我が家の百日紅の花は、未だに頑張って咲き誇っているが、そうは言っても、くたびれてきて、多くの花を失っている。

 今日の民主党代表選挙の結果はどうなるのか?いずれにしても、長続きしない臨時政府のような気がする。円高、株安、それに追い討ちをかける様に、中国の強攻策。党首討論でも、経済対策の方針、戦略ははっきりしない。ミクロに、マクロに提示して欲しかったのだが。はっきりしないと言う事は、両候補が悪いのではなく、ブレーンがいない、つまり、日本に、名だけの経済学者、コメンテーターは居るには居るが、官僚も含めて明確な答え、夢が語れない。明確とは、ロジックができていると言う事だ。今は、ぼけているし、突っつけば、詭弁でしか反論できないほど、軟いロジックだ。

<読書>

「暁のひかり」藤沢周平 文芸文庫

闇の中で生きているならず者(アウトロー)でも、人の心を持ち合わせている。純な事に惹かれる心である。義理人情だけでは説明のつかない純粋な心に、ならず者は人生を正す事がある。機微のある人物を描くには、周平は実に巧い。

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2010年9月 9日 (木)

ナラ枯れ、そして大雨

 

駒ヶ根市

から、名古屋に高速バスで向かっていた。

飯田市

あたりから、南アルプスの裾野が、紅葉している様に見えてくる。紅葉ではない。色彩はくすんでいる。なるほど、先日、京都の大文字焼きの時に、異変の報道がなされていた。紅葉かと思いきや、「ナラ枯れ」だと放映していた。

ナラ系の大木に虫が付き、大木を枯らしてしまうらしいと。一時期大発生した「松枯れ」とよく似ている、と言う。

飯田市

から

多治見市

まで延々と続く。想像以上の被害である。これなど、地球温暖化?今年の異常気象の現れだろうか?山林を放り投げてしまっている結果だそうだ。日本の林業の復活に期待が掛かるのだが。

NHKの特集で、北海道の山林が、イギリス、オーストラリア、とりわけ中国が買いあさっていると言う。九州なども、どの程度買われてしまっているか分からないと言う。ゴルフ場は、全部の半分ぐらい韓国に買われている。日本の土地を外国に売ってしまう心理が分からない。日本政府は無視?理解できない。

翌日は、朝早くから

豊田市

で打ち合わせを終えて、駅に戻ると、地下鉄も、名鉄もダイヤが乱れてしまっている。岐阜の

各務原市

での打ち合わせが午後2時と決めてある。困った、予想だにしていなかったので、電話番号など連絡方法をメモしてこなかった。何とか、30分遅れで間に合った。東京で会議があるので、会議を切り上げて、名古屋駅まで戻ると、今度は新幹線が止まっている。帰宅できたのは12時であった。4時間も掛かってしまった。しかも立ちっ放しである。ボケ爺にはきつい!

<読書>

「街場のメディア論」内田樹 光文社新書

大雨のおかげで、この難しい本を読み終えることが出来た。「日本辺境論」新潮新書の内田氏である。すごい論客である。メディアは死んでしまったのか?を論じているのだが。この内容を大学2~3生に講義しているらしい。学生は理解できているのだろうか?「死を抱えてしまったメディア」は、自ら枯れていっている。ナラ枯れのように外部要因ではない、と言う。ボケ爺、大いに参考になった。

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2010年9月 6日 (月)

竹に取り付かれ夢見る男

 コンサルティングの関係から、竹布をビジネスにしている人に話を聞きに言った。分家のリビングを事務所にしていて、人が訪ねてくることはめったに無いようだった。何時もは、ネット通販での販売であるらしい。

 竹をセルロースにして、布や紙にしている。特に、竹布は、特長が多いと言う。抗菌性、保温性、少静電気性、消臭性、UVカット、などを持つ。顕著な成果が出ている特長は、寝たきり患者の床ずれ防止のシーツ、幹部にあてるガーゼ、など。さらにUVカットの特性が見つかり、最近はショールなどで人気があると言う。下着では、消臭性で、人気があるとも言う。今は高付加価値のため価格は高めである。

 竹が、紙、布に加工に成功したのは11年前で、中国の大学と研究した、と言っていた。竹は3年で成長が終わる。毎年、増え続ける。何所でも生える。究極のエコ植物である。切り出しの効率から、爾竹を採用している、と言う。孟宗竹は切り出しに、杉や、松と同じように重くて搬出が困難だそうだ。

 パキスタンの洪水で、綿花は壊滅の被害にあっていると言う。しかし、竹ならそんな被害も諸ともしないだろう。竹の持つ特長で、多くの応用が考えられる、と言う。炭を使った薬品類、絞り汁を使った健康食品、など、竹の素材研究や開発に、一生を掛ける、と言う若者の語る言葉は力強く、夢を見ている語り口に、久しぶりに、ボケ爺、夢のある人との一時を楽しんだ。

<読書>

「空夜」ハハキ木蓬生 講談社文庫

 著者の作品の多くは、社会問題を取り上げて、重苦しい雰囲気の作品が多い。其の課題の追求は鋭く、丁寧な表現で人々を引き付けていた。が、この作品は、二組の不運な運命を持って、不倫の恋愛を扱った、人の気持ちのあり方と、成長の過程を丁寧に時間を掛けて描いている。心温まる大人の純愛である。

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2010年9月 1日 (水)

9月の始まりは猛暑

 上期の締めの9月は忙しくなる。だがこの猛暑と、円高、株安では、先行きが見えない。予算の組み直しで苛められているだろう。今日は、5月から始めた月に2回の駒ヶ根の講演会の日である。朝の新宿をバスの中から眺めていると、働き蟻のサラリーマンが事務所へ急ぎ走っている。が、それも諦め顔で緩慢である。大多数がうつむき加減の背を丸めた歩行である。

 高速中央道に入るといきなり渋滞である。乗車券を買ったときに、ボケ爺は尋ねた。「今日は空いていますか?」返事は、「乗客は混んでいません」「それに、道路も順調です」と。曖昧な質問に、しっかりと完璧答する人がいるのに驚いた。

 八ヶ岳一体はくっきりと映え渡ってよく見える。其の峰々を真っ白入道雲で覆いかぶさったコントラストで美しい。諏訪湖の湖面は中央アルプスと北アルプスの谷間からの積乱雲が湖面に映り、白く乾燥した風景は波立ちも無く物寂しい。

 南アルプスと、中央アルプスに挟まり、天竜川を抱く

駒ヶ根市

は、駒ケ岳ロープウエイで有名だ。御他聞にもれず猛暑である。駅前通りのシャッター商店街は人通りは無い。其の中で、雑貨屋の店先には、虫取りかごに入れられたスズ虫が元気よく鳴いては秋を告げている。一篭一匹で1000円となっている。駅前に植えられた白い花の鷺草は夏の花で涼しげである。

 駅前の「水車」との名の食堂で、駒ヶ根名物「ソースカツ丼」を食べる事を常としている。名古屋名物「味噌カツ丼」の方が美味しいと思うのだが。キャベツをご飯の上に載せ、其の上にカツを載せ、ウスターソースを掛けた簡単なものである。が、御当地グルメは高い。今回は、到着が遅れたので昼抜き、となってしまった。残念。

<読書>

「江戸の暗黒街」池波正太郎 角川文庫

 暗黒街と言われて想像するのは、闇の世界、殺し屋のはびこる街である。表題を裏切る事のない悪が、闇から闇へと葬られる。其の中で、正太郎流の、人情があり、恋がうごめき、正義も垣間見せる手法は、読み手を飽きさせない。

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