母の日
母の日であるが、先日、永眠したので、贈り物を考える必要は無い。わずらわしくも思ったこともあったが、それも贅沢であり、現実は寂しいものである。来週が49日になるので、今日はボケ爺の御経を挙げることで我慢してもらう。合掌!
二階のベランダに椅子を出して、読書、と試みてみた。ジャスミンの蔓が二階まで登ってきており、今が花の満開で、その香り、若葉の匂いとのハーモニーが、五月のそよ風に乗っかって結構、優雅であり、心地よい。クロアゲハ、真黄色の蝶が時々、覗きにやってくる。歓迎せざる熊蜂まで、ボケ爺の居眠りの監視にやってくる。
「反哲学入門」木田 元 新潮社は一度、ブログで取り上げたことがある。「根を挙げて、最後まで読むことを断念してしまった」、と。勇気を出して引き続き読むことを決断した。なんと「反哲学」を定義する、少し前で投げ出していたのだ。前半は、長々と、プラトンから始まるアリストテレスへのギリシャ哲学史で飽きてしまったのだが。イデアを見つけ出し、絶対化する哲学を形而上学と言う。つまり形而上学が哲学である、と。
カント辺りからヘーゲルに至って、「反哲学」と言う、と定義する。そこに大きく貢献したのがニーチェだと言う。絶対の神を否定して、「生きる」ために、何が必要か?人間は、キリスト教のような「神」に求めるべきでなく、「生の人間」を課題とするべきだ。生きるには「意思(Will)と、意欲(Want)」が全てなのだ、と言う。そして、ハイデカーの現象学「存在と時間」で醸成された、と言う。ニーチェ以前と以後とでは、「哲学史を一線上では考えられない」、と強調する。以前が「哲学」なら以後は「反哲学」とするべきだ、と。
意思と意欲の「それはなんであるのか?」がもっとも大切な自然な生き方である。ボケ爺の技術、経営に通じることで、人生論にピッタリと当てはまるではないか。少しはすっきりとした。
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