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2010年4月25日 (日)

一週間の変化

 一週間ほどのアメリカ出張から帰った翌日の早朝に散歩に出かけた。周りの風景が豹変いるように思う。ぐずついた寒い日が続いていたと聞くが、実篤公園の中道や、森のテラスが薄暗くなったほどの新芽でいっぱいだ。実篤公園の孟宗竹の竹の子が目を出している。先日、妹のところで頂いたタケノコづくしの美味しい食事を思い出す。上の池のマスは元気である。下の池の鯉どもは浮かれて飛び跳ねている。

 森のテラスのチューリップは満開となっていた。チョッと覗かせてもらうと、以前ほどに、庭いっぱいではなく、大きな鉢に20本ほどまとめられて至る所に置かれている。その分、以前よりも美しい庭に変貌していた、我が家のオランダのチューリップも太陽でまぶしそうだ。日陰ではシャガの花も存在を訴えている。

 真紅の石楠花は未だに瑞々しい。隣には、牡丹が4輪ほどピンクの花が開いている。芝サクラの白、赤のじゅうたんが美しい。ラベンダーのつぼみも今にも咲きそうだが、この低温で、我慢しているようだが。

 散歩とは、罪な時もある。「わかりやすいはわかりにくい?」の読書の後遺症で、ボケ爺の「生き様」を悩ますことになっているからだ。

<読書>

{おとこの秘図}上、中、下 池波正太郎 新潮文庫

一巻が5百頁もある長編である。ボケ爺も、定年を過ぎて、生き様の反省もしきりである。後何年生きられるかを、うまく死ぬ方法を日々考えるようになっている。本著は、まさしく、サラリーマンの生き様の一例を描いたものである。「家系を守る」が重要な時代であった、妾、側室などの男の子の扱い方、次男以下の扱い、一つ間違えるとお家騒動が起きるし、厄介者にもなっていく。

 サラリーマンとして、与えられた仕事を粛々と、ことなく勤め上げる事が「善し」とされる、は現在のサラリーマン社会と同じである。溢れた男どもは、暴れ、荒れて厄介者になるのも同じである。順調に組織社会を生き抜くとしても、お役御免(定年)、となってからの過ごし方も、生き方は難しい。

 まさしく、「男の生き様」を生々しく描かれており、大いに参考になる。ここの「秘図」とは「男の生き方そのもの」であり、「趣味」であり、「ストレスの逃避法」の事であろう。

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2010年4月24日 (土)

フィアデルフィアにて(その3)

 アメリカも悩んでいる。TVでは、オバマ大統領の経済政策に批判的である。オバマがウォール街に出かけての状況把握も実を結ばないとか、ティーパーティーの主張も虚しい結果になるのでは、など、辛らつな解説が好まれているようだ。

 貧困の差はいうまでもない。サブウェイでは、朝食セットが$2.5である。マクドナルドの半分以下である。それでも人は少ない、高い方なのだろう。ヒルトン、マリオットホテルの合間に、マーケットと言う巨大な市場がある。何でも揃うが、$2以下で朝食が食べられるところがある。貧しい人の朝食の場であろう。結構賑わっている。

 純血アングロサクソン(ワスプ)と流れ者(それ以外の国からの移民族)と、奴隷の生き様には、日本では考えられない生きることへの苦難の道のりがあったのだろうが、未だ解決しているとはいいがたい。益々悪化しているのだろう。だから、「自立(自律)の自己責任で自由を勝ち取れ」と言うオバマ大統領に、国民は如何に思っているのだろうか?

 だからなのか解らないが、今回の集まりでも、「伝統と創造の戦い」の象徴のような現象が見事に展開されている。ワスプのように、伝統を堅守るために、改善をしい続ける企業の人々の誇りが強く伝わってくる。一方、流れ者は、その傘の下で、ニッチな市場の創造に向けて、チャレンジしているエネルギーに満ち溢れている熱気がある。また、それを利用して、のし上がろうとするベンチャーの一刻千金の魂も伝わってくる。

 これらの悩みがアメリカの強さだと思う。ボケ爺は、決してアメリカ贔屓ではないが、アメリカから強く刺激を受けてきた。今後も悩み続けるアメリカから学ぶ事が多いことだろう。

<読書>

「わかりやすいはわかりにくい?」鷲田清一 ちくま新書

臨床哲学講座の副題が示すように、ボケ爺が毎日身近に悩む臨床事象が、「そうだったのか」と納得できる内容が多い。今になってようやく、「悩み」が、何所から来ているのか解り始めた。100冊読んで、1冊に出会うかどうかの良書である。なんとなく読んでしまったが、一点一点吟味しながら読み返したい。特に、「問いについて問う?」「時は流れない?」「待つことなく待つ?」「所有できない?」「すれ違いが大事?」などなど。一読を進める。

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2010年4月22日 (木)

フィアデルフィアにて(その2)

 フィアデルフィアは、ユーヨーク(車で2時間)とワシントンDC(車で2時間半)との中間に位置している。ロート95が街の側面を走っている。懐かしのボストンまで通じている幹線だ。とりわけ今年の冬は寒かった。ようやく木々の新芽が吹きだされた頃で、柔らかく、淡く、初々しい葉っぱは、ひとの心を優しく包んで癒してくれる。今日が最高の天気だ、とTVが言う。

 悩めるアメリカの縮図の街のようだ。アングロサクソンは7時ごろからオフィスに急ぐ。その後は、学生が街を行き交う。学校に入門するには、荷物検査がある。上着まで脱がされている。10時ごろからは、店が開く。買い物客が行き交う。ほとんどが黒人であり、街が黒人で占領されるかの錯覚に陥る。街の角では、何か訳の分からない叫び声が至る所で聞こえてくる。低価格スパーが至る所にある。最も高級品のデパートがメイシー位である。

午後になると、観光客と、課外教室なのだろう学生が、名所めぐりをしている。古い記念物が多くあるから歴史の学習なのだろう。夕方は、ジョギングしている人が多い。やはり女性が目立つ。女性がジョギングできる街は、安全な街だといわれている。一般にはそれなりの体形の人が走っているが、とんでもないメタボの人も居る。安全化と思いきや、警官は街角でよく見かけるのは?

そう言えば、街の中も人々はメタボが多い。これもアメリカの悩みであろう。店の閉店は結構早く6時には閉まるところが多い。それでも人々はたむろが好きらしい。夕暮れになると、ホームレスの出番である。至る所のビルの隙間は、満員御礼の札が架かるほどだ。ホテルの斜め前には消防署がある。1時間に一回ぐらい、救急車、消防車がサイレンを鳴らす。寝た心地がしない。

昼食で隣の人が話しかけてきた。「東京から来た」「東京の物価の高さには驚きだ」「確かに高いが」「物価の高い日本には、経済の成長は見込めないだろう」などとのたまう。ボケ爺とて、言われたくないが。

今回の出張もスケッチが出来なかった。本当に、真剣に生活の過ごし方を変えなければならないのだが。余裕をまだ、作る事ができない、情けなや。時間の合間に街歩きが出来た事は成果、かもしれない。

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2010年4月21日 (水)

フィラデルフィアにて(その1)

 フィラデルフィアは、ペンシルバニア州にあるらしい。ニューヨークの南で遠くはないようだ。ホテルの近くにある長距離バスには、ニューヨーク、ニューワーク往きのバスが見られる。

 ボケ爺の30年近くの友人に、メールをして、会いたい旨を伝えたが、今回は出席しない、との事であったが、ボストンは電車で4時間ぐらいだから、早めに切り上げて、「ボストンまで出て来い」お前は、企業人でなくなったのだからホテルに泊まることはない、「俺の家はゲスト部屋が3部屋ある」ので、「俺の家に泊まれ」、と言う。ありがたい話しだが、意気地なしのボケ爺には出来ない。さらに他人の家に泊まるのには気がひける。中堅どころのアメリカの人は、家を持つ時に、ゲスト部屋を用意しているのだ。人の交流には積極的なのだ。横社会を生き抜くためであろう。

 フィアデルフィアの街は、古い街と新しい街の混合で成り立っている。公園の多い街でもある。ワシントンやフランクリンやローガンや、最も古い銀行跡地も残っている。朝鮮戦争墓地、ベトナム戦争墓地、など。病院も多い、ジェファーソン大学病院、ペンシルバニア病院、ハーネマン大学病院と。驚くなかれ、地下鉄と鉄道網(SEPTA)がしっかりしている。

 インデペンデンス(独立、自立)何々と言う建物がやたら多い。野球ではフィリーズと言うところか。小さいがチャイニーズタウンもある。デラウエア河には大きな港がある。すぐ、大西洋に繋がっている。海軍もあるのか?古い艦船が浮かんでいるのがタクシーの窓か観ることができたのだが。ボケ爺、この街に興味を抱いた。

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2010年4月20日 (火)

サンフランシスコ空港

 ホテルを出たのが6時過ぎである。サンフランシスコ空港のロビーで、6時35分。ご来光を拝む事となった。サンフランシスコ湾の対岸のオークランドより南の低い山並みから顔を覗かせて、10分もしないうちに、橙色の弱い光のまん丸が完成した。海は静かで、その尾を引いてきらきら輝いている。早起きには三文の徳があるというが、その通りである。海外でのご来光は、これが初めての経験となった。

 アメリカは広い。雪をかぶったロッキー山脈を過ぎるとソルトレイクである。白い湖が一段と銀色に輝いている。飽きるほどの広大な牧草地、穀物畑を、雲ひとつ邪魔することなく、ボケ爺の飛行機は滑るように、穏やかなフライトとなっている。シカゴを中継として、最終目的地のフィラデルフィアまで順調な旅となった。こんなに順調な行程は初めての経験かもしれない。

 空港から町の中のホテルまで、シャトルバスにするか、電車にするか、案内所で聞くのだが、聞き取れない。東海岸独特の巻き舌である。10ドル程度であるらしい。いずれにしてもホテルまでは案内してくれない、よって簡単なタクシーにする事にしたが、ケチケチ出張となると費用が心配だ。28.5ドルと言う。日が沈むまでにホテルに到着できてホッとする。

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2010年4月18日 (日)

41年ぶりの積雪

 昨夜から急に冷え込み、夜中にあられ交じりの雨から雪に変わったようだ。少し積もった程度で、交通機関に慌てる事はなかった。ボケ爺も、41年前の積雪を覚えている。その時はもう少し交通機関に支障があったように思う。その1年ほど前だったと思うが、3月末ごろに、都心で15cmほどの積雪があったと思う。交通機関が麻痺をして初台から、新宿まで歩いた記憶がある。関東の遅い雪は、珍しくは無いと思っていた。  三日坊主にならないために、傘を差しながら散歩に出かけた。定点観測の実篤公園の中道に差し掛かった時、15~20羽の小鳥が、ボケ爺に驚き、上の公園から下の公園に飛び移った。よくよく見ると、メジロだった。美しい緑の羽が、一段とさえていた。小鳥はいなくなったと思っていたが、実篤公園では健在だったのだ。残るは鶯を待つのみだ。きっと今年は来ないだろう。寂しい事だ。  森のテラスのチューリップは、つぼみを固くしてしまった。そう言えば、昨日の夕刻の電車は、寒さと雨で、至る所で遅延となり、混んでいた。そんな中、女学生の一群の騒ぐ声を聞いた。駅ごとに混雑で、騒いでいたが、「乙女のように身を硬くしていればいいのよ」と一段と大きな笑い声が聞こえた。一体何が言いたかったのだろうかを、チューリップ姿から思い出した。  雪が雨と混じり、水溜りは深くなって、靴は沈んでしまい、ずぶ濡れなってしまった。今から出張だと言うのにすっかり冷えてしまった。 <読書> 「麗しき花実」乙川優三郎 朝日新聞社 漆工芸を職業としての生き方を描いて、その中で、女一人漆工芸士としての生き様を描いている。漆の美の表現もすばらしい。だがそれだけではなく、量産化と一品作りのハザマの葛藤を見事に描いている。それに、贋作と真作の葛藤もそれに加わっている。工芸品のあり方の課題を提案している。さらには、女の美に対する見方は女の色艶の表現のあり方に及ぶ。そして、職業人と、家庭人の間で揺れる女心と、女の一生の生き方に言及される。現世代の葛藤と全く一致している。多くを考えさせる名作の一つである。

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2010年4月16日 (金)

散歩を始める

 暖かくなったので、メタボを気にしないように、さらには体力を付ける為に、早朝に散歩を始めることにした。いずれはジョギングに変えたいと思っているのだが。ボケ爺得意の三日坊主にならないように気をつけなければならない。

 日々の風景の変化を感じる感性も養いたい、と思って、周りをきょろきょろしていると、怪しまれる。まずは、定点観測位置を決めることにした。武者小路実篤公園の中道と、その先の森のテラスの坂道は必ず、通ることとする。まず実篤公園は、ソメイヨシノは散り葉桜となり、1本の八重桜が盛りとなってきた。そう言えば、我が家の八重桜も下から満開時期を迎えている。まだ、椿は終わっていない。

 森のテラスのチューリップは、ようやく、小さな蕾がそろってきた。後1週間もすれば、一面チューリップの花庭になるであろう。その近所には、山吹の黄色い花が満開である。良く花をつける木らしい。木の大きさは同じであるが、我が家では、ほんの少ししか咲かない。さらには、深紅の石楠花が、2本ある。その花の色を油絵で表現は出来ないほどの、紅に紫が混じったような妖艶な色である。その木下には、同じような色のチューリップの花が今にも咲きそうである。我が家のチューリップはオランダから買ってきたのだが、まだ分からないが縮れた花らしい。

 それにしても、カラスがいなくなったと言うのに、小鳥の鳴き声が少ない。すずめどももどうしてしまったのか?

<読書>

「名文どろぼう」竹内正明 文春新書

いやはや、泥棒も楽じゃない、と分かる。これだけたくさんの本を読まなければ、新書の1冊をも、ものに出来ない。文筆家も、しんどい商売である。その分我々は簡単に盗むことが出来るが、本当に身に付くのか?本作は名言集では無い。著者の個性が出ていて、「泥棒が出来そう」で愉快である。それに、引用作品の一覧が有り、親切だ。何事も、物まねが、一歩である。素直になって。

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2010年4月12日 (月)

50周年記念同窓会

 11日の日曜日に、「太子中学校、第一期生、50周年記念同窓会」なるものが開かれた。ボケ爺個人の母の初七日を併せて、出席した。地域である中学校が火事に会い、3校統合、3年生だったので、偶然にも「第一期生」となった、と言うだけである。ボケ爺は6組であった。名物は先生だけで、生徒には存在せず平凡なクラスであった。担任の先生は、まだ、まだ健在であった。ボケ爺の苦手な英語の先生で、1組担任の先生も元気に出席された。

 約1割が、永眠されていた。半数以上は出席していた。故郷を捨てて47年間(地元の高等学校に通ったから)、故郷のイベントに出席していなかった。ほとんど、誰だかわからない。浦島太郎となってしまった。2割ほどしか、郷里から離れていなかったようだ。恩師に会うことが目的だったので、目的は達成した。友達だった者は、ほとんどが欠席であった。

 母の初七日は、ボケ爺と連れとでお参りだ。久しぶりの御経であったが、結構うまく挙げることが出来て一安心した。母も、「ニタ」、と微笑み、「よっちゃん、良く出来たね、ありがとう」と話しかけてくれた気がした。生まれ育ったこの家、と言っても兄貴の家となり、建て替えられて、昔の面影は無い、あると言えば、この巨大な仏壇だけだ。

 末っ子の妹のうちに泊めてもらった。その家の大きな日本庭園は、昔のままで、手入れが行き届き、心静かに落ち着ける。ボケ爺はきっと長続きはしないであろうが。妹の連れが、すぐ近くの里山からたけのこを掘り出してくれて、たけのこ三昧の夕食を賞味できた。久しぶりに堪能でき、郷里のよさを思い知った。

<読書>

「絵具屋の女房」丸谷才一 文春文庫

著者の博識が生きているエッセイである。とにかく博識である。如何すれば、こんなに知識が入るのだろうか?博識にあっとうだれるが、文体の構成のいい。文書が軽や

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サクラ、サクラ

 桜の話をしなければ、と思っている間に、いろんな出来事が突発的に入って、忙しくしていたら、桜の花は、散り始めている。今年は天候不順で比較的長持ちだ。ボケ爺の家の近くには結構な花見どころがある。まずは、武者小路実篤公園だ。5~6本だが、公園の彩りに花を添える。次は、桐朋学園の構内の桜も見事だ。その仙川駅前には2本の老木が、入学シーズンに花を添える。若葉町小学校、中学校の校庭の周囲の桜も見事と言えるだろう。そう言えば、子供たちの通った滝坂小学校も桜の季節は華やかだ。

 このブログにたびたび登場するNTT中央学園の寮、運動場側、と東の構内ともに、一日楽しめるほどの桜がある。そこにある富士見台からの富士山と桜は、風情がある。(とはいえ、その前の野川沿いのマンション群を無視しなければならないが)

 東京電力の寮と専門学校があった隣に、鹿島建設のラグビー練習場がある。その周囲は桜でいっぱいである。ところが、その東京電力の跡地には、巨大なマンションが建ってしまって、桜を眺める風情はまったく変化をしてしまった。だが、多くの桜の木は残されていた。その配慮に感謝したい。(つつじヶ丘)神代団地の小学校から始まる、野川の川沿いの桜は、源流の小金井公園まで続く。今年は、小学校近辺までしか訪れることが出来なかった。残念なことをした。

 都心で、偶然に出会ったところは、旧全日空ホテル、アークヒルズ、サントリーホールを取り囲んでいる「桜坂」なる通りがある。名前の通りで、桜の木で、取り囲まれている。それに、五反田駅の近辺の桜どおり、と目黒川の桜の一部であった。

<読書>

「密書」峰隆一郎 集英社文庫

新・辻きり弥介として、弥介の人義理がたくさん出てきて、その通りになるなら、その活躍は見事である。時々、武士社会のサラリーマン気質が覗く。こんなのを読んでいると、気分がほぐれる。

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入学式

 4月の第1週目(6日ごろから8日か?)やたら親子ずれを見かけた。ボケ爺は忘れてしまっていたけれど、毎年繰り返される入学式に出席するらしい。日本を背負って起つ若者が成長していることとなる。

 そう言えば、41日は多くの企業の入社式が行われたようである。紺か黒に近いスーツ姿の若者が、やたら駅構内を占拠していた。「初心忘れること無かれ」と若者に応援したくなった。これからの日本の背負って起って欲しい、と願うばかりである。今の若者に奮起してくれなくては、本当に日本はどうなってしまうのか、心配でならない。

 確かに、絶対値で言えば、今の若者は、ボケ爺時代と比べて、知識などのレベルは高い。向上心もそれなりに持っていると思う。発想力も豊かだろう。しかし、グローバルな時代では、世界の各国と相対的に比較してみると、果たしてどうなるだろうか?ハーバード大学の調査では、留学生から見ると、インド、中国、韓国、の順で接近している、日本は韓国の半分以下で、それも、急速に減って、その差は益々開いてきているようだ。20年前とは様変わりだ。

ハーバード大学の日本国研究の先生方は、そろそろ店じまいだと、嘆いておられるらしい。日本国を研究できる材料に乏しくなって来たと言う。最近の日本国に魅力がなくなってきていると言うことに繋がる。この現象は、アメリカ全土、イギリスを始めとしたヨーロッパでも同様の現象がおきているようだ、と言う。

 ボケ爺がいまさら留学も出来ないが、日本の若者が、世界に目を向けて、日本の再建国に立ち上げってくれることを願う。

<読書>

「アイディアのレッスン」外山滋比呂 ちくま文庫

外山さんといえば、「思考の整理学」のベストセラーがある。人生二毛作といって、大学の教授から、今はエッセイシストで、活躍されている。内容はどこかに転がっているようであるが、整理の仕方が独特であり、発想ももじってある。そこがもの先生のよさだろう。本著のアイディアの整理の仕方がユニークである。

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2010年4月 6日 (火)

母が死去

 ボケ爺の母が2日の朝方、静かに、一人で、病院のベッドで死去した。10ヶ月以上もの寝たきり闘病生活であった。3ヶ月前ごろかは、食事がのどを通す気力が無くなり、点滴だけであったので、いつ死んでもおかしくない状態であった。覚悟は出来ていた。見舞いが、ほとんど出来ていなかったので、せめて、臨終には立ち会いたかったが、それも叶えられなかった。

 母は丈夫な体に恵まれており、死因は老衰と言うことらしい。(最後は、いろいろ死因の名目は付いていたのだが)95歳まで大病をしたことが無い。しかし時々事故は起こしていた。良く働く母であった。連れ添いをなくしてから、「死にたい、死にたい」と愚痴りながら、14年生きていたことになる。母は、自分の生きてきたことに何らかの意味づけをし終えたであろうか、美しく安らかな顔をしていた。多分、「自分の意地」を通しきった死に顔と、ボケ爺には思えた。

 2ヶ月ぶりの故郷であるが、幸いにして、お通夜の葬儀の日も晴天に恵まれた。これも母の日ごろの行いか?と思いたくなる。お椀をひっくり返したような小さな山々には、山桜が満開で、美しい。よい日に恵まれて、あの世に旅立った。魂も焼き切れたのではないだろうか。骨になった母は、そこには存在しない。人の死とはなんだろうかと、改めて、考えるチャンスをもらった。ボケ爺にとっても「良き日旅立ち」、であった。

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